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BMW-Linder E36/WS-DHL M3/WAKO's M3

92年のDTMはアウディがシーズン途中で撤退するなど大きな変化が起きた年であったが、関係者にとって更なる問題がもうひとつ勃発していた。

BMWは翌年からスタートするクラス1規定に向けてE36型M3でホモロゲーションを取得しマシン開発を進める予定であった。
実際にE36型M3をベースにしたテストカーは既に完成しデータ収集のためにテスト走行していた。

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これがジョニー・チェコットによりテストされていたワークスのE36型M3クラス1の姿である。
エアロパーツは控えめであるがしっかり装着され、見た目的には95年頃のクラス2E36にも繋がるところがある。
しかしながら、この時点ではS50型直6エンジンを積んでおり、フロントヘビー傾向が強そうにも思える。さらに、出力は400hp前後とされ少々パワー不足気味であったかもしれない。

こうしてテストを進めていた新型クラス1マシンだが、E36型M3はONSとの間でホモロゲーションを取得できるかできないかで論争を巻き起こし、度重なるホモロゲーション関係のトラブルやクラス2規定でのレース活動が上手く行っていたこともあり、BMWは92年末に93年のDTMにおけるワークス活動をしないことを決定したのであった。

DTMはアルファロメオが93年に参戦することで何とか格を保ち最高峰ツーリングカーとしての発展を遂げることになるが、BMWはDTMには目もくれず各国のクラス2選手権にワークスを送り込み、ドイツ国内ではADAC-GTやSTWの設立に尽力し別のステージでの活動に力を注いでいた。

これに困り果てたのがBMW系のDTMプライベーター達で、元よりメルセデス勢に劣勢を強いられていたM3スポーツエボリューションでは190Eエボ2を使うプライベーター同士でのバトルでも苦戦することが予想された。

その中には84年のDTM設立から参戦しており、ワークス待遇も受けたことがある有力チーム、リンダー・レンシュポルトがあった。彼らは92年からプライベーター扱いではあったが、ベテランのアルミン・ハーネやスポットではあるがワイン・ガードナーを起用するなど他のプライベーターとは一線を画するチームだった。リンダーは93年には中堅のハラルド・ベッカーを起用しM3スポーツエボリューションを開幕戦から走らせていたが、新しい計画が進んでいた。

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リンダーは耐久レースで活動していたクレマーに依頼し、E36型325iをベースとしたクラス1ツーリングカーを自らの手で作ることを決定した。クレマーはイギリスのTCPに製作を発注し、クラス1の特徴である派手なエアロを纏ったE36クラス1がドイツに送られた。
しかしこの計画はBMWが正式に関わっていることはなく、特に協力は得ることができなかった。そのため、エンジンはM3スポーツエボリューションのS14型直4NAが積まれる運びとなった。

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そしてリンダーは93年ニュルブルクリンク北コース戦に初めてニューマシンを投入した。
外観は開口部の大きいフロントバンパー、大きく張り出したサイドステップにフェンダー、クラス1のトレンドに沿った箱形リアウィングに巨大なディフューザーと非常に戦闘的なものとなった。

エンジンや駆動系は先の通りM3スポーツエボリューションのものを流用している。極限まで開発され尽くしたS14型エンジンは375馬力を発揮していたが、限界突破のチューンを施され続けた結果92年の時点でリタイアが多くなっていた。

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シャシーも市販車とは似ても似つかぬ作り方となっており、トランクを開ければ横に並んだリアサスペンションが露となるというクラス1独特のすごみを纏っている。

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リンダーE36はM3と名乗らず、325iクーペという登録名で参戦した。これはS50型直6ではなくS14型直4を積んでいるためだと思われる。スポンサーには前年と同じくイェーガーマイスターが大きくついたが、他は小規模なテクニカルスポンサーが殆どである。ドライバーはベテランのアルミン・ハーネである。

