4話「英雄譚」
この世界には数百という英雄の物語がある。
神話の御世から数えるなら、まずその筆頭に立つのが初代龍神である。
初代龍神は数億あった世界を全て滅ぼし、現在の世界だけにした男で、世界にいるあらゆる生物は、他世界の住民だった、と言う神話がある。
史上たった一人の世界統一者であるが、神話の人物である。
神話らしく、英雄譚としてはダークであるため、子供に語って聞かせる話として選ばれることは少ないが、最古の物語としては有名だ。弾き語りのバリエーションも豊かで、駆け出し吟遊詩人が最初に覚える物語でもある。
次に挙げるのは、魔神ラプラスであろう。
統一された世界は数億の生物が戦い争う混沌とした世界であった。その世界で、後に魔族と呼ばれる種族を集め、後に魔大陸と呼ばれる大陸を制覇したのがラプラスである。大昔の話であるが、現在もなお魔大陸は魔族の土地であり、多種族の侵攻を許した事はない。
人間族と同じように闘争好きな魔族を統一。中央大陸に未だに覇者が現れていない事を考えると、度肝を抜く偉業である。
統一者というくくりで考えるなら、聖ミリスもその一人だろう。
かつて、ミリス大陸は深い森と僅かな平原、そしてどこまでも続く砂漠に覆われた呪われた大陸であった。その呪いの元である魔王を倒し、砂漠を緑豊かな恵みの大地に戻したのが、聖ミリスである。ミリス教団はその時に発足した宗教団体で、現在では最大勢力を誇る組織でもある。
しかしながら、上記の三人はスケールが大きすぎるため、英雄といわれてもピンと来ない場合も多いようだ。子供にとって英雄と言えば、やはり戦で華々しい功績をあげたり、悪い王を討伐したり、冒険活劇の主役になるような存在だろう。
そういった意味ですぐに挙げられるのが、黄金騎士ハーデスだろう。
一二〇〇年前の人魔対戦の折、かの魔神ラプラスを打倒した人物である。
仲間と共に困難に立ち向かい、試練を乗り越え、数百の魔王を打ち倒し、魔神との一騎打ちの末にこれを破る。誰もが知っている英雄譚だ。
魔神を打倒する、というのは口でいうほどたやすい事ではない。神と名の付く人物は例外なく人知を凌駕した圧倒的な力を持つからだ。
例えそうでなくとも、神を倒した後に神と呼ばれるなど、よくある事だ。
例えば剣神アル=ファリオンは最初、無名の剣士だった。人魔対戦の折、人族の身でありながら魔族側に加担し、当時最強と名高い剣士である北神カールマンを退けた事で剣神の称号を得た武人である。人魔大戦の後も代を重ね、技を後世に残した。剣神流剣術と言えば、現在最もポピュラーな流派である。
ちなみに北神カールマンといえば、剣神の噛ませ犬として語られることの多い人物であるが、その豪傑ぶりはもっと語り継がれてもよいぐらいである。
一説には、岩王と呼ばれる巨大な岩の怪物を倒した英雄。
一説には、不死身の魔王を倒した英雄。
一説には、聖ミリス教の悪しき教祖を倒した英雄。
一説には、王竜王カジャクトを倒した英雄。
しかして、それが語られることは少ない。
なぜなら、彼が倒したとされるほとんどの人物や怪物はまだ存命である上、剣神の英雄譚によると北神は『数合も打ち合わぬうちに逃げ去った臆病者』とあるため、北神は稀代ホラ吹きであるという説が何より有力なのだ。
さらに、北神の最後を知るものはいない。王竜王カジャクトとの戦いを最後に、ぷっつりとその消息を立ってしまう。
無論、カジャクトもまた、ピンピンしている。
そのため、北神とは想像上の人物である、とまで言われていた。
★
それから二週間ほど、チキたちは大きなグループと入れ替わりになるように山に出入りを繰り返した。目論見通りというべき、七度も山に入っているというのに王竜と鉢合わせになって戦うことはなく、探索が進んだ。
どうやらいくつかのグループは王竜王の居場所に見当が付き始めているらしく、痕跡にはいくつかの方向性が見て取れた。
チキには『方向性がある』という事しかわからないが、どうやらシャイナにはその方向性の詳細が分かるらしく、一人で納得していた。
(チキには何かあったラ全部話せといったくせに……)
いつも通り森の中を先行しながら、チキは心の中で愚痴を吐いた。
背後にはアール、シャイナ、そして十日ほど前から一緒についてきた魔術師の少女――確か『流れる雲』とか言う変な名前の奴――が付いてきている。
ちらりと後ろを振り返れば、アール、流れる雲、シャイナの順で歩いている。悪名高いあの死神騎士がしんがりで、アールが魔術師を守る。妥当な配列だが、今の所背後から襲撃を受けたことはない。
思えば、チキはこうして誰かとパーティを組んだ事は無かった。
チキの所属は『新月衆』という中堅の暗殺者組合で、さらに上位の暗殺者組合から割り振られてくる仕事を組合員に割り振っている。
暗殺者組合とはいえ、盗賊のスキルを持った組合員も数多く居るし、盗賊でさらに戦闘力も高いということで、パーティへの斡旋もあった。チキも盗賊のスキルを持つ者の一人だが、そういった斡旋をうけたことはなかった。チキは一人で出来る事はなるべく一人でやるタイプだし、一人で出来ないようなことはやりたがらない性格だった。殺し屋としての仕事も、複数人でやると失敗することが多かった。
