チェンソーマン レゼが歌った 「ジェーンは教会で眠った」は軍の研究所で憶えた歌だった?
劇場版「チェンソーマン レゼ篇」を見ていて
気になったシーンがあったので書きます。
映画の以下のシーンで、
レゼの目がピクピクと痙攣したんですよね。
(気になった人は映画館で見てみましょう)
僕は普段、どんなコンテンツを見るときも違和感があるシーンに注目しています。
そこに作者の意図があると思っているからです。
レゼの目の痙攣はかなり違和感を感じました。
以下僕の考察です。
レゼが軍の実験施設で受けた、あるいは目にした人体実験がフラッシュバックした
レゼの生い立ちはかなり悲惨です。
作中で、親はおらず、軍の実験施設で、体を実験に使われていたと示唆されています。
おそらく、刺客に「これからお前の顔の皮を剝いで、目をくり抜いて」と言われたことで、軍の研究所での悲惨な過去がフラッシュバックしたため、無意識に目が痙攣したんだと思います。
「ジェーンは教会で眠った」は研究施設でお姉さん的なポジションの人がレゼに歌ってくれていた?
「ジェーンは教会で眠った」は何気ない日常的なデートを歌った歌ですが、
なんとなく曲調が子守唄っぽいんですよね。
ここで聴けます。
https://s.awa.fm/track/bdb523bc44f2eedb2700
レゼの感情が瞳の色に現れるというのは前の記事でお話ししました。
このシーンは昂った心を落ち着かせるように口ずさんでいるように僕には見えます。
親のいないレゼがいつどこでこの歌を覚えたんでしょうか?
軍の研究施設でしょう。
きっと研究施設でこの歌をレゼに歌ってくれた人がいたんだと思います。
岸辺が言うには、研究施設に集められるのは親のいない「子供達」なので
母親的ポジションじゃないでしょうね。
きっとお姉さん的なポジションの人だったのかな?と思います。
レゼはこの歌を聞きながら、研究施設での地獄の日々を耐えていたんでしょう。
いつかこの地獄から解放され、当たり前の日々を過ごせるようにと。
親がいないレゼにとって、その人が親代わりだったのかもしれませんね。
レゼが見せた、目の痙攣は、その人が実験で◯されたことを想い出した瞬間だったのかも。
「ジェーンは教会で眠った」 歌詞・和訳
День моего свидания с Джейн
Все готово
ジェーンとのデートの日だ
全ては整った
Утром мы пойдем вместе в церковь
朝 一緒に教会に行こう
Мы будем пить кофе и есть омлеты в кафе
カフェでコーヒーを飲んでオムレツを食べよう
После того как мы прогуляемся в парке
公園を散歩したら
Мы пойдем в аквариум и увидe любимых Джейн, дельфинов и пингвинов
水族館に行って、最愛なるジェーン、イルカとペンギンを見よう
После обеда мы отдохнем
昼食後には休もう
Итак, что мы сделали утром
それで、ぼくらは今朝何をした?
Мы будем говорить об этом пока не вспомним
思い出すまでそのことを語り合おう
Мы не вспомним
ぼくらは思い出さないだろう
И ночью мы будем спать в церкви
そうして夜は 教会で眠ろう


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