20歳くらいの子たちの話を聞いていると「無駄なことしたくない」の恐怖が相当大きいようです。無駄に対しての耐性をつけないと、どんな才能も頭の良さもアイデアの素晴らしさも意味を持ちません。それを社会のなかで活かすための「行動」が生まれないからね。「無駄上等!」と振り切るのめちゃ大事。
小倉ヒラク | Hiraku Ogura
小倉ヒラク | Hiraku Ogura
46.2K posts
小倉ヒラク | Hiraku Ogura
@o_hiraku
発酵デザイナー。 下北沢発酵デパートメントオーナー。ラジオ『発酵兄妹のCOZY TALK』『#ただいま発酵中』パーソナリティ。著書に『発酵文化人類学』『日本発酵紀行』『オッス!食国』など。山梨の山の中に住んでます。お仕事の問合せは公式サイトからお願いします!
小倉ヒラク | Hiraku Ogura’s posts
僕は東京で発酵デパートメントという食材店をやっています。今年に入ってから、今までのように仕入れられないものが急激に増えて危機感を覚えてます。値上げとかそういう話じゃなく「原料がない」「資材や設備がない」「つくる人がいない」要因が重なり、仕入れられない。これは米だけじゃないんです。
長年ホテルに泊まるときに不思議だったことが判明。チェックイン時に氏名住所国籍を書かなければいけない理由は「伝染病が拡散した時の感染ルートを特定するため」だそうです。マーケティングだと思ったらバイオハザード対策だった!記帳を拒むとゾンビと見なされるかも知れません。
30代は「捨てる」というのがほんとに大事な時期。「人から期待されること」を優先するとどんどん人生の軸がブレていくので「自分が納得すること」を最優先にするために「捨てる」。「人から期待されることで自分が納得すると思い込んでるタイプのひと」はじわじわとこじらせ地獄に落ちます。
お味噌や日本酒、漬け物のような伝統食は海外から調達できません。もし国内で作れなくなったら、いくらお金を積んでも手に入らなくなります。今起こっているのは値上げの問題「ではない」のです。そうではなく自分たちの伝統を失い、選択肢がなくなる危機なのです。
Replying to
資材や設備の問題も厳しい。お酒や調味料を入れるビンも、メーカーが廃業したりラインの廃止で新しく作られないものが出てきました。レトロで可愛い一合便のお酒もそのうち見られなくなります。工場の機会が壊れても修理が難しいとか、農業や漁業だけじゃなく食を支える産業全体が限界に近づいている。
Replying to
例えば海の問題。秋田はハタハタ漁が壊滅的で、しょっつるがつくれないと連絡がありました。岐阜では暑すぎてアユのなれずしが崩れてしまったとも。宮崎では海の生態系が変わって海藻が取れず、むかでのりが取り扱えません。各地の郷土ずしも魚が取れずに苦労しています。これは今年だけの話じゃない。
Replying to
もっと身近な食材でもそう。 僕たちのお店では地域のメーカーのものを多く扱っていますが、乾麺は一回あたりこれくらいしか出せない、漬物は一回あたりこれくらい、と上限が出てきています。つくる人が高齢のご家族だけだとこうなる。こういうものほど人気なので負担かけてごめんね、という気持ち。
社会人になると、しばらく「就職した業界の狭い常識を全世界とする」というプレーをする必要があります。その時に狭い世界に本気で適応しすぎると人格がおかしくなるので、若いうちに旅したりヘンなことしてオトナの言うことを「話はんぶん」でスルーする耐性をつけると楽しい社会人ライフを送れます。
人を拘束する最強の呪いは「自分はこの世界以外では生きていけない」という思い込みです。文化の違う国へ旅したり、価値観の違う人と出会ったり、違う時代や世界に書かれた本を読んだりするのはこの呪いを解いて「自分は自分で望む世界で生きることができる」と自由に向かって一歩を踏み出すためです。
食における「環境」とは自然環境のことだけではありません。働く人の持続性もそうだし、各地域で育んできた産業の仕組みもそうです。原料がない、つくる人がない、資材や設備がない。食のこと、ものづくりのこと、地方のことを長いあいだ軽視してきた結果が今年、2025年に出てしまったのです。
「今の我慢」を担保にしたら未来がもらえる。こういう謎の価値観がこの時代を生きる子どもたちにも刷り込まれているのがほんとに驚きです。「今できること」の延長線上に未来があるんです。大事な「今」を取り上げようとするマインドセットからは全力で逃げたほうがいいと僕は切実に思います。
Replying to
ほんとはヨーロッパみたいに街の真ん中にある広場とか公園が「なんとなく」「ぶらぶら」の受け皿になるといいんだけど、日本の行政は「みんながのびのび楽しむ」を病的なほど嫌っている(原因は不明)ので、公共の場所にはまったく期待できない。なので地域の人がつくる「お店のフリした公園」が大事
ではどうしたらいいのだろう?
