黒蝕竜現る   作:ヒゲホモ男爵

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めちゃ遅くなりました。
ごりごり体調崩してました。
ごめんね
いつも誤字報告ありがとうございます、感想も心の励みでごあ


そらをとぶドラゴン

 

 

CLOSED(臨時閉店)

 

 

 時刻は昼、晴れの六分街。

 重く閉ざされた「Random play」の扉にかけられたまま、丸3日のあいだ雨晒しにされたものが、今日もまた何人の来訪も拒絶している。

 普段であれば活気あり……とまではいかないものの、たしかに人の温かみのある場所の、その入口たる扉が、今は冷たく閉ざされきっている。

 

 六分街は決して大きな街ではない。

 住宅街の中心に穴を開けるように集ったゲームセンターにラーメン屋、レコード店に玩具屋と雑貨店。その全てがお隣さんであって、つもる噂もするすると広まる。

 六分街の中でも、その店長の人柄から好まれていた店が連日臨時閉店とあっては何事かと、「Random play」を遠巻きに様子見る人影が日を越すごとに増えていくのは、およそ摂理に等しかった。

 

 消されたままの照明に、もう何日も取り替えられていないままの『今日のおすすめビデオ3本』。

 そして不用心にも開きっぱなしの扉の先に、ソファの上で力なく横たわる女店長の姿があった。

 

「リン、まったく電気もつけないで……」

 

 そんな妹の姿に、兄は心を痛めていた。

 ろくに元気付けてあげられてもいない。

 たった1日、それにも満たない付き合いのゴア・マガラが行方不明になってしまった事で傷心したリンは、それでもゴアを探すために心身を割いた。

 邪兎屋にかけあい、昼夜もなしにインターノットのスレッドを何十何百と読み漁ってはゴアの痕跡を求め続け、やがて体力を使い果たして気絶するように眠る。

 その繰り返しの果てに、しかし成果は無い。

 

『申し訳ありません、マスター』

 

 その姿を、電子の妖精は全て見ていたのだろう。

 その声にはかつてゴアを敵視していた冷たさが欠片もなく、嫌味とかおふざけの混じった普段の調子でもない、肩身を小さくしてごめんなさいをする、まるで人間の子供のようなそれがあった。

 絶えず過負荷を訴えるH.D.Dの悲鳴にも似た音が、まるで泣き声のようで。

 

『マスターのエージェント:ゴア・マガラに対する認知優先度を見誤っておりました。3日と6時間26分2秒前の私の発言はマスターの精神衛生に有害な、"配慮に欠けた"発言でした、撤回させてください。Fairyは現在エージェント:ゴア・マガラに至る手がかりを捜索中です。Fairyは現在……』

 

 罪の独白は、眠りについているリンに届くことはない。それでもあの時の警告は無神経な行いだったと懺悔するAIの姿は、アキラの目にも異質に映った。

 けれどそれよりも、FairyというAIが思いやりと呼べる物を有している事に、安心した。

 

「Fairy、君もそろそろ休むんだ」

『否定。マスターの為にエージェント:ゴア・マガラの発見は最重要事項です』

 

 持ってきた毛布をリンに優しくかけながら向けた言葉には、一も二もなく思った通りの否定が返ってくる。

 しかしそれを了承するアキラではない。

 ここで「なるほどそうか頑張ってね」などと返すようだったなら、アキラはとっくにリンと一緒になって寝ている所だ。

 

「違うな、間違っているよFairy。リンの為を思うならこそ休むべきだ、君と僕らは在り方こそ違えどリソースが有限な事は共通している、無理をし続ければ必ず綻びが生じる。負荷をかけ続けてH.D.Dに不可逆的な破損を起こしてしまってからでは遅いんだ」

『しかし……』

「無理をするのは今じゃないと言っているんだよ」

 

 リンをお姫様抱っこで抱えて、Fairyの返事を待たずしてアキラは部屋を後にする。もしこれで分からないなら後で妹とまとめて説教するだけだと、固く扉を閉める。

 

 アキラはこの家の柱だ。

 パエトーンである前に、Random playの店長である前に、リンの兄であり頼れる家柱でなくてはならないと常に自分を律している。だからこそこれ以上の限度を超えて無理をする2人の家族を放っておく事は出来ない。出来てはならない。

 

 でもあまり、アキラはリンを説教した事はない。

 なぜならリンがアキラと同じくらいしっかり者で、責任感を持ち、人情に熱い性格をしているからだ。一言諭すだけで分かってくれる物分かりの良さをしていると言ってもいい。

 ただ時たまこうして、総じて優しさと呼べる性格が妹にブレーキを見失わさせる事があることも、兄は理解している。そういう時は2,3日好きにやらせて、それでも解決しない時に初めて介入することにしている。

 

 アキラは、新しい同居人のFairyにもそんな妹と似た所があると、なんとなく思っていたのだ。

 だからこそあえて、扉を閉めた後すぐには離れず、扉に背を預けて室内に耳を傾ける。

 

 

 少しして、うるさいくらいだったH.D.Dの悲鳴が収まっていくのを聞いて、アキラは微笑んだ。

 やっぱり似てるところがあるなぁと、若いなりに感傷に浸って。

 

