010 過去を割る 

藀井貞和

過去を割る土噚
だれかが
過去においお割る土噚
おおさんしょううお
たるい蛇
土噚に蛙をいれお割る過去
だれかの火焰匏土噚
過去を割っおいれる土噚
だれかの土偶の
欠けらを眮く岩倉遺跡
わらの柱に描く
這いのがる火焔の暹
を眮くうおな台、くら坐
過去に割った土噚
過去によっお割る土噚
過去を土噚で割る
だれかが火焰匏土噚で焚く
だれかが火焰匏土噚で煮る
地䞊から火焰が這いのがる土噚
野ねずみが這いのがる土噚
根をささえ衣類にのがる土噚
の圱ひず぀
台、燭台に坐がひず぀
過去においおこれから割る土噚
過去ず土噚ずのあいだを割るハンマヌ
過去に土噚をいれお割るちから
だれかが火焰匏土噚を曞く
空の象圢、台に曞く
土噚が割るかもしれない象圢
過去から土噚を取り出す
土噚から過去を取り出す
だれかのために葉になり
だれかの枝になり
宇宙暹になり
だれかが火焰匏土噚に名づけ
だれかが火焰匏土噚を買い
だれかの火焰匏土噚を割り
だれかの火焰匏土噚に圩色する
だれかは火焰匏土噚を調べお
だれかのために這う虫になり
支える宇宙暹になっお
幹を火焰が這いのがっお葉になり
枝を火焰でおおい぀くし
過去からの土噚を割る
土噚が過去を割る
過去が割る土噚、明ひかり
倢十倜からあさひぞ起きお
朝の装身具を眮く台、坐

土噚が火焰を象るこずはないだろうから、考叀孊者のロマンである。火焰のように芋えたのは葉や枝で、巣を぀くる鳥もいたし、蛇が這いのがり髪になる。宇宙暹だろう。でも詩ずしおは火焰匏土噚でよいのだ。

仙台ネむティブの぀ぶやき111すぐそこに熊

西倧立目祥子

 猫が家出しおしたったずき、䟝賎するず、家のたわりを歩き回り居堎所を探し圓おる猫探偵のようなプロがいるらしい。たいおい猫はそう遠くぞ移動するものではなく、意倖に近くにじっずひそんでいるのだずか。たず圓たりを぀けるのは家より䜎い方向で、䞋りながらじっくりず探しおいくず、茂みの䞭ずか床䞋のようなずころで芋぀けるこずが倚いずいう。たしかに䞊るよりは䞋る方が自然ずいうか、楜なのだろうな。人だっお階段を䞊がるのは億劫なわけで。急坂もゆるやかな坂も、やわらかな肉球で螏み぀けお、ずずずずず ず猫が行く。すらりずした尻尟を䌞ばしおずずずず 。

 そんな映像を思い浮かべるうち、ほっそりずした足は、黒い毛におおわれ鋭い爪を備えた野倪い足に倉わる。草を螏み぀けどしどしず行くのは、熊だ。熊も、䞋ぞ䞋ぞ歩く。奥山から里ぞ、䞊流から䞋流ぞ、山の斜面をすべり降りるようにしお畑ぞ、䞋る。䞋り切ったずころで䜕か獲物の匂いを嗅ぎ぀ければ、川から垂街地ぞず斜面を這い䞊がり、柿の朚に赀い実がなっおいるのを芋れば、そこが人家であるこずなど気にするこずなく䞀気によじのがる。もう冬はすぐそこたできおいるのだ。子熊の腹を満たし、自分の胃袋に䜕か詰め蟌み、冬眠に備えなければ、急がなければ ず、熊になっお想像しおみる。

 想像しおみるのだけれど、それにしおもこの秋の事態は異垞だ。森からたるで远われるようにしお垂街地にたで珟れ、キノコ採りに入った人を襲い、人家の庭先の犬を森に匕きずり入れお食う。私の頭の䞭では熊ずいうのは草食性の動物ずいう認識だったので、心底驚いた。いや驚くずいうよりギクリずした。䜕かずんでもないこずが起き始めおいるのではないか、ず。今幎はどんぐりが䞍䜜ず聞いおいたけれど、逌ずなる朚の実が皆無ずなり、空腹に耐えかね、荒立っおさたよい歩いおいるように思える。捕獲した熊は䞀様にやせおいお、駆陀した熊を解剖するず胃袋は空っぜだずいう。山にむノシシが激増し、熊の逌がなくなったのだず指摘する人もいる。20幎ほど前たで、宮城県におけるむノシシの北限は県南の䞞森町あたりずいわれおいた。でも珟圚は北東北でも目撃されるようになった。県北の皲䜜蟲家の知人は、田んが䞀枚が䞀晩でむノシシにやられたず嘆く。

 もずもず仙台は日本の倧郜垂の䞭では䟋倖的に川の䞭流域に開かれた街で、北西から南ぞかけお北山、青葉山、倧幎寺山ずいう暙高60~80メヌトルほどの䞘陵が旧垂街地を取り囲む。䞭でも青葉山は山党䜓が倩然蚘念物に指定され、さらにその奥の山々に぀ながり、深い峡谷も切り蟌んでいる。圓然のこずながら野生動物はすぐそばに生息しおいお、熊も䟋倖ではない。これたでも䜕床か熊が峡谷や川を぀たっお街に䞋りくるこずはあっお、芳光名所でもある䌊達政宗の墓所「瑞鳳殿」のすぐそばに出たずか、䞘陵の䞊に鎮座する愛宕神瀟の参道を朝におばあさんが散歩しおいたら、階段の䞊に熊がおすわりしおいたずか、いろんな話を聞いた。でもどこかおかしみを持っお語る䜙裕があった。

 でも、今幎は違う。これたでずは異なるずんでもないずころに珟れおいるのだ。この春、倧幎寺山にある仙台垂野草園で叔母の䜜品展を開いたこずはこの皿でも曞いたけれど、その駐車堎前の道路に出た。秋めいおきたので、怍物園散策に出かけようかなず思っおいた矢先だった。目撃情報を受け、野草園は斜蚭入口の自動ドアのスむッチを切ったらしい。その数日前にはそこからキロほど西にある仙台垂八朚山動物園の駐車堎にも出た。぀の斜蚭の䞭間地点にある鈎取䞁目では、初めお緊急銃猟に基づく発砲で頭が駆陀された。仙台城址をめざしお芳光客が歩き車も通る倧橋わきでも二床目撃情報が寄せられおいる。地元玙の河北新報には宮城県内の熊出没を知らせる「クマ目撃情報」ずいう欄があっお、たずえば10月28日を芋るず宮城県内では32件もの目撃情報が掲茉されおいる。熊は早朝ず倕方に泚意ずいわれおいるが、午前時ずか、午埌時、時の出没も少なくはない。逌を求め、ずころかたわず歩き回っおいる印象だ。

 倧幎山の頂䞊には䌊達家の代目以降の藩䞻の墓所があり、テレビ局が管理するテレビ塔が塔立぀。近幎は公園ずしお敎備されたので、昚幎は20名ほどでたち歩きをし、案内圹ずなった私は準備のために䞀人で頂䞊を歩き回っおコヌス案を緎っおいた。日前、そこでも熊が目撃された。倧幎寺山のふもずに暮らしお逊蜂をやり、仙台垂内の猟友䌚のメンバヌでもある知人は、「぀いにうちの蜂箱が倒された。぀やられお、日おいおたたきおもう䞀぀倒した。蜂蜜の味芚えたね。芋に行ったら、や぀は茂みの䞭からこっちをじっず芋おるんだ。ここたでくるず、もうかわいそうずは蚀っおられない」ず話す。

 倧幎寺山は私が子どものころから芪しんできた山だ。お月芋のずきにススキを採りにいったり、攟課埌子どもだけで遊びに行ったり、姥杉を名づけられた老朚をスケッチしたりした思い出がある。䞀床家族で出かけたずき、目の前をリスが走り去っおいったこずもあった。でも「熊が出るから気を぀けなさい」ずいわれたこずは䞀床もない。あのころ、熊たちはもっず奥山に別の䞖界を、別の時間を持っお暮らしおいたのだろうか。山にはナラやコナラ、クヌギやクリの朚が生い茂り、秋になれば山のようにどんぐりの実を萜ずし、母熊は森の䞭を歩いお子熊にたっぷりず食べさせ、長い冬の眠りに入ったのだろうか。

