「布川事件」再審無罪の桜井昌司さん葬儀 350人が別れ惜しむ
茨城県利根町布川で1967年に起きた強盗殺人事件で無期懲役判決の確定後に再審無罪を勝ち取り、8月23日に76歳で亡くなった桜井昌司さんの葬儀が31日、水戸市内の斎場で営まれた。親族や支援者ら約350人が参列し、最後の別れを惜しんだ。
午後1時からの告別式は、会場の外まで参列者が立ち並ぶ中で始まった。
桜井さんは裁判で一貫して無罪を主張し、再審無罪が確定したのは事件から40年以上経過した2011年だった。22年にはその人生を追ったドキュメンタリー映画「オレの記念日」が全国公開された。
再審無罪が確定した後に桜井さんが起こした国家賠償請求訴訟で代理人を務めた谷萩陽一弁護士は、弔辞で過去のエピソードを紹介した。桜井さんは再審開始決定の前から「絶対に勝てる」と言い切り、その理由を聞くと、「やっていないからです。やっていない人間を刑務所に入れたんだから」と答えたという。谷萩弁護士は「一点の迷いもなく裁判で訴えることができた。日本一の依頼人だった」と述べた。また桜井さんが力を注いだ再審制度を巡る法改正についても触れ、「戦いはこれから。桜井さんがまいた種が花開き、実を結ぶのを天から見守ってください」と遺影に語りかけた。
その後、参列者は桜井さんが服役中に「いつか人生に春が来る」との思いを込めて作った歌「ゆらゆら春」を合唱。時折声を震わせながら口ずさんだ。
式の最後には、喪主を務めた妻恵子さんがあいさつした。亡くなる直前の桜井さんの様子について、「夫は『俺、やったよ。もう十分だ。あとは法改正を頼んだよ』と言っているようだった」と振り返った。参列者に向けて「『つらいときこそ、苦しいときこそ明るく』がモットーで、桜井昌司の人生を生ききった。長い間お世話になりました」と感謝の言葉を述べた。
葬儀には桜井さんから激励を受けた別の事件の冤罪(えんざい)被害者らも駆けつけ、葬儀の後に取材に応じた。
大阪市東住吉区で1995年に女児(当時11)が焼死した火災を巡り、殺人罪などで無期懲役判決が確定した後に再審無罪となった母の青木恵子さん(59)は、自身が控訴審で争っている時に桜井さんが面会に訪れたことを明かした。「自分は29年(刑務所に)入っていたんだ。青木さんも(無罪を勝ち取って)冤罪に苦しむ他の人たちを励まして」という桜井さんの言葉に、青木さんは「当時は一審で負けて絶望していたけれど、希望をもらった」と故人をしのんだ。
滋賀県の湖東記念病院で2003年に死亡した患者への殺人罪で服役後、再審無罪となった西山美香さん(43)は「桜井さんは、刑務所にいる私を手紙で励ましてくれ、裁判の傍聴にも来てくれた」と振り返る。「私が裁判をやめてしまいたいと感じていた時も応援してくれた。『今までありがとう』と伝えました」
〈布川事件〉1967年8月、利根町布川(ふかわ)で大工の男性(当時62)が殺害され現金が奪われた事件。桜井昌司さんと杉山卓男さん(2015年死去)が強盗殺人罪などに問われて無期懲役が確定し、11年の再審で無罪となった。国家賠償請求訴訟の東京高裁判決は、警察だけでなく検察の取り調べの違法性も認め、国と茨城県に計約7400万円の賠償を命じた。
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