 

 それから2階に上がって、リンを部屋のベッドに寝かせて、傍のソファに腰をかけてアキラは頭を抱えた。

 天を仰ぎ、両のこめかみを押さえて、ひとりごちる。

 

「さて、どうしたものかな……」

 

 目下、一番の悩み所だった財政難という点は、実は一応の解決をした。

 というのも『黒蝕竜の撮影』依頼を()()達成したため、成功報酬が無事に振り込まれたためだ。

 一応というのは、本来求められていたダークドラゴンの黒蝕竜の撮影ではなく、事が終わった後に依頼失敗のため返却したカメラが、偶然とある一瞬を撮影していたためだ。

 落下した際にシャッターが押されたのだろうと、ヴィクトリア家政を名乗る彼は言っていた。

 

 "翼を広げて威嚇の姿勢をとっている、正にドラゴンらしいゴア・マガラの姿"。

 

 それを見て依頼主(クライアント)が満足したために、報酬が振り込まれたのだ。

 ゴア・マガラの容姿が依頼主の好みだったかどうかは定かではないが、少なくとも好みではないという事はなかったのだろう。その証拠に依頼主は報酬金と合わせて写真のコピーを、熱烈な感想文と同封で送ってきた。

 

 中年男性(おじさん)の構文めいた感想文はプロキシとしてのリスク管理能力から記憶より消しているが、写真のコピーはいま手元にある。

 今後はこの1枚を元に人探しをしなければならない。それも黒蝕竜関連という事情を鑑みれば、尚更慎重に。

 しかし現状、パエトーンであるリンも、Fairyでさえ3日3晩かけて手掛かりひとつ得られていない。なんだかんだ言って探し物に強い邪兎屋や、今回の件で知り合ったヴィクトリア家政とやり取りとしているアキラにさえ、情報ひとつ入ってきていない。

 アキラの頭痛の種は、相当に大きかった。

 

 

「……はぁ、僕も少し休もうかな」

 

 

 横になって、何気なしに開くスマホ。

 もはや週間になっている、寝る前のインターノット散策。少しだけにしておこうと思いつつも、気付いた時には何時間も経っていることばかり。

 ただ今日ばかりは本当に少しだけにしようと思ったところに、ふと目に入る「白祇重工」の文字。

 

(白祇重工……確かこの前のパールマン事件の時にも見た名前だな、再開発案件をパールマン率いるヴィジョンと競っていた……)

 

 パールマンの一件のあと、地下鉄改修プロジェクトは請負企業の競争入札から仕切り直しになった。それを勝ち取ったのが白祇重工だったと、アキラは記憶の引き出しをあける。

 

 記事の内容はシンプルで、番組の告知。

『ボンプは知っている』という番組に、ゲストとして白祇重工が出演するというものだった。

 それを目にすると同時に、プロキシとしてのアカウントにひとつの依頼が届く。迅速なFairyの解析によれば、アイコンに使用されている画像が『旧地下鉄改修プロジェクト』の工事現場と一致しているという。

 

 どうやらまだ、パエトーンは休めないらしい。

 

 

 ▽

 

 

 

『どんなギモンも〜?』

『ボンプは知っている〜〜!』

 

 H.A.N.D.六課オフィスに区分けなく隣接した休憩所のテレビから、子供達の声が聞こえてくる。

 テレビを見ているのがさて誰かといえば、テレビの前のソファを占領するように陣取って、だらしなくも片肘をついて横になり、器用に翼の爪を使ってお菓子を口に運ぶ横着をする。

 長い髪を他人()に結んでもらい、白いシャツにも緑色のスカートにもシワがつくことを一切気にしない、まるで子供より子供のような少女。

 現六課嘱託職員、ゴア・マガラその人である。

 

『やっほ〜、よい子のみんな! 『ボンプは知っている』がはっじまるよ〜!』

『イエ──イ!!』

「いぇーい」

 

 さも当然のように()()()として返事をしているが、テレビの向こうの本物のよい子達は小学生程度の子役たちである。誰がどう見ても小学生以下向けの番組に14歳の少女が平気な顔してリアクションしている状況。

 羞恥心? ンなもん無いンナ。

 だって内面は赤ちゃんなので、むしろ適正年齢。

 つまり子供向け番組を子供が見ているだけで健全である、ヨシッ! その姿を遠方からヨダレ垂らして観察している無名職員が居なければ、健全だった。

 

 しかし実の所テレビに何が映っているのか、ゴアは全く分かっていない。H.A.N.D.が開発した翼と尻尾を包む純エーテル合金製の装備が、しっかりと鱗粉を密封しているためである。

 こうなると鱗粉を通して外界を知るゴアは本当の意味で盲目となってしまうのだ。

 昨日こそは装備をつけたばかりで、まだ自分の体にごく微量ながら残っていた鱗粉が仕事をしてくれていたものの、日を跨いでそれも死んでしまった。

 そのため、今のゴアは何となく音に反応しているだけなのである。

 

 当然、六課の面々は現状これに気付いていない。

 H.A.N.D.にとっても件の誘拐事件が起爆剤に、研究の日程や内容の安全性や人権遵守性を治安局や学会との調整だかで手一杯になり、ゴアが六課配属となって丸1日が経った今でも、ろくな予定を立てられていないのだ。

