お待たせしました。今回は難産でしたの。
とっても好評を頂いている?ありがたい限りでございますわ!
ゴア・マガラ。
通称ゴマちゃん。
いつだったか、彼女の着ている服はホロウ荒らしから略奪したもので、しかし華奢な彼女にそんな力があるのか。と疑った事があったと思う。
そんなものの証明はとっくに済んだ。
初めに静止の声をかけたのは、はてどれくらい前のことだっただろうか。もう何度もそれを繰り返しては、道を塞いだエーテリアスが砕かれる様を見た。
それも素手で。
『GuAhhhhhh!!!!!!』
「ガアァァァァァッッ!!!!!」
それはまるで格付けだった。
素手でエーテリアスの体表に触れ、コアに触れ、握り砕いて叩き潰す。
始めは黒蝕竜探しに裂け目を活用して複数の微小ホロウを渡り歩いていた、それが道中でエーテリアスと遭遇すれば必ずゴマちゃんが正面切って戦いに行く。
咆哮されればより大きな咆哮を返し、驚異的な膂力でコアを一撃で破砕する。その連続。
ちょうど今、『アーマーハティ』*1の口にエーテル砲弾を手ずから突っ込んで、上顎を叩き閉じて爆殺したところ。砲弾は略奪した服についていたガンベルトからの拝借品。
そこには第一印象であった不思議ちゃんも、外見から感じた美しさも、欠片もない。
まさしく獣。
モンスターそのものだった。
『ゴマちゃんストップストーップ! そっちは別方向だって!! 戻ってきて!!』
「ん、わかった」
さっきまで剥き出しにしていた牙はどこへやら、イアス越しにリンが呼びかけるとゴマは女の子らしい顔で振り返り、小走りで寄ってきて膝を畳む。
自分を見下ろす姿は、出発前に用意した服も相まってかなり顔の整ったお嬢様にしか見えない。
「りん、この服動きやすい」
『うん……すごい高かったからね……』
そしてこのお嬢様は金遣いもお嬢様らしかったと、ひらひらと揺れる耐エーテル侵食加工の施された高級ドレスを見て過去一お金のかかった買い物を思い出した。
〜
少し前。
「リン、よかったらゴアさんを買い物に連れて行ってあげてくれるかい?」
パエトーンの2人でゴア・マガラと名乗る事になった少女を監視するため、ホロウレイダーとして育てることを決めた後。アキラがそんな事を言った。
2人はゴアに秘密の話を終えて店内に戻ってきたところで、つまりそのタイミングで話し始めるのはゴアに聞かれても良い話。尚も椅子でくるくる回っているゴアにも聞こえるようにアキラは話し始めた。
店内は前に『明けの明星』のために人払いをしたままのため、今ここにはパエトーンの2人とゴア、そしてボンプ達しかいない。一時はゴアに突破されたイアスの門衛もし直してもらっているから、安心して裏稼業の話が出来るのだ。
「彼女は文字通りの新人ホロウレイダーだ、だから抗侵食薬も応急処置用のバンテージも持っていないと思うんだ。僕達は今までプロキシ業務だけだったから必要なかったけれど、彼女というお抱えを持つなら必要になると思う。それから……」
アキラはゴアの方を一瞥する。
視線の先にあるのは、一体全体何がそんなに面白いのか未だに椅子で回り続けるゴアと、それを追い続けて目を回してしまったFairyの姿。
肌露出面積が多く、かなり目に毒な容姿と服装を振り回すゴアの姿はとても青少年に直視できるものではなかったし、外を歩けば確実に目立つ姿だった。
「彼女の服も買ってきてほしいんだ、念の為道中はリンの服を貸してあげてほしいし、それから……」
「もー分かった分かったから、私に任せて!」
「……あはは、頼もしい妹をもった兄は幸せだよ」
アキラはスマホを手早く叩いて、リンにノックノックでメッセージを送る。リンがそれを確認すると、簡単な買い物リストがあった。
・抗侵食薬
・バンテージ
・消毒薬
・携帯食料
・音動機
・スマホ
・服
・耐侵食装備
──"他はリンの判断に任せるよ"
まるでおつかいに送り出される子供みたいな扱いをされているようで少しだけムスッとしたリンだが、これはこれであると助かるものなのですぐにぷっくり膨らんだ頬から空気を抜いた。
