先週末、城彩苑わくわく座で観た舞踊団花童の舞台「細川ガラシャ ~玉の一生~」の中で、細川忠興と玉がともにパンとワインを食す場面があった。これはなかなか意味深な場面だぞと思わずニヤリとした。機会があれば中村花誠先生に意図をお聞きしてみたいものだ。
シチュエーションは二人が織田信長の仲立ちで結婚して間もない勝竜寺城時代か丹後田辺城の時代だと思われる。二人の関係が良好で、玉がまだキリスト教信仰に目覚める前と思われるが、パンとワインはキリストの血と肉体を意味するから、先行きの二人の葛藤を暗示していると言えそうだ。
室町時代後期に近衛政家が書いた「後法興院記」という日記の中に、「珍蛇(チンタ)」という記述があり、これはポルトガル語の赤ワイン「 Tinto Vinho(チント・ヴィーニョ)」のことだともいわれ、これが日本で初めてワインが記述された文献だという。
また、キリスト教布教のために日本へやって来たポルトガル人のルイス・フロイスが、京で織田信長に謁見したとき、信長にワインを献上した可能性があり、信長がワインを飲んだ最初の日本人という説もある。信長を敬愛してやまなかった忠興はワインを目にする機会もあっただろうし、飲んだこともあったかもしれない。それが後の豊前国転封後のワインづくりへ繋がったのだろう。ワインづくりは家督を譲った忠利が熊本藩へ移封されるまで続いたという。細川家のワインづくりについては「津々堂のたわごと日録」に詳しく紹介されている。
なお、ワインのことを初めて「後法興院記」に書いた近衛政家の近衛家だが、現当主の近衛忠煇は細川護熙(第79代内閣総理大臣)の弟。ここにも細川家とワインとの不思議な縁を感じる。
シチュエーションは二人が織田信長の仲立ちで結婚して間もない勝竜寺城時代か丹後田辺城の時代だと思われる。二人の関係が良好で、玉がまだキリスト教信仰に目覚める前と思われるが、パンとワインはキリストの血と肉体を意味するから、先行きの二人の葛藤を暗示していると言えそうだ。
室町時代後期に近衛政家が書いた「後法興院記」という日記の中に、「珍蛇(チンタ)」という記述があり、これはポルトガル語の赤ワイン「 Tinto Vinho(チント・ヴィーニョ)」のことだともいわれ、これが日本で初めてワインが記述された文献だという。
また、キリスト教布教のために日本へやって来たポルトガル人のルイス・フロイスが、京で織田信長に謁見したとき、信長にワインを献上した可能性があり、信長がワインを飲んだ最初の日本人という説もある。信長を敬愛してやまなかった忠興はワインを目にする機会もあっただろうし、飲んだこともあったかもしれない。それが後の豊前国転封後のワインづくりへ繋がったのだろう。ワインづくりは家督を譲った忠利が熊本藩へ移封されるまで続いたという。細川家のワインづくりについては「津々堂のたわごと日録」に詳しく紹介されている。
なお、ワインのことを初めて「後法興院記」に書いた近衛政家の近衛家だが、現当主の近衛忠煇は細川護熙(第79代内閣総理大臣)の弟。ここにも細川家とワインとの不思議な縁を感じる。
着々と興味深いき記述を記されていますね。
私は訪問先を広げ過ぎてブログをパンクさせてしまったようです(笑)
もっと足元を見つめてボチボチと初めて行こうかと思っています。
>細川忠興と玉がともにパンとワインを食す場面があった
>ワインづくりは家督を譲った忠利が熊本藩へ移封されるまで続いたという
それこそNHKの「歴史秘話ヒストリア」みたいですね!
有難うございました。
つまみ食いのような断片的な知識を整理していきたいと思っています。
貴兄のコメントでますますそう思うようになりました。ありがとうございます!