Eテレの『こころの時代・ブッダ最後のことば』の田上太秀先生による二回目「怠けてはならない」については(1)をアップして時がたちました。
涅槃経から導き出される「怠けてはならない」に関して前回は七仏通戒偈から「莫作(まくさ)」、「悪いことはしないようにする」という習慣付けが大事というところで
終わりました。
一ヶ月に一回のこの講座、今回はその(2)です。なおこの講座を書くに当っては、番組内容とともにそのテキストの他に田上先生の書籍を参考に書いていきたいと思います。
<「怠るな」の真意は何か>
番組とは直接関係ありませんが、東日本大震災に関して被災者を励ます意味で使われる「頑張れ・ガンバレ・がんばれ」という言葉のもたらす問題が提起されています。
「怠るな」の意味を問われれば「頑張れ」と聞こえるのが大方の日本人です。ですから、「怠けてもいないのに、真剣に生きることに必死なのに・・・・・・何ということを言うのだ。」と被災者から叱られるのは理解できない事ではありません。
しかし「頑張れニッポン」と励ましの言葉でいう時に、「怠けるな被災者」などと決して言っていないことは、誰もが承知していることです。
しかし、実際は被災者の口から「頑張れはないだろう。」という言葉が語られる報道を見たことがあります。
「頑張れは、きつい」なぜそう取れてしまうのか、なぜ「怠けるな」に受けとられてしまうのか。聴取した記者は事実の報道に努めていることは確かですが、「励ましの言葉で、そうは誰も思っていませんよ。」と言わないところを見るとゲートキーパー的な思い入れのある気概を持って取材にあたる人たちなのか非常に疑問を感じました。
そもそも「怠けるな」に聞こえるのはなぜなのだろうか、そこに人の生き方が見えるような気がします。励ましの言葉に互いの合掌の御姿が見えなければ、被災という契機は、被害の悲惨さや希望のない明日をもたらし、ルサンチマン感情を醸成し、その場に沈泥させるものでしかありません。
報道機関者もせめて「励ましのことば」に変えて伝える取材努力をしないのか。目の前にいる被災者が気持ちを落ち込ませている時に、更なる後押しをしようとするのか、「悪い習慣を身につけた人々という「怠ける」の典型的な姿に見えてなりません。
さて本論から離れてしまいました。
そもそも「怠けるな」の類語には、
ずるける・だらける・ゆるむ・ごろつく・遊ぶ・油を売る・油断する・骨惜しみする・あぐらをかく
があります(テキスト参照)。
それぞれ少しずつ微妙に使い分けによって意味が異なりますが、「怠ける」の意味に通じることばだと先生は言っています。
さらに、以下もテキストを参考としますが、「怠」の文字の語源は
心が活動せず、とどまってだらけている状態
日本語の
だらける・あぐらをかく
がこれに当たるとのことです。
漢訳の仏教典では「怠」は、
怠惰(たいだ)
懈怠(けたい)
倦怠(けんたい)
の熟語で使われ、仏教教義では修業の妨げとなる大きな煩悩のひとつにあげられるとのことです。
惰も懈も心の緊張がほどけて
ゆるんで、乱れている様
漢字の上での「怠けるな」とは、心をたるませず、励まして目標に果敢に進めという意味です。
原語ではどうか、
サンスクリット語 クシーダあるいはケーダ(懈怠の元か)
活気がない
悲嘆にくれる
意気阻喪(いきそそう)
疲れてやる気がなく、活気、元気がない状態をいう、のだそうです。
<「怠け」を比喩で説く>
テキストには華厳経の例が書かれています。
もし修行僧が怠ければ、たとえば火を鑽(き)るとき、まだ熱くないうちにやめると、火を熾(おこ)そうとしても、火を得られないここと同じである。
(八十巻本『華厳経』第十三巻)
古代の火の熾し方、木と木をきりもみをする動作の行為を例に示されています。
全力できりもみをする、途中でやめれば火を熾すことができない。修業も途中でずるけると目標は目の前から消えしまいます。
テキストでは次に『大智度論』第十五巻の比喩が書かれています。
たとえば毒の入った食べ物のようで、初めは芳しい味だが、しばらくすると、その人を殺すことに似ている。
怠けの心はそれまでの功徳を焼いてしまう。たとえば大火が多くの林野を焼き尽くすように。
これ等の例から、怠け心は人を破滅に導き、将来ある人生を幻に化す教えである、と説明されています。
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以上テキストから「怠けのこころ」は身の破滅になることを説明してきました。
具体的にどういう怠けが、どのような結果をもたらすか、だからそうならないための努力をしたらよいかということになります。
生身の自分自身からは次から次と欲望が起こってきます。欲望がものに執着している。自分の感覚器官が様々なものに妄執して行く。執着して囚われて行く。煩悩が次から次へと起る。だからそういうことが起こらないように「怠けるな」ということをブッダ(七仏)は教えられた。
「怠けるな」という言葉を別なことばで言うと「精進」、もともとの意味は努力という意味で、身に付くまで一生懸命くり返し行いなさい。それが仏教の修業。
そうならないための努力、これが仏教の修業