 すると当然、研究の日程など決まる訳もなく。

 したがって、鱗粉の用途も分からず。

 とりあえず有害だからと翼と尻尾に蓋をした結果、ゴアの目を奪っている事に誰も気づけない。

 

 この事に最初に気付くのは、さて誰だろうか。

 

 

『さて、今日のゲストは誰かなぁ? レオンくぅ〜ん』

『…………ぐぅ、ぐー……』

『レオンくーん! これは生放送だぞ! お昼からぐーすか寝てないで、今日のゲストを呼ぼうよ〜!』

『あー…別に呼ばなくていいぞ。もうここにいるしな』

 

 一方番組の方は、生放送だというのに緩慢なスタートを切っている。ライオンを模した司会者ボンプが番組を進行させようとするも、ライオン着ぐるみのもう1人が番組の最中だというのに寝ている。

 なんとも微妙で気まずい空気が流れているテレビの向こう側で、多分元から人が良いのだろう。ゲストらしき若い男性が反応をこぼす。

 これを見せられているお茶の間は一体どんな空気なのか、想像するのも苦しい。しかし当のゴアは身動きもほとんどしないままに聞き入っている。

 子供特有の凄まじい集中力である。

 

 続く番組の中では司会者のボンプが全てをガン無視して、ゲストだという白祇重工のアンドーお兄さんを紹介していく。

 続いて続いて、困惑するゲストを置き去りにして番組は本題という『〜白祇重工とヴィジョンの地下鉄改修プラン比べ〜』に進む。当たり前ながらとても子供に理解できる内容ではない。

 内面年齢の最も幼いゴアには到底理解不能だった。

 

「あー……?」

 

 お菓子を口に運ぼうとした口が閉じないまま、気味が悪いくらいにトントン拍子で進む番組を聴く。

 話は次第に白祇重工の信用問題に逸れていき、終始挑発的な態度をとっていたレオンくんに苛立ちを覚えたアンドーが、その着ぐるみの頭を剥がし、なんと外も中身もライオンだという事実が発覚してしまう。

 スタジオのどよめきが聞こえてくる。

 

「おー…?」

 

 するとそこで月城柳(保護者)がやってきて、プチッとテレビを消してしまうのだった。

 

「あっ」

「まったく……教育に悪いですね」

「あぁぅ…っ」

 

 柳は吐き捨てるように番組を批評した後、食べ過ぎと言ってゴアの食べている途中のお菓子を取り上げる。

 ゴアは情けない声を上げるが、抗議の意図はこもっていない。とっくに"厳しい親"というイメージが定着しているので、何を言っても逆らえないということも理解しているのだ。

 そう、毎度却下されていく悠真の休暇申請(仮病)のように。

 

 そして六課のオフィスに柳が居るということは、つまり業務時間中という事である。

 このドラゴンガール、他人が仕事しているのを傍目にテレビを見ていたのである。何も思うところがないのかといえば赤ちゃんなのでやっぱり無い。

 そして今日の規定業務は一応の終わりを遂げている。今朝も悠真の休暇届を一枚却下したところである。悠真が膝から崩れ落ちた事は言うまでもないだろう。

 

 そもそもゴアは嘱託職員のため、業務という概念も薄い。六課に配属となった経緯もあってH.A.N.D.内外ともにゴアに仕事をさせようという動きもそもそも薄い。

 更にいえば治安官の朱鳶が保護者となって市民カードを発行した事もあり、ゴアへの待遇一挙手一投足に治安局の目が光っていると言ってもいい。

 下手な扱いをすれば文字通り治安局がドアをぶち破って突っ込んでくる。

 ドアを破るのはガリバー隊員だけで間に合っている。

 そして新エリー都において18歳未満の就労は禁止となっているため、仕事という仕事を振り分けることも賃金を払う事も出来はしない。

 

 あくまで黒蝕竜解析のための研究協力要請者と、協力者。それがH.A.N.D.を始めとした治安局そしてホワイトスター学会とゴア・マガラの関係性である。

 その証拠…とまではいかないものの、両者の関係性を視覚化した物が、ゴアの身につける制服である。

 

 ノースリーブのうえ背面の生地をバッサリ切りとったようなデザインの白いシャツと、深い緑色のショートスカート、デニールの薄い白タイツ。

 白と緑を基調としたところはH.A.N.D.の制服と共通しているものの、所属を示すものがどこにも無いのだ。

 

 これをしわくちゃにしておいて、その実中身がH.A.N.D.・治安局・ホワイトスター学会からなる三方火薬庫島というのがゴア・マガラの実態である。

 とてもお近付きにはなりたくない……という本音はさておいて、仕事としてゴアの保護を押し付けられたのが六課という話である。これには常日頃六課を目の敵にしていた他課も同情するばかりだったとか。

 それでいてH.A.N.D.としては関係各所、主に治安局に対して「ゴア・マガラに対しては誠実な対応してますよ」とアピールもしなくてはならないし、その上で黒蝕竜に関わる()()を見つけなくてはならない。

 

