第4話 神話『ナリア・ガリ』をドウゾ
宿屋『エダジ亭』の階下にある食堂。幾つか並ぶ丸机の一つには、湯気を立てるシチューと、香気を立てるパンが並んでいた。フランツの為にマリベルが急ごしらえしたものだ。彼女はフランツの向かい側に座り、食事をする彼の様子を静かに見つめている。
フランツは、三日分の空腹を満たさんとばかりに、無我夢中でシチューを口に運んでいた。故郷で食べていたものとは食材の選定も味付けも違っていたが、舌に合わない訳ではなった。大地の恵みを感じられるような、優しい味がしていた。
「美味いな」
ぶっきらぼうに呟かれた一言だったが、マリベルの顔には安堵の笑みが浮かんだ。アキボーを始め、村人の多くはフランツに対して懐疑的な目を向けていた。そんな彼を看病していたマリベルを悪く言う者もあった。しかし、フランツが美味しそうに食事を取っている姿を見ていると、苦労も報われる気がした。
不意にエダジ亭の扉が開き、老夫婦が顔を覗かせた。
「マリベル、アキボーが青い顔して走って行ったけど……おや、もう回復したのかい?」
宿屋を営むエダジとジーナはマリベルの育ての親である。外仕事の為に出ていたが、アキボーを見掛けて様子を見に来たのだった。
フランツは木製のスプーンを咥えたままで老夫婦の姿をぼんやり眺めていたが、彼らも恩人であると気付くと会釈をした。
「ハマリンを追い払って、マリベルのことも救ってくれた。本当に感謝している。しかし……お前さんは一体何者なんじゃ?」
エダジはフランツの顔、というよりも頭に生えた狼耳を見ていた。人間族でもなければ、魔法使い族でもない。伝聞による妖精族や妖魔族とも異なっている。ハマリンを恐れないという特性は兎も角、獣の耳を持ち、怪物への変身能力を有する種族など聞いたことがなかった。
「俺は……俺にも良く分からないな。俺の知る限り、人間は遠い昔に滅んでいるはずだ」
マリベルら三人が顔を見合わせる。その反応から自身の常識が通じぬ場であることを察したフランツは、駄目押しに訊ねた。
「吸血鬼族は知っているか」
「きゅうけつ……き……?」
「やっぱり知らないのか、マリベル」
不意に名前を呼ばれたマリベルは肩を大きく跳ね上がらせた。
「マリベルってのはアンタの名前じゃなくて愛称だったのか?」
「う、ううん。わたしはマリベル。マリベル・スムズ」
「そうか、俺はフランツ・フカフカだ。名乗りついでに改めて礼を言っておくよ。助かった。爺さんと婆さんもな」
そう口にして、フランツは食事を再開する。シチューに舌鼓を打ちながら考える。ここが遥か遠くの地であるには違いない。だが、吸血鬼族の魔手を逃れた人間族が生き延びていたなんて話は聞いたことがない。ハマリンという存在についても同様だ。
――それに、この宿は随分と綺麗だ。老夫婦の身なりもマリベルと同じく、俺が読んだ人間族の記録と比べても、人狼族の生活と比べても上質過ぎる。
「随分と遠い所から来たのかねえ……」
老婆の呟きに、フランツは更に思考を重ねる。
――遠い。それは確かだが、果たして物理的な距離と捉えるべきなのだろうか。
老婆、ジーンが立ち上がって台所へ向かって洗い物を始めた。その様子を見て、フランツが呟く。
「俺が知る限り、清潔な水は貴重なものだ。ここでは違うらしいな」
「ああ、濾過魔導器のおかげだ。……まさかとは思うが知らないのかい?」
エダジが言うには、神によってもたらされた技術であり、魔法を込めることで汚水を完璧に浄化するのだという。
この世界には、他にも生活を便利にする魔導機器が数多く存在し、それによって人々の生活水準や衛生観念は、フランツの故郷を遥かに上回っているらしいことを知った。
フランツは断りを入れて台所へ向かい、濾過魔導器に触れてみたが、水が出てくることはなかった。どういうことかと話し合う中、この世界に住む人間族は、生まれ付き一人一属性の魔法が扱えることを知った。もはや世界が異なることを認める他になかった。
食事を終え、フランツは満足そうに深々と息を吐き、マリベルに訊ねた。
「この世界……俺にはどうも、不便と便利が入り混じっているように感じられる。魔法が使えるからなのか、武器に関する技術は俺が知る人間族よりも劣っている。それなのに生活水準は高い。ハマリンという脅威があるにも関わらずな。ちぐはぐな印象なんだよ」
マリベルは困ったような顔をして、少し躊躇いがちに答える。
「わたしにも分からない。フランツが言うような違和感も理解出来ない……でも、神話『ナリア・ガリ』に、この世界の変化が記されているんだって。ひょっとしたらフランツの疑問に対する答えも書いてあるのかも」
「神話?」
「うん。ただ、『ハマサ語』っていう難解な言語で書かれていて、読み解くのがとても難しくて、解読する度に内容が変わるとさえ言われているぐらいで……」
