スーパー戦隊の死因──『百獣戦隊ガオレンジャー』で利確できなかった25年の代償
スーパー戦隊シリーズ終了は時代の必然、むしろなぜこれ以上続くと思っていたのか?
とうとう来たな、スーパー戦隊シリーズの50年の歴史終了が……むしろよくここまで持った方だと褒めておこう。
賛否両論あるだろうが、俺個人としては「どうせこうなるなら何でもっとシリーズを早めに終了しておかなかったのか?」ということだ。
もう何度も散々書いてきたことじゃないか、スーパー戦隊シリーズの凋落についてはよ……とりあえずこれ。
もう以前からずっと思っていたことだが、そもそもスーパー戦隊シリーズはとっくに『未来戦隊タイムレンジャー』でやるべきことを全て終えていたのであって、いつ終了してもおかしくはなかった。
作品のクオリティー云々だとかそういうことではなく、もっと冷静に「子供向けビジネス」として俯瞰した時に、そもそも高度経済成長から始まったビジネスモデルがそんなに続くわけがないとは思っていたのである。
結局のところはタイミングが伸びに伸びてこのタイミングになったというだけのことであり、「盛者必衰の如く」という言葉を如実に体現したかのような終わり方だ。
仮にこれが嘘の報道だったにしても、それはそれで「なぜこのタイミングでそんな嘘をつくのか?」という話にはなるので、どっちにしたってここで終わっといた方がまだいいと俺は思う。
シリーズ終了の理由は色々考えられるが、1番の理由は「利確の失敗」であり、一番熱があるべき時に終了させなかったからこんなことになったのではないか。
スーパー戦隊シリーズに限らないが、どんなビジネスにも、どんなエンターテイメントにも物事には終了させるに相応しい絶好のタイミングというものがある。
もうシリーズ終了するわけだし今更忖度もクソもないので本音を言わせてもらうが、俺はリアルタイムで『百獣戦隊ガオレンジャー』の1話を見た時から「あ、スーパー戦隊はもう終わるな」という匂いは感じていた。
もちろんいつ終了になるかまではわからなかった(俺はニュータイプでもエスパーでもない)が、そもそも「作品のための数字」ではなく「数字のための作品」に成り下がったのは間違いなく「ガオレンジャー」からだ。
視聴率8.8%に玩具をはじめとする関連商品はバカ売れ、確かに景気は良かったんだろうし勢いはついたのだろうさ、だがそれと引き換えに肝腎要の作品のクオリティーはどうだったか?
役者も脚本も演出も何もかもが完全に薄っぺらいハリボテだった、個人的には『超力戦隊オーレンジャー』に続く「スーパー戦隊の死」を明確に感じた瞬間である。
何でかわかるか?
理由は「金儲けに走り出した」ことが作品を見て匂いでわかったから。俺の中ではもうスーパー戦隊はとっくに「未来戦隊タイムレンジャー」までで終わったんだよ。それを無理やり延命したせいでこうなっただけだと思うんだ。
タイムレンジャー〜ガオレンジャーの間に起きた決定的変化として以下の3つが挙げられる。
時代の変化:2000年代初頭=ネット普及・VHSからDVD・録画文化の転換期
視聴習慣の変化:子供が“朝リアタイで見る”時代が終わり始めた
ブランドの硬直:「戦隊=5人で協力」の構造を絶対に壊せなかった
一方で、平成ライダーは『クウガ』以降「1人+裏設定+ビジュアル進化」である程度は時代に最適化し、同じ年に生まれた2つのシリーズが、明暗を分けたのがこの2000〜2001年ラインだった。
だが、その平成ライダーも結局は「W」と「OOO」あたりを最後に自己模倣を繰り返すだけであり、どちらにしたってスーパー戦隊シリーズと同じ縮小再生産の末の打ち切りという道を辿るだろう。
まあライダーに関してはまだいい、何度か昭和時代に休止を繰り返したシリーズだったし「いつ終わってもおかしくない」という感覚はあったわけだから。
スーパー戦隊シリーズは違う、「ジャッカー電撃隊」〜「バトルフィーバーJ」までのブランクを除けば1作たりとてシリーズ作品を途切らせずに突っ走ってきた。
そんな状態でずっと5人1組のチームヒーローとしてやれることは「タイムレンジャー」までで全て表現し切ったのだから、それ以後何を作ろうが結局は「過去作品の自己模倣」という名の縮小再生産でしかない。
縮小再生産とは単に「ネタ切れ」「アイデアの枯渇ではなく、観客と作品の関係性が閉じた状態のまま発展性がないことを意味するわけであり、スーパー戦隊シリーズは間違いなく代謝が悪くなっていた。
つまり、「前の作品を知ってる観客だけが楽しめる世界」になった瞬間、文化は外への拡張力を失うのであって、その歴史の最初の一歩を感じさせたのが皮肉にも『海賊戦隊ゴーカイジャー』である。
黒羽翔とも話をしたが、「ガオレンジャー」「ボウケンジャー」「ゴーカイジャー」とスーパー戦隊シリーズは「ド派手な打ち上げ花火」を打っていた、何故だか知らんが00年代に入ってから旧作のファンに媚びるようになった。
それが何を意味するか?
