「ねえ、最近調子悪い?」
「えっ」
年が明けて、冬休みも明けて春休みも明けて。
私が高校二年生になって、紫音も同じく学年が上がって少しして。
不意に問えば、紫音は虚を突かれたように声を漏らす。
「…………どうしたの、伊地知」
「んー、その台詞はこっちのアレかなって」
STARRYのドリンクの渡す場所、今日は人気バンドが出演するから人手が必要だという事でまたしてもお姉ちゃんが紫音をバイトとして呼んで、それで私と二人でドリンク対応をしている最中。
例の人気バンドが演奏を始めて手が空いた時に、ずっと気になっていたけれど聞けなかった事をついに訊いてしまった。
首を傾げて、此方を覗き込む紫音は聞いた私がおかしいような態度でいるけれど、でも。
「紫音、年が明けてからなんかおかしい感じする」
自分の中でも曖昧で、もやもやとしたものを伝えれば、困ったような苦笑いが返ってくる。
「そりゃまた、なんて抽象的な」
「あはは。うん、ごめんやっぱ何でも無い。忘れて?」
「え、ああ、うん」
変な伊地知。そう呟いて、人気バンドの演奏と盛り上がる観客をぼーっと眺める紫苑は、いつもの紫苑だ。
端正な顔立ちは相変わらず、そのバンドの演奏を何の感慨も無い顔で聞いて、時折スマホを開いて弄り、また顔を上げたと思えば興味の無いような顔でその風景を眺めている。
うん、いつも通り。いつものバイトしてる時の紫苑だ。本当に、いつも通り。
「ねえ、楽しい?」
ふと、聞いてしまう。
「……何が?」
「今、楽しい?」
「なんて曖昧な」
「いいから」
「伊地知と話すのはそりゃ楽しいけど」
「違くて」
「じゃあどれの事?」
「今演奏してるバンド。結構人気なんだけど」
「……今の?」
言われて、焦点を合わせるように前を見た紫苑は少し聞き入って、考えるように顎に手を当てて。
「…………万人受けしそうな感じでいいと思う」
「そっか」
まあ、その通りだけど。私は一息吐いて、空になったグラスに後ろに設置されているドリンクバーからコーラを注ぐ。
カラカラと氷が揺れ、水音と共に満たされるグラスを眺めながら私は首を傾げる。
紫苑って、何であんなにギターが上手いのに音楽に興味無いんだろう。
「ねえ」
「んー?」
「いつバンド入ってくれるの?」
「……またそれ?」
「うん」
「…………気が向いたらね」
「またそれ?」
「気が向かないから仕方ないだろ」
肩を竦めて、紫苑も後ろからコップを手に取ってドリンクを入れ始める。
「バンド向いてると思うけどなぁ」
演奏面でも、ビジュアル面でも。バンドマンとしては欠けたものは無いと思う。
……いや、一つだけあるのかもしれない。
音楽に対しての熱量というか、興味というか。楽器を弾ける人が持つべきもの、というか。
「ま、煙草代稼ぎたかったらやるかな」
「未成年が言う台詞じゃないよ」
「中身は大人だから」
「子供はみんなそう言うの」
「ママからすると子供に見える?」
「実際子供じゃん」
「高校生はもう大人ですー」
べ、と私をからかうように舌を出す紫苑。やっぱりその仕草や物言いは子供っぽくて、でもたまに見せる顔は大人っぽくて。
うん、いつも通り。いつもの、紫苑。
いつもの私の知ってる紫苑、の筈。
「ねー、紫苑」
なんだけど。
「やっぱさ、なんか変」
どこか、引っ掛かる。
「……変?」
「うん」
「……そっか」
やっぱり変だ。何で、紫苑はそんなに嬉しそうで悲しそうな顔で笑うのだろう。
何故だかその顔を真っ直ぐ見ていられなくて、私は視線を逸らして手慰みに横に垂れる自身の毛先を弄ぶ。
言葉に言い表せないような、本当に感覚の話。ドラムを叩いている時の手元のもたつきや、合わせて演奏している時のテンポの乱れとか、そういう言語化出来るような話であればいいのに。
「ねえ、しお────────」
「紫苑、虹夏」
曖昧な呼びかけが、塞き止められる。
「……山田」
「リョウ?外の受付は?」
「店長が代わってくれた」
「お姉ちゃんが?」
「うん」