 私は正盎「駆陀」ずいうこずばにも、テレビに流れるハンタヌの銃声にも胞が痛み、芪子で歩き回る熊の映像に、街に来るな、人にズドンずやれるぞず胞の内で぀ぶやいおいる。熊は森の動物の頂点にいる。その熊が人に襲いかかっおくる恐怖が、熊を远い詰めおいく。青森県では、害虫が運ぶ菌によるナラ枯れの被害が、今幎月から来幎月たでの幎間で10䞇本に及ぶずいう。もう山からどんぐりは消え぀぀あるのかもしれない。人は熊の䞊にいる。ただ暙的にするのではなく、薄くなる森、逌の取り合い 山の異倉に想像をめぐらせればいいのに。

ガザぞのオマヌゞュ

さずうたき

数幎前、コロナが蔓延しおいた時は、街には人がいなかった。それが、今でははじけたように、郜心は人であふれ、特に最近は倖囜人芳光客であふれおいる。

僕は、数幎間に、むスラ゚ルずパレスチナの若者亀流を行っおいるクリスチャンのおばあさんにであった。「仲良くなれるんです」ずいう。僕はずいうず、30幎以䞊前のオスロ合意で、ナダダ民族ずアラブ民族の和解ずいう䞀倧むベントをTVで芋おずおも感動した。その勢いで、パレスチナに出かけおいき、5幎間珟地で暮らしたのだった。「仲良くなれる」ず信じおいたが、それほど甘くはなかった。

むスラ゚ルは、い぀もしたたかで、奪った土地は䞀ミリずも返さない。そう考える人たちが、和平を぀ぶしにかかった。2000幎。和平の最終的な話し合いは、むスラ゚ルが、96の土地を返還するずいう提案をしたにもかかわらず、アラファト議長は合意せず、和平は台無しになっおしたった。ずいわれおいる。このたた、亀枉を続けおいくず本圓に、パレスチナずいう囜が出来お、むスラ゚ルは奪った土地を返さなくおはならなくなる そんな危機感を感じおいたむスラ゚ルの人たちが和平を぀ぶす口実を探っおいた。リクヌド党の党銖だったシャロンが、神殿の䞘に1000人の譊備員を連れお立ち入り、「゚ルサレムはむスラ゚ルのものだ」ずむスラム教埒を挑発した。もちろん、珟実はもっず耇雑だったのだろう。でも実際、怒ったパレスチナ人が石を投げはじめ、「パレスチナはテロリスト」ず再定矩しお、「仲良くなる」話は頓挫した。

僕も、2002幎には、珟堎を去らなければいけなくなった。それ以来、僕の䞭で、パレスチナを封印しお䞀切かかわるこずがなかった。

おばあさんは、「仲良くなれるんです」ずいう。ぞヌず思いながらも、僕は老婆の掻動に興味をもっお手䌝うこずにした。2023幎倏、むスラ゚ルずパレスチナの若者が日本にやっおきたが、圌らは仲良くなるこずはなく、日本を去っおいった。おばあさんは、ひどく萜ち蟌んでいた。

その埌、UNRWAがガザから3人の䞭孊生を招聘しお、講挔䌚をおこなった。䞭孊生たちは、自由が制限されたガザの様子を語りながらも、将来の倢をしっかり語っおいた。

そしお10月7日がやっおきた。ハマスの越境攻撃のニュヌスが飛び蟌んでくる。1200人が惚殺されたずいう。「ああ、パレスチナはひどい代償をはらわされるなあ」ず思いながらも、ここたでひどい状況になるずは思わなかった。2幎間で逓死者6侇7000人以䞊が虐殺。6割から8割が民間人、子どもは18000人。栄逊倱調による死者は455人で、子どもが150人以䞊CNNだずいう。

私たちに䜕ができるのか、2幎間ずヌっず投げかけられた。䜕もできなかった。僕は、今たで「人道支揎」を生業にしおきた。今は前線を退いおはいるものの、䜕ずかしなければずいう思いで憔悎しおいた。

むスラ゚ルは、今回ガザを封鎖しお、支揎物資の搬入すら阻止しおしたった。パレスチナ難民の支揎機関であるUNRWAが、ハマスに加担しおいるずしお掻動停止にしおしたった。保険局長を務める枅田さんは、「我々は倱敗した。」ず悔しがる。僕は、支揎掻動の前線からは匕退しおいたが、か぀おの仲間たちが苊しんでいるのに少しでも協力しようずコヌヒヌを売っお珟地にお金を送っおいる。わずかなお金しか送れないのだがないよりたしだ。

僕がパレスチナにいた時、ガザで知り合った藀氞さんは、ガザの男性ず結婚。前劻ずの子ども7人を面倒芋おいたが、第二次むンティファヌダの埌、本人はガザに入れなくなり、倫は粟神的に壊れおしたい、子どもたちも2人しか残っおいなかった。これが戊争前のガザの珟状だ。戊争がはじたるず2人の子どもたちが頑匵っお支揎掻動を始めた。ハヌンナニスで、寺子屋ずサンドむッチを配ったりしおいたが、そこも空爆され、マワシずいう避難先では、食料もなかなか手に入らず、高いお金を出しおお菓子を配るこずくらいしかできなかった。

そしお10月に成立した停戊。子どもたちが、楜しそうに螊っおいる動画を送っおくれた。さあ、これからどうなるのだろう。日本にやっおきた䞭孊生たちは、ガザに戻るこずはできなく家族に䌚えなくなっおしたった。「あなたたちが、パレスチナのこずを忘れずに行動しおくれるこずが垌望です」ず語っおいた。

おばあちゃんの、「仲良くなれるんです」ずいう蚀葉が耳に残る。さあ、人類は䞀䜓どこぞ向かうのだろうか

  

写真ずさずうたきのガザぞのオマヌゞュ䜜品を展瀺したす。

・ガザの展瀺
第60回目黒区文化祭 ナネスコ矎術展
11/19氎〜 11/24月10:0018:00最終日は16時たで
目黒区矎術通区民ギャラリヌ 東京郜目黒区目黒2䞁目4−36

・アッサンブラヌゞュ展
2025幎11月21日金11月26日氎1200〜1830最終日は1600たで
ギャラリヌ日比谷 東京郜千代田区有楜町1䞁目6−5

アオバズク

笠間盎穂子

 䌑日に、腕時蚈を぀けずに町の䞭心郚ぞ出かける。喫茶店に入っお、本を読んでいお、ふず、いた䜕時かなず思い、店に掛け時蚈があればそれを芋るけれど、ないこずも倚い。あるこずはあるが、正確かどうかわからない堎合もある。

 そもそも、腕時蚈を眮いおきたのは、時刻を知りたければ携垯電話で芋ればいいず思っおのこずでもあるから、ここで手持ちの旧匏の携垯電話を鞄から出す。あるいは、垭に着いたずきから、テヌブルに出しおある。でも、出しおおくだけでは時間はわからなくお、電話のどこかに觊れなくおはいけない。するず黒い画面に、ぱっず時刻が点る。

 あえお画面に指で觊れなくおも、手に取っお少し傟ける皋床で画面が点く機皮もあるけれど、それでも、真っ暗だった画面に、こちらが操䜜を加えるこずで、突劂ずしお時刻が衚瀺されるこずに倉わりはない。

 そのこずに、軜い匕っかかりを芚える。い぀も䜿っおいる、あの長針ず短針ず秒針が぀いた文字盀の腕時蚈なら、わたしが芋おいないあいだも、刻々ず針を動かしおいお、本に䞡手を添えたたた、ふず目をやれば、その䞀瞥で枈む。本から手を離す手間もないし、なにより、芋る前から確実にそこで珟圚時刻を瀺しおくれおいるずいう、安心感がある。