自分の兄はこういう何気ない所でモテたりするんだろうか、なんて妹としては複雑な感情を抱きつつ、ゴアを呼んで2階の自室にあがることにした。
兄の"たらしスキル"の高さにドン引く事になるのはまだ少し先の事である。
「さ〜ゴマちゃんお着替えしよ〜♪」
「ごまちゃん?」
「ゴア・マガラだからゴマちゃん! かわいいでしょ!」
「わかんないけど、良い」
そんな会話をしながら階段を上がっていく2人。
それからリンの部屋に入ったあたりで階下が賑やかになっていくのが聞こえ、アキラが『Random play』の営業を再開したのが分かる。どこぞの
それでいえばこれからの買い出しも手痛い出費ではある、がしかしそれはそれ、これはこれ。
自分達の都合で抱え込むと決めたのだ、たとえ食い扶持が増えることになっても養ってやろうというその気勢。リンは頼れる兄を再認識した。
それからゴマちゃんに服を脱ぐように教え、一旦自分はゴマちゃんに着せる用の服を取り出すためクローゼットの方を向き、ゴマちゃんのプロポーションを鑑みてなるべくゆったりとした服を取り出して、そして振り返り──大声を上げた。
「わぁぁぁッッ!?!?!?!?」
当然その声は階下の頼れる兄にも聞こえることとなり、心配性でもある兄は階段を駆け上がってくる。
「
しかしそれはリンによって防がれる。
階段を駆け上がっていたところ、位置関係的に背後からボンプのドロップキックをくらって階段に顔面を強打した兄の事など知る由もなく、リンはむしろ兄がこの場に現れるのを防げた事に安堵した。
なぜなら今2階には、リンの目の前には、アキラには絶対に見せてはいけない光景があったのだから。
一糸纏わぬ、全裸というゴアの姿が。
「下は!?」
炸裂する魂の叫び。
リンは確かに少し前、ゴアに服を脱ぐように指示をした。しかしそれは傍目に目立つホロウ荒らしの服から着替えさせるためのものであったし、まして下まで含めて全部脱ぐようになどは一言も言っていない。
ただホロウ荒らしの服を脱いでほしかっただけ。
なのにゴアに貸す服を持って振り返った時にはもう全裸だったのだからそれはもう驚いた。
しかもリンの指示があって下まで脱いだ訳ではなく、そもそも下を付けていなかったのだ。だから服を脱いだだけで生まれたままの姿に直結する。その証拠に乱雑に脱ぎ捨てられた服の山の上にそれらしいものが落ちていない。
だからって普通全裸になるか????
リンは本日2度目の錯乱をした。
無駄だアキラ! リンは既に(以下略)
「下……? あぁそれなら、"これだけは勘弁して〜"って大きな男が泣いたからとらなかった」
そして明かされる衝撃の事実。
この記憶喪失少女、男のホロウ荒らしから服どころか下着までぶんどろうとしていた。
リンは酷い頭痛に襲われた。これではもう記憶喪失とかより赤ちゃんだ、何も知らない赤ちゃんだと思って相手をしないとヤバい。脳の自己防衛本能が訴えている。
まともに考えたら吹き飛ぶ、色々と。
「下……って、いうのはね?」
リンはこめかみを抑えつつ手に持っていた服を一旦ソファに置いて、とりあえず自分の下着一組を取り出してゴアに渡し、身につけるよう指示した。
それからもう一組を取り出して、下着の存在意義から何から全てを手とり足とり教える事にした。さながらリンのスーパー常識教室である。
恥じらい? 赤ちゃん相手にンなもん無いよ。
アキラは夜まで目を覚まさなかった。
▽
──『ルミナスクエア』
新エリー都でも有数の発展都市であり、地下鉄にスクランブル交差点、映画館にショッピングモール、治安局。娯楽と規制、ビルの摩天楼に囲まれた人と物が交わる中心地。
六分街から地下鉄を使い、駅前のキャッチをあしらいながら女子と赤ちゃんの一行は
「はぁ……色々教えてたら結局こんな時間だよ……」
ため息を吐きながら疲れ気味に肩を落とすリンの傍らには、リンの予想通りルミナスクエアの全てに興味を示してキョロキョロ辺りを見回しているゴアの姿がある。
ここまでのリンの苦労は相当なものだった。
ゴアに下着の意義から教え、流れで写真やテレビ、リンの部屋にあった全てについて言語化を迫られ、サイズ違いで悲鳴をあげる自分の下着と着苦しさを訴えるゴアをなだめ、電車の中でも他人お構いなしに興奮するゴアを落ち着かせて……
