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閑話・・・・月に思う


 昨夜(12月5日の夜)は満月だったようである。
 深夜、何気なく外を見やると、樹々の陰が、うす青くくっきりと地面に映し出されている。風はない。地面が白く光っているのは霜が降りているからだろう。澄んだ藍色の空の真上深くに月は輝いていた。
 宮沢賢治の詩を思い出した。「月天子」という上掲の詩である。

 宮沢賢治が、天文や地質や気象、生物・・など自然科学に堪能(かんのう・たんのう)だったことはつとに有名である。けれども、そこで得られる「科学的知識」だけでものごとを割り切ってみる観方を、彼は心底から嫌っていた。
 「春と修羅」にも次の一節がある。
  ・・・
  けだしわれわれがわれわれの感官を感じ
  やがては風景や人物を信じるやうに
  そしてただ共通に信じるだけであるやうに
  記録や歴史あるいは地史といふものも
  それのいろいろの論料といっしょに
  (因果の時空的制約のもとに)
  われわれが信じているのにすぎません
  ・・・
    註 論料には データ とルビがふってある。

 彼は、一編の作品を完成させるまで、何度も推敲を重ね、ときには作品名も変ることがしばしばある。
 「グスコーブドリの伝記」(昭和7年:1932年発表)という名で知られる童話にも、「グスコンブドリの伝記」という母型がある。
 ある一節を、両者で比較してみよう。それはブドリが火山局の技師に初めて会う場面で、技師(博士)が彼に語ったことば。

「グスコーブドリの伝記」
 ・・・
 ここの仕事は、去年からはじまったばかりですが、じつに責任のあるもので、それに半分はいつ噴火するかわからない火山の上で仕事するものなのです。それに火山の癖といふものは、なかなか学問でわかることではないのです。われわれはこれからよほどしっかりやらなければならんのです。・・・

「グスコンブドリの伝記」
 ・・・
 ここの仕事といふものはそれはじつに責任のあるもので半分はいつ噴火するかわからない火山の上で仕事するものなのです。それに火山の癖といふものはなかなかわかることではないのです。むしろさういふことになると鋭いそして濁らない感覚をもった人がわかるだけなのです。たださういふ感覚をもった人がわかるだけなのです。私はもう火山の仕事は四十年もして居りましてまあイーハトーヴ一番の火山学者とか何とか云はれて居りますがいつ爆発するかどっちへ爆発するかいふことになるとそんなにはきはき云へないのです。そこでこれからの仕事はあなたは直観で私は学問と経験で、あなたは命をかけて、わたくしは命を大事にして共にこのイーハトーヴのためにはたらくものなのです。・・・

 どういう理由で変えたのかはよく分からないが、「グスコンブドリ・・」で彼が書いた内容の方が、きっと彼の率直な思いだったのではないだろうか。


 おそらく、今、小学校の高学年生に、太陽と地球の関係を問うと、多分全員が、地球が太陽のまわりを回っていると答えるだろう(大人はどうだ?)。彼らは「科学的」なのだろうか。私の答は否。太陽が地球のまわりを回っていると答える子どもの方の感性を私は信じる。第一、大人だって、今でも「日の出」「日の入」ということばを使っているではないか。
 「科学的事実を知っている」ことと、「分かっていること」とは、まったく違うことなのだ。 
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