何故か、私の家の前に先輩さんが居た。
「……………………………えっ」
「…………………………あれ?後藤ちゃん?で合ってる?」
驚いて固まってる私に、先輩さんは首を傾げながらそう聞く。ぎぎぎ、と硬い動きで頷けば、ほっと安心したように息を吐く先輩さん。
え、なんでここに。先輩さんって東京の方じゃ。
疑問が浮かんでいる私の目には、先輩さんが押している自転車が目に入った。
「どうして後藤ちゃんがここに?」
「え、あ、いや、その私は、家族と買い物……にいくところ、なんですけど」
「そうなんだ。なんか、凄い偶然があったもんだね」
「へ、へへ。そうですね」
久々に家族以外と話した。頬が引き攣る。声が上手く出ない。
「え、と、その。先輩さんは、何でここに?」
「え、ああ。えっとね」
自分探しの旅。そう言って、自転車のハンドルをポンポンと叩いた。
「た、旅、ですか?」
「うん。自転車でどこまでいけるかな、って」
「こ、ここ、金沢八景ですけど……」
「かなざわはっけい…………金沢八景?横浜の?」
「あっはい」
「…………そんなところまできたんだ」
「え、そ、その、し、知らなかったんですか?」
「スマホとか置いて感覚で来てるからね」
「か、感覚……」
感覚で東京から金沢八景まで来ちゃうのは凄い気が。というか何処に居るか分かんないまま帰れるのかな。大丈夫かな。
ふと、自転車に目を向けるとタイヤが妙に萎んでいるのが見えた。……もしかして。
私の目線がタイヤに向いているのに気付いたのか、先輩さんは「ああ」とタイヤを指差して。
「途中パンクしちゃって詰んでるんだよね」
「…………だ、大丈夫……じゃないですよね?」
「割と」
「わ、割と……」
全然大丈夫じゃない顔してない。何で。
ぽりぽりと頬を掻いて、先輩さんは自転車のスタンドをガチャンと立てて、道の脇へ停める。
……というか、本当に自転車でここまで来たのかな。実は魔法とか使ってないのかな。距離が距離だし。
「後藤ちゃんは家族と買い物かあ」
「あっはい、えと、セールで卵が安くてそれでえっと一緒に来てってお母さんが」
「へえ、偉いね」
「あっあありがとうございます」
お買い物に一緒に行くというだけで褒めてくれる。先輩さんは神か仏か何かなのかな。
「ちなみになんだけど、後藤ちゃん」
「あっはい」
「自転車屋さんって何処にあるかわかる?」
「じ、自転車屋さん……?」
「うん」
「あ、えと、その」
そ、そうだよね、パンクしたから自転車屋さんで直さないと帰れないから、でも先輩さんはスマホを置いてきていて、でもでもそこに私が居たから聞かれてるって感じで。
「ひ、東です」
「どっち?」
「ああえっとすみません、すみません」
方角で言っても分かりづらいじゃん何言ってるの私。
「え、えっと────」
「ひとりちゃーん、お待たせー」
「あっあ、お、お母さん」
改めて教えようと口を開いた時、玄関からお母さんが出て来た。振り返れば、お母さんはエコバッグを肩に掛けて家の鍵を閉めてこちらを見て、あれ、と声を漏らす。
視線の先には先輩さん。
お母さんは少し考えて、顎に手を当てて。ぽんと手を打った。
「あらー、友達レンタルの方?もう、ひとりちゃんったらいつの間に」
「ちっちちち違うもん!」
「何だと思われてるの俺?」
慌てて否定するけれど、お母さんは穏やかに笑っているままだ。
「こ、この人はあの、前に話した先輩さんだよ、ほら、あの時の」
「先輩さん…………ああ!あの時の!」
「そ、そう!あの時の!」
「ひとりちゃんが大人の階段を登った日の!」
「違う!!!」
「後藤ちゃんなんて話したの本当に」
「ち、違うんです、母が、母が勘違いを!」
「勘違いというにはあまりにも状況がねえ」
「なにも!何もなかったから!」
「もしかしてだけど大変ふしだらな話になっている?」
ふむ、と先輩さんが考える素振りをして。
「初めまして、お母さん」
「はい、初めましてー」
「後藤ちゃんの彼氏です」
「あらー、想像以上だわー」
「先輩さん!???」
「嘘です」
「嘘なのー?」
「嘘だよ!!!!!」
先輩さんは何を言ってるの!???慌ててあわあわと体をバタバタとしていると、咳払いが聞こえる。
「ということで秀華高校の……もうすぐ二年生で後藤ちゃんの先輩になります。江島紫苑です」
「あらあら、これはご丁寧に。ひとりちゃんの母の、後藤美智代と申しますー」
自己紹介が交わされて、あ、先輩さんの名前初めて聞いたななんて思う。あの時はなんやかんやでまだ聞いてなかったから。
えじましおん、って名前なんだ。先輩さん。
やっと名前が聞けたな、なんて思っていると、お母さんが首を傾げる。
「……江島?」
「……?ええ、江島です」
「………………あらー!?紫苑くん!?」
「えっ」
「えっ」
すわ知り合いか。お母さんはたたたっと駆け寄って、先輩さんの肩にとんと手を置いて優しい手つきで撫で始める。な、ななな、何だ、何が起こってるの?