リンはこの短時間で致死量の子育てを味わった。
にも関わらずルミナスクエアに到着して今、目的であるところの買い出しは全く進んでいない。
むしろこれからスタートなのだ、普段であれば電車に乗ってくるだけの道中でこれだけ疲れてしまうなんて、少し前のリンは想像もしていなかった。
リンの中でゴアの印象はとっくに『不思議ちゃん』から『手のかかる赤ん坊』にジョブチェンジされている。
「りん! りん! あれはなんだ! 人が大きいぞっ!」
「あれは街頭モニターだよ、色々宣伝してるの、人じゃなくてモニターが大きいんだよ。あとそこがルミナモール、この後行くからね」
「じゃあ、じゃあアレは! 色がいっぱい!」
「あれはリチャード・ティーミルク、ドリンク屋さんだよ。カラフルなのはフルーツミックスかな」
「ならアレは! ラッコ!?」
「あれはにゃんきち長官だよ、治安局のマスコット。ラッコじゃなくて猫だからね」
「りんは物知りだな、昔と一緒だ……じゃあアレは? キラキラ!!」
「アレ? あれは……なんだろ」
改札口前の広場で大興奮しながらあちこちを指さして聞いてくるゴアにひとつひとつ教えていたところ、最後に指さしたものはリンにも見覚えがないものだった。
六分街ではウーフが店番をしているニューススタンド、その飼い主のイヴという老婦人が流行の機微に敏感な者達に新聞を捌いている、その少し先。
特徴的な芸術モニュメントが幾つか並んでいる広場のところで、何やら少しの人集りが出来ていた。さすがに改札口前からでは距離があってよく見えないものの、リンの目にもキラキラした何かが見えた。
川の方からこちらを覗く夕陽を反射しているのか、紫がかった黒色にも見える。
ちょうどゴアのシリオンらしい部分、翼と尻尾とを覆う鱗とよく似た色。
「ンナナ、ナナナ(向こう側に行くの? ここは車が多いから気をつけて!)」
横断歩道を管轄する治安官ボンプの声がなければ赤信号でも向こう側に行こうとしていたかもしれない。
それほどに、惹きつけられる光をしていた。
「あぁ良かったお客様! お客様に違いありませんよね!? ぜひこのドレスを見ていきませんか!!?」
2人がキラキラのもとに着く頃には人集りはさっぱり掃けてしまっていて、残されたのは大きく肩を落としたスーツの男。その男とばったり目が合った途端、開口一番にそんな事を言われた。
──ドレス。
キラキラに見えたものは一着のドレスだった。
形だけでいえば、ウエディングドレス。胸部の上半分と肩を魅せるオフショルダーのトップスに、長短二重構造のスカート。
派手な装飾もブランドバッグの添え物もない。ただドレスを形取る繊維の一つ一つがまるで宝石のように、より輝いて見える不思議なドレス。
ショーケース越しであるにも関わらず、手を伸ばせば触れてしまえるような、その存在感。
先程の人々はこれに魅せられていたのだと確信した。
「お客様お目が高いですよォ〜! このドレスはとある芸術家があの黒蝕竜にインスピレーションを受けてデザインしたものでして! ドレスの繊維全てに一級の耐エーテル侵食加工が施された、この世にこの一点限りの特別品なんですよ!」
「黒蝕竜? 黒蝕竜ってあの?」
こんな所で黒蝕竜の名前を聞くとは思わず、リンはオウムのように聞き返したが、セールスマンの男の方が鶏のように激しく首を縦に振るものだからちょっと引いた。
このセールスマン、やけにさっきから勢いが強い。
「えぇ! えぇ! 今話題沸騰中のダークドラゴン! あのパールマン告発の場を偶然にもテレビ越しに見ていた彼は、その力強さと内に秘めた美しさ、艶めかしさを表現したと……あー、えっと、遺してます!」
「……なんか後半歯切れ悪くない?」
「いやぁ! そんなことは……ない、ありません!」
リンの中で、ドレスへの熱が一気に冷めた。
確かにドレス自体はとても良いものだと思う。素人目に見ても美しいと感じるものだし、繊維1本1本に耐エーテル侵食加工を施してあるというのは技術的にも舌を巻く逸品である。
