アラームの音がして起きる。
「…………ぅ……」
口から呻き出た声は怨嗟にも近いもので、私という人間が朝起きたくないと魂から嫌がってるのをひしひしと感じる。
アラームを止めて、その際に流れ込んできた冷気がほんの少しの目覚めと寝床から離れる事へのストレスを感じる。
寒い。ほんとに寒い。無理かも。
「…………うー…………」
覚悟を決めてベッドから降りて、その寒さに身体を思わず震わせる。十二月になって、冬本番の寒さが容赦無く襲ってくる事に行き場のない苛立ちを感じながら自室から洗面所へ向かう。
この道のりですら寒い。どうして冬ってあるのかしら。
寝惚けたまま目尻を擦りながら、ようやくついた洗面所で冷水を捻り出して顔にぴしゃりと叩きつける。刺すような冷たさに意識がはっきりして、続けて顔をばしゃばしゃと洗ってタオルで拭う。
「……冷た」
鏡を見れば、不機嫌そうな私の吊り目が私を見返していた。どうしてこんな不機嫌そうな顔してるの私。朝だからかも。
寝癖が少しついているのを放って、リビングへ向かう。料理する音が聞こえるから、きっとお母さんが朝ご飯を作っているのだろう。
リビングに入れば、キッチンで料理しているお母さんとソファで寝転がっている妹の姿が見える。
「…………おはよ」
二人からも挨拶が返って来る。リビングのテーブルには既に朝食が並べられていて、今日はサラダと……トーストが出て来た。目玉焼きも。
いただきます、と手を合わせて朝食を食べ始める。既に冬休みに入って、急ぐ必要のない朝食をのんびりと食べ進めていると妹が声を掛けてきた。
「今日は紫苑お兄ちゃんのところにいくの?」と。
「…………そうね、行くわ」
じゃあデートだね。笑顔でからかい混じりに言う妹に首を傾げ、そういうのじゃないと言い返すとお母さんがあらあらと笑う。
「今日はクリスマスよ」。
にこにこと二人して私の事を見る。愉快なものをみるように、女子特有の好奇の目線だ。
「…………だから何よ」
素直じゃない!とからかうように笑う二人をよそに、のんびりと食べ進めていた朝食をそそくさとお腹の中へ流し込む。
確かにクリスマスだ。十二月二十五日、サンタさんがプレゼントを渡してくれる日。
おめでたい日。世間ではカップルが甘酸っぱいひと時を過ごす日だ。
「ご馳走様」
立ち上がって、食器を片付けて、自室に戻る。
……私も、クリスマスに誰かと過ごす、それも異性となら色恋沙汰と周りに色々と言われるのは承知の上だ。分かっている。
なればこそ、家族にあれこれ言われるのは理解している。それに慣れている。そう言うものなのだから。
だが過ごすのは幼馴染で、かれこれ何年も過ごして来た旧知の仲だ。それが、甘酸っぱいなど。
無い。私はお姉さんで、アイツは年下。弟のようなものだ。
幼馴染との恋愛模様なんてものは少女漫画の中でしかあり得ない。
全く。私は大槻ヨヨコ。そんな色恋沙汰でウキウキなんてしない。
「ヨヨコ、今日は髪巻いて来たの?」
「そうよ」
「似合ってるね。ネイルも変えたんだ」
「ええ。よく気付いたわね」
「てかその服めっちゃ似合ってるね。新しいの買ったんだ」
「そうなの。一目惚れして買ったのよ」
「それも似合ってる。可愛いねヨヨコ」
「…………ふふん」
凄い気付いてくれる!!!!!!!!