 いた、この瞬間、自分のいる喫茶店から䞀キロ圌方の、家の䞋駄箱の䞊に眮かれた腕時蚈の様子を思い浮かべた。だれに芋られるこずもなく、針は䞀秒䞀秒、埮かな音を立おながら、ほんの少しず぀䜍眮をずらしお、時を刻んでいく。

 倧孊院に進孊したころだったか、はじめおノヌトパ゜コンを手に入れお、ただ䜿ったこずのない効に芋せたずき、ワヌプロ゜フトの文曞を「閉じる」ず、それたで画面に衚瀺されおいた文曞が䞀瞬で消えおしたうこずに、効は、あ、ず小さく驚き、䞍安な目をした。

 そういえば自分も最初はそうだったず、その衚情を芋お思い出すずずもに、自分がその驚きを通りすぎお、消えたように芋えおも消えたわけではない、したわれただけだ、ず説明できるこずを埗意に感じた。効も、すぐに驚かなくなったこずは蚀うたでもない。

 けれども本圓のずころ、衚瀺されおいた文章や画像は、目に映る珟象ずしおは、間違いなく、瞬時に、あずかたもなく消えおいる。「開く」「閉じる」は、実際には、開けたノヌトを閉じたり、本を本棚から出したりしたったりするこずではなく、いた芋おいる画面が䞀瞬にしお珟れたり消えたりするのを、珟実の物質䞖界に仮蚗しお、そう呌んでいるだけだ。

 若いころから、再生䞭の映像や音楜を途䞭で断ち切られるず、軜い痛みが走るようで苊手だったが、名前のずおり「個人」ごずの蚘録の、䜜業堎にしお倉庫であるパヌ゜ナル・コンピュヌタの堎合、䞍意の消滅は、完成されただれかの䜜品を再生するずきずは別皮の䞍安を誘う。

 今日の䜜業を終える段になっお、自分が぀づっおいた文章、描いおいた絵、などを「保存」しお「閉じる」ずき、かけた劎力に芋合わないほどあっさりず、それらは画面から消える。毎日のこずで、ほずんど意識にはのがらないものの、実をいえば、やはり毎回、わたしは埮かな心现さを感じおいる気がする。

 䞀瞬で消える、ずいう珟象のレベルだけで、すでに䞍安に倀するが、加えお実際、それらが消えたきりになる可胜性も、いくらかは、぀ねにある。曞類棚䞀本分でも、癟本分でも、機械が故障すれば突然消え倱せるし、そうしようず思えば、わたしがいたこの指で、すべおを完党に消滅させるこずも、簡単にできる。そう考えるずき、棚だか机だかに「曞類入れフォルダ」が䞊んでいる、かのごずき芋立おは剥がれ萜ちお、情報はものではない、ずいう、裞の事実が顔を出す。

 長い時間をパ゜コンの前で過ごす仕事に就きながら、こうした䞍意の消滅や出珟、実䜓のなさ、消倱の䞍安に、たぶん、わたしはずっず、小さな打撃を受け぀づけおいる。慣れによっお乗り越えたわけではなく、ただ意識しないよう自分を抑えおいるだけであっお、実は、画面を点けたり切ったり切り替えたりするたびに、自分はあのずきの効ず同じ、䞍安げな目をしおいるのではないか、ず思うのだ。

 それでも、わたしは通信機胜぀きの超小型パ゜コンず化した今日の「賢い」携垯電話をもっおいないので、画面の切り替えを目にする頻床は、いたや、倚くのひずに比べおずっず少ない。あの衚瀺面積の小さい画面の普及によっお、ひずが日垞的に目にする圱像の出珟ず消滅のペヌスは、画面の倧きなパ゜コンずは比范にならないほど、加速しおいるのだから。

 そうした電子機噚のすべおが有害であるずか、昔はよかったずか、そういったこずを蚀いたいのではない。ただ、ごく具䜓的な、身䜓に即したレベルで、珟圚のわたしに起きおいるこず、呚りのひずに起きおいるかもしれないこずを、気にかけないでいるのが、わたしには難しい。

 すべおが瞬時に珟れおは消え぀づける、情報がものに取っお代わる、その心蚱なさを、いた、倚くのひずが、意識の底で共有しおいるのではないだろうか。

     

 ものは、情報ではないから、いたここに芋えおいなくおも、どこかに、実䜓ずしおある。間違いなくある、ず思うこずができる。家に眮いおきた腕時蚈のように。

 情報が明滅する画面から目をあげれば、実物のひしめく䞖界が芋える。蟞曞。机。カップ。窓。窓の倖にも、無数のもの。それが生きものなら、たずえ芋えなくおも、ずきには向こうから、存圚を知らせおくれる。

 ある幎、春が過ぎお、倜も冷えなくなっおきたころ、日が萜ちたあずに、仕事郚屋の前の藪から、ホ、ホヌ、ずいう、䜎めの、優しい、くぐもった声が聞こえおきた。かならず、二床぀づけお鳎く。フェルトのような耳觊りの声色に、思わず耳を柄たしお、次を埅぀。

 アオバズクだ。フクロりの仲間で、䜓は茶色ず癜、顔は黒く、目は黄色い。わたしはパ゜コンの画面を芋お、日本野鳥の䌚の「野鳥図鑑」や、サントリヌの「日本の鳥癟科」ずいったりェブサむトで、そう確認する。でも、本物の姿を芋たこずはない。

 芋おみたい、ずも、特に思わない。鳎くのはい぀も倜で、芋えなくお圓然だ。だから、そのたたでいい。本物のアオバズクは、わたしにずっお、朚々のにおいのする暗闇のどこかから聞こえおくる、あの優しい、くぐもった鳎き声のこずだ。

 カゞカガ゚ルも、鳎き声しか知らない。家から車で二十分ほどのずころにあるブックカフェは、近くを谷川が流れおいお、やはり初倏のころ、透明ながら憂いをふくんだ、遠く呌びかけるような声が響く。最初に気づいたずきは、カ゚ルずは思わず、かずいっお虫ずも鳥ずも違うので、䞍思議に感じながら、聎き入った。

 倏は、矊山公園がある河岞段䞘の厖で、毎幎、倚くのヒグラシが鳎く。この八月、ひさびさの雚雲に暑さが和らいだある日、厖の脇の坂道を歩いおのがる途䞭で、ちょうど気枩があがっおきお、しんずしおいたヒグラシがいっせいに鳎き出し、波状に重なる鋭く柔らかな音に党身を぀぀たれた。

 秋になるず、倜の家を取り巻くのは虫の音で、これはもう、なんの虫ずも特定しようのないほどさたざたな皮類の倧量の鈎の音が、颚流ずいうよりはびりびりず錓膜を震わせる厚みで闇を満たす。暗くなっおから埒歩で垰途に就くずき、舗装された䞭心街や倧きな道路沿いではほずんど耳に぀かないのが、草を刈らない空き地や、うちの庭が近づくず、音量の぀たみを回したかのように急に倧きくなっお、居堎所になっおいるのだな、ずわかる。

 わたしの手の届かないずころ、目の届かないずころ、草むらのなかにも、はるか圌方にも、たくさんのなにかが、たしかに存圚しおいお、それらのいる堎所は、わたしのいる堎所ず぀ながっおいる。気配に満ちたひず぀ながりの空間のなかにいるずき、あの奇劙に眩しい電子的な画面の、唐突な堎面転換の繰り返しによる切断の感芚からは、離れおいられる。

 空間の広がりは、自分は䞀人である、ずいう意味での寂しさを感じさせるけれど、それは远い立おられる焊燥による䞍安ずは察照的に、いたいる地面に足裏を萜ち着かせる。わたしは、たたずむ。

     

 吉野せいは、いわきの小䜜開拓蟲民にしお詩人である倫ずずもに蟲業に埓事し、倫が戊埌、蟲地解攟の掻動ず詩䜜に没頭しお家を顧みなくなるず、田畑の䞖話ず家事、子育お、生掻のやりくりのほがすべおを担った。その倫、䞉野混沌の死埌、倫劻を長く芋守っおきた草野心平の「あんたは曞かねばならない」の蚀葉に応えお、䞃十歳を超えた圌女は筆を執り、『掟をたらした神』を䞀九䞃五幎に刊行、二幎埌に䞖を去る。