首の裏から肩甲骨、尾てい骨のすぐ上までぱっくりと開いた背面はかなり大胆だが、その色味からずっと思っていた通り、これならシリオンでもあるゴアが身につければ翼や尻尾を通せてピッタリである。髪の色も鱗の艶も、まるでゴアのため
しかしこのセールスマンの妙な歯切れの悪さと、綺麗さっぱり掃けてしまった人集りの事がひっかかる。
そして、ふと視線を下に落とした時。
値段ではないと思いたい、0の大群が見えた。
「おっふ」
いち、じゅう、ひゃく、せん、まん、じゅうまん、ひゃくまん……これだけの金額があればあの
(これは、みんな金額で現実に戻された感じかなぁ……)
それだけ素晴らしい価値があるという事でもあるのだろうが、いくら美しいものに魅了されたとしても、この金額を目にすれば幻想が打ち砕かれるに違いない。
リンの個人的な夢想も無惨に散った。
そして客の興味が引いていくのが分かったのだろう、セールスマンの男はリンが何かを言う前に食い下がった。
「ま、まぁまぁお客様! 確かにこのドレスは高額ではありますが、それだけ価値のある証拠と思っていただければ! ……あー、えっと、2割! いや、3割引ならいかがでしょう!?」
ずいずずいと、手の平を合わせて擦りながら擦り寄ってくる男。動きが全体的にくねくねしているのもあってリンは距離を置いた。キモいという以外言語化のしようがない。
何が男にここまでさせるのか、というのは男の発言の裏にある。価値のある物を値引きしてまで買って欲しい、それをいの一番に客に利点のあるように見えるということはつまり……
「……おおかた、その芸術家にやましい事でもあるんでしょ」
「ギクゥッ!!」
図星である。
「喋ってくれたら、買ってあげなくもないかな〜?」
リンは顎をあげて腕を組み、調子よく嘘を吐く。
そもそもRandom playをひっくり返しても足りない額、リンがどうしたって買える訳がない。
これはアキラ直伝の情報引き出し術のひとつ、『相手が見せた弱みに寄り添う』である。この場合は男が隠している事を喋ったとしても、「買ってあげなくもない」としか言っていないので"買う"とは一言も言っていない点。
相手の弱みに一時は寄り添う事で信頼を得て会話の主導権を握る、我が兄の常套手段である。
その成功率は言わずと知れた、もはや手段というより術に近い。卑劣な術である。
「喋ります喋ります! もうなんでも喋りますから!」
それにまんまと引っかかった男は、抱えていた物を吐き出すように全てを語った。
芸術家が件のドレスをデザインし服飾家に作らせるにあたり、私財のほぼ全てを使い切ってしまったこと。
芸術家自身は黒蝕竜を追って何処とも知れないホロウに入り、ホロウ荒らしに捕まって多額の身代金を要求されていること。
芸術家の勝手で素寒貧にされた芸術家の家はとっくに見切りをつけていて、何とか家を守ろうと、バカみたいに高級なドレスを金に変えようとしていること。
はじめは富裕層に売りつけようとしたものの、芸術家に関わる話はとっくに広まってしまっていて誰も買ってくれず、結局ルミナスクエアでワンチャンを狙っていること。
そして、セールスマンの男はその苦労を押し付けられた日雇いであること。
ドレス自体のものは良いために、製作者の良くない話が足を引っ張ってしまっているという……映画業界でも似たような話を聞いた事があるそれだった。
(これはもう、どうしようもないかな〜……)
芸術家はホロウでホロウ荒らしに捕まっている。
その話を聞いた時にはプロキシとしての商魂が興味を引かれた、しかし話を聞く限りでは、仮に芸術家を助けたとして報酬を払ってくれそうな人物はおらず、タダ働きになるのは明白。
パエトーンは慈善事業ではない。
悲しいがこれが現実。
誰も芸術家を助けようと考えていない、よって依頼人になりうる人物すらいない。素寒貧にされた芸術家の家が望んでいるのは高額なドレスが売れること。結局この話はドレスを買うか買わないかに帰着する。
ドレスを
(……話を上手いこと逸らして忘れちゃおう、思ったより話を聞いてて時間経っちゃったし、ゴマちゃんの買い出しがまだ……あれ?)
