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ガンダム関係・富野由悠季やアニメなどの情報紹介や考察をしていきます。
(アニメーション演出・監督)
滝沢 敏文(たきざわ としふみ、1953年9月18日 - )は、長野県松本市出身のアニメーション演出家、アニメーション監督である。東京造形大学卒。 大学卒業後、東京アニメーションフィルム(現:アニメフィルム)に入社。同社に撮影スタッフとして勤務した後、シンエイ動画に移籍し演出助手に転向した。 その後日本サンライズ(現:サンライズ)に活動の拠点を移し、『装甲騎兵ボトムズ』『ダーティペア』などの演出チーフ・監督を務めた。 フリーになり監督、演出、絵コンテなどで活躍。2004年GONZOによるフルデジタル・アニメーション『SAMURAI 7』の監督を努める
最近やらかした誤った選択はちょい置いといて、すこし話しを散らかす事にしてずっと若い頃の話しである。
まだ駆け出しの演出のころ、逃げ出すための追い風が吹いてくれた為、正しい選択をした時の事。
「富野作品の新作をやるから直ぐに来い」と長谷川プロデューサーに言われた事がある。
その時私は(タンサー5)をやっていたから「直ぐには行けない」といったのである。
すかさず長谷川さんは「タンサー5なんかほっぽり出して来なさい」と言う。
私は「そうは行かないでしょうが」というのだが「どうしても来い」というのである。
ちょい困っていると(タンサー5)のフロデューサーの足立さんが予想外の事を言ったのである。
「タンサー5なんてどうでもいいからイデオンに行きなさい、
後は私が撮出しやっとくから」などととんでもない事を言うのである。
プロデューサー自らそう言うのであるから「良いか」っとばかりにイデオンスタジオに行く。
このように逃げ出す理由が見当たればさっさと逃げ出して新しい環境に着替えるのは得意だ。
この時の事はあとになっても良かったと思っている。
話しは戻って最近の過ちの話し。
本誌(注:アニメック) 例えば「イデオン」の映画ですと滝沢敏文さんが監督をなさるなど、アニメーションではどんどん若い人が起用されてゆきますが、総監督と監督は、今回の映画では仕事内容にどのような違いがあるのでしょうか?
富野 厳密に言えば、滝沢君の場合には、実写の世界でいう助監督に過ぎないでしょう。ただ、助監督とも言い切れないんです。だから「イデオン」の場合にはあくまでもこうしました。つまり、本来コンテュニティ(絵コンテ)を抑えられない限り、本当の意味での監督とはいえないんです。
Bロール(発動編)に関して言えば、滝沢君が監督であることに間違いはありません。別にヨイショするわけではないけれど、少なくとも演出処理術というものに、僕にはできないものがある。やはりひとつには、年の差というものがありますね。若い感性の持つフレキシブルなものというのは間違いないものだし、僕にはもうマネのできないものだし。例えば、光の処理法ひとつとっても、僕とは違った味わいがある。あれはもう、滝沢君のものですね。そういうオリジナリティというものは、歴然たるものです。
――スタッフの多くが、富野監督と組むのは初めてだったわけですよね。とまどったりしたことはなかったですか?
