6話「続・見限られた少年」
何を間違ったのだろうか。
アールは自分に向かってそう問いかける。
何を間違ったのだろうか。
考えても答えが出ない。
自分は間違っていない、と声高に言いたい所だが、間違っていないのならチキからあのような、蔑む視線を受けることもなかったはずだ。
何かを間違ったのだ。
でなければ、今頃こうして一人で歩いているはずがない。
シャイナの事だろうか。
いいや、違うだろう。あの件に関して、自分は間違っていなかったと言い張れる。
なぜなら、約束があったからだ。
『危なくなったら、私を置いて逃げて欲しいの』
アールはただ彼女の要望を聞いてあげただけだ。
だから、間違っていない。
とすれば、どこに失敗があったのだろうか。
アールの父は優しい男で、失敗にも寛容だった。
失敗を恐れるな。失敗を悔やむな。失敗を運のせいにするな。失敗には理由がある。理由を理解し次回に生かせ。
反面、成功には厳しかった。
成功に酔いしれるな。成功に浸るな。成功を実力のお陰と思うな。成功したのは運が良かったからだ。行動を洗い出し、運に頼った部分を見つけ出し、次回に生かせ。
同じ失敗をしても怒られなかった。悪いところを教えてくれることもなかった。
それが父の教育で、母はそれに対して口出しすることはなかった。
だから、アールはこうして考える。
失敗には理由がある。それは間違いない。理由のない失敗などありえない。
だが、どれだけ行動を整理してみた所で、その理由が思い至らない。
だから考える。
暗い雨の中を歩きつつ、ずぶ濡れになりながら、考える。
その集団を見つけたのは、半刻ほど歩いたあたりだった。
暗闇の中で、ぽつりとついた焚火の光。
この雨で焚火?
と、不思議に思って近づいてみると、撥水性のよさそうな布が木々に結び付けられ、さながら巨大な屋根のようなものを形作っていた。
その中央にあるのは、大きな焚火だ。生木が燃えるバチバチという激しい音から察するに、そこらへんで叩き折った木をそのままくべているらしい。
その周辺にいるのは、なんとも暑苦しい集団だった。
はちきれんばかりの筋肉を持つ上半身男が焚火の前で腕を組み、その前で規則正しく並んで座る男・男・男。たまに女が混じっているが、どいつも例外なく船乗りが真っ青になるぐらいの筋肉を持っている。
武道団体 鳳凰の巣。
全てを素手で打ち砕く、拳の体現者。
そういえば、彼らを町で見かけたことが一度もなかった事にアールは気がつく。
まさか、この二週間、ずっと山で野宿めいたことをしてきたのだろうか。
その考えは、さらに近づくことで信憑性を得た。
規則正しく並んだ彼らの背後には、さらに一つ、巨大な物体が無造作に置かれていた。
肉の塊。王竜の屍骸だ。
さらに近づくと、規則正しく並んだ彼らの前には二つの皿が置かれていた。片方の皿にはぶっとい骨と肉、もう片方にはその辺に生えていそうな野草とキノコだ。
自給自足。そんな単語が思い浮かぶ。
「ん?」
と、焚火の前で腕を組んで立っていた上半身裸の男が振り返った。
濡れ鼠のアールと目が合う。
「これは……アレックス殿ではござらんか!」
「やあ、ファン=リー、お久しぶりです」
鳳凰の巣、次期当主と期待される男に、アールは親しげに声を掛けた。
王竜王国を都会としてみた時、アールの故郷は田舎になる。
アールことアレックス=ライバックはその田舎の領主の息子だ。
アレックス=ライバックとファン=リーが出会ったのは、彼らがまだずっと子供の頃、鳳凰の巣の現当主であるフォン=リーが武者修行として子連れで世界中を旅して回っていた時である。
その時に同い年である二人は出会い、子供同士で交友を深め、今でも気軽に文通をする仲である。
出会ったのは久しぶりだ。ファンの年月と共に増した筋肉が、遠目からの判別を困難にしていた事もあり、アールは酒場で見た時、彼が幼い頃に交友を深めた相手だと確証をもてなかったため、声を掛けるのをためらったのだ。
「薄情な奴だな。拙者はあの酒場でアレックス殿を見た時から気付いておったぞ」
「君が鍛えすぎなんですよ。動きにくくないんですか? その筋肉。重そうですけど」
「重い拳は重い肉体に宿る。拙者の筋肉はどこも柔軟性に優れた完成度の高い筋肉よ。重くとも柔軟で、バネのようにしなやかでござるからな、いざ動くとなればマシラのごとき俊敏さを見せてくれるわい」
ファンはガハハと笑いながら自らの二の腕をバンバンと叩く。
そんなファンを、弟子たちだろうか、二人一組食後の筋肉トレーニングをしている門下生たちがチラチラと見ている。
武術団体『鳳凰の巣』の師範代。それが今のファン=リーの肩書きだ。
世襲制とはいえ、弟子を引き連れて遠征にくるなど、実力がなければできないことだ。
気付くと、そのうちの一人がファンの前に立っていた。
「師範代。そちらの方、剣士とお見受けしますが、どういったご関係でしょうか」
「十年来の親友よ」
「失礼ですが師範代、我々は惰弱な剣士と付き合うな、と日頃から教えられているのですが、師範代はよろしいのでしょうか」
その弟子にしては高圧的な態度に、他の門下生たちがざわついた。
師範代にそんな口を利いていいものか。しかし、その男はファンを傲岸不遜に見下ろしたままで、自分は間違っていないという顔をしている。
アールの見たところ、彼は門下生の中では群を抜いて強そうだった。高弟、というやつなのだろうか。