「珍しい……リョウ何かお姉ちゃんに言ったの?」
「『これ以上この場に拘束するつもりであれば、私はこの場でソロライブを開催する』、と」
「ライブハウスの入り口でバイトがベース弾き始めたらいい迷惑だよ……」
「作戦勝ち。ぶい」
ふらりと現れたリョウは、いつも通りのやる気のない表情で、ピースをしてくる。何故得意げに。
しかし今日は売れ線バンドが居る事もあって受付で疲れたのか、少しいつもよりげんなりしている。力無い手でコップを手に取りドリンクバーからジュースを注ぐ。
はあ、と溜息がリョウの口から漏れる。
「紫音、褒美を所望する」
「金以外であれば」
「ではご飯を。とびっきり美味しい奴」
「前作ってあげたじゃん」
「私が一度の手料理で満足すると?」
「余は満足じゃ、みたいに言ってたのは何処の誰だ」
「はて」
「テメェ」
ほっぺを引っ張られて眉をしかめるリョウと、呆れているけれどどこか穏やかな顔をしている紫音。その二人のやり取りを見て、思わず首を傾げる。
「二人ってそんな感じだったっけ」
「え」
「?」
そんな感じとは。そう言わんばかりに見てくる二人に、また言語化しづらい感覚をなんとか口にする。
「なんというか、………去年に比べて距離が近い?」
「そうなの?」
「俺に聞くな山田」
ぺい、と頬にやっていた手を剥がす紫音は一瞬考えるよう視線を見上げる。
「まあ、年を跨げば仲良くもなるだろ」
「そう?」
「何でお前が首を傾げるんだ」
「いや、私にはあまり分からない感覚なもので」
「人付き合いの分からないベーシストはこれだから」
「分からないんじゃない、しないだけ」
「出来ないの間違いじゃ」
「ライン越え」
「いはいやへろ」
ちょっとした口喧嘩と、頬を引っ張られる紫音といつも通りの顔のリョウ。
確かに紫音の言う通り、年も跨げば距離感も近くはなるのだろうけれど。
………ただの元クラスメイトが、こんな距離感であっただろうか。いや、頬を引っ張り合うという身体的接触についてではなく、雰囲気の話なのだけれど。
「なんか、友達にしては一線を越えた感じ?」
「ふ。ばれてしまっては仕方ない」
「超えてないから。伊地知も騙されないで」
「実は私と紫音は付き合ってる」
「え」
「付き合ってない。伊地知、コイツの嘘八百に慣れてるお前が驚くな」
「紫音は恥ずかしがり。あんな事までしておいて」
「あんな事………?」
「山田」
「私は紫音の初めての女」
「え」
「山田、こっち来い。ごめん伊地知、少しこの場を任せていいかな」
「………ああ、うん。大丈夫だけど……」
「因みにセッションの話だから。それ以外の何でもないから」
「……………………え?」
そそくさと。紫音はそう告げて、リョウの首根っこを掴んで外へ出て行ってしまった。
遠ざかっていく背中を目に、私はさらりと流された言葉に思わず目を見開いて固まってしまう。
セッション。誰が?紫音が。誰と?リョウと。
音楽に興味の無い紫音が、セッションした?
大音量で響いて耳に届いていた筈のバンドの音が、聞こえなくなる。
かろうじて身体はドラムの振動と、ぼんやりと煌めく照明の光と、浅く繰り返される呼吸を感じる事が出来る。けれど、頭の中は驚きでいっぱいで。
するの?紫音が。去年は、幾ら誘ってもしてくれなかったのに。
「…………………なんで」
あの才能に溢れた化け物は、見せてくれるだけで併せてくれなかった。
何が。何で。いや、理由はどうでもいいのかもしれない。気になるけれど、それより今は。
心臓が、速いテンポを刻む。
紫音と、音楽が出来るかもしれない。
降って湧いた奇跡に近い。リョウが先んじてセッションをしているのは気になるけれど、それよりも。
どぱり、と。脳内麻薬のような、何かが脳味噌から溢れる気がした。
興奮、期待、快感、驚愕、嫉妬、喜悦、動揺、羨望。この私の中の感情を言い表す言葉を定義する事は難しいけれど。
一つ、だけ。
「ああ、叩かなきゃ」
あの才能と並ぶ為に、私はスティックを握りたいのだと今燃えている事だけ分かった。