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しかしリンダーとハーネを待っていたのは苦闘の連続だった。
デビュー戦のニュルブルクリンク北コース戦こそレース2で10位に飛び込み気を吐いたものの、それ以外のレースは全て完走扱い・DNF・DNSのいずれかという輝かしい戦績を飾る散々な結果となってしまった。
リンダーは経験あるチームであるが、耐久系のチーム/コンストラクターであったクレマーTCPはツーリングカーのノウハウがあまりなく、その上に誰もが未経験のクラス1をメーカーの手助けなく開発するのでは結果が出ないのは当然のこと。
さらにエンジンや駆動系は限界まで開発され尽くしたE30そのものであり、それを更にポテンシャルアップさせようとしていたことも祟った。

ハーネは予選でたびたびワークス勢のすぐ後ろにつけ、シーズン通して常に入賞圏内を窺う走りを見せてはいたものの、そんな好走を全て信頼性不足がブチ壊す形になってしまった。

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超高速のホッケンハイムではホイールカバーを装着しアンダーパワーを少しでも補おうとしていたが、リアウィングは分厚い箱形のままでありダウンフォース確保の面でも問題があったのかと勘ぐってしまう。

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ジンゲンではM3スポーツエボで戦っていたベッカーがE36でエントリーした。しかし、レース1でクラッシュしレース2もフイにするという残念な結果に終わった。

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結局のところ、リンダー・レンシュポルトはM3スポーツエボで参戦していたベッカーの方がランキングだけではなく最高順位ですら高いという期待外れな93年となった。
リンダーE36はポテンシャルがあることは示したが、マシンそのものの熟成不足とエンジンのポテンシャルが既に限界に達しているという問題が露となった。特にエンジンはワークス支援がない故の問題であり、暗雲が立ち込めていた。

リンダーの活動はBMWがワークス復帰するための先行研究という噂も飛んでいたが、結局BMWは盛り上がるクラス2に注力することを決め、彼らのDTM復帰は21世紀に入ってからとなった。

翌94年になると、オペルもカリブラを投入しワークス参戦をはじめさらなる過激な戦いとなったが、プライベーター勢においても前年の190E/C1や155V6TIが払い下げられ戦闘力が全体的に底上げされた。
そんな中Gr.A時代の残滓を残すエントラントはアルミン・ベルンハルト駆る190Eエボ2が1台、スポットで参戦したカルステン・モリターのM3スポーツエボ、ルーシュ兄弟とユルゲン・フォイヒトのマスタングGTだけとなり、E36が活躍できる要素はますます薄くなりつつあった。

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そんな中リンダーは新たに中堅ドライバーのフランク・シュミックラーを起用し、継続してリンダーE36での参戦を行った。
しかしながら外観からもホイールくらいしか変わったところが見受けられず、いかにもスポンサーなさそうな見た目と相まって参戦規模の縮小が目に見えて感じられてしまう。因みにイェーガーマイスターはハーネのスポンサーであり、離脱に伴いリンダーの支援も中止したと思われる。

またWSというチームがDHLのスポンサーシップを受けて新たにE36ベースのクラス1マシンを投入した。

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WS-DHLによるE36はリンダーよりも過激なエアロパーツと低く見えるフロントが特徴的である。しかし、中身に目を向けるとエンジンはリンダーE36よりも20hpほども低い出力だったという記述もあり、新興チームならではのポテンシャル不足も感じられる。

ドライバーは当初ハラルド・ベッカー、ルディガー・シュミットを起用していたが、資金難からか次々とドライバーを交代し、最終的にゲオルグ・セーヴェリッヒ、フリッツ・ヒューバー、ニール・カニンガム、ステファン・ゲッペル、ルディガー・セイファースの計7人がWS-DHLからエントリーした。

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プライベーター視点で94年シーズンを見ると、シューベルで155V6TIを駆るミハエル・バルテルズや、メルセデスの育成チームであるDTMジュニアチームから参戦したアレクサンダー・グラウやウヴェ・アルツェンがたびたび上位に食い込んでいた。
後のITCでも活躍する若手の前には、ドライバーもマシンも力に欠けるBMW勢は手も足も出ない状況となっていた。