でも先輩さんも困惑した表情で、あれ、でも知り合いみたいな反応してて。
お母さんは喜色満面の表情で声音を綻ばせながら続ける。
「おっきくなったわねえ、もう何年振りかしら」
「え、あっと、はあ」
「もう小さい頃だからあまり記憶に無いのかしら、それも仕方ないわよね」
「……小さい頃?」
ぴくり、と先輩さんの眉が跳ねる。
「紫苑くんのお家はね、昔私の家のお隣さんだったのよー」
「………………何ですって?」
「……えっ」
「ひとりが小さい頃ね、紫苑くんがお兄ちゃんみたいな感じでよく一緒に遊んでくれたのよー」
「…………本当ですか?」
「ええ。でも、紫苑くんのお家が火事になっちゃって、それでお引越ししちゃってから暫く会えてなかったんだけど……」
お母さんは昔あった事を、思い出してページを捲るように語る。
でも、その話を聞いていても私はピンと来ない。掠りもしないその話は、果たして本当にあったものなのかどうかも分からない。
けれど、あったような。なかったような。あれ、でも、そんな事も。
「ひとりちゃんがねえ、紫苑くんがお引越しする時、それはもう手がつけられないくらい泣いちゃって」
あ。
「紫苑くんは小さい筈なのに大人っぽくて、本当にお兄ちゃんみたいにあやしてくれてね」
頭が、軋む。
「ふふ。でも、昔すぎてわからないかも。紫苑くんは覚えてるかな?」
先輩さんを、見る。
「………………いや、それは」
その記憶は、無いですね。
ぼそりと消え入るような声で呟いて、何故だか遠くを見るような瞳を空へ向けて、吐息と共に瞼を閉じた。
……私も、そのあった筈の記憶が、思い出せない。
「ちょっと思い出せない、ですね」
「そっかあ、まあ小さい頃の話だから仕方ないわね。それにしても髪も白くしちゃって、イメチェン?」
「はは、ミステリアスな男になりたくて」
何故か、頭が痛い。
私は今の話を聞いてもピンと来ない。私は先輩さんと会ったのはオープンスクールの時が初めてで、でもそれは違くてもっと昔に会ってて。
私が小さい頃に、一緒に遊んでた、お兄ちゃんみたいな人。
「いいじゃなーい、似合ってるわよ」
「ありがとうございます」
何故だろう。
何故か、その記憶は無い、筈なのに。
何故だか、胸がきゅっと締め付けられた。
「お父さんに似てきて、格好良いし。なんだか魔性の男、って感じねー」
「そうですかね」
「そうよー?お父さんも見たらびっくりするかも」
「はは、今度お会い出来たら、嬉しいですね」
「うんうん。今度、暇な時にいらっしゃいね」
頭が痛い。胸が痛い。心が痛い。
何でだろう、私はそれを覚えてないのに、覚えている。
知っていないのに、知っている。何故そう思うんだろう、何故、私は───────
『ひとり』
「あ」
────────今。