「ガハハ、おぬしらから見れば、かのアレックス=ライバックも惰弱な剣士か。ハオロンよ、おぬしは師範の言う『惰弱な剣士と付き合うな』という言葉の意味をちゃんと理解しておるかな?」
「はい。剣に頼るような惰弱な者を友としても己の成長は望めない、という意味です」
「よろしい。では、剣に頼る者というのは、一体どんな者かな?」
「それは、己の体を鍛えようとせず、小手先の技と剣の性能だけを追求する、甘い考えの持ち主のことです」
「よろしい。で……」
と、ファンはアールの方を流し見る。
「彼が小手先の技と剣の性能だけを追求している惰弱な剣士かどうか、でござるが」
それは蚊を払うような仕種だった。
ファンが腕を振ると同時に、乾いた枝が弾けるような音が響いた。
門下生は全員、それが極めて本気の裏拳だと認識した。
何かが地面と水平に吹っ飛び、進行方向上にあった木にドズンとぶつかった。木の上から、唐突のスコールかと間違えるぐらいの水滴が落ちてくる。
「それはまだ、拙者にも分からん。何せ、久しぶりに出会った旧友でござるからな」
ファンが肩をすくめてそう言うと、木の下で吹っ飛ばされたアールがむくりと起き上がった。アールは鼻を押さえながら、すぐに温かい焚火の近くに戻ってくる。
「ファン、痛いですよ」
「避けられない方が悪いのでござる」
「それもそうですね」
門下生ハオロンは、青い顔をしていた。他の門下生も、押し黙ってしまい、周囲には沈黙が訪れる。
ファンは何事も無かったように話を戻した。
「アレックス殿は、王竜王を倒しにきたのでござろう?」
アールもまた、何事もなかったように返事をする。
「はい、そのつもりです」
「仇討ちでござるか?」
「まさか、英雄になりたいんですよ」
「それはアレックス殿らしい! それならば、拙者も応援するでござるよ!」
アールの背中をバシバシと叩いてガハガハと笑う。
アールもまたまんざらではない。笑いに嘲りが含まれていない。ファンは真面目に応援してくれている。
「応援はありがたいのですが……」
「なにか心配事が?」
「ええ、王竜王を倒して英雄になるつもりだったんですけど、どうも、失敗してしまったらしくて。仲間にも見限られてしまいました」
アールは自嘲げに笑ってみせる。
「これでは王竜王を倒したところで、本当に英雄になれるかどうか……失敗の原因もわからないから、困ったものです」
「ふむ、拙者でよければアドバイスをしよう。詳しく聞かせていただけぬかアレックス殿。悩んだ時には腰を落ち着かせ、心を落ち着かせ、誰かに話してみるのが一番でござるよ。ささ、ご遠慮なさらず竜の肉でも食べて。拙者どもは竜の肉を食って竜のように強くなろうとこんな山までピクニックに来たわけでござるから、暇も暇、王竜王がどうだのと関係なし。一晩ぐらいかかる長い話でも付き合うでござるよ」
そうして、アールは話す。
この町に来るまでに拾った二人の女のこと。
この二週間でどんな行動をしてきたか。
先ほど、二人の女とどんな別れ方をしてきたのか。
話してみれば、すぐのことで、ファンは短い時間ですぐにそれを理解した。
そして、門下生に問答したように、笑って尋ねた。
「アレックス殿、英雄とは一体、何であろうな」
「軍勢でかかっても勝てぬような怪物を倒す者でしょう?」
ファンは鷹揚に頷いた。
「それもまた然り。だが、怪物を倒した者全てが英雄と呼ばれたわけではござらん。では、怪物を倒して英雄と呼ばれた者と、呼ばれなかった者の違いはなんでござろうか」
違い、と聞かれてアールは言葉に詰まった。
「……なんでしょうね」
そうだ、恐らく自分はその部分がわからない。今、王竜王を倒しても英雄と呼ばれない事はなんとなくわかっている。だからこそ、英雄になれないのでは、と悩んでいる。
ファンはあっさり答える。
「仲間でござるよ。怪物を倒したからといって、一人、物陰であっさり倒した所で、語るべき者がいなければ、それは怪物同士の喧嘩に過ぎんからのう」
「怪物同士の喧嘩、ですか?」
「そそ、脆弱な人間から見れば、王竜王を一人で倒すモノなど怪物と変わらぬよ。人間の味方をして怪物を倒すからこそ、怪物は英雄と呼ばれるのでござるよ」
「つまり……僕のミスは」
「そう、律儀に約束を守って、その女騎士を見捨てたことでござるよ」
アールは立ち上がった。
こうしてはいられない。そうとわかったなら、取るべき行動は決まっている。アールは居ても立ってもいられず、すぐに走り出した。
「ありがとうファン=リー! 君がいてくれて助かった!」
あっという間に去っていく背中を呆気にとられて見送る鳳凰の巣の面々、先ほどファンに突っかかったハオロンという男が、恐る恐るといった感じで問いかける。
「な、何者なのですか、彼は……?」
「世間知らずな、温室育ちの坊ちゃんでござるよ」
「岩をも砕く師範代の本気の拳を受けて、けろっとしているような男が、ですか?」
ハオロンの声に震えが残っている。
「さぁて、拙者が知っているのは昔のアレックス殿だけでござるからなぁ。拙者がこうして師範代になっているように、彼が英雄となってもおかしくはあるまいて」
「も、もし、そうならなかったら?」
「ガハハ、その場合は拙者の人を見る目がなかっただけの事。修行不足と称して師範代の肩書きを返上し、武者修行の旅にでも出るでござるよ」
雨は、人々の不安を煽るように、よりいっそう強くなっていく。
ファン=リー。
数十人の弟子を持つベテランの格闘家は笑った。
雨が晴れる頃には、一つの伝説が生まれるのだろうと笑った。