ぴんぽーん。
「あけましておめでとう」
「……………………あけましておめでとうございます」
「テンション低いね」
「…………ああ、いや、まだ頭が痛くて」
問答無用で家に入ると、ノートを手に持っている江島は「あぁ……」と情けない声をあげる。目線を向ければ、頭が痛いのか額に手を当てていた。
「どうしたの?」
「……なんでもない」
「…………ならいいけど」
玄関から進んで、リビングの中を見れば相変わらず家具は全然無くて寂しい様子だった。壁に点々と立て掛けられている私の預けたギター達がインテリアのように輝いている。
今日もまた、一つ増える。
背中からギターを下ろして、そのままギターケースをじぃっと開けて中身を取り出す。
「……何してるの?」
「また預かって貰おうと思って」
「……いや、いいけどさ」
「歯切れ悪いね」
「………随分増えたな、って」
「まだ増やすよ」
「まだ増やすの?」
何言ってるんだ。増やすでしょ。
まだ欲しいギターはあるし、これから先この部屋には虹夏に怒られない為の緊急預け入れ先としてまだまだ保管して貰わなければいけない。
家具を買う前にまずギタースタンド買わせなきゃ。
「………………なあ」
「なに」
「……俺、ちょっとまだ頭痛いから寝てていいか?」
「何言ってるの」
「え」
ずい、とギターを突き出す。
「弾かなきゃ」
「…………え」
「預けに来た時、いつもセッションしてたでしょ」
「………………そうだっけ」
「そうだよ」
「……ほんとに?」
「わたし、うそ、つかない」
言えば、江島は少し黙って。
「………………頭痛いって言ってるのに」
手にしていたノートを置いて、突き出したギターを手に取った。
思わず口角が上がる。よし、と私は頷いて壁に立て掛けているベースを手に取る。すぐさま低音を指で鳴らしながらチューニングを始め、ギターを持ったまま固まっている江島に目線を送る。
首を傾げられる。
「チューニングしといたから」
「……ありがとう」
「音、確かめといて」
「…………わかった」
その場に座り込んで、音を合わせるチューニングの合間、尻目で江島の様子を見る。
私の隣に胡座をかいて座った江島は、弦の間に挟んでいたピックを抜き取る。それを少し手の中で弄んで、慣れない手付きでネックを握る。
思わず目を細める。
「……あー……?」
最初に、初めて触るように触れない状態で鳴らす。
次いで、思い出すように一つ弦を触れた状態で鳴らす。
そして、思い出したようにコードを慣れた手付きで鳴らす。
「……………………あー、すげえや」
ぼそり、と江島が小さく何か呟いた。
「なにが?」
聞き取れなくて聞き返せば、江島はこちらを見て、右に視線を逸らした。
「ああいや、良い音鳴るなって」
「そうでしょ」
「高いだろ、これ」
「お目が高い」
「こう、なんか重いし」
「そういう奴だからね」
チューニングが終わる。
「適当に弾いていいよ、私が合わせる」
言えば、ぴしりと固まる江島。
「……適当に?」
「適当に」
「適当にって、適当に?」
「うん」
「……もうちょいなんかない?」
「リクエストしたら弾けるの?」
「…………早いとか遅いとかなら、多分?」
「じゃあ、凄いの」
「おい無茶振りにも程がある」
「出来るでしょ?」
「知らねえよ」
私がネックに手を這わせるのを目にして、江島は諦めたようにはあと溜息を吐く。深い溜息。憂鬱そうな、胸の中の気持ちを吐き出すような重い溜め息。
とんとんとん、と迷うようにこめかみを指で叩いて、ネックに手を這わせて。
「あー、なるほど」
急に納得したように声をあげた。
ネックに添えた指が動く。フレットを滑らかに抑えて、ピックを持った右手をぷらぷらと振った。
ああ。と私は才能がぶつけられる予感がした。
「適当にやってみるわ」
暴力。
「────────!」
荒い。叩きつけるような、弾けるような感情の波が響く。
アンプに繋いでいないのに、何故か、耳に重く響くその奏でた音に気圧される。力強いストロークと、想定外の早いテンポにどう合わせるか数瞬迷う。
けど、と遅れて私もベースを弾き始める。
「───?」
江島が、私を見る。
不思議な感じがした。まるで、何もかもを見透かされたような目で私を見た。
心臓を、撫でられた気がした。
「──────」
リズムを刻むように、ストロークが間を挟んで音を奏でる。コンマ、リズムがズレたと感じた。
直後、激しく弦を掻き鳴らして、テンポを壊した。一瞬私が驚いて止まって、その瞬間にまた刻むようにピックが振り抜かれた。
江島の中のリズムが変わった、と思って。違うと気付いた。
弾きやすい。
合わされた。私が弾きやすいテンポに落とされた。何も言っていないのに、訴えていないのに、一目見られただけで、聞かれただけで。江島はこれが最善と言わんばかりに合わせた。
「(……やっぱり)」
化け物。
「(私が、リズムを刻まなきゃいけない)」
筈なのに。リズムを、ペースを、なにもかも握っているのは目の前の男だ。
水を得た魚のように、江島はピッキングを経る毎に動きが円滑になっていく。少しずつ弾き方を思い出していくように、より良い弾き方を見つけていくように。
改良されていく演奏に、汗が滲む。
「(……適当って、なんだ)」
どこからそのメロディーが浮かび上がる。どこでそのリズムキープを覚えた。いつその弾き方を知った。
疑念は止まらなくて、追いつこうとした背中が遠くて、あまりにも才能が眩しくて。
江島の、その弾いている姿に──────
手が止まる。
「…………あ、終わり?」