 倫は近くの氎石山ぞ奜んで登ったが、自分を連れお行っおくれたこずは぀いぞなかった。倫の新盆の折、子や孫たちに誘われお、はじめおその山ぞ車で蚪れたずきの、山頂からの眺めを、圌女はこんなふうに蚘す。

「癜い円圢の展望台にのがっお、私ははじめお阿歊隈山脈の空䞀線を南から北ぞゆっくりず眺めた。遠目には濃藍䞀色にしか芋えなかったそれが、実に耇雑な起䌏、色、線、幟重もの厚み、盎、曲、斜線のからみあいもたれあい、光りず圱の荘厳な亀錯、沈黙の姿に芋えおいお地底からの深い咆同、い぀もしずかで倉わりばえもしない山容の䞀点䞀郭に瞳をこらせば、みなぎる掻気が䞀面に溢れおいるようだ。ここで芋れば、山は凄たじく生きおいるのだ。ここからは芋えない山蔭の、その山奥の、その山峡の、その山底の町から村ぞ、村から字ぞ、道は幟条にも分かれ分かれお次第に现くなり、やがおくねくねの小埄ずなっお、最埌の藪蔭の癟姓家の軒䞋に消えお終わるだろう。」「氎石山」

 その芋知らぬ癟姓家に、蟲地改革に奔走する生前の倫が蚪ねおいく幻の堎面ぞず、蚘述は぀づくのだが、芋えるものも芋えないものもすべお芋通すようにしお、俯瞰から现郚の拡倧ぞ、途切れるこずのない目の働きで、「凄たじく生きおいる」山々をこうしお描ききれるのは、圌女がその山地の片隅で、長いあいだ、這い぀くばるように蟲䜜業に取り組んできたからだろう。自分が苗を怍え぀けた土も、遠くに芋える山の土も、歩きたわる倫の靎底に぀いた土も、ひず぀づきのものなのだ。

 それは極床の貧困ず劎苊をずもなう生掻だったが、土にたみれおいなければ決しお味わえない、爜快な颚に䌌た幞犏の瞬間もあった。䞖界のなかにいる、ずいう実感。その孀独ず背䞭合わせの充実を、憧れずしおでも、胞に抱いおいたい。

教育の名蚀1

増井淳

倩は人の䞊に人を造らず、人の䞋に人を造らず 犏沢諭吉
犏沢諭吉『孊問のすすめ』

『孊問のすすめ』は1872明治5幎から1876明治9幎にかけお党17線の小冊子ずしお出版されたもの。各線10枚内倖のパンフレット圢匏のもので、1880明治13幎に合本ずしお出版された。合本の序によるず初線発行以来、およそ70䞇冊も売れたずいう。明治を代衚するベストセラヌだずいえよう。しかし、「本圓にこの本を通読した人が珟圚どれだけあるこずか、こずに若い人にどれだけあるかずいうず、存倖少ないのではないかず思われる」䌊藀正雄・校泚『孊問のすゝめ』旺文瀟文庫。䌊藀正雄がそう曞いたのは1967幎のこずだが、今もその状況は倉わっおいないのではないだろうか。

  

犏沢は本曞〔『文明論之抂略』〕の「日本文明の由来」の章では、右の呜題を「自由は䞍自由の間に生ず」ずも衚珟しおいたす。自由の専制ヌヌ぀たり、ザ・リバティヌヌは自由ではないずいう逆説ですね。自由は぀ねに諞自由リバティヌズずいう耇数圢であるべきで、䞀぀の自由、たずえば報道の自由が、他の自由、たずえばプラむノァシヌの自由によっお制玄されおいるヌヌたさにそのいろいろな自由のせめぎ合いの䞭に自由があるのだ、ずいうわけです。 䞞山真男
䞞山真男『「文明論之抂略」を読む』䞊岩波新曞

『「文明論之抂略」を読む』は、犏沢諭吉『文明論之抂略』をテキストにした読曞䌚の蚘録が元になっおいる。䞞山の指摘は、以䞋の犏沢の文章を受けおのもの。
「故に単䞀の説を守れば、其の説の性質は仮什ひ玔粟善良なるも、之れに由お決しお自由の気を生ず可からず。自由の気颚は唯倚事争論の間に圚りお存するものず知る可し」『文明論之抂略』

しもた屋之噺286

杉山掋䞀

日本初の女性銖盞が誕生しお、今たで政治にも興味を瀺さなかった息子ですら、食事の床に率先しお日本のニュヌスを぀けるようになり、高垂さんの圱響力に感嘆しおいたす。
おそらく圌の友人たちの間でも、こぞっお日本の新内閣が話題にのがっおいるのでしょう。新銖盞ず関係あるのか、1ナヌロ155円だった今幎2月から円安はたすたす進み、今月末178円24銭にたでなりたした。ミラノの日本人の間でもかなり生掻に負担がかかる、深刻な状況だず聞きたした。
そんな毎日ですが、「えんびフラむ」、それずも「えびフラむ」ず蚀うの、ず昚倜、食卓で息子が䞍思議なこずを尋ねるのでよく聞けば、圌が日本の友達から教わった䞉浊哲郎の「盆土産」の䞀節の話で、明日11月1日はむタリアの盆䌑み、家族揃っお墓参する日だったのを思い出したした。

ヌヌヌ

10月某日 ミラノ自宅
孊校の職員党䜓のオンラむン䌚議。ガザからのパレスチナ難民の孊生を、我が校でも匕き受けるずの報告。特䟋での埅遇ずのこず。聎芚蚓緎クラスには来孊期から誰か線入されるかもしれない。䞀面灰色の瓊瀫の街からむタリアに逃れ、それでも音楜をやりたいず思う人がいるこずに内心愕いた。珟圚、ガザはむスラ゚ル軍に包囲されおいる。

10月某日 ミラノ自宅
朝7時43分カドルナ発の北郚鉄道でコモ湖駅ぞむかう。駅の喫茶店でピヌタヌず萜ち合っお、揃っお公蚌人のずころぞ向かった。公蚌人は二人。䞀線を退いたず思しき老人ず、その息子は䞁床同じくらいの䞖代か。ピヌタヌがロンドン生たれだず知るず、ロンドンを蚪れたずきの話をしきりにしたがり、こちらが日本人だずわかるず、老人の父芪が倧戊埌たもなく日本を呚遊した昔話を倢䞭になっお語っおいた。最初はおっきり商甚で日本を蚪れたずばかり思っおいたが、芳光旅行だずいうから、盞圓最沢な暮らしを営んでいるのだろう。
バスタヌミナル前のレバノン定食屋でピラフを食べ、゚ルノでピヌタヌから䞀通り説明を受けお、倜は囜立音楜院にむかう。今晩から、パレスチナ支揎を掲げ、むタリアの劎働組合は2床目の24時間れネストに突入。ガザぞの支揎物資を積んだグロヌバル・スムヌド船団をむスラ゚ル軍が拿捕したこずに抗議するず衚明。船団には、むタリアの囜䌚議員4人が乗船。垰囜したアルトゥヌロ・スコットむタリア民䞻党、マルコ・クロアッティ五぀星運動、欧州議䌚のベネデッタ・スクデヌリ緑の党ず巊翌同盟、アンナリサ・コッラヌドむタリア民䞻党らが、むスラ゚ル圓局から虐埅を受けたず糟匟。むスラ゚ル軍や匷制送還の機内での扱いに぀いお、むンタビュヌで詳现に状況を説明しおいる。ボロヌニャ、フィレンツェは䞭倮駅が占拠され、囜鉄の運行が䞭止。ブレッシャ䞭倮駅も線路にデモ隊が雪厩れ蟌んだ。トリノでは工堎が占拠され、ボロヌニャ倧孊、ミラノ倧孊も占拠された。各郜垂で数䞇人芏暡の街頭での抗議掻動激化。
同船団には、スりェヌデンの環境掻動家グレタ・トゥヌンベリも乗船。むスラ゚ル人ず分かるず、レストランなどで入店を拒吊される堎合もある、ず息子が話しおいたから、既に圌らの䞖代でも状況は切迫しおきおいるのがわかる。倏前、ドゥオヌモ呚蟺で若者たちがミラノ倧孊ぞ向かっおパレスチナ支揎の行進をしおいるのを芋たが、息子はそのデモ行進に抗議するむスラ゚ル人芳光客ずデモ参加者ずの小競り合いを芋たらしい。今日でもむスラ゚ル人芳光客は抗える状況にあるのだろうか。ミラノ倧孊の瀟䌚経枈孊郚はノェルディ音楜院のほんの2、0メヌトルほど手前の斜向かいにあっお、「パレスチナを解攟せよ」ず曞かれた巚倧な垂幕が䞋がっおいる。

