高市首相誕生は「時代の必然」だった 海妻径子・岩手大教授に聞く
日本初の女性首相となった高市早苗さん(64)は、選択的夫婦別姓導入に慎重な姿勢を示すなど「保守派」として知られる。岩手大学副学長の海妻径子教授(57)は高市さんをはじめとする女性保守に注目してきた。高市さんから「目を背けられなかった」という海妻さんに真意を聞いた。
■厚み増す女性保守、「ガラスの天井」破る
――高市さんが日本初の女性首相になることをどう受け止めていますか。
性別役割分担の解消に消極的な保守政党で「ガラスの天井」を破る女性が登場したことは意外にうつるかもしれません。しかし、ここ四半世紀でタカ派ともよばれる女性保守政治家は層の厚さを増し、閣僚になるほど当たり前の存在になった。
そうした状況で、仮に高市さんでなくても、首相はともかく(自民党の)女性総裁は誕生していたでしょう。時代の必然と思います。
かつて女性の政治参加は「台所の感覚」を政治に持ち込むことだと言われました。
1989年、土井たか子さん率いる社会党(当時)が参院選で女性候補を擁立し、多くの女性議員が当選しました。土井さんには働く女性からも主婦からも強い一体感と支持が寄せられました。「男の世界」である政治から排除された女性たちは、立場は違っても連帯できたのです。しかし今や女性の生き方や考え方は多様化し、ひとくくりにはできません。
――近年、保守の女性政治家が増えた背景には何があるのでしょうか。
かつての自民党政権で閣僚に登用された女性は、女性が多い職能団体から擁立された議員や官僚出身であることが多く、女性の多い職業の代表、あるいは女性政策に関する専門性から登用されてきました。女性保守の中には、高市さんや東京都の小池百合子知事(73)のように92年の日本新党設立以降の政界再編、新党ブームにおける新人候補として、あるいは片山さつき参院議員(66)のように2005年の郵政選挙の「刺客」として擁立された人も少なくありません。党内での対立が解消されれば、公認を失い、去っていく人も少なくないなか、高市さんやタカ派とも呼ばれる女性保守は、地盤や支持母体、女性政策の専門性に代わるものとして、新保守主義的政策に関する専門性とそれにもとづく強硬な主張を展開することで生き残ってきたように見えます。
――なぜ高市さんをはじめとする女性保守に関心を?
私は高市さんとほぼ同時代を生きてきました。バブル経済の到来、男女雇用機会均等法の施行(1986年)。高市さんが深夜番組に司会として登場した時のことを今も覚えています。「女の時代」と言われましたが、実際は違った。高市さんのエッセー「30歳のバースディ」には、弟の進学費用のために、行きたかった東京の私大をあきらめたこと、テレビ番組で女性評論家として感情論で番組を盛り上げることを求められたことなどがでてきます。
私のことかと思いました。企業の面接では「結婚したら仕事を辞めるのか?」と問われた時代です。「女性の時代だ」とあおられて、お立ち台の上で踊らされ、一方で「降り時を間違えるとどうなるか分からない」と脅された。
そうした中で、高市さんは一生、お立ち台から降りない選択をした。彼女が生き残るために、どれほどの苦労をしたか。時代の矛盾を体感しながら、必死で生きてきた者として目を離すことができませんでした。
高市さんは「女の皮をかぶった男」とも揶揄(やゆ)されますが、私は私たち世代の矛盾を体現する女性政治家だと思っています。
高市さんら女性保守の台頭は女性の高学歴化などのフェミニズムの成果と、保守政党の女性登用戦略に女性自身が主体的に乗ることで生み出されたと見ています。高市さんはフェミニズムと保守のハイブリッドと言えるのではないでしょうか。
――リベラルより保守が先にガラスの天井を破ったことをどう受け止めればいいのでしょう。
女性保守を「女性なのに女性を裏切っている」などと批判し、例外的で偶発的現象だととらえるのは違う。タカ派の方が先にガラスの天井を破った「構造」を見るべきです。それは翻って、リベラルにはどうしてそういう構造が構築されないのか、ということを考えることになると思うからです。(聞き手・大貫聡子)
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かいづま・けいこ 1968年生まれ。岩手県出身。お茶の水女子大学大学院博士課程人間文化研究科修了。専門はジェンダー論、男性史。著書に「ゆらぐ親密圏とフェミニズム」など。
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