- 「サードマン現象(第三の男現象)」とは、登山での遭難や極地探検、災害時など、極度のストレスや生命の危機にさらされた人が、「実際にはその場にいないはずの誰か(仲間や導き手のような存在)が、すぐそばにいて助けてくれている」と強く感じる、不思議な心理現象のことです。
- この名前は、南極探検家アーネスト・シャクルトンが、3人での決死の山越えの際に「常に4人目の仲間がいるような気がした」と報告したことに由来すると言われています(ただし、彼自身が「サードマン」と呼んだわけではありません)。
- 登山家、単独飛行士、宇宙飛行士、災害の生存者など、世界中で多くの人々が同様の「見えない同行者」の体験を報告しています。現れる「誰か」は、多くの場合、姿は見えなくても、励ましてくれたり、慰めてくれたり、時には進むべき道を示唆してくれたりする、ポジティブな存在として感じられます。
- この現象がなぜ起こるのか、完全には解明されていませんが、極限状態における脳機能の一時的な変化(幻覚や錯覚に近いもの)や、厳しい状況を乗り越えようとする心の防御反応、あるいは生き延びるための適応的なメカニズム(孤独感を和らげ、希望を与える)などが原因として考えられています。中には「守護天使」のように感じる人もいます。
想像してみてください。もしあなたが、吹雪の雪山で道に迷い、たった一人で凍えながら絶望の淵に立たされているとしたら。あるいは、広大な海を小さなボートで漂流し、助けが来る当てもなく、心身ともに疲れ果てているとしたら。
そんな極限の、そして孤独な状況の中で、ふと「あれ? すぐそばに誰かいる…?」と感じたら、どう思うでしょうか。しかも、その「誰か」は、あなたを怖がらせるのではなく、むしろ優しく励まし、慰め、そして「大丈夫だ、こっちへ行こう」と導いてくれるような存在だとしたら…?
これは単なる空想の話ではありません。実際に、世界中の探検家や、事故・災害から生還した人々の中から、このような「見えない同行者」の存在を感じたという体験談が、数多く報告されているのです。この不思議な現象は、「サードマン現象(Third man factor / Third man syndrome)」と呼ばれています。
今回は、このミステリアスで、どこか心を惹かれる「サードマン現象」とは一体何なのか、その正体に迫ってみたいと思います。
サードマン現象とは? 見えない同行者
「サードマン現象」とは、簡単に言うと、
人間が、極度の肉体的・精神的なストレスや、生命の危機にさらされた状況下で、実際にはその場に存在しないはずの「誰か」の気配を、すぐそばにリアルに感じ、時にはその存在から助けや導き、慰めを得るという体験
のことを指します。「第三の男(サードマン)」という名前が付いていますが、これは二人でいる時に三人目を感じる、という意味合いから来ており、一人でいる時に二人目を感じる場合や、複数人でいる時にさらに一人多い人数を感じる場合も含まれます。
この「見えない誰か」の現れ方は様々です。
- はっきりと姿が見える場合もあるようですが、多くは漠然とした気配として感じられます。「誰かがすぐ後ろに立っている」「隣を歩いてくれている」といった感覚です。
- 声が聞こえることもあります。それは、具体的な指示やアドバイスであったり、単なる励ましの言葉であったり、「大丈夫だ」という安心させる声であったりします。
- あるいは、姿も声もないけれど、ただ「自分は一人ではない、誰かが見守ってくれている、助けてくれている」という強い確信として体験されることもあります。
そして、この現象の非常に興味深く、そして重要な特徴は、この現れる「サードマン」が、ほとんどの場合、体験者にとって脅威ではなく、むしろ助けとなるポジティブな存在として現れることです。彼らは、絶望的な状況にある人を励まし、慰め、時には具体的なアドバイス(「こっちの道へ進め」「これを食べろ」など)を与え、生き延びるための意志力を奮い立たせてくれる、まるで守護者や導き手のような役割を果たすことが多いのです。
体験した本人にとっては、それが自分の心が生み出した幻覚や錯覚であるとは到底思えず、非常にリアルで、客観的な他者の存在として感じられる、という点も特徴です。
名前の由来:シャクルトンの南極探検
この不思議な現象が「サードマン」という名前で知られるようになった、その由来として最もよく語られるのが、20世紀初頭の偉大なイギリスの南極探検家、サー・アーネスト・シャクルトンの壮絶な体験談です。
彼の名を一躍有名にした帝国南極横断探検(1914年~1917年)は、多くの困難に見舞われました。探検船エンデュアランス号が、南極ウェッデル海の厚い氷に閉じ込められて沈没してしまい、シャクルトンと27人の隊員たちは、氷の上や無人島で絶望的なサバイバル生活を強いられます。