さぁ上手いことこの場を離れよう。と思って
まさか自分が話している間に1人でどこかに行ってしまったんじゃ、そういえばずっと静かだった。まさかまさかまさか──
膨れ上がる不安と焦燥に駆られてあたりを見渡す、けれどどこにも居ない。翼に尻尾、特徴的な外見をしている彼女が見つけられない。
脳裏によぎる単語は──迷子。
赤ん坊の迷子。
母リンに電流走る。
「ゴマちゃんっ!?」
「よんだ?」
「うぉわぁ!!!」
リンは大声でゴアを呼んだ。
姿が見えない子を呼んだ……つもりだったのだが、いつの間にか隣に居た。
居ないと思った子が次の瞬間には居たのだからすごく驚いた、寿命が半分くらい縮んだ気がする。
冷や汗をかいていたリンとは対照的に何食わぬ顔で傍にいるゴア、まさに親の心子知らずである。
居なくなったと思ったのは気のせい……?
「いつから居たの!?」
「いまさっき」
「さっき……? じゃあ、どこか行ってたの?」
「うん」
気のせいではなかった。
どこかに行っていたらしいが、しかしどこへ?
「りんの家、わすれものとってきた」
「六分街まで? ど、どうやって……」
不可解な現象に目を白黒させるリンに対して、ゴアは変わらない調子で話をする。
忘れ物を取りに行っていたというゴアの手には銀色のアタッシュケースが握られていた。……それはいいのだが、一体どうやって六分街まで戻ったのだろうか。
もちろん自分達が使ったように六分街までは地下鉄が通っている、しかし電車に初めて乗るようにはしゃいでいた子供が、次には急に1人で乗れるようになるとは思えなかった。
え、切符はどうしたの? という疑問も浮かぶ。
行きはリンが買ったが、往復分は買っていない。電車初心者のゴアのために片道ずつ買ったからだ。
……ていうかそのアタッシュケースなに???
「これ? これね、おかね」
リンが尋ねると、ゴアはおもむろにケースを開いた。
そこには金、金、金の山。
ビデオの中でしか見たことのないような大金が、所狭しと詰められていた。厚みからして一束100万ディ二ーはあろう塊が数十個、何故か少し使った形跡があるが、金額だけでいえばちょうど眼前のドレスを購入できるであろう額。
しかも「これで服買えるね」と、セールスマンの男にケースごと大金を預けてしまった。
セールスマンの男は人間の思考速度限界を超えて金を数え、お釣りを弾き出して、売上を持って走り去った。
あまりに、あまりに一瞬の出来事。
何が起こったのかリンが理解した時には、ドレスはゴアの腕の中にあった。
「……い、いまのお金、どこから……??」
全てが終わったあと、リンが搾り出せたのはその一言。リンはすごく嫌な予感がしていたのだ。
だってこのゴア・マガラという新米ホロウレイダーは、初めの初めは身一つでホロウの中に居たという。それがホロウ荒らしからアレやコレやとぶんどって今に至る、つまりあの大金は、ひょっとして……?