パーティは食わず嫌いで敬遠していたが、仕事と違い、なかなか面白いと感じていた。
夜目と遠目の利くチキは、何か危険そうなものがあったら報告する。それが野獣か何かだったらシャイナがしゃしゃり出てきて切り伏せる。戦闘はシャイナが一人で終わらせるケースが多く、連携プレイを苦手とするチキとしては楽でよかった。
リーダーであるアールが特に何もしていないような気がするが、それはそれで精神的に楽だった。要するに、全部自分でやればいいのだ。
チキとしては、自分の仕事に他人を立ち入らせるのは嫌だったし、逆に勝手の分からない他人の仕事に踏み込むのも嫌だった。
ゆえにチキは居心地のよさを感じていた。今の状態はチキが理想とする形だ。
が、それとは別に、最近になって、シャイナに不気味なものを感じ始めていた。
なんというか、危険察知が早すぎるのだ。
流れる雲が一行に加わってからは、彼女が王竜を探査しながら進んでいるわけだが、それよりも早い。魔術師の探査よりも早く王竜を察知して、回避する。
チキの目には、それが不気味に映っていた。
今日もまた、特に何事もなく探索を終え、チキたちは宿へと戻って来た。
四人で食卓を囲みながら、チキたちは今日の成果を確認していた。
「王竜王が山の東側にいるのは間違いなさそうですね」
「と、他の集団は見ているようだけど、どうなのかしらね」
「探査魔術の反応は強くなった、から、間違いないよ」
「……」
チキはこの話し合いに参加することは少なかった。一応場にいて聞いてはいるものの、どうも意見交換というものが苦手だった。
というのも、彼女は相手がどんな情報を欲しているのかわからない。チキにはチキなりの情報の優先順位があるのだが、どうにもそれは他人と違う事が多いらしく、「今はそんな話をしていない」だの、「それはどうでもいい」だの、意見を言うと邪険にされる事も多い。
(……チキは褒められて伸びるタイプだ)
だから、今日も一人で拗ねている。
積極的に意見を出して蔑ろにされるなら、意見を求められた時以外は口を開かない。
チキはそういった考えの持ち主だ。
そのせいでチキたちの王竜王探索は少しだけ無駄が生じているだろうが、チキにとってそれはさして問題のある事ではない。この一行の中で王竜王を退治したいのはアールだけなのだから、手伝うことはあっても積極的に動くつもりはない。
(それは騎士も同じはずだが、はて……)
チキの目から見て、シャイナは実によく働いている。己の領分を越えて、というほどではないが、少なくとも戦闘は全て自分に任せておけと言わんばかりで、一緒に敵を倒すというより、他の皆を守ってやろうという意志が見えていた。
それはいい。チキは別に守ってもらっても構わない。好きにすればいい。
一つ懸念がある。
先ほど、痕跡に対して方向性があり、シャイナはそれを口にしないと言ったが、どうにもその方向性は、チキが思っているものとは少しばかり違うようだった。
胡散臭い。
チキから見て、シャイナは胡散臭い。
少し整理してみる。
まず、彼女がアールを手伝う条件というのは、「危なくなったら逃げろ」というもの。
これは恐らく、彼女の汚名である『死神騎士』に由来するもので、彼女としてもこれ以上この汚名を広めたくはないのだろう。
二週間ほど一緒に行動してみて、チキは彼女の能力を極めて高いと感じていた。今まで仲間が全滅したのは、その突出した非凡に対し、味方がついていけなかったのだろう。
北神流というのはよく知らないが、剣の腕も冴えており、戦闘能力も高い。
だが、それでも王竜王には勝てないだろう。
チキも凄腕を自称する殺し屋だ。荒事には自信がある。
アールはどうか知らないが、言動から見るに、精々田舎の腕自慢といった所だろう。
流れる雲はよくわからない。チキの常識で行くと普通の魔術師だが、魔術師というものは人間を捨てれば捨てるほど強くなるらしいので、案外弱いのかもしれない。
このメンツで王竜王を倒すのは絶対に無理だと思う。
戦力分析をしてみる。
まずチキ自身は、王竜王戦で戦力にならない。ナイフでは普通の王竜にも大したダメージを与えられないし、そもそも腕力が無いため外皮を貫通できないだろう。
次にシャイナだが、彼女もまた攻撃力という点では期待できないだろう。彼女の剣術は巨大な生物との戦闘を想定していない。あくまでも人間や平原にいるような中型の獣を相手取るためのものだ。
次に流れる雲だが、彼女は魔術師であるため一番戦力として期待できる。だが、彼女が攻撃に手を割いた場合、彼女自身を守る術が無くなる。
と、この時点でまともに通用しそうなのが流れる雲しかいないことになる。
ここにアールが加えてみた所で、それほど差は無いだろう。
と、話を戻そう。
シャイナが胡散臭いという話だ。
彼女もそういった分析ぐらいは出来ているだろうに、しかし王竜探索をする。
この矛盾がチキには胡散臭く感じられていた。
命の恩人の頼みだからこうして手伝ってはいるが、あまり不透明なようなら、彼らと別れて本来の仕事に戻る事を考慮にいれたほうがいいかもしれない。
と、チキが思い始めた頃だ。
「王竜王が見つかったぞ!」
戸外から、そんな声が聞こえてきたのは。