隊員全員を生還させるため、シャクルトンは5人の仲間と共に、救助を求めるため、約1,300キロメートルもの荒れ狂う南極海を、わずか6.7メートルの救命ボートで横断するという、信じられないような航海に挑み、奇跡的にサウスジョージア島にたどり着きました。
しかし、試練はまだ終わりませんでした。彼らがたどり着いたのは島の無人の南岸であり、助けを求めるためには、島の反対側にある捕鯨基地まで、誰も越えたことのない、氷河とクレバス(氷の裂け目)に覆われた険しい山脈を、装備も食料も不十分なまま踏破しなければならなかったのです。シャクルトンは、比較的元気だった2人の隊員(フランク・ワースリーとトム・クリーン)を選び、合計3人でこの最後の、そして最も過酷な行程に挑みました。
36時間にも及ぶ不眠不休の、文字通り死と隣り合わせの山越えの末、彼らは奇跡的に捕鯨基地にたどり着き、最終的に全ての隊員を救出することに成功します。
シャクルトンは、後にこの探検記の中で、このサウスジョージア島での3人での山越えについて、次のように書き残しています。
我々が3人でサウスジョージアを横断したあの36時間、私にはしばしば、我々のパーティーにはもう一人、4人目の仲間がいるような気がしてならなかった。 (it often seemed to me that we were four, not three)
彼は、他の二人の隊員にもこの感覚について尋ねたところ、彼らも同様に「誰かもう一人いる」と感じていた、と記しています。この、極限状況下で「見えない4人目の仲間」に支えられていた、というシャクルトンの報告は、非常に有名になり、この種の体験を象徴するものとなりました。そして、後にこの現象が「サードマン・ファクター(第三の男要因)」あるいは「サードマン・シンドローム(第三の男症候群)」と呼ばれるようになったのです。(ただし、シャクルトン自身が「サードマン」という言葉を使ったわけではなく、この名称が定着したのは、ジョン・ガイガーなどの研究者による後年の著作の影響が大きいとされています。)
誰が体験する? 世界中の報告例
シャクルトンのような特別な探検家だけでなく、サードマン現象は、古今東西、様々な分野で、極限的な状況を生き延びた人々によって報告されています。
登山家
エベレストのような世界最高峰の登山や、厳しい冬山登山など、極度の疲労、睡眠不足、低酸素状態、そして死の恐怖にさらされる中で、「誰かが背中を押してくれた」「見えないパートナーが一緒にザイル(ロープ)を引いてくれた」「正しいルートを教えてくれた」といった体験をする登山家は少なくありません。(例:単独でナンガ・パルバット登頂後に弟を失い、幻覚を見ながら下山したラインホルト・メスナー、アンデスで遭難し、瀕死の状態から生還したジョー・シンプソン<映画『運命を分けたザイル』の原作>など。)
単独飛行士や単独航海者
大洋や大陸を一人で横断するような、長期間にわたる極度の孤独と感覚遮断、そして睡眠不足といった状況下で、「コックピットや船室に誰かの気配を感じた」「励ましの声が聞こえた」「危険を知らせてくれた」といった体験をする人々がいます。(例:1927年に史上初の単独無着陸大西洋横断飛行を成し遂げたチャールズ・リンドバーグも、33時間半に及ぶ孤独な飛行中に、機内に複数の「とりとめのない姿の存在」が現れ、自分と会話をし、眠らないように助けてくれた、と後に語っています。)
宇宙飛行士
広大で静寂な宇宙空間でのミッション中、特に船外活動(宇宙遊泳)などで、地球や他の乗組員から隔絶された孤独感やストレスの中で、同様の「見えない存在」を感じた、という報告もいくつかあるようです。
遭難者や生存者
船が難破して救命ボートで漂流した人、地震や鉱山事故で瓦礫の下に閉じ込められた人、戦争で捕虜となり過酷な状況に置かれた人などからも、絶望的な状況の中で、誰かの励ましや導きによって生き延びることができた、という証言が数多く記録されています。
災害やテロ事件の生存者
近年では、2001年9月11日にアメリカで発生した同時多発テロ事件の際、崩壊する世界貿易センタービルの階段を必死で下りていた生存者の中にも、「暗闇の中で誰かの手に引かれて出口まで導かれた」「諦めかけた時に、誰かの励ます声が聞こえて生きる気力が湧いた」といった、まさにサードマン現象としか思えない体験を語る人々がいたことが報告されています。
このように、サードマン現象は、特定の状況や人物に限らず、人間が生命の危機や極度のストレスに直面した際に、普遍的に起こりうる現象であると考えられています。
なぜ起こる? 考えられるメカニズム
では、この不思議で、時には命を救う力にもなる「サードマン現象」は、一体どのようなメカニズムで起こるのでしょうか? その原因については、まだ科学的に完全に解明されたわけではありませんが、心理学、生理学、脳科学などの分野から、いくつかの有力な説明が試みられています。
【説明1】脳が生み出す幻覚・錯覚?
