「先輩!こんにちは!」
「……………………喜多ちゃん?」
元気良く挨拶をすれば、先輩は少し固まった後に絞り出すような声でそう答えてくれた。
「私、無事に入学出来ましたよ!先輩のお陰です!」
「……俺は何もした覚えが無いんだけどな」
廊下の壁に寄り掛かっていた身体を起こして、にっこり笑えば先輩はぽりぽりと頬を掻きながらそう言う。
何もした覚えが無い?いやいや!私からしたら先輩がこの高校で待っているという事実が、勉強を頑張れた理由づけになるんですけどね!
……それにしても相変わらず顔が良いなあ。何でこんなに顔が良いんだろう。
「どうして喜多ちゃんは此処に?」
「私、入学してからまだ挨拶が出来ていなかったじゃないですか?お友達との交流が落ち着いたので、そろそろ先輩に挨拶をと!」
「ああ、そういう」
「はい!そういう事です!」
「お友達いっぱい出来た?」
「とっても!」
「それは良かった」
ふわりと笑う先輩は前に見たオープンスクールの交流の時と似た、とても儚い表情だ。さらりと白い髪が揺れて、その美貌がより際立つようなミステリアスな雰囲気が素敵。
「先輩はもう帰るんですか?」
「……ん、いや。今日は少し用事があって」
その目線の先には、肩に掛けられたギターケースがあった。ギターが必要な用事?
「先輩、軽音部だったんですか?」
「いや、そうじゃないんだけど」
「え。じゃあ、そのギターは?」
「…………………縛り?」
「縛り?」
「うん。今年は、少し音楽に手を付けなきゃいけなくて」
「……何か約束って事ですか?」
「部分的にそうかな」
「えー?どういう事ですか?」
「それを言うには好感度が足りないかな」
「そんなぁ。教えて下さいよぉ」
だーめ、なんて小悪魔みたいな表情で言われると何も言えない。
……でも、と。過去に少し記憶を巡らせて、前に話した時には音楽をやっているなんて話は聞いていなかった気がするのを思い出す。
オープンスクールの時に根掘り葉掘り聞いたつもりだったけど、その時もまだ好感度が足りなくて話してなかっただけなのかしら。うーん。
「て事で、俺は少し学校に残るんだ」
「音楽室ですか?」
「んー、軽音部の部室かな」
「え、軽音部じゃないのにですか?」
「軽音部は金曜日休みだから、その日に借りてもいいって許可取ってるんだ」
「へー!仲良いんですね!」
「……うん、まあ、少し、ちょっと、ミリは?」
「なんか凄く歯切れが悪いですね」
「いや、気にしないで」
何だか美味しくないものを食べた時みたいな顔をして、「行こっか」と歩き始めた先輩に着いていきながら興味のまま尋ねる。
「仲良くないんですか?」
甘いものと苦いものを一緒に食べたような顔が返って来る。
いや、なんだろ。なんていうかな。
そう言葉を選ぶように考えて、先輩は少し沈黙して。
「……仲良くないというか、いや、うーん、何て言うんだろ」
「?」
「…………………ボコボコにした?」
「暴力沙汰!??」
「ああ違くてそうじゃない」
なんと、先輩はヤンキーだった!?ワイルドで素敵!?
瞳が思わず輝かせてしまわせながら、続きを求めるように見つめるとうーん、と顎に手をやりながら言葉を考えている先輩の知的で素敵な姿が目に入って来る。
はあ、ギャップって奴かしら。キラキラが止まらない。
「部室をたまに使わせて欲しいってのを、今年に入ってから軽音部の人達に言いに行ったんだよ」
「はい」
「そしたら、『部外者が生意気な、ロックでバトルだ!』とか言い出して」
「野蛮!ギターを使っての物理バトル!?」
「違うって。まあ、お互いにギター弾いてみて」
「それでどうなったんですか?」
「なんか、『生意気言ってすみませんでした』、みたいな」
「……本当に暴力挟んでませんか?」
「挟んでないよ本当にまじで信じて」
「でも軽音部の人の言い分がしっかり力で分からされた人間の台詞と言うか……」
「喜多ちゃんに誓って暴力は振るってない。……まあ、そんなこんなで仲良いというよりは妙な距離感ってのが正しいかな」
「そうなんですね。私は音楽をやっていないので、よく分からないですけど」
なんだろう。顔の良さにひれ伏しちゃったのかしら。
「俺の事はさて置き、喜多ちゃんは?」
「私は今日は先輩の為に丸々放課後空けてるので、とっても暇です!」
「挨拶だけして、友達と帰れば良かったのに」
「折角なので先輩と放課後デート!とか、思ってたので」
「ああ、なるほど」
「でも先輩は学校に残るらしいので、私も残る事にします」
「そっか」
「はい!」
硬直。
「………ん?」
「はい?」
私何か変な事言ったかしら。
「何で喜多ちゃんも残るの?」
「先輩と一緒に帰りたいので、今日は私も軽音部の部室に行こうかな、と」
「ああそれ」
「なにか?」
「そこがおかしい」
「おかしくないですよ?」
「何で???」
「一緒に帰りたいって言ってるじゃないですか」
「…………………そっ、かあ」
「はい!」
ゴン、と先輩が廊下の壁に頭を叩きつける。ロック?
「…………………いつどこでこの好感度を…………………?」
「何か言いましたか?」
「……何でもないよ」
廊下の壁に寄り掛かっていた先輩は、頭が痛むような素振りをしながら手をひらひらとさせる。どうしたのかしら。
一度深呼吸を挟んだ後に少し考えて、「ただギターを弾くだけだよ」と諦めたような顔をして歩く方向を変える先輩に私は笑顔でついていく。
……って。何も言わずに、最初は私を送ってくれる為に昇降口の方向に歩いてくれてたのね!先輩、優しい!