手前みそな話ですが、発酵デパートメントで扱っている醸造蔵や農家さんを応援してほしい。それぞれの地域のそれぞれの持場で頑張っている人たちがたくさんいます。僕たちのお店で買わなくてもいいので、選択肢を増やす行動を自分のできるぶんだけしていって欲しいです。
Quote
小倉ヒラク | Hiraku Ogura
@o_hiraku
お味噌や日本酒、漬け物のような伝統食は海外から調達できません。もし国内で作れなくなったら、いくらお金を積んでも手に入らなくなります。今起こっているのは値上げの問題「ではない」のです。そうではなく自分たちの伝統を失い、選択肢がなくなる危機なのです。
突拍子のない話ですが、日本人がやたら忙しいのは経済の問題以前に「人生における意味の欠如」を隠すためなんじゃないかと最近考え始めています。虚無を自分のなかに持て余すよりは、とりあえず色々用事があるふりしておこう…という無意識が働きかたの合理化を防いでいるような気がしてならねえ。
#リア突WEST 無事放送されました。神山さんスゴい反応してましたが、これも味覚センサーが鋭いからこそ。桐山さんはふぐのこ好きになってくれてなにより。DAIGOさんの「ホンオフェいけるかも」リアクションは驚き。一緒に漬け込み体験もして楽しいロケでした。スタッフの皆様ありがとうございました!
生物の歴史を見ていくと「強くあること」「多数を占めること」を目指すとわりとすぐ滅ぶようです。自分が強すぎると種の多様性が減って、それが環境の激変を招いてしまうから。ではサバイブするためには何が大事かというとこれはもう「ユニークであること」「しなやかであること」の2つに尽きます。
社会人スタート期の20代は「全部できるヤツ」が輝いて見えるけど(求められている価値のレベルがそもそも低いからね)、求められる価値が高くなっていく三十代以降は「やらないことを決めたヤツ」の真価が発揮されます。このシフトチェンジの意味に気づかないと小器用なこじらせパーソンになるんだよ。
Replying to
日々の生活が苦しいなかで安価な輸入食材が増えるのはありがたい、けれどもその裏で自分たちの選択肢がなくなっていくことは認識したほうがいい。このスレッドを見てくれているみんながやるべきことは、選択肢を増やす日々の行動。来年から「終わらない日常」の延長では生きられない。覚悟して動いてこ
20代半ばを過ぎて生物学を学んで良かったのは、そのへん歩いているだけで面白いものがいっぱいあることに気づけるようになったことかしら。森クラスタ、真菌クラスタ、野草・薬草クラスタは世界の解像度を上げるに従って、歩く速度が遅くなる傾向があるよ(情報量が多すぎる)。
自分が何者なのかを知りたければ、好きなことではなく嫌なことを、違和感のあることをよく見つめる。なぜなら好きなものは移ろいやすく、嫌いなものは揺らがない。なぜ私はこれに違和感を感じるのか、それを粘り強く掘り下げた人ほど自分の強い芯を持っている。僕の近くにいる人から学んだことです。
みんなが知ってるような大手メーカーの「新規事業立ち上げているのでぜひお話したい」というオファーは絶対に!絶対に!!受けてはいけません。連絡してきた人は新規事業担当という名の窓際族で、仕事してるっぽい態度見せるだけの雑談に無料で付き合わされる可能性が高いのです。悲しいことです…
自分で起業すると「決める力」が尋常じゃないほどアップするのは、海外ひとり旅と原理は一緒。失敗した時のリスクが大きい&誰も責任とってくれない、と同時に予期せぬ出会いや成功の快感もまたハンパない。自分の決定が引き起こすドラマを、持たざる者でも実感できる体験が起業とひとり旅ですね。