「うん、
リンはこの日、過去最大の叫びをあげた。
どうしようもない感情の、心の嘆きである。
〜
そんなこんなで、話は冒頭に戻る。
リンはその後ルミナスクエアで買い出しを済ませRandom playに戻り、H.D.Dからイアスヘ。ゴアはドレスに身を包み。2人は夜になるのを待って、同じくホロウに入った。
そして今、アーマーハティを素手で倒してしまったゴアに今日何度目か分からない雷を落としたところである。
『もう! これで何回目か分かる!? エーテリアスに素手で触らない!! あともっかい言うけど方向違うから!』
「でも……このほうが早い……」
『でももだっても無い!!』
「もうすっかりお母さんが板についたみたいだね」
「……お兄ちゃん、朝まで寝かせてあげようか」
「ンナッ? (もう1回?)」
「ははは……遠慮しておくよ……」
Random playバックヤード兼リビング兼プロキシ部屋にて、目を覚まして早々のアキラが口を滑らせる。
ゴアとは知り合って間もないどころか会ったばかりなのに、もう母親のポジションになってしまっている自覚は実はリンにもある。でもそれを他人に指摘されるのは全然違うんだよお兄ちゃん。
これだから素人は。素人は黙っとれ。
ドロップキックの反復動作を続ける
画面に映るのはFairyが作成したホロウのリアルタイムマップ、作成速度においてはパエトーンを凌ぐ一品。表示されるデータが示すのは、ホロウ自体は比較的小規模であり、暴れん坊ゴア将軍あってエーテリアスの反応もなく、平和なホロウであること。
強いていえばどこか遠くに繋がっている、Fairy鋭意調査中の裂け目がある程度。
特別なボンプでありパエトーンとして伝聞されてきた姿でもあるイアスの目を通せば、そこに見えるのは廃棄された塗料工場。
つい最近塗料泥棒が入ったのか、空の塗料箱が幾つも転がっているだけの廃工場。塗料だけを盗むなんて、ホロウの中で絵を描いたりでもするんだろうか?
特別塗料工場に赴いた理由はこれといってない。受けた依頼の内容が"黒蝕竜の撮影"である以上、神出鬼没の黒蝕竜の出現方法の特定と、偶発的にでも接触する事が求められる。
つまりとても気の長い話になるので、初めは規模の小さい、危険性の低いホロウで慣らしをしていこうというのがアキラの案である。
リンはこれを採用し、このホロウにやって来た。
だが結果的には件の裂け目から何体かの
ゴアはそれらを易々と解決したので、結果オーライではあるのだが……
『マスター、エージェント:ゴア・マガラは極度に高いエーテル適性を持っている……と思われる性質を発揮しており、エーテル侵食の兆候は一切見られません』
そんなFairyの言葉が引っかかる。
「ねぇお兄ちゃん、ゴマちゃんって何者だとおもう?」
「……記憶喪失で常識知らず、高い戦闘能力と、そこらのホロウ調査員の基準値を足蹴にするレベルのエーテル適性持ちの女の子。Fairyが言うにはエーテル適性とは断言できないみたいだけれど」
『似て非なるものと、肯定します』
しかし、パエトーンとその優秀な助手AIがゴア・マガラについて知っているのはこれくらいだけ。
あまりにも知らなすぎる。パエトーン以前にプロキシとしての身バレを防ぐため、なし崩し的に裏稼業へゴアを引き込んだ側であるのに、今後お抱えにしようというエージェントについて知っている事が少なすぎる。
それで言えば記憶喪失のゴア本人は、もっと知らないのだろうが。
「お兄ちゃん、もっと別の角度から考えてみようよ」
「別の角度?」
「例えばさ、ゴマちゃんが何のシリオンなのか、とか」
「……トカゲじゃないのかい?」
知らないことを知る。未知を既知とする。
身の回りにある未知を解体し解明する。これはホロウを生き抜く上で重要な考え方である。
元来常に道が変質するホロウをマッピングする"キャロット"も、それを手ずから作成するプロキシも、あのホワイトスター学会でさえこれは共通している。
そしてそれらは常として、多角的な思考を是とする。
「私はね、
多少突飛な
「ドラゴン? あの空を飛ぶ空想上の生き物……あぁいや、黒蝕竜が確認されて今はもう違うんだったね。今までドラゴンのシリオンが確認された事なんてあったかな……というか、ドラゴンなら翼があるんじゃないかな。尻尾はあるけど、それならトカゲや両生類系と見るのが自然だと思うよ」
