水面しかないフラットな世界に、一つの蒸気機関車が走り抜けていた。
それに引かれる客車の中で、"それ"は2人に語り始めた。
プロローグ
ーーージャンルは破壊されたーーー
ーーーー再構築は望めないーーーー
空も、陸地も、建物すらなにもない、ただ、虚しく広がる水面だけが地平線まで果てしなく続いている。水の下には、何もない闇が潜むかのように完璧に平らな無限が広がっていた。
見渡す限りの水が鏡のように、雲一つない不気味な夕焼け空を映し出している。
ーーーー汽笛が鳴るーーーー
ーーーー蒸気の音がするーーーー
定波ひとつない水面に、波紋が生まれた。
それを皮切りに徐々に波紋がひとつ、またひとつと広がってゆく。
遠くから、低い唸りが響いてくる。
ゴォン、という重い振動が水面を震わせる。
ひとつ、カクカクした輪郭の影が地平線から近づいてくる。
水平線からその影が見えてくる。その姿からは黒煙を吹いていた。
シルエットが大きくなっていき、姿がくっきりと見えてくる。
見えていた影は、水を押しのけ風を切り裂きながら汽笛を鳴らす白銀の機関車だった。
白煙が渦を巻き、水しぶきを高く舞い上げて沈みゆく夕日を横切るように進み続ける。
[??? 一号車]
客車の中は薄暗く、天井をほのかに明るく照らしているランタンが二つの影を照らしていた。
二人、意識を失ったかのように座席の背もたれに背中を預けており、魂でも抜き取られたかのように静かに眠っている。
そして、座席の向かい側にはもう一つの人影があった。
"それ"は向かい側に存在している二人とは対照的に、意識をはっきりと保っているようだった。
しかし、その姿は痛々しい。
服はボロボロに破れ、あちこちに深い裂傷が走っている。首の皮膚がめくれ上がり、四肢には赤黒い包帯が巻かれている。めくれた傷口からは、鈍く光る血が滴り落ちていた。ポタポタと流れる血液は座席から滴り落ち、足元に溜まっていく。
だが、彼は気にする様子もなく目の前の二人の人物へと語り始めた。
「先に、謝らなければならない」
彼は、そう切り出した。その声は喉がかすれた印象を持った。
必死に目の前の四角い二人へ、なにかを伝えようとしている。
「私は失敗した....敗北したんだ....」
水面を走る蒸気機関車の音だけが静寂を破っていた。
規則正しい車輪の響きが、まるで時を刻む鼓動のように聞こえてくる。
「本来であれば、変わることのない青春の物語」
彼の瞳が一瞬、虚空を見つめた。
かすかに唇が動く——誰かの名前を呼ぼうとして、血が喉に絡んだのか、言葉にならない。
握りしめた拳から、何かが零れ落ちた。
「それが覆され、全てが反転し、物語は最悪の形で終わってしまった」
声が途切れ、呼吸が浅くなる。
機関車は変わらず水面を進み続ける。
行き先も、終着駅も、なにも見えない旅路をただひたすらに、目的があるかのように走り続けていた。
まるで、止まったままの物語を蒸気の力で無理やり動かそうとするかのように。
「私の経験不足だったからか」
自問するような呟き。
彼の負傷した手が無意識に胸元を押さえた。
「それとも、私がなにもできなかったからか、正しい選択ができず、捻れて、歪んだ結末をたどってしまった」
夕日が地平線へと落ちていく。
車内は徐々に暗くなり、頼れるのは灯火が消えかかっているランタンだけだった。
「危険な目に、あわせないように」
「誰も、傷つくことがないように」
彼の声に、どこか深い愛情が込められていた。
「大人だからと、率先して前に出たが」
拳を握りしめる。爪が掌に食い込み、手は震えていた。
「その結果が....」
「その結末が....」
言葉が途切れる。
彼の視線が二人から外れ、汚れた手のひらへと落ちる。
掌には何も残っていない。
「だれ一人、なに一つ」
「残すことすら、できなかった......」
最後の言葉は、ほとんど息のような音量だった。なにか、大きな物を背負っていたようなことだった。
「....アレックス君」
しばらくの静寂の後、彼は顔を上げ二人を見た。
緑色の服を着た、彼女に。
「それと、スティーブ君」
水色の服とジーンズを着た彼に。
彼は、二人を真っ直ぐ見て再び語り始めた。
「破壊と創造」
「私とは違う、あらゆることができる君たちに、お願いしたい」
彼の声に、かすかな希望の色が宿った。
何もかもを失ったような彼が、そう懇願する。
「君ら....いや、君たちには様々な迷惑をかけてしまうかもしれない」
彼は、目を合わせられずにいた。
しかし、それでも言わなければならないことがあった。
「考えの違いからくる破局。理想では解決できない問題。許すことが難しい状況。過去に捕らわれた恐怖」
一つ一つの言葉が重い石を積み上げるように紡がれる。
まるで、これから訪れる試練の予言のように、重くのしかかっていた。
「君たちの能力でも、解決が難しいことが押し寄せてくるかもしれない」
「辛く、苦しいことがあったとしても.....」
血だまりがさらに大きくなっている。
彼の時間は、長くはないのかもしれない。
「それでも....」
その言葉に希望の願いが込められた。
「あの子たちを」
「あの子たちを、どうか————」
彼が言った最後の言葉はハッキリとは聞こえなかった。
しかし、その想いだけは確かにこの奇妙な世界に刻まれた。
機関車は黒煙を出しながら水面を走り続ける。
そして、どこか別の世界で、新しい物語が紡ぎ始めようとしていた。
どこか暗い、暗い場所から。