Replying to
酒でも味噌でも大手メーカーは比較的値上げせずに来年を迎えられるかもしれません。ミニマムアクセス米をはじめ安価な原料を優先的に手に入れやすいからです。しかしそれも長くは続かない。自国の原料の選択肢がなくなれば、仕入れ価格が自分たちでコントロールできない外部に依存せざるをえないから。
社会の底が抜ける時は一瞬で、2025年はその分水嶺だと思う。世界全体のマクロなことでなくて日本の話。社会の分断がどうこうという概念の話でなくて、衣食住に関わる実際の話として、これまでの延長で日々の暮らしを考えられるのは今年で終わりかもしれぬ。
歳を取るということは、頭の良さとか才能が思ったほどたいした価値がないということを実感するということよ...。大事なのは、素直さ、根気強さ、どこでも寝られて何でも食べられて、人の話ちゃんと聞けて、多少辛いことがあってもいつでも朗らか、とかそういうこと。つまりちゃんと生きるということよ
うわああああ大変だ!佐賀の呼子に素敵すぎるゲストハウス&カフェができてしまった。二階の部屋からは真っ青な玄界灘が見えるしカフェではセンス良すぎのスイーツ味わえるし中庭も雰囲気あるし、昭和から時間が止まっていると思ってた呼子に新しい風が吹いてる…嬉しいよおおおお
質の良いデザインをつくるためには徹夜でデザインなんてしてちゃダメで、さっさと仕事終わらせてコルビジェの建築見に行ったり尊敬するデザイナーに会いに行ったりしにいかないといけない。「いっぱい仕事すること」ではなく「意識の解像度を高めること」に価値があります。それはつまり自分への投資。
今週は20代後半のモヤモヤ男子が来て「世界に真理なんてあるんすかね…」とアーバンな虚無をぶつけられましたが僕は山梨に住んでからそういう「曖昧な虚無」を感じなくなりました。それはなぜか。人生の用事が増えたからです。曖昧な虚無は重力が軽すぎることから生まれ、用事は人生に重力をもたらす。
ヒカリエ歩いてたら、向こうから黒いドレスを着た素敵なお姉さんが颯爽と歩いてきて、すれ違うときに何かがハラリと落ちた。なんだろう?と思ったら木の葉が1枚。振り返ったらお姉さんの姿はなかった。渋谷の真ん中にもまだキツネさんがいるんだね。
昨日連投した、お金出しても食べ物買えないかも問題、思いがけず色んな人が読んでくれたようです。コメントたくさんでもう追えないけど、関心寄せてくれてさんきゅー!
自分の人生が次のステージに進むのは、不特定多数の人に受け入れられる時ではなく、自分の未来の可能性を自分自身よりも見抜いてくれる一人の目利きに受け入れられる時だったりします。世の中には「ちょっとだけ先の未来」が見える感性の人がいて、そういう人と出会えたら本当に素晴らしいことです。
「マニア」「オタク」「偏愛」の切り口で色んなところから番組や企画の出演依頼がたくさん来ます。「目的なく何かをどうしようもなく好きになる」というだけのことが現代日本社会では貴重な資源と見なされるということなのか…。「何かを好きになる」ということすら自分軸で決められない世知辛さよ。
文庫なら1000円、単行本でも2000円ぐらい。本ってほんっっっっっっとに安いですよね。僕、5000円とか10000円くらいする専門書よく買うのですが、自分で本を書いてその手間と投資の大変さを知ってみると、むしろこのぐらいの値段が適正だよな…と思います。本は商品というよりギフト。尊いぜ…!
