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変成男子

『差別の超克 原始仏教と法華経の人間観』 (植木 雅俊著・講談社学術文庫)、本の内容紹介には次のようにあります。

「女は成仏できない」(五障)、「女は男に変身することによって成仏できる」(変成男子)――仏教は、女性を蔑視しているのか? 古くて新しいこの疑問を、サンスクリット、漢訳からの豊富な引用と緻密な論で質してゆく。インド思想研究の第一人者が正面から挑んだ、21世紀の「ジェンダー仏教論」。※原本『仏教のなかの男女観――原始仏教から法華経に至るジェンダー平等の思想』(2004年、岩波書店刊)を改題・改稿 (以上)
浄土真宗も、『仏説無量寿経』に「変成男子の願」があるので、この本は参考になります。序章に“「仏教とジェンダー」研究略史”があり、その中に次のようにあります。

人越女史や、田上博士、『差別語を考えるガイドブック』などが共通して問題にしている「女人五障」と「変成男子」について検討してみると、いずれの批判も文章の前後関係や、歴史的背景を無視して、断面のみをとらえた議論だと言うべきものである。それは、外ならぬ『法華経』を先入観なしで読めば分かるはずだ。『法華経』の「提婆達多品」に明らかなように、「変成男子」が説かれたのは、シャーリプトラ(舎利弗)に象徴される小乗教団が主張していた「女人五障」説を「否定」して、女性も成仏できることを訴えるためであった。
 「女人五障」の考え方は、もちろんバラモン教的なインド社会の差別思想が小乗仏教に反映したものであり、それをいかに乗り越えるか、どうすれば釈尊の説いた「平等」に立ち返ることができるかという点こそ、初期大乗仏教の人々の緊急の課題であったはずである。従って「女人五障」をもって仏教全体が性差別の宗教だと論ずることはできない。歴史的人物としての釈尊は、「女人五障」など知るよしもなかった。それは後世の小乗仏教徒が仏教教団内に持ち込んだものである。
 『法華経』などの初期大乗仏教は、何とかそれを乗り越えようとした。そのために、女性を極端に蔑視するインド社会にあって、「変成男子」という妥協的表現によってではあれ、女性が成仏可能なことを主張した。しかも、「法華経」提婆達多品の「変成男子」という言葉の前後関係を綿密に読むと、「変成男子」は女性が仏に成るための絶対的に必要不可欠の条件とはされていないことが読み取れる。そういったことを無視して、女性差別だと決めつけるのはいかがなものか。
 大越女史にしても、田上博士や、『差別語を考えるガイドブック』にしても、そうした文脈を考慮せずに、「変成男子」という言葉の字面だけから、いとも単純に女性蔑視と決めつけるのは、当時の社会的、思想的時代背景を無視した皮相な見方であり、一面的な見方と言わざるを得ない。
 また、田上博士の論調は、特に大乗仏教の真意を曲解されているように思えてならない。
小乗仏教化した当時の仏教界にあっても、仏教外にあっても、極めて軽視されていた女性を、「いかに救済するか」という点に大乗仏教の真意があったのだ。(以上)

 
本の最終章は「結論、今後の課題」となっており、、そこだけでも読み応えがあります。
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