メロメロになりながら案内された先。どうやら、軽音部の部室と言うのは三階の隅にあるようで、スペースは普通の教室よりも少し手狭なくらいらしい。
らしい、と言うのは部室の所々に楽譜立てやアンプと言われる箱みたいなもの、机や椅子が整理されてるとは言い難い様相で散らばっているからだった。
どうにも、入った瞬間の印象では部屋の広さが測りづらかったけれど、感覚だけで言うなら少し狭く感じる。
先輩は慣れた手つきで鞄とギターケースを机に放り、アンプ近くの椅子に腰掛けて一息吐いた。
「喜多ちゃんはギターとか弾いた事無いんだっけ」
「はい!全然です!」
「そっか。途中、つまんなかったら帰っていいから」
ギターケースから取り出されたのは、鮮やかな深みがフェードで染められた綺麗なギター。細身なフォルムのソレを肩に掛けて、コード?みたいなのを繋ぎながら先輩はそう言う。
少なくとも、つまんなくなる事は無いのだと思うのだけれど。だって先輩カッコいいし。ギターを弾く先輩の姿を眺めるだけで、十分楽しそう。
じゃーと六弦を一度鳴らして。先輩は先のネジみたいなのを一個ずつ捻じって、もう一度全ての弦を鳴らす。
「チューニング、って奴ですか?」
「うん。知ってる?」
「はい。音合わせですよね?」
「そ。これやるといいんだって」
「へー。ギターってチューナー?なんか機械みたいなの使うって聞いた事ありますけど」
「音聞いたら分かるから要らないよ」
ほら、終わったし。と言う先輩に、チューニングってそんな早く終わるものだっけと首を傾げる。でも先輩は終わったって言ったし。
私も歌は好きだから音に関してはある程度感覚は分かるけれど、一応ギターって六弦あるのよね。一斉に鳴らして、一回しか聞いてなかった気がするのだけど。
……ギター弾く人って凄いのね。
「何弾くんですか?」
「んー、決めてない」
「え!じゃあじゃあ、リクエストしていいですか!?」
「どうぞ」
「えっと、Mr.RED APPLEのカイラック!」
「また今風な曲だね」
「今の日本のミュージック一位を輝く曲ですからね!先輩は弾いた事ありますか?」
「いやあ、弾いた事ないかな」
どんな曲だっけ、とスマホを弄って確認するように音楽を掛ける先輩。こめかみをとんとん、と叩きながらあーこんな曲だっけーとのんびり呟くのを見ながら、私は前に見たテレビを薄っすら思い出す。
……確かこの曲はイントロがまず難しくて、バンドの人達も叫んじゃうくらいのものだったような。SNSで流れてくるショート動画とかでも、手こずる人達の様子の方が多く見た気が。
あれ、私難しいリクエストしちゃったかな。弾いた事ない難しい曲ってちょっと嫌かも。
「……ごめんなさい先輩、弾いた事ないなら別の曲でも」
「ん?いや、多分弾けるよ」
「え」
スマホから流れる音楽が止まる。……でも、この曲弾いた事ないんじゃ。
確認するように問えば、頷きと共にじゃかじゃかと弦を掻き鳴らす音が返って来る。アンプのつまみを回しながら、先輩は「まあちょっと違うかもだけど」と付け加える。
……まあ、元々知っていたのなら、弾ける、のかしら。
「えーっと……」
じゃん、じゃか、じゃかじゃか。
「最初が?」
ぴろぴろ、てれてれてれれん。
「……ああ、なるほど」
そう弾くんだ。呟いた後、先輩はミュージックを巻き戻して、流れる音に合わせてギターを奏で始めた。
「─────────!」
え、上手。
イントロの高速の音の連なりが、違和感無く音源と重なる。あの早い音達をどう弾いているのか知らなかったけれど、あのネックの部分を叩くように奏でるのね。
僅か十秒程度のノスタルジックなギターソロ。曲の始まりから盛り上がりまでを想起させる、そのたった十秒で私は全神経が先輩の演奏に意識が向くのを感じる。
この後は知っている。一瞬の間の後、Aメロに入る前の、ドラムやベース達も合流して明るい曲調がぶわりと聴き手に叩きつけられるのを。
来た。
聞き馴染みのある前奏。一切のテンポのズレも無く、先輩はピックで弦を掻き鳴らしてこの曲に彩りを持たせている。
凄い。うろ覚えだった筈なのに、さらりと聞いただけでここまで合わせて弾けるなんて。
ギタリストって凄い。先輩って凄い。本当に、凄い。
「──────?」
興奮が熱を伴って身体を震わせる中、私の瞳が先輩の顔を見てしまう。
顔が良い。いや、それはいつも通りの事。それじゃない。
ただ、その顔が。
こんなに明るい曲で、弾んだ雰囲気の曲なのに、その顔は酷くつまらなさそうで。
浮いて見えた。ただ合わせているだけ、そんな顔が。
聞いている私は聞いていて心地良くて、凄いと思って、瞳が輝いてしまうような演奏なのに。
なんで、弾いている先輩はそんな顔をしてしまうのだろう。
なんで。なんでだろう。なんで─────
ずきり、と何故が胸が痛んだ。
「どうだった?」
先輩のその声で私は演奏が終わったのを知った。
けれど、後半から自分の中でぐるぐるした胸の痛みの正体を、私は。
私は、知らないままに笑顔で手を叩いた。