センスは20歳前後までに鍛えるもので、意思決定力は社会人になってから鍛えるものだと思っています。歳で分けるのでなければ、センスを鍛えるのは遊び、意思決定力を鍛えるのは仕事と言い換えてもいいかもしれません。何歳になってもセンスを磨きたければ、遊ぶのを忘れないのが良さそうです。
僕はこう思う。人は「知る」だけでは成熟できない。「つくる・実践する」ことを通して、自分の振る舞いが世界を良くする/悪くすることに影響するという「責任」を実感する。「知る」ことはメディアを通してできるけど「つくる」ことは場がないとできない。場をつくることの本義はここにある。
30代は20代の延長なのだが、40代は30代の延長ではない。40代は新たな人生のスタート地点。どちらかというと10代の頃の望みや葛藤がかたちを変えて戻ってくる時期なのではないか…と思っている。
「好き」に理由はいらない。というか合理性や費用対効果をふっ飛ばす好奇心のことを「好き」と呼ぶ。何かを好きになることに誰の許しもいらないし、好きになることが何の結果をもたらさなくてもいい。
「好き」くらいは自分のなかに大事に抱えて、他人に渡さないようにしよう。
歳を重ねるほどに思考が柔軟に、他者に寛容になる人は「感性の記憶」を豊かに持っている人です。いつでも「自分のなかにいる違う感性の過去の自分」と対話しているから、他者に対しての好奇心を失うことがない。旅や芸術に触れるのは教養のためではなく自分のなかの他者を忘れないためですね、きっと。
「人は変わらない」というのは悲観論ではなくて。絶対に手に入らない「立派な自分」を延々とないものねだりするよりは、まず己の持っている武器のしょぼさを認識し、しょぼい武器でも戦える戦術を編み出すほうが生産的だし、最終的にできあがる戦術はかなり笑えるものになるので愉快に人生過ごせる。
自分の意思で人生を進めるためには「無駄なことせずに目標を達成したい」という気持ちを捨て去ることが大事だなと。1つの成果を出すためには膨大な無駄が必要だし何なら無駄にもがき続ける中で「自分なりの目標」が見つかったりする。「自分らしく生きたい」「無駄なことしたくない」は両立しない。
未知なもの、意図が不明なもの、意味がわからないもの。20代頃までにどれだけこういうものに触れられたかで「精神の免疫機能」が鍛えられる。免疫がつく前に目的や損得の意識で「なんだかよくわからない面白いもの」を排除してしまうと不条理に耐えられない人格になってしまうよ。
なお僕が住んでいるのは山梨なんですけど、ワインの原料のブドウも気候変動の影響をめちゃくちゃ受けています。ブドウは気候の影響をものすごく受けるんですが、春〜夏の天気のパターンが例年かなりブレるので、収穫量と質が毎年ジェットコースターみたいに乱高下します。醸造家にとって悩ましい問題。
Replying to
僕たちだけじゃない、日本全国に地域のこと、ものづくりのことについて真剣に取り組むお店があります。自分の家に近いそういうお店を見つけて、そこの活動も支えてほしいと思います。なにとぞよろしく...!
デザイナーでも料理家でも、小手先のテクニックや業界のトレンドよりも「美しいもの」「美味しいもの」の経験にいっぱいお金と時間使うのがいいと思います。つまり勉強よりも遊びに投資する。だって、自分が「今まで見た一番美しいもの」が、「これから自分がつくる美しいもの」の上限値になるからね。
今の時代における「良いモノ」とは「スペックが良いモノ」ではなく「考えかたが良いモノ」です。それを使うことで、つくった人の思考を追体験できて、しかもその体験から学びを引き出すことができるモノ。本や映画が担ってきた機能がプロダクトにも期待されるようになった。とっても喜ばしいことです。
なぜ地方でしょぼい既得権益の奪い合いが起きるかというと、その土地に住んでいる人が地域経済の伸びしろを信じられないから。新しいものが生まれないなら、今あるものを他を押しのけてでも確保するしかない。そこで起きるディスコミニュケーションがより衰退を加速させる。これが崩壊のセオリーです。
デザイナーが大事にすべきことを上から順に並べると、
①健康
②話を聞いて整理する能力
③お金や時間の交渉力
④責任や業務を線引きする能力
⑤窮地に陥った時の不敵な笑み
⑥息抜きできる場や趣味
⑦腰が痛くならない椅子
⑧デザインスキル
となります。
「若者を応援したいんだ」と言いながら、若者をダシにして自分を誇示したいだけの年配者をよく見かけます。若い世代の大事をわかっている先輩は、しかるべき時がきたら「黙って自分の場所を空ける」ということをするんですけど、これができなくて日本の各所が大混乱しています…汗
要チェックだ!
Quote
TVer
@TVer_official
ABCテレビ「リア突WEST」
桐山ドM嗅覚発動!オリジナル発酵食品作りで「発酵うぃっしゅ」出るか!?