緩む表情を頬をパンと叩いて引き締めて、ソイツ……幼馴染の顔を見る。柔和な笑顔で、真っ白な前髪の隙間から覗く大人っぽい瞳がこちらを見据えているのが目に入る。
へへ、とソイツは笑う。
「俺がこんなんじゃなきゃ外でデートしてたぜ」
「アンタは本当に安静にしてなさい」
「持病が悪化しちゃった」
「その癖のありすぎる持病早く何とかなんないのアンタ」
「年末年始に特に頭痛が止まない持病なもので」
「イベントを悉く潰される持病よねほんと」
ベッドで横になるソイツは、普段通りの笑顔で微笑む。
「ケーキ買って来たから、後で食べましょ」
「ありがとねヨヨコ、愛してるよ」
「はいはい私もよ」
「あしらい方が雑」
「あくびと違って私は言われ慣れてるからね」
「あくびちゃん…………?」
「この前愛してるって言われたとか何とかで騒いでたわよあの子」
「…………言ったような、言ってないような」
「その調子だといつか刺されるわよ」
「……………………そうだね」
「その間は何なのよ刺されたみたいな嫌な沈黙やめなさいよ心配じゃない」
「おれ、さされてない。ちょうむきず」
「目を逸らすな」
口笛まで吹いて誤魔化そうとする。けれど、本当にあったのか、それともただあった風に振る舞っているだけなのかはこの江島紫苑という人間の天邪鬼ぶりを見ていると分からなくなる。
「……しかし、部屋が変わってすっきりしたわね」
「火事で本も燃えちゃったからね」
「隣でアンタの家が燃えててビビったわよほんとに」
「俺が一番びっくりしたよ、いやまじで」
「放火されたって聞いて凄い驚いたんだから」
「いやあ、そんな事あるんだねまじで」
「でも連絡して直ぐそのまま家に飛び込んでった時は心臓止まるかと思ったわよ」
「ははは」
「はははじゃないわよ」
「いやまじで俺の命より大事な物があって」
「ノートとギター背負って飛び出して来たのは流石に何それってなったわよ」
「いやあ、ギターとかこれまじ高い奴だから燃やせなくて流石に飛び込んだよね」
「……それはまあ百歩譲って分かるけど、もう一つがノートって」
「これは俺の全てが綴られている命よりも重いパンドラの箱だから」
「災厄が振り撒かれちゃうじゃない」
「一握りの希望もあるんだよ」
ひらひら、とその時持ち出したノート……日記を私に見せびらかす。表には『†アカシックレコード†』と書かれている。なんで十字マークが付いてるんだろう。
「ただの日記でしょそれ」
「ただの日記とは言え、これがまじでうっかり燃え残って誰かの目に入る事があれば、俺は迷わずに命を断つ代物なんだよ」
「そんな黒歴史みたいな日記つけてるの……?」
「それを言うには好感度が足りないな」
「は?」
「いやなんでも」
日記を書いている、とは聞いてるけれど中身を見た事は無い。プライバシーだから。あと見ようとすると紫苑が「お前を殺す……」って耳元で囁いてくるから止めている。
「…………」
……見回した部屋の中には紫苑が横になっているベッドと、友達から預かったとか言うギター。後、本棚に漫画が幾つか入っているのが見える。
家が燃える前はもっと山程の本が入っていたけれど、今ではほんのちょっとしか入っていない。
見ていてあまりにも置いているものが少ない、寂しい部屋。
「それにしても、一人暮らしさせるなんて思い切ったわねアンタの親も」
「元々させようとは思ってたらしいし、最近は仕事も好調らしいよ」
「最近って。あの人達ずっと現役じゃない……?」
「いつあの最前線を退くのか俺にも分からない」
「私はもっと分からないわよ」
脳裏に浮かぶのは、あまりに若々しい姿の紫苑の両親。魔法でもかかっているのではないかと疑うほどに、二十代で通じる容姿の夫婦の笑顔がサムズアップされる。
紫苑の両親は共に夜職……ホストとキャバ嬢という職についている。
若い頃からその職を今に至るまで続けており、お店の売り上げ貢献トップを維持している化け物らしい。
「まあ、親が金持ちで困る事はないけどさ」
「そうだけど、……相変わらずよく続くわよねあの二人」
「夜職夫婦なんて普通は続かない、って?」
「…………まあ」
「それはね、純愛だよ」
「……純愛ねえ。あれこれ言うつもりもないけど、やっぱり凄いってなるわよ」
「二人して色恋営業みたいな事はしてて、複雑な感じに見えるかもだけど。当人達にとっては気にならないからいいんじゃないかな」
「まあ、それに尽きるわよね」
幸せならオッケーです。そう言って紫苑は、ぱさりとベッド下の床にノートを投げる。命より大事って言ってたのに。
「そういやアンタ、結局家燃えた後何処行ってたの?」
「燃えた後?」
「アンタ新しい家に住むまで何処居たのよ、って。消火作業中に親が来たら『俺、犬になる』って言って消えてったじゃない」
「言ってなかったっけ」
「また会ったの暫くしてからだし、聞くタイミング逃してたのよ」
「ダンボールの中で体育座りして、なんか拾われてた」
「ほんとに犬じゃない」
「家の都合がつくまで暫くその人の家に住んでた」
「そっから学校通ってたって事?」
「うん」
「……寄生虫……?」
「失礼な、家事はちゃんとしてたぞ」
「何ヶ月もお世話になってる時点で寄生虫というかヒモじゃない」