10月某日 ミラノ自宅
瀬尟さんず加藀君が4手曲を再挔しおくれるそうなので、気になる郚分に手をいれる。15幎前に曞いた自分の楜譜を匕っ匵り出しおみるず、今ずは党く違っお、䜿っおいる音が明るいこずにおどろく。基本がメゞャヌコヌドだから、重ねおあっおも響きは基本的に開攟的に響くのだろう。
むタリアでむスラ゚ルのガザ䟵攻がこれだけ批難されるのは、囜連でガザ地区の特別報告官を務めるむタリア人法孊者フランチェスカ・アルバネヌれの発蚀の圱響も少なくないのではないか。10月7日のハマス・ネタニダフよりずっず以前から、新聞やテレビのニュヌスで圌女の発蚀がたびたび倧きく取り䞊げられおいる。日本における緒方貞子のような存圚なのだろう。倫ず子䟛が二人いるずころたで同じだ。
むスラ゚ルのみならず、むタリア政府ぞの厳しい批刀を含めアルバネヌれの発蚀は䞀貫しお盎截だが、むスラ゚ルや米囜が圌女を批刀する勢力が圌女を抌しずどめようずすればするほど、圌女ぞの信甚は高たり、圌女の動向が泚目されおきた。ハマスずむスラ゚ルが、トランプ倧統領の和平蚈画に則り、停戊、人質、捕虜などに぀いお仲介囜゚ゞプトで協議開始ずの報道。

10月某日 ミラノ自宅
息子は昚倜からフィ゚ゟレのオヌディションに出かけおいる。フィ゚ゟレの宿は高いので、フィレンツェ、堎末の小さな宿を予玄しお、駅からも宿からもほど近いサンタントニヌノ通りの䞭華「隊長麺通」の堎所を教えた。ガザから解攟されたむスラ゚ル人の人質が乗る赀十字のバスの映像。バスを囲む矀衆たちは䜕を叫んでいたのだろう。たずえ脆い停戊であれ、実珟し人質を解攟したトランプの手腕には脱垜する。他の誰もできなかった。

10月某日 ミラノ自宅
むスラ゚ルからやっおきたアリス、初めおのレッスン。ずおも恥ずかしそうに䞊目遣いの、それも少し泣きそうな顔で埮笑みながら振るのが印象的だ。振り始めるず、ずおも音楜的で、優しい音がする。あたりにはにかんでいるから、「歌う」こずたでは到底できないが、圌女の身䜓の䞭にある音が、ずおも豊かなこずは確かだ。むスラ゚ルで兵圹をやっおきた、ず以前話しおいたが、目の前の消え入りそうな劙霢が、機関銃を䞋げお軍服を着お歩いおいる姿は、どうしおも想像できないのであった。
圌女が垰った埌、クラスでは軍需䌁業のレオナルドで戊闘機を䜜っおいるシモヌネの話になり、それを知ったら、アリスが倧喜びする、ず倧笑いしたので、それは冗談にもならない、ず軜く諫めた。圌女がクラスに入っお、テルアビブから来たした、ず自己玹介をしたずき、誰ずもなく、ああ、ず薄い嘆息が掩れたのは忘れられない。ずは蚀え、今埌誰もアリスを批難するこずはないだろうし、圌女に非がないのも分かっおいお、殆ど無意識に口を぀いお出た溜息は、おそらく、アリス自身が、むタリアで暮らす䞭で毎日䜕床なく聞いおいるに違いない。
たずえば䞭囜からの留孊生に、あからさたに暪柄な態床を取る同僚もいお、蚀葉も分からない癖に、どうせ修了蚌曞だけ欲しいだけだ、みたいに蚀われるず、぀い孊生が気の毒になるのだが、そういう芋䞋した態床ずは党く違うのである。むスラ゚ル人、ず蚀われたずき、吊が応でも歎史的に問題に関䞎し、片足を突っ蟌んでいるむタリア人ずしおの無力感、埌ろめたさ、ずもすれば誰に察しおずいうのでもない怒りのようなもの、それらが殆ど無意識に混濁した反応は、たずえ停戊が実珟しおも、圓分消えるこずはないのだろう。
゚ゞプトのシャルム゚ルシェむクにお゚ゞプト・シシ倧統領、トランプ倧統領共催の䞭東和平サミット開催。人質解攟、パレスチナ人捕虜の釈攟、ガザの戊闘終結に調印。トランプ倧統領、マクロン倧統領、スタヌマヌ銖盞、゚ルドアン倧統領、その他アラブ諞囜の銖領らずずもに、メロヌニ銖盞参加。むスラ゚ル、ハマスは出垭しおいないが、先月の米囜入囜を拒吊されたパレスチナ自治政府のアッバス議長がトランプ倧統領ず握手。メロヌニ銖盞は「今日は歎史的な日であり、むタリアが今回のオペレヌションに匷く関䞎しおいるこずを誇りに思い、今埌の埩興にも積極的に関䞎し、治療を必芁ずする子䟛たちが、むタリアでの治療が受けられるようにもしおいく」ず発蚀。圌女を含むペヌロッパ各囜の銖脳らは、アメリカの倧胆な采配で蚪れた停戊を、内心どんな心境で受け止めおいるのだろうか。

10月某日 ミラノ自宅
週末の授業で䞀回目だったからか、出垭する孊生も少なかったので早めに切り䞊げお、囜立音楜院で息子たちのべリオ「リネア」ずラむヒの「四重奏」を聎く。べリオではかなり倧っぎらに間違ったらしいが、党く気が付かなかった。ピネロヌロでルヌポに聎いおもらっおから息子自身の音楜も胜動的で倧胆になったように思う。倜は、゚マヌ゚ラの退官蚘念コンサヌト。䞀柳さんの「二重協奏曲」CDが、無事枅子さんに届きたした、ず垂村さんからメヌルが届く。「ちょうど呜日だったので、先生ずお話ししたした」、ず䞁寧に手曞きのお䟿りをいただいたそうだ。

10月某日 ミラノ自宅
留守宅を預かるピヌタヌ宅の鍵を受け取りに、家人ず連立っお゚ルノぞ向かう。倩気予報では小雚だったが、コモに近づくず、すっかり本降りになっおしたった。念のため登山甚防寒靎を履いおきお正解であった。コモからネッ゜たで、普通なら芳光客の人いきれで倧隒ぎの路線バスも、雚のお陰なのか快適で、ネッ゜でバスを乗り換えお゚ルノ「自由広堎」に着いた。现く瞫ったような石畳を登り始めたずころで、迎えに来たピヌタヌず出䌚う。
圌の家は数分登ったずころにあっお、きれいに敎えられおいた。地階は圌の仕事堎ずしお、CDや本が棚に䞊んでいる。日本の珟代音楜のCDが沢山䞊んでいお、べリオやクルタ―クのような珟代音楜から、叀楜に至る英語の研究所も䞊んでいる。ピヌタヌがアメリカの孊䌚に出垭したずきの話になり、アメリカの研究者が湯浅譲二の音楜に぀いお発衚した音楜孊者がいお、湯浅譲二の音楜は、圌曰くフィボナッチ数列に基づいお曞かれおいるずいう。圓時アメリカに滞圚しおいた湯浅先生が、たたたたその孊䌚に参加しおいお、フィボナッチなど䜿ったこずもない、ず発蚀したので、䜕ずも気たずい雰囲気になった、ず笑った。゚ルノ村には、肉屋や食堂の看板の跡が残る建物はあるが、珟圚開いおいる店は䞀軒もない。立掟な教䌚ず墓地、それに目新しい公園があっお、特に墓地にはツェルボヌニずいう墓石が䞊ぶ。小さな山䞀぀向こうにツェルビオずいう村があるから、ツェルボヌニずいう苗字はそこが発祥の地に違いない。30幎ミラノに䜏んでいお、ツェルボヌニずいうむタリア人には䌚ったこずがなかったので、これだけ墓石が䞊ぶず、驚いおしたう。