苦しいことを行うことが修行ではない。ブッダの教えを身につくまで繰り返す。それが努力であり精進。それが普通に言うと怠けるなということになります。と先生は述べられていました。
テキストにも掲載されていますが、番組では「涅槃経」からではなく「六方礼経」から在家のシンガーラ青年に語られた言葉が紹介されました。
「六方礼経」
1 飲酒は富をなくすはじまり。
2 他人の妻や夫と不倫するのは富をなくすはじまり。
3 祭りや踊りなどの集まりに熱中するのは富をなくすはじまり。
4 他縛などの遊びに熱中するのは富をなくすはじまり。
5 悪友と親しく交際することは富をなくすはじまり。
6 怠けにふけるのは富をなくすはじまり。
このように「はじまり」とことばが書かれている。
富とは、家をも含む財産です。それを「なくすはじまり」と書かれていて「なくす」とは書かれていません。その意とするところは、「失くす入り口になるよ」ということ。
飲酒であろうと不倫であろうと祭りであろうと、また賭博に遊びに、悪友と交際いすることのそれぞれに熱中しても怠けることにはつながりませんが、これを続け、没頭していると財産も家も無くすという結果になるということです。
熱中すること、没頭すること=入口であること(今すぐにではない)。
最終的な結果は=財産も家も無くす。
またここに表されていることには、今現在行なっていなくとも、将来そうする機会があり実行すればそうなるよ、という未来啓示も含むものであるという説明がありました。
私見で思うのですが「来たらざる未来に惑わされることなく」(一夜賢者の偈)の中には、今をしっかりつかめということも含有しているように思われ、「今をしっかり生きよ」をさらに強調するものと理解することができるように思います。
本業を忘れ、没頭することは、君自身の富をなくすことになるよ。没頭すること趣味的なことはよいが本業を忘れ昼間から没頭するようになれば富をなくすことになり、染める程度ならばよいかなと思うといつの間にか、本業を忘れる結果になるまでも含む戒めとの説明もあり、言葉の理解を更なる理解にする・・・納得の説明でした。
要するに怠け心を起さないこと・・・これに尽きるわけです。
シンガーラ青年への個人的な教えではありますが、私にもその真意がしっかりと伝わります。
<五戒について>
仏教で戒めがまとめられて説かれる言葉=五戒=五つの習慣
「戒」とは「シーラ」=習慣
戒(いまし)めと説くと「いけない」ということになってしまいますが、
1 生き物を殺さない。
2 盗みをしない。
3 不倫をしない。
4 みだらな言葉(嘘、二枚舌)を語らない。
5 酒を飲まない。
1~4は、人間として人の道として絶対に守らなければならないもの、身に付けなければならないものであり、飲酒は時・場所・状況に応じてあるもので必ず守らなければならないものではなく、釈尊自身も例外として語っているということです。
1~4を勧めた宗教かも哲学者も政治家も国もない。再度繰り返しますが、この四つは「人の道」として必ず身に付けておかなければならないこと、「神がいようがいまいが関係ない」(田上先生言)・・・・なのです。
「怠けるな」という言葉は、このように解してくると「身につける。」「身につけるまでズルけてはなりません。」「途中でやめてはいけません。」「身につくまで継続しなさい。」ということです。
上記のシンガーラ青年への言葉の六番目の「怠けることの中身」について「仕事」に関しての「六方礼経」の紹介もありました。
「六方礼経」
1「寒すぎる」といって仕事をしない。
2「暑すぎる」といって仕事をしない。
3「晩(おそ)すぎる」と言って仕事をしない。
4「早すぎる」といって仕事をしない。
5「私はひどく腹が空(す)いている」といって仕事をしない。
6「私はひどく満腹だ」といって仕事をしない。
これは現代社会で仕事をする人と若干違いますが考え方として「理屈」をつけ仕事をさぼることでは同じものになります。
「怠けない」という言葉はありませんが、釈尊が「怠けるな」と言っている裏付けになるものです。
「六方礼経」を田上先生は「涅槃経」の「怠けない」という言葉をうまくまとめた言葉として番組では紹介されていました。
<怠けないと自分に言いきかせても、またそう思ってもなかなかできるものではない。>
とにかく継続していくこと、法句経に、
心というものはあやふやでどうしようもない。
これはつかみどころのないものである。
ということが多く語られ、人間のこころの洞窟に奥深く潜んでいる。これを如何に制御していくか大事。
それが自ら心を清める、悪いことをしない、善いことをしよう、と心の中に思っていても、くじけ、ゆらぐことがある、それが心である。
だからそのようにならないように、自ら心をコントロールしなさいということで七仏通戒偈の「自浄其意」ということになります。
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Eテレの『こころの時代・ブッダ最後のことば』は、月一回の番組です。次回は6月19日です。
今回は「怠けてはならない」(2)です(3)までアップしたいと思います。
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