「私ね……見たんだ、翼」
確たる証拠があれば。
それは論ずる価値のある世迷い言になる。
リンは2度、ゴア・マガラの翼を見た。
1度目はRandom playの2階・自室で、ゴアが一糸まとわぬ姿になった時。
2度目はゴアがドレスに着替えるのを手伝った時。
尾てい骨から続くようにして地表まで伸びる尻尾に加えて、初めは黒いマントか何かだと思っていたものが、折り畳まれていた翼だと知ったのだ。
肩甲骨付近から伸びる前腕部、上腕部ともに少女らしい肉付きのゴアの両腕よりも太く、筋骨隆々。鉤爪のようになっている翼の先端と関節部から翼膜の骨組みがすらっと伸びて、マントのように背中を覆っていた翼膜は黒に満ちた暗幕のよう。
そしてそれらの部位を覆う黒紫色の鱗。
ドラゴン。
これらの要素に共通する存在を、2人は知っている。
記憶に新しい、新聞の一面を飾った空想上の存在──だったものを。彼女と同じ黒紫色の尻尾、彼女と同じ黒紫色の翼をもつ、いまや新エリー都において本来カテゴリー名であるはずの『ドラゴン』とイコールで認知されている存在。
この世界唯一のドラゴン。
2人の思考は、同じ所へ繋がった。
「……確かに、猫がいれば猫のシリオンがいるように。ドラゴンがいればドラゴンのシリオンがいてもおかしくはない」
「でも、それだけじゃないような気がしててぇ.……」
自分の兄/妹が何を考えているかは言わずとも解る。
ゴア・マガラというシリオンから何を連想したかなど、もって朝飯前である。
けれどリンは他にも気がかりがあるのだと、背を伸ばしてリラックスしながら詰まった思考を吐き出す。
イアスとのリンクも最低限にして。
「そりゃ猫がいて猫のシリオンがいるのはもう当たり前の事だけどさ? 白猫とか虎猫もいるじゃない?」
「そうだね。動物もシリオンも、毛色に耳や尻尾と個体差はある。リンが言いたいのは、彼女と例のドラゴンに共通点が多すぎるのがむしろ違和感……という事かな」
「まぁうん……たぶん」
「でもそれは、黒いドラゴンがいれば黒いドラゴンのシリオンもいる……というだけの事だと思うよ。どちらにしても彼女と例のドラゴンの関係性は疑うべきだ」
「……わかんない、認めたくないだけなのかも」
「リンはすっかり、彼女のお母さんだね」
「だってあの子が、あんな赤ちゃんが、あんな激ヤバドラゴンと繋がってるなんて考えられる??」
「それについては今日の新聞にも地味ながら映り込んでいる、
アキラの言葉にリンは飛び起きてH.D.Dに顔を貼り付ける。イアスの視界も使って辺りを探す。
さっきまで、自分が兄と話始めた時には隣にいたはずのゴアの姿が──今はどこにもない。
H.D.Dが示すマップにも反応がない。
目を離した少しの間に居なくなってしまった。ルミナスクエアと同じ、状況を繰り返してしまった。
『「……ぁ、どうしよどうしよ!!」』
迷子は迷子、同じ迷子。
しかしホロウでの迷子は死に直結しかねない一大事。ルミナスクエアでの事があって注意していたはずだったのに、ちょっと気を緩めた瞬間に事が起きてしまった。
リンの掌に脂汗が滲み、冷や汗が頬を伝う。
──見つけなくちゃ、見つけなくちゃ。
例えどれだけ侵食に耐性があっても、逆にどれだけ耐えられるのか分かっていない。いつどこで限界になるのか分かっていないのだ。
焦りと緊張が加速し、リンとイアスはホロウをそこら中駆け走る。
アキラの静止も聞こえていない。
しかしそこで、悪戯っ気な口調の一声がかかる。
『ご安心くださいマスター、Fairyめは対象エージェントの動向を完璧に把握しております』
瞬間、静寂。
そして怒号。
「Fairy!! そういうのはもっと早く言って!!!!」
母は大激怒。
しかしFairyは怯まない。
『マスターは注意力が散漫になっておられました、プロキシとしての業務も精細さを欠いています。まだ付き合いは短いですが、以前のマスターであればホロウ探査中に必要以上のリラックス及び団欒をするなど有り得ませんでした』
返ってきたのは胸に突き刺さるダメ出し。
冷静になって考えてみれば、自分は何故あんな事をしていたのか分からない。
Fairyの言う通り、プロキシとして有り得ない事をリンはしていた。アキラも同様に、まるでそれをおかしい事と認識出来ていなかった。
「あれ……あれ……?」
