一日500円の規格で作っているというが、中身は、麦飯、みそ汁、それ以外にいくつかの総菜がつくといった程度である。500円であることは分かるが、どの程度の栄養であるかについては、見ただけでは全く分からない。
分からないのはお前が不見識だといってくるが、見ても分からないものは分からない。分かるのはせいぜいカレーのときには具は食べておいた方が栄養があって持つが、ルーの方は別に食べる必要はないとか、アジフライのときは、魚はあってないようなものなので非常に悪いということだけだろう。ラーメンやうどんなど出るわけがないので、出る場合にも、80円くらいの業務用と決まっている。肉団子の場合は、拘置所の受刑者が作った温かいものと、レトルト業務用のものが出ることがあるが、レトルトのものはまずく、温かい方はクリームシチューの中につけこんで出てくるから必ず食べる。
刑務所の食事は残飯だから投棄してもよいという見解もあるが、実際に現場に行くと唾棄してもよいようなときともったいなさすぎて食べざるを得ないものに分かれる。カレーのときはほとんどの拘禁者が食べている。
東京拘置所ステーキというのは総菜の小さい肉である。思想的に見て未決拘禁者に贅沢をさせるはずがないから、ステーキなど出るわけがない。食事言うより栄養補給であり、最小限のいかにも手抜きの給食が入ってくると指摘する(『人間の証明』角川歴彦から引用)。
東京拘置所の事務は、1階ではなく、中央棟の一般人は入れないところに集中している。そのため、訪問しても、事務手続きが行えるわけではない。何をしているのかは推測はできるが、1階に訪問しても、差し入れ店と差し入れ口と面会受付と待合室があるだけで、案外、1階に色々あるようにみせておいて、1階では何もできない。
昼間になると看守が、大丈夫?とか、ゆかに寝転んでいると、おい、起きとけよ、と声を掛けられる。たまに、床に座れと命令されることもある。そのようなことから牢屋に入っていることが分かる。警察は罪証隠滅のおそれや逃走の恐れがあるなどと適当なことをいって勾留するが、このようなことを言われるところに入れておくことを勾留といい、勾留がなくなっても在宅になっているだけで何も変わらないというのはうそであろう。最小限の食事や看守による入浴時に裸をみることを許可しているような環境におく勾留と、在宅が同じ性質のものであるわけがない。