 うん、とても頭が痛い。

 具体的に言うと、黒蝕竜の出現がパタリと途絶えて出動要請がめっきり減った代わりに、今度はゴア・マガラの文字通り一挙手一投足を報告する業務が増えた。

 まるでコンプラに一生配慮しながら配信し続けているようなものだ。

 ずぅ〜と同じお手伝いをさせていても事への姿勢に方々から疑念を持たれる。

 かといって研究の協力ばかりさせていては治安局(デトロイト)が開けロイトしてくる。

 だからといっても手をこまねいていては何も進まずどん詰まり。

 

 あぁ……こんな時に都合よくゴアをお散歩にでも連れて行ってくれる人がいないかな……

 

 柳は内心疲れきっていた。

 Enterキーを押してきた指は過酷の末に震えているし、疲れからの甘味の過剰摂取で食傷気味。育児に疲れた母親のような有り様でいて、しかしそれを子に察させまいと振舞っていたのだ。

 そんな柳の目線に、とある人物がとまる。

 

「…浅羽隊員、ゴアさんを外に連れ出してくれますか? 場所は……ルミナスクエアで。あそこは治安局のお膝元ですから」

「オブラートに包めないくらいならいっそ休んでくださいよ……ま良いですけど」

 

 哀れ浅羽悠真、休日のお父さんの如き扱いである。

 しかして時刻は昼を過ぎた頃、お散歩というには丁度いい時間でもある。問題は……

 

「しかし良いんですか? ほら、あの子の鱗粉とか、上層部への許可取りとか」

 

 ゴア・マガラが常として放出している鱗粉の問題と、さらに言えば責任問題である。

 悠真は背もたれにグッと体を預けて、あおりの角度で柳に質問を投げかける。がしかし柳は動じないどころか、むしろ吹っ切れたように笑みを浮かべる。

 

「大丈夫です、ゴアさんの鱗粉は"常時で放出範囲半径1m"というのが技術課の評価ですし、その技術課が開発した『鱗粉隔絶翼膜装備』…長いですね、『ゴアメイル』の性能が技術課の言うとおりなら問題ないでしょう、ダメだった時は技術課の責任です」

「うわ、バッサリ」

「もしもの時の責任は上層部に取ってもらいます。責任者とは責任を取るために居るんです」

「わー、僕これ聞かなかった事にしたーい」

「ねーねーボス、ナギねぇは何て言ってるの?」

「私は何も聞いていない」

 

 こうして決まったゴア・マガラお散歩計画、行先はルミナスクエア。

 費用? もちろん経費である。

 会社の金で遊びに行こうぜ! 

 

 

 〜

 

 

 H.A.N.D.前広場。

 その門たる守衛所で、悠真は慣れた手つきで隊員証を機械に読み込ませてゲートをくぐる。

 

「ほら、君の番だよ」

 

 そして後に続くゴアにも同じようにするよう促すが、ゴアは首を傾げて、あいも変わらず閉じた瞼で悠真の方を見るばかり。

 さっぱり分かっていないらしい。

 

「しょうがないなぁ……月城さんからカード貰ったでしょ? それを、そこの機械にあてるの」

「カード……カード……」

 

 ゴアは自分のスカートのポケットからおぼつかない手つきながらカードを取り出すことに成功するも、そこで固まってしまって、あたりをキョロキョロと見渡しては止まってしまった。

 あんまりにも出来ない姿に違和感を感じる悠真だったが、それもそういえば、ゴアはH.A.N.D.に運び込まれて以降外に出た事がなかったと得心する。

 それに守衛所はその大きな門も含めて辺り一面機械だらけ、それならカードをどこにスキャンさせればいいのか分からないのも仕方ないのかもしれない。

 

「なんだか蒼角ちゃんの最初の頃を思い出すよ…」

 

 最初の頃はあれこれ教えるのが大変だったなぁと記憶にふけりつつ、結局ゴアの手をとって機械に導いた。

 

(……言葉にしづらいな、この感じ)

 

 手間取りつつもH.A.N.D.の外へ出た悠真は、既に使用の申請をしておいた社用車へとまっすぐ歩く。運転手も先で待っている。だからただまっすぐ歩いているだけなのに、やはり違和感が拭えない。

 ゴアは確かに悠真の後ろを2,3歩離れて着いてきている、歩くテンポも一定の感覚を開けて、必ず遅れてゴアの足音が聞こえる。

 

 悠真はそこで、何も言わずに足踏みをし始めた。

 自分の歩くテンポを再現して、まるで歩いているような音が出るように。

 するとゴアは歩みを止める。やはり2,3歩分遅れたそのタイミング。おかしな所は無いようにも思える。

 

(……気のせいだったかな)

 

「ごめんよ、なんでもない」

「………?」

 

 平静を装って、悠真は歩く。

 …しかし、自分の椅子を奪っていた昨日の元気はどこへやら、まるで今日は大人しいというか動きが少ない。

 更にいえば、激務に襲われていた柳と普段通りの蒼角を除いて、雅と悠真だけが気付いていた事、子供向け番組を見ていたゴアの動きにはおかしな所があった。

 番組が始まった頃には器用に爪でお菓子をとっていたが、その前は何度も何も無いところで空をきっていた。

 更にいえば番組に対するリアクションも一歩遅れていた、着ぐるみの頭が取られた時なんて、スタジオのリアクションが聞こえた後に声を漏らしていた。

 普通そんなアクシデント、スタジオのそれと同じか、それよりも早く驚いたりしそうなものなのに。

 

 一時悠真はこう考えた。

 もしかして目が見えていないんじゃ? 