最もシンプルな説明としては、これが一種の幻覚や錯覚である、という考え方です。極度の疲労、睡眠不足、低酸素状態(高山など)、低体温、脱水、飢餓、あるいは極度の恐怖やストレスといった要因は、私たちの脳の正常な情報処理能力に影響を与え、現実には存在しないものを見たり、聞いたり、感じたりする「幻覚」を引き起こす可能性があります。特に、人の気配や存在感を感じるタイプの幻覚(体感幻覚)は、こうした状況下で起こりやすいのかもしれません。
【説明2】心を守るための防御反応?
心理学的な観点からは、サードマン現象は、あまりにも過酷で受け入れがたい現実に直面した際に、心が自分自身を守るために作り出す「防衛機制」の一種ではないか、と考えられています。例えば、耐え難いストレスから一時的に現実感を失ったり(解離)、自分の一部があたかも別の存在であるかのように感じられたりする現象と関連があるかもしれません。あるいは、孤独や絶望感に対抗するために、無意識のうちに「理想的な助け手」のイメージを心の中に投影し、それがリアルな存在感を伴って現れる、という可能性も考えられます。
【説明3】生き延びるための「心の杖」?
サードマン現象が、多くの場合、体験者を助け、励ます「ポジティブ」な役割を果たすことに注目する考え方もあります。つまり、これは単なる脳の誤作動や心の病理ではなく、むしろ絶望的な状況を乗り越え、生き延びるための確率を高めようとする、人間の脳が持つ驚くべき「適応的な対処(コーピング)メカニズム」なのではないか、という解釈です。孤独感を和らげ、希望を失わせず、冷静な判断や行動を促す「内なる声」あるいは「架空の仲間」を、脳が自ら生み出すことで、生存への意志力を支えようとしているのかもしれません。
【説明4】脳の特定の場所の働き?
近年の脳科学の研究では、私たちの脳の中で、自分自身の身体が空間のどこにあるかを感じたり、自分と他者を区別したりする働きに関わっているとされる特定の領域(例えば、頭頂葉にある「右角回(Right angular gyrus)」など)の活動が、サードマン現象の発生に関与しているのではないか、という可能性が探求されています。極限状態における脳機能の変化が、一時的に自己と他者の境界感覚を曖昧にし、「もう一人の自分」あるいは「見えない他者」の存在感を生み出すのではないか、という仮説です。
【説明5】スピリチュアルな体験?
もちろん、科学的な説明だけでは割り切れないと感じる人もいるでしょう。体験者自身の中には、この不思議な助け手の存在を、守護天使、神様の導き、亡くなった愛する人の霊、あるいは自然界の精霊といった、スピリチュアル(霊的)あるいは宗教的な次元のものとして深く信じ、感謝している人々も少なくありません。科学がまだ解明できていない、人知を超えた何かが働いている可能性を完全に否定することはできません。
おそらく、サードマン現象の「真実」は、これらの要因のどれか一つだけではなく、状況や個人によって、心理的、生理的、神経科学的、そして時には文化・宗教的な要因が複雑に絡み合って現れる、非常に多層的な現象なのでしょう。
まとめ:極限状態が映し出す心の不思議
雪山での遭難、荒海での漂流、広漠とした砂漠での迷子、暗黒の宇宙空間での孤独、そして突然襲いかかる災害や事故の現場…。人生における想像を絶するような極限状況の中で、ふと、まるで奇跡のように現れるという「見えない同行者」、サードマン。
それが、私たちの脳が生存のために見せる巧妙なトリックなのか、心が張り裂けそうになるのを防ぐための防御壁なのか、それとも本当に人知を超えた「何か」からのメッセージなのか、その最終的な答えはまだ出ていません。
しかし、一つ確かなことは、このミステリアスな「サードマン現象」が、絶望の淵に立たされた多くの人々にとって、生きる希望の光となり、困難を乗り越えるための大きな精神的な支えとなってきた、という感動的な事実です。
サードマン現象は、私たちが日常では決して垣間見ることのできない、人間の精神の奥深さ、その驚くべき強靭さ、そして極限状態において私たちの心と体が示す、不思議で力強い適応能力について、多くを教えてくれる、非常に興味深く、そして考えさせられるテーマと言えるでしょう。あなたの周りにも、もしかしたら、人知れず「サードマン」に支えられた経験を持つ人がいるかもしれません。
※本記事では英語版も参考にしました
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