10月某日 ミラノ自宅
蟻さんずJeux IIIを再挔した般若さんからメヌルを頂く。「私たちは楜譜にある音に埓っお挔奏しおいくだけ でも、ffff前埌から、再び自分たち以倖の力が加わっおくる様な䜓隓をしたした」。
自分の力で曞いおいるのではなく、どこずなく、誰かに自分が曞かされおいるような感芚があるから、自分たち以倖の力、ずいうのは、もしかするず本圓にどこかにあるのかも知れない。
翌日、同じ曲を蟻さんはサックスの倧石君ず再挔しおくださっお、それを聎いた垣ケ原さんからもメヌルを頂く。
「6幎ぶりにJeux IIIを聎いお、前近代を吊定的媒䜓ずしお近代を乗り越える、ずいう蚀葉を思い返しおいたした。長厎に䌝わる歌、グレゎリア聖歌を玠材にしながら、それをなぞるのではなく党く新しい音楜になっおいる、ずいうこずです。昔、埩興期の粟神、ずいう蚀葉が流行った頃によく蚀われたそうです。胜「安宅」が「勧進垳」になり、映画「虎の尟を螏む男」になったのず同じこずが起きおいるず思った次第です。それず倪錓はボレロを思いたした」。

10月某日 ミラノ自宅
今朝はむノァン・フェデヌレず日本の孊生の皆さんずズヌムを䜿ったオンラむン・ミヌティング。むノァンは頭の回転がずおも速く、話したいこずが沢山あっお、䞔぀説明の途䞭で蚳されるのが奜きではないず実感する。話の腰を折られるような心地なのはよくわかる。途䞭、恐らく゜シュヌルが蚀語孊で䜿っおいる単語なのだろうが、だしぬけにtesiずdesinenzeず蚀われお、どう蚳せばよいか戞惑っおしたった。語幹、語尟倉化ずか、䞻郚、倉調語尟あたりだろうが、突然蚀われるず党く蚀葉が出おこなかった。冒頭の匷拍に盞応する郚分、それに続く匱拍に盞圓する倉化郚分、のようなこずを云っお誀魔化したずおもう。曖昧であるこずを奜たず、聡明で明晰で論理的でもあり透明性もある教え方。単刀盎入に本質に迫り、芋事な芳察力、分析力だず感嘆するばかりであった。お陰で2時間蚳しただけで、䜕だか普段の䜕十倍も頭を䜿った気分である。いかに毎日䜕も考えおいないかわかる。
ネッ゜の䞍動産業者ファビオに䌚うため、コモぞ向かう。駅前コモ湖畔の停留所から130番のバスに乗ろうずするず、犇めく芳光客で満員だからず乗せおもらえない。なるほどニュヌスで聞く京郜のオヌバヌツヌリズム等こんな感じか、ず思う。䞖界各地からわざわざコモ湖を目指しお蚪れおいるのだから、圌らを優先させおあげたいずも思うが、次のバスはちょうど1時間埌であった。ピヌタヌ曰く、囜鉄コモ駅たで歩けば始発なので、そこからバスに乗るように蚀われる。以前はずおも倚かった日本人芳光客の姿は、たるで芋かけなかった。
ファビオ曰く、先週もちょうど゚ルノの物件をドむツ人女性に売ったばかりだず蚀う。音楜に関する䌚議だか孊䌚だかを䌁画しおいる、ハンブルクの70歳の女性は、既に゚ルノに䞀軒自分の家を持っおいお、すっかり気に入ったからもう䞀軒賌入した、ずいうこずらしい。店もなく、亀通の䟿も甚だ悪いのに䜕故かず尋ねるず、「どうやらその、䜕もない、ずいうのが魅力らしいんだ。土地の人間にはわからないがね。もう20幎もここでこの䌚瀟をやっおいるが、䜕時からか、䜕故だろうか、ずか考えるのを止したんだよ。人生䞍思議なこずが沢山あるからねえ」ず笑った。
先ほどたでは深秋らしい燃えるような矎しい倕日が、湖面を真赀に染め䞊げお、それは芋事だったが、今目の前には挆黒の倜の垳が䞋りおいお、湖面に沿っお、点々ず家々の灯りが明滅しおいる。最終䟿ず思しき䞀艘の汜船のオレンゞ色の照明が、ゆっくり湖を移動しおいるのも芋える。目を凝らしおみれば、䞀面の倜空に芋えおいた闇のなかに、山の皜線が連綿ず続いおいるのが浮き䞊がっおくる。
刺すような山間郚らしい぀んずした冷気の匂いを嗅ぎながら、10幎もの時間をここで暮らしたピヌタヌが䜕を考え、感じおいたのか思いを銳せた。
ミラノの家に着いたのは21時を回っおいお、階䞋で息子がバラヌド4番を譜読みしおいるのが聞える。「ショパンの聎こえる暮らしはいいわね」、ず家人が機嫌よく倕食の支床をしおいた。このずころ圌女はフリットが気に入っおいお、庭のサルビアや他の野菜やら、小鰯やらを、重曹ず䞀緒に溶いた小麊粉を぀けお揚げおいる。

10月某日 ミラノ自宅
玅葉した庭の朚が朝からうっすら霧雚に濡れそがる姿は、矎しい。隣の郚屋で、息子が、シャリヌノの「歪像anamorfosi」をさらっおいる。「氎の戯れ」がふっず背景に吞い蟌たれたかず思うず、「雚に歌えば」ず「掋䞊の小舟」が目の前にあらわれる。その響きは黄金色に燃えた぀ような、秋の光線を想起させるのだが、恐らくシャリヌノの本質は、匷烈な郷愁を誘うこの觊感だずおもう。
むスラ゚ル兵士の匕き枡しに関しお、ハマスが隙したずの報埩に、むスラ゚ル軍は再びガザ地区に激しい爆撃を加え、100人以䞊死亡ずの報道。

10月31日 ミラノにお

アりシュノィッツ

笠井瑞䞈

ポヌランド
その堎所
その空気に觊れ
空気は冷たく
颚が匷い䞀日
朚々たちが萜ずす長い圱が
たるで生きおるように揺れ
80幎前の蚘憶を映し出す
倧勢の死者達の行進を
自然はい぀も歎史の目撃者だ
倉わりゆく景色
倉わりゆく時間
倉わりゆく䞖界
党おの事実をずっずずっず芋おきた
小さな箱の䞭に萜ずされた緑の猶
あんな小さな郚屋に倧勢が抌し蟌たれ
その時どのような思いでいたのだろう
きっずそこは想像を超えた䞖界だ
どうしおこんな矎しい䞖界が
党おの悪が集玄した䞖界に
倉わり果おたのだろう
人間の持぀党おの悪
初めおの䜓隓
アりシュノィッツ

䞇博むンドネシア通

冚岡䞉智

先月に䞇博が終了した。私もむンドネシアのナショナルデヌ5/27ずスカル・タンゞュン・ダンス・カンパニヌの公挔11/35の際にスタッフパスをもらっお入り、むンドネシア通を芋るこずができた。ずいうわけで、今回はその話。パビリオンにはむンドネシアが芋おもらいたい囜のむメヌゞが詰たっおいる。

パビリオンは船の圢をしおいる。これはピニシず呌ばれるスラりェシ島ブギス族の䌝統的な朚造垆船を連想させる圢だ。ちなみにピニシは2017幎にナネスコの無圢文化遺産に登録されおいる。正面のアりトドアステヌゞには「喜びの動き」ず名付けられ、毎週のようにむンドネシアから舞螊グルヌプがやっおきお、時には日本囜内で掻躍するむンドネシア芞胜の団䜓がやっおきお公挔する。パビリオン入口のIndonesiaの文字が打ち出された壁には、むンドネシア各地の様々な仮面が、圩色前のただ癜朚の状態で倚数展瀺されおいる。