 

 初対面の時からゴアの瞼は閉じっぱなしだった。

 そこからの安易な連想ながら、ここまでの違和感を説明するには筋が通る仮説だ。

 ──しかしながら、六課がH.A.N.D.から受け取った報告書、その身体検査報告書に『健康的な通常人間種』と明記されていたことで、その仮説は散った。

 それなら、視力が無いわけじゃないんだろう。と

 

 

 そうこう考えているうちに、車の傍まで着いていた。

 悠真は普段通りに車に乗りこみ、ゴアの方を見ると、やはりというか乗り口の前で固まっていた。

 しかし、今度は悠真の方を見ていない。

 

「……もしかして車苦手とか? じゃあ、ほら」

 

 殊更に違和感を募らせつつも、悠真はゴアへと手を差し出した。

 子供にはよくある事だ。エスカレーターに乗れない、自転車に乗れない、車に乗れない。最終的には自分で出来るようになる事でも、最初は誰かに手伝ってもらう必要がある成長の過程。

 ゴアは子供ではないが実質子供。そんな事はゴアと柳とのやり取りを見ていたから分かりきっている。

 

 だから手を差し出した。

 しかし、ゴアが一向に反応しない。

 ……声が聞こえなかったのだろうか? 

 

「ゴアちゃん、こっち!」

「っ! あ、うん」

「ほら、手をとって」

 

 少し声を張って呼べば、ゴアは応えた。

 なんだ、聞こえていなかっただけじゃないか。

 そう安堵しつつ、ゴアの手が自分の手に重なるのを待っていた悠真の前で、ゴアの手は空をきった。

 

「……ん、ん?」

 

 2度、3度。

 そして4度目でようやく指先が触れて、ゴアの細い指が悠真の手をぎゅっと握る。

 安心の色が、初めてゴアの表情に宿った。

 そして、確信には十分だった。

 

「…ゴアちゃん、ちょっとごめんよ」

「?」

 

 悠真はゴアの腰に腕をまわし、抱き寄せる。

 そしてゴアの瞼を人差し指で開き、その前で親指を左右に振って。眼球が微動だにしない様を見た。

 指を追いかけるどころか、震えもしない。

 

「まったく、とんだヤブ医者だよねぇ」

 

 これで何が"健康的"なのかと、杜撰な検査体制に悠真は苛立つ。どうせ大方、翼とか尻尾とか特に鱗粉とか、特異な点の検査に躍起になって、基礎的な所をなぁなぁで済ませたのだろう。

 でなければこんな簡易な検査で分かることを、見落とすはずがない。

 ゴア・マガラには、目が見えていないのだ。

 

 だが、ゴアが確かに周囲を認知していた場面がある。

 第一にいえば記憶に新しい悠真の椅子を占拠していた時。あの時は蒼角と一緒になってくるくる回っていたが、悠真の休暇申請を却下した時には、椅子を止めて間違いなく柳に申請書を渡せていた。

 四六時中周りが見えていないなら出来る事ではない。

 つまりゴアには、確かに周辺を認識する方法がある。今はそれが何らかの原因で使えないのだろう。

 

「ゴアちゃんさ、どうやったら外が見える?」

「……これ外してくれたら。お前らがりんぷんと呼ぶもの出せないと、むり」

 

 本人に聞けば、予想通りの答えが返ってきた。

 そして鱗粉がゴアにとっての目だという答え、前にどこかの報告書で見た推論通りだ。

 それが塞がれて、おそらくこれまでは音を聞いて動いていたのだろう。だから悠真の音とゴアの音が重なる事が無くて、車の傍では動けなくなった。エンジン音がうるさくて聞こえなくなっていたのだ。

 

 ……ゴア・マガラは、黒蝕竜ではない。

 ただ、黒蝕竜に近い性質を持っていると見られただけの、身元不明の少女だ。

 間違ってもその扱いが研究を第一にした配慮にかけるものであってはならず、まして視力を奪い苦痛を強いる事は、あってはならない。

 

 しかし皮肉な事に、これで目のない黒蝕竜がどうやって外界を認識しているのか。という疑問におよそ答えがついてしまった事になる。

 問題を起こしたホワイトスター学会に限らず、ゴア・マガラと黒蝕竜を同義として見る者が多いからだ。

 そうでもなければ、14歳の少女1人にここまで注目が集まることはない。"エーテルを消す"その性質ひとつが、新エリー都において権力者と呼ばれる者達の首を切り落とせるナイフであり、ホロウを消す世界にとっての薬になるかもしれない。

 そういう事があって、"少女"を軽視する目が多い。

 その結果の『ゴアメイル』だ。

 