マリベルは、昔エダジから教わった神話の一部をフランツに語って聞かせた。
「解読できている部分には、「英雄がハーレムを作る行為を指して『アヘオホ』と呼ぶ」とか、「アヘオホによってハーレムに加わるものを『ガチコイ』と呼ぶ」とか……。あとは、「この世界は別の世界から来た神を名乗る者『ツチスケ・カミヤ』によって大きく変化した』とか……」
「くだらねえ……」
フランツは苦虫を噛み潰したような顔で言った。人狼族は、生涯をただ一人の相手と添い遂げる。それが、彼らの本能であり、誇りだった。神話に記された「アヘオホ」なる行為は、彼の本能と真っ向から対立する、醜悪な概念でしかなかった。
「何を怒っているんだい?」
フランツの様子を見ていたエダジが、不思議そうに訊ねる。
「お前さん程の猛者なら、アヘオホして当然だろう。ワシ等も老い先短い身だ。お前さんさえ良ければマリベルをガチコイとして……」
「エダジおじさん!」
マリベルは赤面して顔を伏せたが、その表情は満更でもなさそうだと思えた。フランツは、そんな彼らの反応に少なからずの苛立ちを覚えた。
「俺は故郷に戻る。アヘオホだかガチコイだか知らねえが、俺には関係ない」
そう言って席を立つフランツに、マリベルが慌てて駆け寄った。
「ま、待って、フランツ! どこへ行くの?」
「帰るんだよ。ファミリーの所へ」
「でも、この辺りの土地勘なんてないでしょ? そもそもフランツの故郷はどこにあるの? 魔法が使えないんじゃ魔導馬車だって使えない、それにハマリンだって……」
「ハマリンか……。奴らはあんなにも弱いのに、お前達は何故あれ程に怯える?」
フランツの問いかけに、マリベルは言葉を詰まらせた。
幼い頃に一度だけ、村の隅で暮らしていた老人の話を聞いたことがあった。ハマリンの襲撃で妻子を亡くし、その悲しみで頭がおかしくなった。そう言って村人達は鼻つまみ者扱いしていた。
「……あるお年寄りから聞いた話。全ては妄想に過ぎないかも知れない。でも、その人は涙を流しながら言っていた。ハマリンは、神様の不老不死実験の失敗作だって。その実験は非道なもので、老人の家族も巻き込まれたって……。そして、その失敗作であるハマリンと、神様が私達人間に『下法』を使って植え付けた『恐怖』は、繋がっているって……」
「……なるほどね。お前達が怯えてしまうのは、下法とやらで恐怖を刻み付けた神とハマリンが近しい存在だからって訳か」
老人の言葉と、村人の行動の矛盾を繋ぎ合わせ、フランツは一つの結論に達した。彼らの意志は関係なかったのだ。神の呪いが、彼らの本能にまで刻み込まれているのだ。ツチスケは自分の支配を揺るぎないものとすべく、人々の心を恐怖によって支配した。
苛立ちが消え、静かな怒りが宿る。直後、フランツがハッとした様子で遠くを見やる。マリベルも釣られて同じ方を向いたが、何の変哲もない壁と天井があるばかりだった。
この世界の何処かに存在する『ボッツキ城』。今は茶褐色の肉塊として王の間に転がるツチスケ・カミヤは一時ばかりの目覚めを迎えていた。
「……今、なんと言った」
「はい。ハマリン達の気配が大量に消失しました。何かが起こっているものと思われます。すでに調査を……」
「そんなことを問うた訳ではない。何故か、と聞いている」
キュララ・スターレイ。白銀の髪に宝石のような瞳を持つ、永遠の処女。ツチスケが下法『クリエイション』によって造り出した女神『セブン・デザインド』が一柱。今は蠢く肉塊でしかないツチスケを見つめながら言葉を詰まらせる。
「……ハマリン共は確かに私の断片に過ぎない。不老不死を得る為の過程で生まれた副産物、いや、失敗作と言っても良い。私には似ても似つかない醜く愚かな生物だ。しかし私の分け身であるには変わりない。その消失が起こったと知り、何故冷静でいられる?」
「そ、それは……。申し訳ございません。私の認識が誤っておりました。必ず詳細を掴み、必要とあれば解決の為に尽力致します。敬愛するカミヤ様の為に」
ふすっ、と空気の漏れる音が鳴った。肉塊の一部に穴が開き、そこから鋭く尖った棘が伸び、キュララの下腹部を貫いた。女神は苦痛に呻き、全身を小さく震わせ始める。
「な……ぜ……? カミヤ……様……!」
「その痛みと戸惑いが君を成長させる。私はハマリン達が消えたと聞いて居ても立ってもいられなくなったのだよ。君はどうだ? まるで人事のようであったな。私の痛みに寄り添えぬ者は『私の作る素晴らしき世界』には不要なのだ。分かるか。君がすべきだった事は冷静な報告などではない。私の苦痛に共感し、泣いて、うろたえ、悲しむことだったのだ」
棘が引き抜かれる。鮮血滴る傷口を押さえて膝をつくキュララだったが、すぐに傷は塞がっていった。それは永遠の処女足る証左であった。
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