君に会うために生きている。
京都在住の女性W様から「一緒に比叡山に登りませんか。楽しいことはたくさんあるけれど、私の幸せは一つしかありません。それは坂爪さんと共に生きることです。宇宙とか化石とかの中に、いつも君を探しています。正しいとか正しくないとかじゃない、生きてるんだ」とご連絡をいただいた。私の正しい使い方である。W様から「これで生き延びてください」とどんぐりをいただいた。数年前、W様から椎の実は生のまま食べられることを学んだ。縄文時代、どんぐりを集めるのは女性たちの仕事だった。W様の職業は生物学者だ。
ロープウェーで比叡山に登ったら、駅にジブリの音楽が流れていた。時折「ジブリ映画では何が好きですか?」と聞かれるが、なんでジブリを好きなことが前提になっているのだと思う。嫌いではないが、観光地や飲食店などでジブリの音楽が流れていると「ジブリの音楽を流しておけばいいと思うのは安易だ」的な気持ちになり、耳を塞ぎたくなる。ジブリの音楽が聞こえないところまで逃げて、よし、ここならもう音楽は聞こえないなと思ったところで、ジブリの音楽を鼻歌で歌った。聞かされたり歌わされたりするのは嫌だが、内発的に、自分から歌うのは好きだと言ったら「そういうところが好きなんです」とW様に言われた。
W様は目的が明確なので、三十分ほど山頂を堪能したら「満足したので帰りましょう」と言った。せっかく来たのだから延暦寺まで向かおうとか、せっかく呼び出したのだから自分にとってヒントになりそうな話を聞き出そうとか、そう言うことをしない。見返りではなく、一緒にいられる時間を最大の報酬としている。私と同じだ。熱海の家の玄関に、鳥の餌箱を設置してある。日中、無数の雀が来る。雀が来るのは、私が好きだからではなく、餌が好きだからだ。餌がなければ来ない。餌があるから、私の家に来る。それでまったく問題はない。餌がある間だけは、雀を間近で見ることができる。生きている姿を見ることができる。
私にとっての愛は、雀に向けられているものと同じだ。人間の女性に対しても「これだけのことをしたのだから、お前も何かしろ」とは思わない。自分に餌がある限りは一緒にいることができて、餌がなくなれば相手は離れる。一番の幸せは「その人が生きている姿を見させてもらえること」であり、自分に懐いて欲しいとか、自分のことを好きになって欲しいとか、ない。餌があるから来る雀の、現金さが好きだ。餌がなくなった途端に飛び去る雀の、素直さが好きだ。雀と一緒にいたいと思うから、せっせと餌を集めて、餌箱に置く。雀と女性は似ているなと思う。その人が生きている姿を見せてくれることが、最高の報酬になる。
なんのために生きているのですかとか、なんのためにこんな生き方をしているのですかと聞かれることがある。聞かれた時は「君に会うためだよ」と答えるようにしている。俺の辞書にはアイラブユーしかない。やることなすこと全部がアイラブユーに変換される。これほど楽な生き方はない。俺の遺書にもアイラブユーしかない。アイラブユー以外に言いたいことはない。だから、遺書は書き終わっている。実は私には裏アカがあって、裏アカの辞書にはアイルビーバックしかない。裏アカの遺書にもアイルビーバックしかない。俺を殺してもまた別の俺が、似た顔で現れるだろう。なんのために生きるかなんて、君に会うためでいいではないか。出会おう。混ざろう。爆発しよう。私たちは、恋と革命のために生まれてきたのだ。
おおまかな予定
11月5日(水)兵庫県神戸市界隈
以降、FREE!(呼ばれた場所に行きます)
連絡先・坂爪圭吾
LINE ID ibaya
keigosakatsume@gmail.com
SCHEDULE https://tinyurl.com/2y6ch66z
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ばっちこい人類!!うおおおおおおおおお!!


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