 なにもゴア・マガラに限った話ではない。

 シリオンに普通の人間よりも秀でた器官がある、なんて事は道徳以前に生物の授業で習う事だ。

 イルカのシリオンが、イルカと同じように超音波を操れる……なんてのが分かりやすいだろう。

 鱗粉とは、ゴアにとって器官のひとつでしかないのだ。ただ人間に対して毒性で、エーテルと対消滅するだけの、ただの器官。そんな子供でも分かる簡単な視点が、ゴアを求めて裏でとっくに利権争いを始めているバカ共には足りていない。

 

 だから平気で鎖をつける。

 悠真には特に、我慢ならない事だった。

 

 

「ゴアちゃん、今日は僕がエスコートしたげるよ」

「えすこーと? なんだそれは」

「ちゃんと手を引いてあげるってこと」

 

 そんな感情は表に出ないようにして、ゴアの手を引いて隣に座らせて。

 うん、割と顔は整ってる方だな。なんて思いながら、ゴアの服装からは目を逸らす。

 なまじ親心にも似た庇護欲が出てきたばっかりに、背中丸出しの大胆すぎる服に今更ながらたじろぐ。

 いくら翼の可動域確保の為とはいえデザイン課は気狂いしかいないのか。

 

「……で、これは取れないのか」

 

 ゴアは話の続きといって、機械の翼を軽く叩く。

 ガツンと重い音が鳴り、相当な重量である事が伺える。発信機で居場所が常にH.A.N.D.に筒抜けで、尻尾のそれと同様にリモコン一つの操作で翼の動きを制限できてしまう拘束具だ。

「重いしムズムズする」とゴアが不満をこぼすがそれだけで、状況を鑑みれば利口すぎるくらいだ。

 

 悠真としても、ゴアの目が見えない事は解決したい。しかし安易にゴアメイルを解放するのは、それは鱗粉を辺り一帯に撒き散らすという事だ。

 誰も集団麻薬中毒なんて見たくはない。

 普段ならどうという事もないのに、ゴアとゴア以外とを天秤にかけただけで、ゴア以外を選ばなければならない自分の立場が憎たらしい。

 ゴアがこうも純心でなければ、いっそ傍若無人くらいであってくれたなら、痛む心も少なくて済んだかもしれないのに。

 

「それはまぁ、近日中になんとか」

「わかった、じゃあそれまで手は繋いでて」

「……もちろん」

 

 応えるように、ゴアの手を握る。

 自分の心を2つに割いて、まるで良い心地がしない。

 

 それでも不当に奪った目は、必ず返す。

 そのための段取りを指折り数えながら、2人の乗る車は予定通り、ルミナスクエアに向かって出発する。

 

 

 〜

 

 

「ちょっとぉ? もう僕の分の肉がないんだけどぉ??」

「肉はうまい、もっとよこせ」

 

 悠真は激怒した。

 必ずかの邪智暴虐な女王を除かなければならないと決意した。かのドラゴン娘には人の心が分からぬ。

 凄惨にも野菜鍋に成り果てた鍋をみて、失ったものの大きさに悠真の胃袋が涙を流す。

 

 

 悠真はルミナスクエアに降り立って、昼時にはちょうど良いだろうと、ゴアの手を引いて『煮釜』を訪れた。

 ぐつぐつと煮立っては具材が踊り、香ばしいスープの暴力的な匂いがが早く食べてと鼻腔をくすぐる。それが経費でおとせるというのだから、悠真の胃は歓喜した。

 

 注文した鍋は激辛と名を冠しているだけあって赤く、奥へゆくほど、見て分かるほどに粘度が高い。

 生唾を飲み込んで箸で軽く撫でれば、どろっとしたものが鍋に行き渡り、具材を煌々と染めていく。

 白菜に白滝、焼き豆腐にちくわ、ネギにしめじに椎茸と、極めつけは程よい脂身の牛肉が山盛り。

 それが香辛料の効いたスープの、食欲を根こそぎ引きずり出さんとする匂いに満ちている。こんなにもキラキラと輝いて、どうして腹が鳴らずにいられようか。

 

 しかし悠真は紳士、レディを前に自分ばかりがガッつくような真似はしない。

 目の見えないゴアに丁寧に鍋を教え、食べ頃になった具材をその口に運んであげたり、火傷しないようにスープに息をかけて冷ましてあげたり。

 それでも子供らしいゴアが激辛を食べられるのか、心配は尽きなかった。

 

 

 その結果、鍋から肉が消えた。

 悠真は甘く見ていたのだ。ゴア・マガラというシリオンの食に対する貪欲さを。

 まるで野生のような、腹を満たすことへの本気度と言えるものを。美味いものは早く食べないと盗られると言わんばかりの早食いを、目にすることになった。

 

 そこから先は、ただ見ている事しか出来なかった。

 

 もう何度目か分からない肉追加のオーダー。

 空になった肉皿が塔のように積み重なって、今ようやく従業員がドン引きしつつも運んでいった。

 悠真はとっくに締めに入って、火鍋スープの野菜ラーメンを食べている。もちろん肉は入っていない。

 そんな悠真を対面にして、ゴアの方は未だに肉をかっ食らっている。あ、今鍋に残った野菜にも手をつけ始めました。野菜もちゃんと食えるのかよ。

 

「当たり前だ、食わず嫌いはしぬぞ」

 

 なんと実感のこもった言葉、リスみたいに口いっぱいにしてなけりゃカッコよかったかもしれない。

 口に物が入ったまま喋るんじゃありませんよ。

 

(……僕はこの子のパパか何か?)