それでもリンダーのシュミックラーは12位が最上位と奮闘を見せた。しかし、やはり完走率が足を引っ張り、ワークスの取りこぼしを狙いたい序盤戦を4戦連続でリタイアするなど信頼性不足が目立った。
リンダーはDTMをこの年限りで諦め、95年からはSTWに戦いの場を移したが、97年でチームを畳んでしまった。

一方のWS-DHLは新興チームであり、さらにベッカー以外は新人か下位をうろついていたドライバーという有り様であったため、戦績もこれ以上ないくらいのボロカス具合を見せつけた。
エントリーした全てのレースをDNFとDNSで埋め尽くしたベッカーを始め、ほぼ全てのリザルトをDNFかDNSで埋めたWS-DHLは、7名のドライバーを全て合計しても6回しか完走していないという凄まじい記録を達成した。
最高位はカニンガムの14位であり、散々な戦績となったWS-DHLは空中分解し、二度とDTMに現れることはなかった。

DTMから撤退したリンダーは、用が済んだE36の買い手を模索した。その結果、JGTCにJTC時代からM3で参戦していた牧口エンジニアリングにE36が払い下げられた。
牧口エンジニアリングはGr.AのM3から戦闘力があるマシンを手に入れられ、リンダーはいらないマシンを託せる格好となった。

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リンダーE36はワコーズカラーに衣替えし、「WAKO's M3」として95年からGT2クラスに参戦した。
基本的にはDTMで走っていたときと何も変わらず、フロントバンパーにはLINDERのロゴが踊る。また、リアウィングにもこれまでのようにTCPのロゴがあった。

牧口エンジニアリングはドライバーに牧口規雄と堀米徹/木下隆之を起用し、95年のGT2クラスに第2戦からE36を投入したが、リタイアか優勝か2位かという極端な成績となった。とはいえ牧口規雄がドライバーランキングで6位、チームランキングでは外国屋に僅かに及ばず2位となり、初年度としてはなかなかの戦績を見せた。

翌96年も牧口と木下のコンビで参戦したが、ポディウムかリタイアかという極端な傾向は変わらず、ドライバーランキングは3位に上がったもののチームランキングは3位に落ちた。
97年も牧口と新たに浅見武を起用し継続参戦したものの、前2年とは打って変わって序盤から入賞がやっとの状態になりE36は4戦を走り撤退してしまった。

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WAKO's M3はポテンシャルこそあったものの、やはり不安定な戦績に足をすくわれチャンスを逃すことがあった。惜しくもタイトルには届かなかったが、速さを見せたマシンとして現在でもよく知られているマシンである。

牧口エンジニアリングはこれ以降スーパー耐久に活動の場を移し、現在も精力的にレース活動を行っている。
一方リンダーE36は日本を離れ、当時DTMマシンの再就職先となりつつあった東南アジアに渡った。

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リンダーE36は98年にクアラルンプール近郊のレーシングチーム、EKS Motorsportに売却され、橋本元次の手によってマレーシア・スーパーカー選手権に出場した。マイルドセブンカラーが新鮮な1台である。


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E36のDTMマシンはドイツでは環境に恵まれず結局成功を収めることが出来ず、もし日本に売られていなければ全く知られていないレーシングカーで終わっていただろう。
しかしながら、牧口エンジニアリングの手によって好走を見せたことによって、少なくとも日本のレースファンには思い出深いマシンとなり、日本から消えた後もマレーシアの地で走り続けた奇妙な運命を辿ることになった。これほど面白い生涯のDTMマシンもなかなかないだろう。

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ゆーん

Author:ゆーん
東側諸国モータースポーツとサイエントロジー×モタスポとユーン様を調べているヤツ。ミニカー集めとかレースゲームもたまにします。 Twitter→@Kumaryoong