#TVer #リア突WEST #リア突 #ジャニーズWEST #重岡大毅 #桐山照史 #中間淳太 #神山智洋 #藤井流星 #濵田崇裕 #小瀧望 @riatotsuwest #NowOnTVer #もっと今をつなぐテレビへ
tver.jp/lp/episodes/ep
体験と読書のバランスについて。読書したり調べたりするのが好きな人は、意識的に「当事者として体験すること」に舵を取ったほうがよく、調べる前に行動する人は意識に「世界の構造を知る読書」をしたほうがいい。これは社会に出て数年経った頃に強く意識すべき、と僕は思っています。
20歳の時は「何かしらで名を成して世に出ねば…!」と焦ってジタバタしても、ほとんどの人がたいして何も成せないままおじさん&おばさんになる。そこでヤケにならずに自分に与えられたタスクを地道にこなしていると、人格に透明感が出てくる。その透明感は深津絵里にも負けない尊さを放つんだよ。
旅で大事なのは「どこに行ったか」ではなく「そこで何を感じて、何を考えたのか」だと僕は思っています。世界一周してたくさんの珍しい景色を見たとしても、そこで何も感じず考えなかったらそれは旅ではない。家の半径500mの範囲だとしても、そこに出会いがあればそれはすでに旅なのですね。
ここ4ヶ月のあいだ僕が大事にしている三カ条は、
・元気でいること
・正解を求めないこと
・自分のことも他人のことも気にしすぎないこと
です。この3つを守っていると攻撃的にならないので自責も他責もしなくてよい感じがあるよ。あとは好きなもの食べて(僕の場合はアイス)よく寝ることかしら…
僕が言いたいのは、要は無理したり見栄はってまで何かやる必要はないよ、ということ。本当にやるべきことは、難しい挑戦であってもなぜか恐れや不安がない。そういう時は自然と足を踏み出せる。もしそういう時がこなければ別に今のままでいい。「何かやらなきゃ病」は現代人特有の病いなのかしら…
「そのうち状況が落ち着いたら」の「そのうち」は当面来ないので「この状況」のままで生きていける方法を試し尽くす以外生き延びる方法がない、と痛感します。耐えしのぐだけでは持ちこたえるのは難しく、耐えしのぎながら挑戦して、さらに運がついてきたらなんとか生き延びられる…という感じです。
人生で誰かを好きでいられる時期は短い。それを過ぎると、自販機でおつりを落とすみたいに愛を落としてしまうことがままあります。「人を好きになれる」というのは「固い食べ物をバリバリ食べられる」とか「徹夜で仕事できる」みたいに有り難いことだということがもっと妙齢の男女に共有されてほしい。
睡眠は体力回復の手段じゃなくて、それ自体が価値ある体験。夏に畳に寝転んで蝉の声聴きながら昼寝するとか、知らない国のホテルで目を覚まして窓を開ける瞬間とか、長距離電車に乗ってうつらうつらしてる時に子供の時の記憶を思い出したりとか。なんとも言えないロマンあるし人生の醍醐味と言いたい。
旅には厄介な中毒性があって。旅の非日常に没入し続けるとやがて自分の人生が旅に食べられてしまいます。旅の体験は自分の世界を豊かにするためにあるもので、旅自体を目的にすると自分のアタマで何かを考えることができなくなってしまう。僕が立ち戻るのはいつでも自分の部屋で考えることです。
「何でもできる自分への期待」よりも「たいして何もできない自分の肯定」にこそ人生のブレイクスルーがあるように思います。大して何もできない。ならば何をやるべきなのか?「一度かぎりで、一人きりの小さな器」の形状や質感を精密に測ることから「その人なりの創造性」の扉が開かれる。
チームをつくるには「仕事」が必要ですが、コミュニティをつくるには「用事」が必要です。仕事には合理性と責任が必要ですが、用事は違う。
「コミュニティをつくるぞ!」と思っている時点でそれは仕事。みんなで集まる用事があるので、結局コミュニティができた、というアプローチがいいと思います。
調味料を見直すと日々の料理のクオリティが爆上がりします。大事なのは変える順番。まずは味噌→酢→みりんがオススメ。味噌で革命の狼煙が上がり、酢で革命前夜、みりんで革命が起きます。醤油は革命が成就した後でも間に合います。まずは味噌、酢、みりんなのです…!
本というプロダクト単体をどうつくるかで思考停止しちゃダメで、そのプロダクトからどういう関係性が生まれるのか。モノを超えた「現象」を生み出すつもりで本づくりを考えないと、今の時代の出版は価値がないように僕は思います。言いたいこと伝えるだけなら、自分のメディアでできるもの。
これから日本の社会で僕たちが直面するのは「寂しさ」です。今まで当然のようにあったもの、心を浮き立たせていたものが次々になくなっていく。怒りや悔しさよりもリアクションしづらい寂しさとどう向き合うのか。精神の成熟が求められる次の10年になりそうです。