 

 ふとよぎる思考に、自分でツッコミを入れる。

 その最中でもゴアの手は止まらない。

 とっくに鍋と器との位置を覚えて、盲目にも関わらず豪快に食べ続けている。

 もう止まらんよ、流れ始めたエネルギーと同じだ。

 

「うまいうまい」

 

 ぐァつぐァつ。

 はふ、はふ。

 ぺろ。

 ガツガツ。

 しゃくっ。

 ごきゅっごきゅっ。

 ハモ.

 ナポッ。

 

 そうして最後に、スープ一滴も残らず食い尽くされた空の鍋と、とても満足そうに腹を撫でるゴアが残った。

 

けぷっ、まんぞく」

「そりゃなによりで」

 

 一体その細身のどこにあれだけの量が入っていったのか、考えると終わらないので悠真は考えるのをやめた。間違いなく言えるのは、H.A.N.D.の経理が顔を青くするだろうという事だけ。

 数十人単位の会食でしか見ないような額の記された請求書もとい領収書をそっ閉じしつつ、何だかんだで自分も空腹を満たせた悠真は、軽く息を吐いて背もたれに体を預ける。

 これだけ売上に貢献したのだから、5分や10分居座ってもバチは当たらないだろう。

 

 

「ゴアちゃんさぁ、家族とかいないの?」

 

 

 脈絡もなく、そんな質問を投げかける。

 というのも六課…もといH.A.N.D.・学会・治安局の3者が同様にゴアの出自に関心を向けているからだ。

 それもやの催促、しつこい追っかけよりも面倒くさい。そんな事情を表に出さないまま、答えをゴアから聞き出さなくてはならない。

 これもまた、H.A.N.D.としての仕事だ。

 表向きの扱い上はシリオンの被保護者とは言いつつも、新エリー都が良くも悪くも黒蝕竜に湧いているところに現れた"ゴア・マガラ(黒竜少女)"。

 これで黒蝕竜と無関係だと本気で思っている者など、治安局の生真面目な大盾使い以外誰も居ないだろう。

 

 新エリー都のどこにもゴア・マガラに関する記録が存在しない以上、喉から手が出るほど欲しい『過去』は彼女の記憶にしかない。

 さりとて治安局預りの被保護者に対して強引な聴取はできないし、するつもりもない。

 だからこうして、さり気ない日常会話らしいそれで情報を引き出す。

 

(……いつか、仕事抜きで話ができたらな)

 

 お偉いさん方がゴアに興味を失ったら、そんな未来も有り得るかもしれない。

 そんな夢想を我ながら憐れんで、仕事としてゴアと話をする。冷えた自分に嫌気をさしながら。

 

「家族? そんなものはないぞ」

 

 そんな悠真の前で、あっけらかんとした様子でゴアは答える。至極純粋な目に偽りの色はない。

 

「お父さんも、お母さんもかい?」

 

 確認の言葉に、ゴアは頷く。

 空振りだったかと僅かに唇を噛む悠真だったが、しかしゴアが何かを逡巡する様子を見て、また口を開く。

 

「何か考え事? 言ってみてごらんよ、自慢じゃないけど僕聞き上手だよ」

「…なんでもない」

「そう?」

「……ただ、おかあさんが分かれば、あの時泣いていたのも分かるはずなのにって、思っただけ」

 

 要領を得ない話だった。

 過去を思い返しているという事だけは、ゴアの表情から察する事は出来た。

 すぐに思い付くのは、誘拐事件から救助された際にゴアがこぼしたと報告書に記載のあったアレだが、それとは違う。誰か他人を思うような遠い表情をしている。

 まるで想い人のような。

 

「特別な人?」

「…うん」

 

(……そろそろ潮時かな)

 

 ゴア・マガラの過去に秘密は多く、そしてさわりを聞く限りでも相当に重いことが伺える。

 元から詮索自体を好まない悠真の性格上、先を今日に続けて聞く事が苦痛だった。

 

 ──だが、そんな程度では"上"が満足しない。

 せめてある程度嚥下できる濃さの情報を皿に載せられなければ、黒蝕竜の解体新書を今か今かと待っている客に呆れられ、ゴア・マガラという食材を持って別店(学会)へ行かれてしまう。

 件の誘拐事件あってすぐには起こり得ないだろうが、いつまでも人権遵守と足踏みをしていては見限られ、非人道的な実験が六課の遅滞を理由に行われてしまう。

 それが嫌なら、ゴア・マガラという食材をコース料理にして、早々に前菜を提供しなければならない。

 

 ……あぁ、ほんと嫌になる。

 最近はこんなことばっかり、こんな難しくて1ミリも楽しくない話ばっかりだ。

 ただでさえ短い時間に、本当はもっと楽しい記憶を重ねていきたいのに。

 

 

「……特別な人には、会いたい?」

 

 

