著者のクリストファー・ドーソンはカトリック信者でT・S・エリオットとも交流のあった歴史学者・批評家。ローマ帝国滅亡から、ルネサンスの当初まで、カトリックとゲルマン・スラヴ民族のもたらした異教的なものが、いかに溶け合いながら文化を形成していったか、叙述している。著者は宮廷風文化の中に「異教的なもの」を見出し、教会の中にカトリックを見出す。宮廷と教会というのは言わずと知れた中世ヨーロッパにおける重要なトポスであり、この2つが互いに独立しているのではなく、交わりあいながら存在していたのが中世であった。
クレティアン・ド・トロアを引用しつつ、当時における騎士というのが、異教文化とキリスト教的理念の融合であったということを述べ、この2つの要素の完璧な統合をアッシジの聖フランチェスコの思想の中に見出す。確かにフランチェスコはローマ・カトリックの中世の聖人の中では特異な位置にあるかもしれない。聖ヒエロニムスともスコラ哲学者とも違って、彼は学者的な聖人ではなかった。その信仰は、むしろカトリックよりもオーソドックス・チャーチ寄りだったように思う。
著者は親フランチェスコ的であり、その系譜の下に詩人ウィリアム・ラングランドを置く。ラングランドの『農夫ピアーズの夢』には以下のような箇所がある。
>>
神は、貧しい人の着物をまとい、あるいは巡礼の姿に身をやつして、
貧しい人々のなかに何度となく現われ……
かつては托鉢修道会士の衣に身を包んだかれの姿をみたこともある。
だが、それは遠い昔、聖フランチェスコが生きていた頃のこと。
(257)
<<
中世とは学者の時代ではない。大多数は教養のない民衆であった。そのような民衆の信仰を表現した文学として、著者はラングランドの詩を引用する。確かに中世と言った場合『薔薇の名前』のような学問に励む修道士がいた時代のようなイメージがある。しかし、大多数は字も読めなく、もっと素朴な神への信仰を抱いていたはずなのだ。
クレティアン・ド・トロアを引用しつつ、当時における騎士というのが、異教文化とキリスト教的理念の融合であったということを述べ、この2つの要素の完璧な統合をアッシジの聖フランチェスコの思想の中に見出す。確かにフランチェスコはローマ・カトリックの中世の聖人の中では特異な位置にあるかもしれない。聖ヒエロニムスともスコラ哲学者とも違って、彼は学者的な聖人ではなかった。その信仰は、むしろカトリックよりもオーソドックス・チャーチ寄りだったように思う。
著者は親フランチェスコ的であり、その系譜の下に詩人ウィリアム・ラングランドを置く。ラングランドの『農夫ピアーズの夢』には以下のような箇所がある。
>>
神は、貧しい人の着物をまとい、あるいは巡礼の姿に身をやつして、
貧しい人々のなかに何度となく現われ……
かつては托鉢修道会士の衣に身を包んだかれの姿をみたこともある。
だが、それは遠い昔、聖フランチェスコが生きていた頃のこと。
(257)
<<
中世とは学者の時代ではない。大多数は教養のない民衆であった。そのような民衆の信仰を表現した文学として、著者はラングランドの詩を引用する。確かに中世と言った場合『薔薇の名前』のような学問に励む修道士がいた時代のようなイメージがある。しかし、大多数は字も読めなく、もっと素朴な神への信仰を抱いていたはずなのだ。