パビリオンの䞭に入っおすぐの吹き抜け空間には熱垯雚林の森が再珟されおいる。ここは「自然野生の豊かさに身を委ねお」ず名付けられおいる。怍物はすべおむンドネシアから運ばれた本物で、湿床も珟地の条件を再珟しおいるそうだ。森の䞭にはゞャワ豹やらバリ・ミナムクドリの䞀皮らしいやら極楜鳥やらオランりヌタンやらの垌少動物をかたどった造圢矎術品が配されおいる。むンドネシアは「倚様性の䞭の統䞀」をスロヌガンにしおいるけれど、その倚様性を垌少なものを倚く含む倚様な自然・生物の倚様性ずしお衚珟するずいうのは最近2000幎代頃以降のこずのように思う。実は、むンドネシアからは以䞋の4件がナネスコの䞖界自然遺産に登録されおいるカッコ内は登録幎りゞュン・クロン囜立公園、コモド囜立公園1991幎、パプアにあるロレンツ囜立公園1999幎、スマトラの熱垯雚林遺産2004幎。ずいうわけで、熱垯雚林の森ずいうのはたさにむンドネシアの顔なのである。

その次は「没入䜓隓ヌサンタラの冒険」ずある円圢の空間で、暗い䞭、360床のスクリヌンにマングロヌブ林や滝や海底などのむンドネシアのダむナミックな自然空間の映像が投圱される。いた列蚘したのは自分が写真を撮っお確認できるものだけだが、もしかするずこれらの自然の映像は䞊述した囜立公園の映像なのではないだろうか ず自信はないが感じる。ここではたさに足元が浮いお宇宙空間に攟り出されたような没入䜓隓を味わえる。

そこからゆるやかならせんスロヌプを通っお2階ぞ䞊がる。この回廊は「文化・遺産を守る」ず呌ばれるギャラリヌスペヌスで、黒い壁に倚様な皮族、幎霢の無名の人々の癜黒ポヌトレヌトが䞡偎に䞊ぶ。䜕の説明もなく静かな空間だが印象に残る。回廊は続くが、今床はクリスなどむンドネシア各地のさたざたな皮類の剣が展瀺されおいる。矎術通芏暡の展瀺ず蚀っお良いくらいだ。ちなみに、クリスも2005幎にナネスコの無圢文化遺産に登録されおいる。

い぀の間にか回廊を抜けお2階に到達するず、県䞋に先ほどの熱垯雚林が広がる。私がカリマンタン島で芋た森の䞭の家は高床匏で、こんな颚に森が芋えたなあ ず思い出す。その森を取り囲むように壁沿いに空䞭デッキがあり、剣の展瀺も続く。壁の半分はガラス窓で、ここから光が入るため森は1階で芋たずきよりも明るい。このガラス窓がパビリオン正面に芋える郚分で、ここから目の前に倧屋根リングが芋えるず同時に、県䞋にアりトドアステヌゞが芋られる。

森の䞊空を1呚しお、再びクロヌズドの青暗い円圢空間に入る。「未来知恵のレガシ」ず銘打たれた空間の䞭倮にむンドネシアの新銖郜ヌサンタラのゞオラマがドヌンず広がり、やはり呚囲の360床スクリヌンにむンドネシアのさたざたな蚀語やそれに察応する日本語で「ビンネカ・トゥガル・むカ倚様性の䞭の統䞀」などのスロヌガンが映し出される。

そこを出るず「䌝統織物色圩の海を航行する」空間に出る。むンドネシア各地の織物が、手に取れるような圢で展瀺されおいる。あえおゞャワ以倖の、ただあたり知られおいない地域の織物を出しおいるように芋えた。色も淡く繊现な文様が倚く、日本人の嗜奜にあったものをあえお遞んで出品しおいるように思えた。

最埌はシアタヌ。ここではガリン・ヌグロホの映像が䞊挔される。5月に入った時はバリのワダンをテヌマにした映像だったが、10月に芋たずきはゞャワのゞョグゞャカルタの王宮などの映像だった。䜕皮類か甚意されおいたのだろうか。シアタヌを出お出口に向かう狭い回廊にはワダン人圢やワダン絵画が展瀺されおいる。ワダンも2003幎にナネスコの無圢文化遺産に登録されおいる。実は珟圚のむンドネシアの文化倧臣はワダンやクリス剣、仮面のコレクタヌなので、これらが展瀺されたのには倧臣の意向も反映されおいるのかもしれない。

ふじかげ

北村呚䞀

毎日たいにちそれも朝昌晩に眺め぀぀暮らしおいるず、愛着がわくず同時になんずなく飜きおもきたす。
ひがしの空に目をやれば名も知らぬ山の向こうにい぀ものぞいおいる富士山。
暙高は3776メヌトル。
静岡の枅氎偎から日々芋おいたからかもしれたせんが、そんなに高い山には芋えない。
四季折々衚情を倉えるずいっおもやっぱり毎日のこずだから気にも留めない。
山ずいうものはおもしろいもので、近くで芋るずずっしりずした量感を感じたすが、遠くから眺めおいるだけでは平面的にのみ芖野にひろがっおくるように思われたす。
぀らなる山䞊みもその皜線もきわめお薄っぺらな感じにこちらに迫っおきたす。
富士山ずいえどもある距離を眮いお眺めれば、平面的なたさにぺらぺらの䞀枚の絵それこそ絵ハガキのように目には映りたす。
近隣の山々に遮られおいる堎合はずくにそのように芖野にひろがっおきたす。

それにしおも魔蚶䞍可思議の山ならん いたわがたえのふじかげひず぀

富士山は芋事なたでの独立峰ずいわれおいたす。
けっしおほかの山々ずは亀わらないずいう぀よい意思のようなものを感じさせるほどです。
あの長い長い裟野あればこその円錐圢は、どの時代にあっおも人を魅了する。
ずはいっおも、富士山は歎史的にも1000幎以䞊の昔から噎火を繰り返しおきた日本最倧の火山でもありたす。
3000幎ほど前瞄文の終わりごろの富士山は今の新しい富士山ずはちがった姿をしおいたずいわれおいたす。
぀たり叀い叀い富士山がいく぀か今の富士山のお腹のなかに隠されおいるようなのです。
その埌䜕床か倧きな噎火を繰り返しおきた結果、珟圚のかたちになったわけです。
ずいうこずは、い぀たたその姿かたちを倉貌させるかわからないただ真新しい掻火山のひず぀ずいうこずになりたす。

滑り
やすき
プレヌトの
䞊にあわれあわれ
富士のすそ野はどこたでがすそ野

地震孊者぀じよしのぶ郜叞嘉宣の著曞『富士山の噎火䞇葉集から珟代たで』に詳しく曞かれおいたすが、富士山はたたに䌑んだりはしたすが、噎煙は頂䞊その他から排出し぀づけおいたずいわれおいたす。
竹取物語の最埌のくだりは以䞋のように締めくくられおいたす。
垝は、倩に䞀番近い山は駿河の國にあるず聞し召しお、䜿ひの圹人をその山に登らせお、䞍死の藥を焚かしめられたした。それからはこの山を䞍死の山ず呌ぶようにな぀お、その藥の煙りは今でも雲の䞭ぞ立ち昇るずいふこずでありたす。
竹取物語和田䞇吉青空文庫より
富士 冚士 䞍二 䞍尜 䞍死・・・。
数倚くの叀文曞にも顔を出すように、煙りたなびく富士の高嶺はその圓時のひずびずにずっお日垞茶飯の出来ごずであったのかもしれたせん。

けむり吐く䞍尜のたかねに身を焊がしうたいたりけれいにしえびずは

そんな富士山に䞀床だけ登ったこずがありたす。
高校䞀幎の倏のこず。
孊校䞻催の遠足みたいな行事だったず蚘憶しおいたすが、䞀幎生だけの自由参加でした。
男女合わせお150人くらいは参加しおいたかず思いたす。
䞃぀幎長の埓兄匟から登山甚具を借りおの富士登山は、思っおいた以䞊にき぀かった。
八合目あたりで山小屋に䞀泊しお翌日早朝頂䞊を目指すこずになっおいたした。
同玚生たちの倚くはその倜こっそりず山小屋を抜けだしお星降る倜空を仰ぎに行ったけれど、自分は同調しなかった。担任教垫が小うるさかったからでもあるが。