長谷川 でもね、当時のスタッフというのは、『ザンボット3』『ダイターン3』『ガンダム』と攻め上がってきた富野さんの成果を、皆、脇から見ているわけですよ。だから一度、富野さんと一緒に仕事をしてみたい、という気持ちはあったと思いますよ。実際にやることになって怖れも少しはあったと思うけど、何か新しいものがつかめるんじゃないか、という期待もあった。滝沢くんなんか、そういうものの権化だったと思いますよ。一時期は富野さんの影響を強く受けたコンテを描いてたし、絵まで似てたからね。だから滝沢くんは高橋良輔さんと組むことが多くて、また後で『ボトムズ』でも組むんだけど、富野さんを経由したことで、戦力として成長したと思いますよ。
僕らだけの宝物、『イデオン』
劇場版の監督も、誰かに「やってくれ」っていわれたんじゃなくて、「俺がやる」っていったんです。そういう「やりたい」と思わせるものが、『イデオン』には確かにありましたね。
監督をやるにあたっては、富野さんからの注文は別になかったです。富野さん、忙しくて。同時期に『ガンダム』の劇場版をやってましたからね。たまに相談にいくと、怒るんですよ。「相談するな!」とかなんとか(笑)。勝手にやってくれって感じだったですね。でも、忙しくなくても、そうだったと思いますよ。「俺がやる!」「じゃあ、滝沢やれ」っていう世界だったから。
ある日笠間君から電話が入った。
samurai7NHK総合で放映されることになったのですが、
オープンエンドだけリニューアルしたいのです、
時間がないのでできれば監督に絵コンテを描いてほしいんです、もちろん早業で。
曲はメールですぐ送るということで、聴いた・・・ラップだ・・・。
話しは戻るが、何がきても外しているかぎり私はいやがりません。
如何にもトミノ作品の様なオープニングは嫌いです。
驚かない原因は既にあり、アニメジャナイ事件を経験しているからだ。
(解る人には解ること) このアニメジャナイの絵コンテ、第一項は拒否された。
当時の状況を考えると仕方有るまいとは思うが。
「不器量な雌を選ぶべし」という前言に賛成をえたところで暫し考えた。
その結果前言を撤回する。
(略)
数年前、富野さんと打ち合わせをしていてあの人が言った言葉を思い出した。
「シンクロの小谷美香子は美しいと思うがボディービル系の女性はどうも苦手だ」
一般的に良く聞く意見だが、私の場合は機能に特化した特徴を魅力とかんじるから
筋肉の発達した女体は結構セクシーだと感じる。
富野監督は一筋縄ではいきませんね(笑)私にとってはどちらも多少なりとも恩を返しておきたい人物なのであるが良輔さんに関しては実にまったくうまい具合に成るように成っていて、ちょいと前にボトムズのコンテ打ち合わせを兼ねて寿司屋で飲みながら話しをした。
「良輔さんには恩は返したような気がしているんだけどね」と私が言うと、「うん、うん、充分返して貰った」と良輔さんも同意した。
その時点で見えない証文は返してもらったことになる。
一方、どなたからもやっかいと思われがちな富野さんは私にとっても厄介だ。 けしてさほど悪い意味ではなく厄介なのである。
何故かというと随分と前になろうか。 私に向かってこんな事を言っていたわけで、これが厄介の元凶にちがいない。「相撲取りは兄弟子の足をすくって勝利する事を(恩を返す)というが」・・・だ。
妙な繋がりでネットで気持ちの悪いコメントに出くわすことがある。
「崇拝する富野との決別」とかなんとか。
どこのどいつか知らないが出任せで気持ち悪い事を書くんじゃあないぞ!そんな輩は説教に値する。
崇拝する人物なぞというものは今も昔も断じていない。
尊敬する人物はたくさんいる。
話しは戻るが外へ修行に出た結果、随分と頭が良くなった。
その結果けっこうな奇策が思いついたのである。
まあそれはさておきこのお二方にはまだ十年程は「まあだだよ!」と言っていて欲しいわけである。
もっとも明日私が交通事故で死なないともかぎらない。それは只のお笑いぐさ。
滝沢氏は富野監督のGのレコンギスタを見られていました.夜中にレコンギスタをやっと見た。
今まで見ようとしてつい忘れていたが、やっと見る事ができました。
ふふーん、とにかく久しぶりに富野さんらしいものを見ました。