間違いなく「新陳代謝の低下と作品と商品の双方における硬直化」でしかなく、ターゲット層が「次の新規層開拓」ではなく「既存オタク層の維持」が目的化してしまった。
しかも近年はSNSの影響で、その“内輪ノリ”がさらに強化され、クリエイター側も“ファンの期待に応える”方向へ最適化されてしまったし、戦隊オタクとやらもそれを間違った方向で支持するようになる。
結果、作品が“未来”を語らなくなったのであって、これに関しては私個人がどうこう批判したところで今更ではあるが、本当に「ガオレンジャー」以降すっかりスーパー戦隊シリーズの知性は作り手も受け手も共に退化していた。
近年は特に「ドンブラザーズ」「キングオージャー」「ブンブンジャー」と一作ごとに信じられないほどクオリティーもビジュアルも下がっていく一方だったせいか、何故だか「批判されていたはずの作品の再評価」が始まっている。
具体的には「轟轟戦隊ボウケンジャー」「獣拳戦隊ゲキレンジャー」「海賊戦隊ゴーカイジャー」なのだが、個人的には「ガオレンジャー」以降の戦隊なんて所詮「戦隊の皮を被った公式の二次創作」としか見ていない。
近年ではその同人レベルに成り下がったはずのスーパー戦隊すらマシなのだと評価するものがあった、要するに「もっとゴミな作品が生まれた」から「今まで酷いと思っていたのが酷いと思えなくなった」のである。
わかりやすく言えば学校のテストで赤点ギリギリの点数しか取れなかった劣等生がいたと思ったら、さらに下の学年になるにつれてもっと酷いのが入ってきたから相対的に劣等生が劣等生ではなくなるのと同じことだ。
だが、どこまで行こうが所詮駄作は駄作なのであって、体力も気力も失ってくたびれたシリーズがそんなに長く持つわけがないのだ、それをわかっていればむしろ妥当な判断だったといえる。
易学(占い)の観点から見ても実はスーパー戦隊シリーズは終わってもおかしくない大運に入っていたのであって、そのタイミングがたまたま今年に来てしまっただけのことなのだ。
今年は巳年、以前も述べたように、2024年の夏辺りから本格的な「風の時代」へ向けたエネルギーの切り替わりが始まっており、今年はそれが一気に表面化する年だとゲッターズ飯田は言っていた。
だから、「地の時代」の象徴たるものはどんどん淘汰されていくわけで、スーパー戦隊シリーズとて例外ではなかったというだけのことだろう、どうせウルトラシリーズもライダーシリーズも同じ末路を辿る。
今年その変化が起きなかったのだとしたら来年・再来年にもっと激化した形でその変化が現れ、これからますます地の時代の象徴に執着していると取り残されることになっていくのだ。
案の定、スーパー戦隊シリーズは淘汰された、どう言い訳しようがこれは否定しようのない客観的事実である。
むしろ逆にここまでよくもまあ延命させたものだと思う、「タイムレンジャー」までで終わりにしとけばよかったシリーズを無理やり続けたからこうなったわけだから。
スーパー戦隊ファンの皆さん、何も悲しむことはないし絶望すべきことでもない、是非とも潔くこの50年の歴史に「今までありがとう」と手を振って別れようではないか。
俺が言葉のパワーで遥かな眠りの旅をスーパー戦隊シリーズに捧げてやろう。
ありがとうスーパー戦隊シリーズ!俺にたった10年の間の数作品だけでも面白いものを見せてくれて!
もう2度と復活とかしなくていいから思い出の中でじっとしていてくれ!



・「シリーズ終了の理由は色々考えられるが、1番の理由は「利確の失敗」であり、一番熱があるべき時に終了させなかったからこんなことになったのではないか。」とありますが、終了の理由がもっと早く終了させなかったからっていうのはわけ分からないですね。 ・「『百獣戦隊ガオレンジャー』の1話を見…
自分は戦隊はゴーオンジャーまでで、あとはライダーしか分かりませんが、ライダーについてはWやオーズあたりまでは新しい事をやれていた、というのは完全に同意で頷き過ぎて首もげそうです。 まあオーズの時点で焼き直し的でしたが、あれはかなり良く出来てましたから。 長年シリーズを絶え間なく…
戦隊終わってよかったですね、懐古厨おじさん あなたこそ思い出の中でじっとしてればいいのではないのでしょうか?
終わる前に言えよ。いくらでもいえるだろ。タイムレンジャーで終わりって、20,世紀までか。単純すぎ。ドンブラ見て、まさか、ここにきて、最高におしろい戦隊に会えるとは思わなんだ。60すぎても戦隊にワクワクしていたかいじゅう番長。