「……うん」
なんとか弾けたわ、と汗一つかかない江島はネックを握っていた手を緩める。私もネックに添えていた手を下ろして、一息吐く。
「良かった」
「……そりゃどうも」
「やっぱり、上手いね」
「そっちこそ」
「それは当たり前」
「褒めなきゃ良かった」
会話の途中、顔を眺める。
柔和な笑顔だ。去年から見慣れた、毒気の無い笑顔。
端正な顔立ち。もしバンドに引き入れられたのなら、ビジュアルで売るのもいいかもしれない。
「江島は凄いね」
「どうした急に」
素直に褒めてみれば、胡散臭いものを見るような目で見られた。なんだその目は。
じとっと見返せば、肩をすくめて江島は手の中のギターをぺたりと触る。
ついさっき、あんなにも常人離れした演奏したとは思えない程拙く。
「(…………ああ、やっぱり)」
私は、とんとんと江島の肩を叩く。
「ねえ、江島」
「んー?」
訊く。
「記憶が無くなるって、どんな気持ち?」
「───────」
大きく、目が見開いた。
「────…………どういう事それ?」
何事も無かったかのように表情を取り繕って首を傾げる江島に、笑む。
安心させるように、きっと、今生まれたばかりの江島紫苑に。私なりの優しい笑顔を向ける。
「いいよ、私、分かってるから」
「なにを」
「知ってるから、安心して」
「…………なに、を?」
手を伸ばす。頬に触れる。江島が後ずさる。
「江島が記憶が無くなる事」
首に手を添える。両手で捕まえる。目を合わせる。
「今日、消えたのかな。消えてないかも。……多分、今日消えてたよね」
目が揺れる。焦るように言葉を吐き出そうとするのを指で抑える。息が止まる。
「ちょっ、と。何言ってるか分かんないな」
「私は山田リョウ。江島の彼女」
「……それ、は。彼女なのは嘘だってわかる」
「なんでだよ」
「……なんか、彼女って感じしないし」
「江島は私ではじめて捨てたよ」
「えっ」
びぎっ、と面白いくらいに固まる。石か。
「忘れたの?」
「……………………最近更年期で」
「あんな激しい夜だったのに。ぽっ」
「嘘かよ」
「どうだろうね」
「おいどっちだよわかんねえ何した俺に」
「ふ」
逃げられないように捕まえた江島は、目を彷徨わせる。
迷うように、何かを思い出すようにして、けれど目を伏せて。
視線をノートに向けて、目を閉じて。
「……バレてないってなんなんだよ、嘘かよ」
恨みを吐くように呟いて、私の目を見た。
「…………なあ。俺は、誰なんだ?」
縋るように、私の手に触れた。
その手は触れた事のある白くて細い手で、けれど少し不安そうに震えているのを安心させるように握る。
びくりと驚いて、程なくしてその手から力が抜ける。
「江島紫苑。悔しいけど、私より色んな才能が物凄くあって、バンドマンに向いてるただの忘れん坊」
「……えじましおん」
「そう」
「…………えじま、しおん」
口馴染みが無い言葉を馴染ませるように、名を唱える。
「(…………本当に)」
忘れてるんだ。なにもかも。
名前すら忘れるなんて、江島は、なんて。
思考を呑み込む。
「あと毎月私にお金を貢いでくれて、毎日お弁当も作ってくれる素敵なカレピ」
「それは嘘なのはわかる」
「何故バレる」
「なんとなく」
「む、江島の鋭さは変わらないみたい」
「そりゃどーも」
何もかもを諦めたように、肩から力を抜いて背中から倒れ込む江島は、きっと昨日までの江島が過去に見て、そして未来にそうなると知っていた江島なのだろう。
名前も忘れて、残っているのは身体と才能と繋がり。
けれど何が残っているのかも分からないまま、どう生きてきたのか、どう生きていけばいいのか分からないのは。
「…………江島には」
「あー?」
「江島には、私がいるからね」
何故だか、愛おしい。
「─────ッ!?」
「え、どうしたの」
「寒気、というかなんというか、じめっと…………じめじめしてきたぜ、『俺』」
「……多分だけど、そのノートに何か入れ知恵をされたな江島」
「『俺』曰く、『湿度』を残してしまった可能性があるから、って」
「…………言っておくけど、多分私の知ってる以外にもその湿度って奴はあると思うよ」
脳裏には金髪ドラマーが思い描かれる。けど江島の事だから他にも引っ掛けてる。流石バンドマン江島、女心を弄ぶ。
「そのノート、後で見せてね」
「それは無理。見せるくらいなら燃やせって書いてあった」
「なんでだよ」
「こう、恥らしい」
「恥なんだ」
後で見よう。
「お腹すいたから何か作って」
「なんだコイツ」
「江島なら作ってくれるよ」
「…………本当臭いな」
「私、うそ、つかない」
「散々つくだろ」
悪態を吐きながら、渋々立ち上がってキッチンへ向かう江島。
その姿を見て、「あ」と声が漏れる。
漏れた声に振り返ってくる江島に何でもないと首を振れば、怪訝な顔をしながらまたキッチンに向かい始める。
「…………同じ」
記憶が無くなっても、江島は江島なんだと分かってしまう。
その事が、私の胸に渦巻く感情を複雑にさせる。
頭の中では、今日改めて疑問が一つ浮かんで、ぐるぐると回る。
私は、今の江島も愛せばいいのか、忘れて消えてしまった前の江島だけを愛せばいいのか。
「………………」
でも、考えれば答えは明確だ。
「記憶が戻った時に既成事実を作ってしまっていれば、一石二鳥」
まあ江島なのは変わりないし。私が江島のヒモになる道中なのは変わらないし。別にいいや。
「なあ、今なんか変な事考えたか?」
「別に何も」
ただちょっと、初めから始めるだけ。それだけだ。