日本人最高のIQ188という記録を持つ太田三砂貴さん

その来し方をたどって

現代ビジネス編集部

挑戦と幾度の迷走を経て

高校時代も、中学の頃と同じように、自分の興味に対して正直で、型にとらわれない生徒だった。授業中にふと抜け出しては、大学範囲の専門的な内容を独学で学んでいたという。その自由奔放な学び方は、時に教師を驚かせ、時に理解されなかったが、彼にとってはそれが最も自然な学習のかたちだった。

結局、高校は出席日数ぎりぎりで卒業することになる。その後、大学には進まず、プログラミングの専門学校へ進学した。しかし、四年間で学ぶ内容を一年でほぼ習得してしまい、次第に授業に意味を見いだせなくなって、最終的には退学することになった。

「独学でも学べる内容に、なぜお金を払う必要があるのか――そう感じたときには、もう続けることができなくなっていました。そこで学校を辞め、プログラミングの力を活かせる仕事を探し始めたのです。

当時の私はまだ若く、実力さえあれば評価してもらえると本気で信じていました。しかし現実はそう甘くはなく、学歴がないという理由で門前払いを受けることがほとんどでした。そうした経緯から、最終的にスマートフォンのトラブル対応を行うコールセンターで働くことになりました。

最初はあくまで一時的な仕事のつもりでしたが、次第に例のごとく熱中しはじめていきました。興味を引かれたのは、スマートフォンのエラーやバグの原因でした。同じ症状でも原因が一つとは限らず、毎回異なその非自明さが面白くて、気づけば自分で複数の機種を購入し、わざとバグを起こしては修復する――そんな実験を繰り返していました。

そうした姿勢が評価され、いつの間にか職場で“問題解決率が最も高いオペレーター”として認められるようになっていました。一年ほど働いて資金が貯まったところで、自分を試す意味も込めてアメリカへの渡航を決心しました。十分な資金があったわけではありませんが、観光ビザという最小限の条件でどこまでやれるか、自分自身を実験してみたかったのです」

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しかし太田さんは続けて、こうも話す。

「しかしながら『実力主義の国』といわれるアメリカでも、やはり最低限の条件として学歴の壁があり、結局のところ日本と同じ問題に突き当たりました。それなら、いま自分にできることから始めようと思い、現地で活動を始めました。

地域でボランティア的に開かれていた無料の英語教室に毎日通ったり、近くにあったミシガン大学の講義に勝手に参加してみたりと、可能な限りできる努力をする方法を模索し始めたのです」

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