幻想迷宮@なっつん

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幻想迷宮@なっつん
@gensoumeikyuu
乗物座席、航空旅行、独軍(WWⅡ)サークル「幻想迷宮」。同人誌は必ず感想を書きます。/好きな言葉「備えよ常に」/行動規範は「恩を忘れない」/故郷大和と古里土佐を愛す/艦これ・鉄道・軍事・旅関係RT多し/ウマ娘のRTはハルウララのみ/【重要】鍵アカウントについては、交友・面識がないフォローはお断りいたします。
ハルウララ/邪馬台国/試される大地/パラオ泊地Joined July 2012

幻想迷宮@なっつん’s posts

東日本震災派遣で体験した事 ・油物ばかりで野菜食べたい、刺身食べたいと我儘な被災者 ・無事な自宅から被災者限定の自衛隊炊き出しを食べにくる住民 ・温めていない缶飯(赤飯)を食べている自衛官に「赤飯なんて食べている!」と文句言う避難民 ・我が物顔で立入禁止の被災住宅に入るマスゴミ…
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食中毒防止と、一度に大量に調理できる油物が中心になるのはやむを得ないのです。感謝してくれる被災者が大半でしたが、文句を言う被災者には辟易しました。表情崩さず給食する自衛官でしたが、内心は怒り狂っていたに違いありません。
叛逆の物語のクライマックスで、さやかが剣で自らの腹を刺す場面があるよね。あの場面の明度を最大限上げると、こんな表情をしていたんですよ。
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叛逆の物語において、対マミ戦でほむらが使用した銃器一覧。私は44回観賞中の35回目で全て把握しました。この時ばかりはミリオタで良かったと自己満足。
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信じてもらえないかもしれませんが、15年くらい前まで(石勝線で特急が燃えるまで)JR北海道は超強気の冬営業で、冬季は繁忙期料金を設定して「冬道は危険だからJRで来てね!」CMを流していました。そして事実、冬季に全面運休するような事態は、全くと言っていいほどありませんでした。
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@5naho5 祖父は、あの時代では珍しい恋愛結婚でした。言葉を選ぶのが苦手で、「女性だったらハートの指輪が好きだろう」と思い立って現場責任者という立場を利用して他の作業者が居ない時を見計らって作ったとか。 求愛の時のエピソードは話してくれませんでしたが、上手くいったのでしょう。
SFC修行で新千歳→那覇便に搭乗している時ですが、桜島上空を通過している最中に噴火が始まりました。貴重な経験ができて嬉しく思いました。
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元旦羽田空港にて 手荷物検査員「スーツケース空けてもらっていいですか?」 なっつん「…はい(やはりか…)」 検査員「これ、なんですか?」 なっつん「秋葉原で買ったジョークグッズです。」
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ガダルカナル島を急襲占領した米軍を翌日空襲した一式陸上攻撃機の編隊ですが、この海面すれすれを飛行している機体のパイロットは現在も存命。日本最高齢の現役パイロットです。
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見事に傾いている天塩川温泉駅駅舎。ひと月前はこんな状態でなかったので、基礎が崩れたか、基礎の土壌が流出したかどちらかでしょう。JR、音威子府村双方に修復する予算はないと思われるので、雪解けと同時に解体される可能性があります。
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読売新聞5月28日夕刊に、連載40周年パタリロ特集記事が掲載されていました。無人島に持っていきたい哲学書兼実用書兼宗教書の漫画です。 それにしても…ミーちゃん28歳はもう65歳になっていたのですか。
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戦車に勝てるか聞いてみた。 特科「最大装薬でぶっ放したら勝てます」 高射特科「地上目標用弾があるので当てたら勝てます」 普通科(120mm迫撃砲隊員)「当たったら勝てます。当てて見せます」 けっこう機甲科へのライバル心むき出しw
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マミさんのコスプレーヤーは100人以上見ているけど、右端のおっさんほど似合っていて、かつインパクトあるレイヤーは見たことがない。 女装コスはするつもりはありませんが、こういう男性化コスは憧れるしやってみたい。
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トラック島空襲で空母イントレビットに肉薄した天山です。残念ながら雷撃は外れましたが、機体を横滑りさせて対空砲火を避けているのが判ります。戦後、この機のパイロットは空自でかなり出世したと噂を聞きましたが、御存じの方居ませんか?
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原爆を運んだ米巡洋艦インディアナポリスを撃沈したゴーヤの中の人(橋本艦長)は終戦後に雪風艦長になり、戦後は神社宮司として平成の世まで存命だった事はほとんど知られていない。
The image shows a black and white photograph of a warship, identified as the Japanese destroyer Yukikaze, navigating through the ocean. The ship is depicted from an aerial view, showcasing its structure and armaments. In the top right corner, there is an inset photograph of a man in a naval uniform, identified as Captain Hashimoto, who commanded the Yukikaze after World War II. The post text reveals that Captain Hashimoto, who sank the USS Indianapolis, later became the captain of Yukikaze and lived until the Heisei era as a shrine priest, which is lesser-known information.
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ありがとうございます。祖父は四半世紀以上前に他界しましたが、5年前に逝った祖母は今際の歳まで戦艦大和の指輪について笑いながら自慢していました。この指輪も、歴史の証人かもしれません。
昨年ですが、御巣鷹山に救援にいった陸自隊員とお話したことがあります。詳細は個人情報と言うか、防衛機密に該当するかもしれないので話せませんが、今年定年除隊しました。当時17か18歳だったとのことなので、将官に昇進していない限り、御巣鷹に行った隊員は、全員除隊したことでしょう。