気付いてしまえば、違う類の冷たい汗が頬を撫でる。
『マスターの敏腕助手は、この場の何者よりもエージェント:ゴア・マガラを警戒しています。かのシリオンが翼から常時、ごくごく微量に放出している粒子状の物質には神経系に影響を及ぼす成分があるものと思われます。現状散布範囲は半径1mと極小範囲ではありますが、接近頻度の高いお二方には既に影響が出ているものと推測します。直ちに医療機関の受診または……エーテル物質への接触を推奨します』
「エーテル物質への接触……? Fairy、それはどういう……」
『黒蝕竜のパールマン告発現場出現以降、数多くのホロウレイダーを含めた好奇心見たさに黒蝕竜と接触を図った事が、インターノット上で少なくとも54件発見。いずれのスレッドも書き込みから数分で
淡々と繋げられていく電子音声が告げたのは、警告。
あの無害に思えるシリオンを、真に無害だと思ってはいけないという警告。
Fairyの声は、今まで聞いた事がないような冷たいものだった。電気代の事で茶目っ気を出していた時や、自信ありげに作戦を立案して見せた時のような"感情"がのっていない。
ゴア・マガラに対し警戒の色を一切隠さないFairyの声は、ひどく無機質だった。
『ご安心ください、対象エージェントは現在裂け目を通った先、パレエツインズのホロウで確認しております。マスターがくっちゃべっている間、優秀な助手は裂け目の向こう側も調査が完了しております』
自分は仕事をしていたぞと、Fairyは無い鼻を高く鳴らす。言葉の節々にディスが混じっているが、どれも正当な責め句なために2人にはこれまた深く突き刺さる。
だが事実として正常な判断が出来ていなかった2人にとっては、これ程頼りになる存在もいないだろう。
今なら膨れ上がった電気代の事も許せる……とはなったりしないけれども。
「分かったよFairy、色々気になる所は多いけれど、今は君の言う通りにしよう。僕とリンは病院…それかホロウに行こう、リンもそれでいいね?」
「……う、うん…………」
リンは自分に起こった事から立ち直れていなかった。
少し前まで一緒に買い物をしていたのに、手はかかるけれど好ましく思っていたのに、今はゴアの事をまるで恐ろしいとしか思えていない自分の薄情さを、受け入れられなかった。
「Fairyはイアスと連絡をとってゴアさんを呼び戻してくれ、それからホロウからも脱出して
アキラが今後の事に関して、やるべき事を考えうる限りFairyに指示を出した。
今さっきの事もあって正しい判断が出来ているかどうかはアキラにも確信出来ない、けれど最善に近しい妥協策は提示できたはずだ。
イアスもゴア・マガラもホロウに放ってはおけない、近付くのは危険と言われても遠くにやる非情も出来はしない、だから自分達の拠点に戻れるようにと。
そう考えて伝えたはずの指示に、Fairyからは一向に返事がこない。肯定どころか否定さえ、一言も発しない。
「Fairy」
「……Fairy?」
兄妹2人が揃って呼びかけても、無音。
H.D.Dに表示されているFairyのアイコンも静止したままで、代わりに部屋中の演算機器のモーター稼働率が上がっていく音がし始める。
その異音に兄妹が気付いたとほぼ同時に、ようやくFairyは口を開いた。
『発言を撤回します、マスター』
『直ちに
『先程バレエツインズホロウにて
『対象エージェントは高活性エーテリアスと戦闘中、また何者かと共闘状態に陥っているものと思われます』
『エージェントのバイタル不安定。急いでください』
一も二もなく
ぽっかりと開いたままになっていた裂け目に飛び込んで、勢いのまま飛び出した先はバレエツインズホテルの上層階。双子の高層ホテルを繋ぐ渡りの中の一つ。
過去にあったホロウ災害から長い間放置され、今や人気も電気も失った場所。残された照明がガラス張りの上面から降り注ぐ月の光だけの、失われた舞台。
そこには、一対のエーテリアスがいた。
舞台の端と端に立つ2人のエージェントを見据えるように、舞台の中心にいて背中合わせ。まるで
『……えっ?』
──ギィン!!
状況を理解する間もなく、突風が吹く。
気付いた時には鋭利なエーテリアスの脚が、リンの眼前で止められていた。
2人のエージェント。黒紫色のドレスを身に纏った少女と、執事服のオオカミシリオンによって。
一体何カンさんなんだ……