富野さんらしくてこれ、けっこういいな。
でも、宇宙エレベーターはできないんじゃないかと思う。
大気の流れは無視できない。
私は若い連中はみな好きだ、一生懸命だし、素直だし。
アニメ界の若い子達と似たところがある。
上の者の質がわるいのである。 ここへ来て、今更ながらに思うけれども、
富野さんや良輔さんはなんと偉かったことだろうか。
例えると清水の次郎長ってなところだ。
「ところであなた、ボトムズの絵コンテ切る気ある?」と良輔さん。 「やる気はあるよ」と私。 「実は今回は加瀬ちゃんにも頼んでいるんだけどね」と良輔さんが今回の趣向を話し出した。
「じゃあスケジュール次第でやる気は有るということだね」と良輔さん。
「うん」と私。
「じゃあ良武さんのことだからシナリオゆっくりだと思う、また制作から電話させるから」
ということでしばしゆるゆると時間は小さく未来へ針をすすめるのであった。
ある日の高橋良輔曰く「この歳になると若い女の子は全て可愛い」と宣わったのに頷きたいが、私の場合は食い物の趣味と同じく珍しい者にも興味を抱くので対象が広くて困っている。
リョウスケさんのお供で倉敷芸大へ講義に行く。 リョウスケさんは大阪芸大の教授もしているのでそちらから倉敷へ(芸大のはしご)のようで倉敷で合流。
最近金欠病気味で相談したところ、「倉敷芸大に教えに行く?良いところだよ。あまり稼ぎにはならないけど。」と言われたのである。
滝沢氏は,高橋氏経由で,2011年に倉敷芸術科学大学の講師を始められました.リョウスケさん曰く、学生達に向かって言わんでもよさそうな事を宣うのである。
私の弟子の中で二人、すぐ喧嘩して監督を降りてしまう出来損ないがいる。
一人はこの滝沢君でもう一人は池田成、この二人に関してはとにかくおおよそ、なにかというと喧嘩して止めてしまう・・・そうである。
私は池田と対比されるのは極めて迷惑である。 だってあれとは知性の住む時限が違う。 あんな者は味もそっけもないと私は思っているのである。
続けている間に良輔さんから「監督やる?」っと電話があったり、あちら方面から「絵コンテ」の依頼などもいろいろあったりしたが、都合上断らなければいけないこともあって。
そう、良輔さんから久しぶりに電話があった。
「ちょいと新しいのをはじめかけているんだけど手伝ってもらおうかと思ってさ」
声が良く出ないので、私の話は通じにくい。
滝沢敏文は、2015年6月22日朝、逝去いたしました。
食道ガンでしたが、前日まで車を運転し、犬の散歩をするという普通の生活をしておりました。
今までこのBlogを読んでくださった方、お付き合いくださった全ての方に感謝いたします。
もう更新はありませんが、記録はできる限り残しておきます。
皆様のご厚情、本人に代わりましてお礼申し上げます。
ありがとうございました。
4日間だった
今日の一枚。
あらためて、滝沢敏文監督のご冥福をお祈りいたします。 pic.twitter.com/JgR5YL5g4g
— 西村誠芳@東京都目黒区 (@NISHINOB) 2015, 6月 25昨日は、お世話になった方の訃報にショックでした…
— 高松信司 (@takama2_shinji) 2015, 6月 24滝沢敏文監督は、私が初めて配属された「ボトムズ」でチーフ演出をされていました。いつも三つ揃いのスーツに髭と眼鏡の素敵な大人の人に見えたけどあの頃まだ二十代だったのですね。監督の「ダーティペア005便」では演出として参加して勉強させていただきました。ご冥福をお祈りします。
— 高松信司 (@takama2_shinji) 2015, 6月 25訃報は一昨日聞いていたのですが、発表がないのではばかっていました。
最近は「シャイロゼッター」でもコンテをやっていただいたりしていたのですが…
m(_ _)m
— 高松信司 (@takama2_shinji) 2015, 6月 25アニメ監督の滝沢敏文さんがお亡くなりになったというニュース。私が駆け出し編集者の頃「イデオン」や「ボトムズ」についてインタビューさせていただいたのを覚えています。まだお若いのに残念です。ご冥福をお祈り致します。http://t.co/QwIugeQsOj
— 井上伸一郎 (@HP0128) 2015, 6月 26