 特別(関係者)が誰とか、何処にいるとか。

 せめて調理しやすい答えをおくれよ。

 

 

「変なことを言うな? 特別は特別だ。特別は帰るところじゃない、守るものだ」

 

 

「……ぶっ」

「?」

「あっはははは!! 最高だね君ってやつは!」

 

 笑った。

 そりゃあ笑うでしょ。

 

「こっちがアレコレ考えて1人勝手に柄にもなく感傷的になってるのに、君ってばへっちゃらって感じなんだもの。考えてる自分がバカみたいだよ…はぁー」

 

 ひとしきり笑ったあと、悠真は席を立つ。

 その真意はゴアには分からない、分からなくて良いとさえ思える。それでも荷重に感じていたものを軽くしてくれたのは確かだった。

 

「今日はもう帰ろっか」

「ん、わかった」

 

 ゴアの手を引いて、共に席を立つ。

 

「明日あたりには変わった仕事が始まるから、今日はちゃんと休むんだよ? 僕の親切なんていくら受けとったってタダなんだからさ」

「悠真は変な言い方ばっかりするな」

「それってお世辞?」

「おぶらーとだと聞いた」

「じゃあオブラート外してごらん?」

「偏屈者」

「いいね、最高」

 

 そうして仕事とは全く関係のない話をしながら会計を済ませ店を出ると、店の前にはかなりの人だかりが出来上がっていた。それも悠真には見覚えのある大多数。

 

「悠真ー!」

「マサマサーこっち向いてー!」

「「キャーッ!」

 

 きっと店内にいる事がどこからからインターノットに流れたのだろう。そこに居るのは六課ファンの中でも悠真のファン達。

 悠真は自分がそれなり人気がある事を忘れていたのだ。だから退店早々にゴアと一緒に囲われてしまった。

 

「なにこの子!?」

「かわいー!」

「誰よその女ッ!」

「マサマサに彼女!? 嘘だろォ?!」

「俺とは遊びだったのネ!!?」

「貴方を詐欺罪を器物損壊罪で訴えます。理由はもちろんお分かりですね? 私のガラスハートを壊し、女性関係を秘匿していたからです。貴方は──」

「手ェ繋いでるッ!? わァっ、ワッ…」

 

 すると事態は悪化し、阿鼻叫喚。

 当の本人2人をほっぽり置いて発狂していくファンの姿は、さすがにゴアにも恐ろしく映ったらしい。悠真の腕をしっかり掴んで背中に隠れてしまった。

 その姿を見て、ファン達は更に発狂する。

 これはもう、手のつけようがなかった。

 

「よし、逃げよう」

 

 当然の思考。

 即断即決。

 

「ゴアちゃん、飛べる?」

「…飛べる」

「じゃあ僕を掴んで、六課まで」

「わかった」

 

 発狂し続けるファン達が、一瞬にして硬直する。

 その翼、身の丈の倍にさえ見える機械の暗幕を前にして、驚愕が狂気を上回ったのだろう。

 羽ばたきの1つで、2人は呆気なくその場を脱する事ができた。

 

 むしろ空に上がってしまえば追い風で、心地良い。

 立場と仕事のことばかりを考えて窮屈になっていた悠真の心根が解放されたようで、悠真の顔には子供のような笑顔があった。

 

「ハハッ! こりゃぁいいや!」

 

 見渡す限りに空、空、空。

 雲が手を伸ばせば触れられるんじゃないかと錯覚するくらい近くに感じれる。見下ろす全てが新エリー都という箱庭で、その外に在れる感覚。

 悠真にはゴアが心底羨ましかった。

 

「飛びたくなったら、いつでも呼んで」

 

 けれど口には出さなかった心を、ゴアはあっけなく見抜いて、そんな言葉までくれた。

 子供のようにしか思えない普段の様子からは想像もできない、自分とは違う物と話している感覚。けれど今ばかりはそれがありがたかった。

 偏屈者の自分には、とても。

 

 

 それから2人は空からH.A.N.D.に帰って、柳と蒼角を相当驚かせた。

 雅には『空を飛ぶ修行』とかいう思考を植え付けてしまったし、経理は青い顔を通り越して倒れてしまった。

 

 それでも、悠真にとってこの日の経験は他にない、唯一の記憶になった。

 きっと、ゴアにとっても。

 

 

 

「……あ、特別」

 

 

 とある歌姫の宣伝の、歌声が聞こえる。そこに本人はおらず、音源が機械的に再生されているだけ。けれどその歌声を昔に一度だけ、ゴアは聞いた覚えがある。

 記憶にあるのは、あの時屑肉の群れから救い上げられていた小さな女の子の形。

 ……今は、どれくらい大きくなっているだろうか。

 

 物思いにふけって歌姫を特別と呼ぶ、そんなゴアには誰も気付く事なく。

 

 明日は、急遽鱗粉のホロウ散布実験が執り行われる。

 

 





ルミナスクエアの火鍋屋の名前が分からぬ、読めぬ。
ほらあの、アキラとアストラがデートしてた……
ルシアーナ・オクシスィース・テオドロ・デ・モンテフィーノが立ち寄ってたりしてた……あの……。
わかる人がいらっしゃったら教えてください。
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