暗い、暗い、真っ暗な場所。
なんにもないのに、声だけ聞こえる。
怖い、こわい…
どうしてそんなに、僕を呼ぶの
…ねえ、やめてよ
やめてくれ
僕を、呼ばないで。
苦しいから、いたいから
もう、動けないから。
なんにも、言わないで…
ひとりで、いさせて…
…もう、つかれたよ。
…嫌な夢だったな。
今日が休みでよかったと、しみじみ思った。
きっと、今の僕は
酷い顔をしているだろうから。
…土曜日だからか、少し寝すぎたらしい。
枕元の時計は、9時過ぎを指していた。
…まぁ、寝すぎたとは言ったものの
意外にそうでもないのだが。
元来、僕は寝つきが悪く
眠れても0時は過ぎるし、夜中にぱちぱち目が覚める。
こうやって、悪夢で目が覚めることも珍しくない。
…先生や他人には誤魔化しているので
睡眠時間が6時間以下、なんてことは
ほとんど誰も知らないのだけれど。
そうは言ったものの、今は人に会いたい気分ではない。
…でも、ゾーヤには会いたい。
困ったな…二律背反だ…
矛盾した思いに頭を悩ませながら
起き上がって、ベットの縁に座った。
…一応、起きようとか着替えようという気はある。
体が動く気を起こしてくれないだけで。
…………
ぱっぱとお手洗いをすまし
ちゃっちゃと手を洗って部屋に戻った。
…空気が冷たいせいで、ほんの少しだけ手が痛くなった。
そんなことを考えていたら、こんこんと
ドアをノックする音が聞こえた。
…驚いて2cmくらい跳ねた。
だけど、誰かは見当がついている。
むしろ、だからこそ驚いたのかもしれない。
僕の家にサラッと入ってこれるのは
ゾーヤくらいだし
なにより、うちの人達は
僕の部屋に入るためにノックなんかしない。
…別に、だめという訳では無いが。
そう言えば、ガチャリとドアが開かれて
ゾーヤが部屋に入ってくる。
…バレていたとは。
一応、色々考えて立ち回っていたのだが
……バレたら恥ずかしいので。
ゾーヤには全部お見通しらしい。
流石の洞察力である。
見抜かれそうになった衝撃で、一瞬言葉に詰まる。
けれど、すぐに薄く笑いを浮かべて返事をした。
こういう道化は、僕の得意分野だ。
…隠すことだけは、歳が上がるごとに上手くなっていく。
嘘をつくのは苦手だが、これだけはできるのだ。
…いつの間にか、必要になっていったから。
急いでカーテンを開けようとして
ベットの縁から降りようとする。
それと同時に、ゾーヤが優しく僕の腕を掴んだ。
…ゾーヤの目が、暗さに慣れてきてしまったのだろう。
隠したかったけれど、バレてしまった。
他の人なら、大抵これで誤魔化せるのにな。
…ゾーヤはやっぱり、よく見てるなぁ…
…ゾーヤが笑顔のままで問い詰めてくる。
怒ってはいない。
でも多分、今嘘をつくと怒られるだろうな…と思った。
…この際だから、意を決してきちんと白状した。
ゾーヤは少し驚いた後、
まるで僕を咎めるかのように目を細めた。
怒り、というよりかは、心配、という感じの咎めだ。
とても申し訳なく思う…
…確かに。
保育園では、特に眠れない。
ゾーヤが隣にいてくれても
一番最後に寝て、一番最初に起きるくらいだ。
…ゾーヤがいなかったら、僕にとってあの時間は
眠れもしないまま、ただ目を瞑って過ごす
無機質で、何もない時間になるだろう。
……恐ろしいな…
ゾーヤがすとん、と僕の横に座る。
そうして、いつもみたいに
そっと手を握ってくれた。
…いつもと違って、僕の方が冷えていたから
ゾーヤの手が暖かかった。
縋るように、願うように
小さな声で、ゾーヤがそう言う。
…ひとりで、なんとかできるように。
ずっと、そう思ってきた。
僕は、誰かとずっと一緒にはいられないから。
誰かを、傷付けて
誰かに、避けられて
誰かに、嫌われて。
…変だって、分からないって
そう、言われちゃうから。
ふと、夢がフラッシュバックする。
…追憶、虚無。
あぁ…嫌だ、いやだ…
ゾーヤには、そんな風に言われたくない。
思われたくない。
本当は、分かってる。
ゾーヤはきっと、そんなこと言わない。
そんな風に、突き放したりしない。
…分かってる、分かってる、けど
こわいんだ…
…こわい、こわいこわいこわい、こわい…!
きらわれたくない…そばにいたい…
おいて、いかれたくない…
ゾーヤには、ゾーヤだけには…
…あれ…?手がいたい。
あ、服を握りしめてるからか…
…しわ、酷くなっちゃうな。
ゾーヤが、僕の背中をさすってくれる。
慌てているけれど、慣れた感じで
とても落ち着いていた。
…僕と関わる上で自然と身に付いたのだろうな
なんて、他人事の様に考えた。
…少しずつ、呼吸が元に戻る。
頭が冷静になって、その分だけ
身に余る大きさの不安が、僕を押し潰しそうだった。
ゾーヤは、僕のうわ言のようなものに
きちんと返事を返してくれる。
…驚いているはずなのだ。
なんの説明も受けていないのだから。
それなのに、とても落ち着いた優しい声で
僕と会話をしてくれる。
…優しいなぁ。
ゾーヤが優しく、僕の頭を撫でる。
慣れない感覚だけど、妙に安心した。
衝撃的な言葉に、思考回路が働かなくなった。
…はて…?
みんなは、分からないって
変だって、そう言ってたけど。
ゾーヤは、分かってくれる。
…僕を、そのままで見てくれるから
こんな僕にも、好きって言ってくれるんだな。
身に余る大きさの不安が、身に余る幸福で消えていく。
…いいのかなぁ、幸せでも。
好きになっても、そばにいても。
…誰かを、傷付けるような僕が。
誰とも、分かり合えない僕が。
…でも、せめて
だからこそ
ゾーヤのことは、ちゃんと
ちゃんと、取りこぼさずに
理解できるように、いたいな。
…安心したら、少しだけ
眠たくなってきた、な。
ごしごしと目を擦る。
…あんまり眠さは覚めなかった。
ゾーヤは少し考えるような顔をした後
僕の手を少し引いて、ベッドに寝転んだ。
…ちょっとびっくりした……ちょっとだけね。
そんな風に、楽しそうに笑われて
かわいい、なんて言われたら
なんにも言えないじゃないか…
ずるい…こういう時のゾーヤは、カナタとヒナタみたいだ。
…嬉しそうだし、楽しそうだから
別にいいけど。
ゾーヤが優しく目を細めて笑った。
…あぁ、綺麗な
やさしい、お月様みたいだ。
いい夢、見れそうだな
なんて思いながら、目を閉じた。
…夢の中でも、一緒にいられますように。
編集部コメント
依頼人の悩みや不安に向き合うカウンセラーという立場の主人公が見せる慈愛にも似た優しい共感と、その裏にひそむほの暗い闇。いわゆる正義ではないものの、譲れない己の信念のために動く彼の姿は一本筋が通っていて、抗いがたい魅力がありました!