かつて敗れていったツンデレ系サブヒロイン

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かつて敗れていったツンデレ系サブヒロイン
@wak
私には、ただモニターの外から幸せを祈り続けることしかできない。 ※引用RPが嫌いです。 あと、最近は主にBlueskyで呟いてます。.bsky.social
海がきこえる生まれ、月刊アフタヌーン育ちtwpf.jp/wakJoined May 2007

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喫茶店でモーニング食べていたら、死ぬほど疲れた感じの男子小学生が「うう〜、アイスください」と言いながら入店してきて、店のおばちゃんが「ちょっと休んでてね。今、お好み焼き作ってあげるから」と話が噛み合ってない現場に遭遇した。良いなー。
『天気の子』の小説版のあとがきで、「『君の名は。』で散々ディスられていたけど、映画は人から眉をひそめられてしまう密かな願いを書くもので、学校の教科書じゃない。僕は僕の生の実感を描くので、それで怒られるなら仕方ない」みたいなことが書いてあって、創作者として圧倒的に正しいと思った。
確か中一の頃だったと思うけど、ダイヤルQ2というエロ音声に電話をかけたらロシアとの国際電話に繋がって、後日、膨大な電話料金を請求されて親父に問い詰められ、「ロシアに友人がいるんだ!」「それなら、ロシア語を喋ってみろ」「ボ、ボルシチ…」って言った後、父親に大激怒されたことはあります。
エヴァで知ったヤマアラシのジレンマ(互いに仲良くなろうと近づくほど傷つけあうので、一定の距離以上は近づけないこと)の知識が念頭にあったけど、実際のヤマアラシが二頭でぬくぬくと温まっている姿に衝撃を受けた。やはり、真実はアニメではなく、姫路市立動物園にある…。
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スマブラを通じて不登校の子が登校するようになったというツイートがRTされてくる度に、ピンク色のルイージで屈んだまま左右に移動し、「いかに蟹っぽくてキモい動きをするか」を研究していた自分と比較してつらくなるからやめてくれ。
インターネットミームとして世界一有名な柴犬のかぼすちゃん。佐倉ふるさと公園の風車の近くにモニュメントが作られて、マンホールカードも手に入れることが出来た。 何回見ても味わい深い表情で、ソファーの近くには猫もいて一匹じゃないのが、今でも佐倉で愛されていることを感じて良かったなー。
Twitterで呟く回数が減るとリアルが充実してるというのは「○○はいつまでも幸せに暮らしましたとさ」みたいな後世で書き換えられたハッピーエンドで、本当は怖いグリム童話の現実の章を読むと、大抵、呟く回数が減った人は、仕事に追われて人生をすり減らしてる。
数年前から、『メイドインアビス』にしろ『宝石の国』にしろ『チェンソーマン』にしろ、読む地獄みたいな漫画がまた人気になっていて、(作品のジャンルというより読者の消費の仕方としては)『タコピーの原罪』も似ていてその流れに乗っている気がする。
「俺の地元には何もない」と言う友人の家に遊びに行った時、蛍が舞う散歩道の奥に温泉の共同浴場があったり、自宅の蔵の二階に友人が住んでいて一階は女の子がパン屋を開いているとか、ある種の人間にとって理想的なシチュエーション過ぎて、以降、「俺の地元には何もない」という言葉は信用できない。
昔は現実からインターネットに避難していた人達が、インターネットも現実になったので、その代わりに鄙びた温泉や二時間に一本しかバスが来ない街の旅館などに避難するために週末旅行していると考えると、妙に納得感がある。
今日の宿は、峰温泉の花舞・竹の庄。かつては高級旅館だったが、今は一人でも一万円以下、二人だと六千円台で泊まれるお得な素泊まり専門宿になっています。ほのかに香る廃墟っぽさも良い。風呂が最高なんですよ、風呂が…。
「不要不急の外出」という表現を見る度に、「生活費がないから仕方なく働きに出ているのであって、会社通勤が自分の人生に必要な要素かというとすごく不本意。本来は、ローカル線に乗って鄙びた温泉宿を巡る方が、自分の人生に必要なんだ。仕方なく我慢するけど」と言いたくなる。
tiktok始めて30秒くらいで何となくわかってしまったんだけど、たとえ私が10代だったとしてもtiktokに動画投稿する側になれないし、高校の授業中、tiktokに動画投稿する側の人を憎みながら、地図帳を読んで「アナトリア半島を南北逆にすると、異世界の地理っぽい」みたいな妄想してると思う。
深夜だから言うけど、最近、「麦わら帽子に白ワンピースの少女」とか「浴衣を着た幼馴染の女の子と行く夏祭り」とか、そういう感傷のデータベース消費を続けると、エモい記号の組み合わせスキルは磨けるけれど、感傷する時の自分の感情は摩耗して味のないガムみたいになっていくんじゃないかなと思う。
最高の夏コンプレックスみたいなのがある気がする。ラノベやアニメで概念の夏を過剰摂取した結果、田舎のおばあちゃんの家で隣の家に住む麦わら帽子黒髪ロングの白ワンピース少女と一夏を過ごすとか、浴衣を着た女の子と夏祭りや花火大会に行くとか、そういう正しい夏像が念頭にあり、
エモいものが好きな人でたまに「自分の感情を言語化されたくない人を見かけるのだけど、それは言語化能力がないというより、言語化しないことで感情を自分だけの所有物にしておきたい欲求が強い気がしてきた。それに対して、何かの記事で読んだように「語彙力がない」と評するのはあまりよくないな。
定年退職後の父親に「数十年働いてどうだった?」と感想を聞いたら、「つまんなかったなー」と返ってきたのだけは割と尊敬している。自分の人生の数十年を、カッコつけないで即座につまんなかったと認められるのはすごい。
「実はこの世は仮想世界でたびたびマテリアルエラーが発生しているが、それを放置してこの世が仮想世界であると住民にバレないように、マテリアルエラーは全てきぬた歯科の看板に改造されている」という陰謀論を思いついた。
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「他人とコミュニケーションをするとHPが回復する人々と、MPを消費しないと他人とコミュニケーションできない人々がいて、両者が交わると後者の人々が日に日に消耗していく」ということを、最近実感している。多分、両者は交わってはいけない。