「リピートまっしぐらな専業主夫ぶりなんだぜこれでも」
「その人どんな気持ちで住ませてたんでしょうね」
「……………………さぁ………………?」
「何よその顔」
死んだ目のまま目線を逸らされる。なんなのよ一体。
「そういえば、ヨヨコはクリスマスプレゼント何が欲しいの?」
「え」
唐突な話題転換と共に不意に訊かれて、言葉に詰まる。
……言われて考えてみる。高校生になって、真剣にクリスマスプレゼントを考えた事は意外と無いかもしれない。
数年に一回、紫苑に「サンタさんじゃよ」とプレゼントを貰う事はあるけれど、それでも今年のクリスマスはこれが欲しいと考えた事は無かった。
「……アンタは何が欲しいの?」
「んー、…………机?」
「まず買いなさいよそれは」
買いに行くの面倒臭くて、と頭を掻くソイツの家には確かに家具がほとんど無い。……今度一緒に買いに行こう。
しかし、私の欲しい物。今の欲しい物……物欲は今のところ落ち着いているし、それ以外、それ以外。
……………言われてみれば、一つあるかも。
「一つ、あるかも」
「お、何?」
「アンタの病気を治す薬」
「………………俺の?」
「そう。毎年見てるけど、クリスマスとか寝込んでるアンタ見てると、なんかね」
「…………年末とかはどうも頭痛が酷いんだよね、片頭痛がちょっと」
「アンタは病気じゃないとか言ってるけど、毎年見てると病気みたいなもんよそれは」
「持病っちゃ持病だしね」
……本人は「詰まるところただの片頭痛持ち」と抜かしているが、こんな寝込む事の多い頭痛持ちが病気以外であってたまるか。
笑う紫苑の顔を見て、ただの片頭痛としか伝えないコイツに複雑な気持ちが沸く。けれど、言わないのなら私は必要以上に踏み込まない。
些細な持病で済むようなものである訳が無いと、私は知っている。
「…………まあ、いつか治るでしょ」
「……そうね、いつか、ね」
そもそも、紫苑は元々黒髪だ。数年前に全部真っ白に染めた時は「ノリで染めた」と言っていたが、その時には黒髪の中に白髪が所々混じっていたのを私は知っている。明らかに増えた白髪を隠す為に染めている。
……江島紫苑という人間は、嘘をつく時に数拍置いてから笑顔で言葉を吐き出す癖がある。
病気?と聞いた時にも、コイツは少し言葉を詰まらせてから「やべえ病気だったら俺もうヨヨコに言ってるよ」と笑った。
「最近はヘッドスパとかに行って楽になったんだけどね、頭痛」
「今寝込んでる奴が何言ってるのよ」
「たしかに」
「アンタと初詣に行った事無いから、そろそろ行きたいわよ。私は」
「あ、そっか。俺らって初詣した事ないのか」
それじゃあ、と。
「…………病気が治ったら、初詣しようね」
数拍、言葉、笑顔。
「……そうね。約束よ」
「指切りげんまんな」
「嘘ついたら何がいいかしらね」
「針千本かハリセンボン飲もう」
「しょうもない」
「なんだと」
「……そうね」
踏み込もうか、迷って。呑み込む。
「じゃあ、ノートの中身を見ーせる」
「ちょっ」
「ゆーびきった」
「ヨヨコお前なんて事を」
「指切ったから成立ね。三年以内に初詣しなさいよ」
「こ、小指を落とせば不成立……」
「そんな物騒な事しないでよ怖いわね」
「ノーカウント!ノーカウントだ!」
この嘘つき。
幼馴染という関係に免じて訊かないでおいてあげるから、いつか、それを話して欲しい。
話さないのは、きっと理由があるから。
「約束は約束よ、紫苑」
「……ヨヨコぉ……」
だから、待ってる。私はいつまでも、話してくれるのを待つ。
「『十二月十五日』」
かり。
「『今日は、ヨヨコとお家デート!』」
かりかり、と書く。
「『クリスマスケーキ食べた。ショートケーキが美味しいヤミー感謝感謝だった。で、なんか初詣の約束をしちゃった』」
かりかりかりかり、と書き続ける。
「『初詣に行かなかったら、このノートを見せる契約を結んだ。それは流石に避けたい所存』」
かりかりかりかりかりかりかり。
「『まあ多分気付かれてるけど、待っててくれてるから甘えよう』」
書け。
「『指切りげんまんもしたから、見られる前に初詣に行かなくちゃいけない。早めに』」
書き残せ。
「『言わないだけで、ヨヨコはずっと前から待ってくれてまじで優しい。天使。結婚しよう。』」
消える前に。
「『なんたって俺が文化祭を休んだ日も看病に来てくれて』」
消えてしまう前に。
「『その前も』」
書けなくなる前に。
「『ヨヨコは』………………」
手が止まる。
「…………文化祭の、前は……」
頭痛。ふらつく。耐える。
思い出す。思い出せ。思い出せない。
何かがあった。ページを戻す。秋の辺り。
「…………そうだ、『夏祭りの写真を送ってくれた』。そうそう、あったあった、そんな事も」
覚えていない。消えている。また覚える。
「その前、は……春は…………」
ページを戻す。
「『入学式で友達が出来たら祝ってくれた』。四月、うん。そこで会ったんだよな、えっと」
名前を探す。
「『伊地知虹夏』。……いたいた、金髪と……ちょっと後に青髪の、あれ、山田。山田リョウとも会った」
書いていたページを開き直して、また続きを書く。
「で、えっと、あと今日は」
続きを。
「今日は」
あったこと。
「あとは、今日は」
……………………なにが、あったっけ。