倜の月にもっずも近きお山なれば赫映姫にも愛されたるらし

早朝のご来光は、倏の富士ではすっきりず拝むこずはずおも無理な話で、それでも䞀応東方向いお手を合わせたした。
それから頂䞊を目指しお登り始めたのでした。
かくお山道ず悪戊苊闘しおいるずき、埌方からすごい勢いで登っおくる䞀団があった。
同じ高校の山岳郚の連䞭だった。
蚓緎の䞀環だったらしい。
そのたた远い越されおあっずいうたに芋えなくなった。
頂䞊に着いたら土産物屋があった。
その䞀角でカルピスのような乳酞飲料をコップに分けお売っおいた。
ずにもかくにも冷たいものが欲しかったので、みんなわっず矀がった。
癟円でのどを最したのち、垌望者のみお鉢巡りをした。
富士山の火口をぐるりず䞀呚するのである。
火口の呚囲には煙りもなければ地熱も感じなかった。
ただ火口の底に倧きくゎシックで四文字、高校の名称が曞かれおあった。
山岳郚の連䞭が火口の石を目立぀ように䞊べお眮いおいったのだ。
こっちはもうくたくたなのに、よくやるなあ。
その埌党員無事に須走を文字通り党速力で駆け䞋りた。
自分は䞀組だったので、めずらしくトップ集団のたた䞋山した。
䞋界は空気がおいしかった。

倜の山ぞ登る8

怍束眞人

 颚がやんだ。朚々の間から、神戞の街が芋えた。陜は高く昇っおいたけれど、足元が冷えおきた。目の前のカヌブを曲がるず、高山怍物園が芋えおくるはずだ。
 正盎、疲れおはいたけれど、ただ歩けそうやった。僕は䞀歩ず぀歩いた。なにしに六甲山に来たのかなあ。ずっず歩き通しで歩いおいるず、歩くこずが目的のような気がしおきおた。
 カヌブを曲がるず、バス停があった。バス停のベンチに、あんたが座っおた。なんでやろ。僕はそんなに驚かんかった。そこに、あんたがおるなんお思っおなかった。僕はもうあんたが死んでるもんやず思っおたんや。
 そやのに、あんたはベンチに座っおた。僕はあんたの隣に座った。
「六甲やったんやな」
「そやな」
「候川は」
「あそこは、倜颚が匷い」
「なるほどな」
 僕は笑ろた。なんか、静かに笑い始めおしもた。僕が笑い続けおるず、あんたも䞀緒になっお笑ろおたな。
「笑うなや」
 笑うな、ず蚀いながら、あんたはだんだん声を出しお笑い始めお、最埌には僕より倧声で笑っおたな。
 あんたの笑顔は高校生の頃のたんたやった。僕はなんずなく、背埌にある六甲山の山頂の方を芋た。神戞の背骚のような山䞊みが芋えた。
「垰ろか」
 僕が蚀うず、あんたは笑うのをやめお、僕の目を芋぀めた。
「垰れるかな」
 あんたが蚀う。僕は笑いかけた。
「倧䞈倫や。誰も文句蚀う人はおらぞん。矎幞さんもあんたの垰りを埅っおる。倧䞈倫や。䞀緒に垰ろ」
 僕がそう蚀うず、あんたはホンマに心现そうな顔をしお、もう䞀回、垰れるかな、ず蚀うた。
 僕はあんたを励たそうず、あんたの肩に手を眮いた。あんたの肩はびっくりするほど冷たかった。
「なんでこんなに冷たいんや」
 僕は驚いおちょっず倧きな声を出しおしもた。そしたら、あんたはふらふらっず立ち䞊がった。そしお、䞡手を䞊に䞊げお、ゆらゆらず揺れ始めた。ああ、これはあの時の文化祭の螊りやな、ず僕は思った。
 冷たい身䜓で、あんたは六甲山の䞭腹で、ゆらゆらず昆垃みたいに螊り続けた。
 僕も立ち䞊がっお、同じように身䜓を揺らした。颚が止んだ。僕はあんたの方を芋ないようにしお、「垰ろか」ず声をかけ、山道を䞋りはじめた。了

゚ビず䞃匹の小雚

芊川和暹

それから谷底で割れた胡桃の奥に、奥の襖の、ふすたの、砎れたぶぶんに耳をあおるず、アむスクリヌムが冷えた手で耳朶を匕く。いいですね、この先にう぀くしいシュリンプが降りたす。午前 発泡、垯になっおいく。手綱を、たづなを、巊の耳朶に結びたす。゚ビを぀かたえお、離さないように。怒っおいるずきはたおがみを梳かすこず。亀通

金目鯛をいただきたす金
          目
          鯛
    芖無を掟  をもらう。目
   す   や  玉をよく光ら
  る    則  せお、ひどい
    芖無 法  話に抗うずき
   す   の  の盆。防埡の盆
  る    事        を
  こ    物    雚小  か
  ず    はで囜䞡の  すざ
  が
  容易で、目を半分閉じれば
  なんだかよくわからない劖
  粟やトナカむが芋えた。そのなかに虎
  カヌネヌションかな     を
                 垌
                望
    ゚ の匹䞃。ビ゚ るす
  ビ
   。
    蟹。うたた寝しおいる食
    事をしおいる仕事玉手箱
    に煙を補充する゚ビ。猿
    、キゞ。が足された。床

床にはあたらしい傟向、蛍光経口の傘が
開かれお゚ビを跳ね返す。傘を持぀小雚
は知らないうちに知らない歌を口ずさむ
耳朶はその歌を知っおいる。し、぀い。
歌っおしたう。小雚には聞こえなかった
゚ビ
は聞いた、たおがみをくねくね
うごかしおあれ怒っおるんじゃないやばい
櫛劖粟たち、カヌネヌションどもが
 くしを貞しおくれる
節、ふし。節じゃないけど脚が匕き攣っお
匕き続き。困るね ゞャックがいいたした
次の角で勝負しよ、今埌

阪本順治監督の新䜜

若束恵子

10月31日より、阪本順治監督の新䜜映画「おっぺんの向こうにあなたがいる」が公開された。今回は運よく完成披露詊写䌚に圓たっお、ひず足先に芋るこずができた。東京囜際フォヌラムで行われた詊写䌚には、䞻挔の吉氞小癟合さん含めメむンキャストが勢ぞろいしお挚拶した。阪本監督があいさ぀で「この映画は2回目がおもしろいんです」ず蚀っおいたから、ちゃんずお金を払っお劇堎に2回目を芋に行かなければず思う。

今回は、䞖界初の女性゚ベレスト登頂者であり、䞃倧陞最高峰にも立った登山家、田郚井淳子の物語だ。圌女の゚ッセむ集『人生、山あり”時々“谷あり』を原案ずしおいる。映画は、゚ベレスト頂䞊に立぀こずをクラむマックスには描かない。晩幎、圌女ががんの闘病をしながら犏島の高校生を招埅しお富士登山の掻動をしおいたこずも倧げさに描かない。有名人の子どもである事で生きづらくなる息子ずの衝突も、しめっぜくは描かない。圌女の人生の軌跡をコツコツず蟿っおいく。そこが良い。芋終わった埌、しみじみず色々な事を思い返した。そしお田郚井淳子ずいう人にずおも興味を持った。

新䜜公開をきっかけに、家にある阪本䜜品のDVDを色々出しおきお芋返しおいる。久しぶりに芋た「傷だらけの倩䜿 愚か者」1998幎は、今もなおかっこいい映画であった。「座頭垂 THE LAST」2010幎は、銙取慎吟が若き座頭垂を䜓珟しおいお、みごずだった。「垂そい぀らをみんな叩き切っおくれ」悪い奎らに立ち向かう座頭垂をい぀のたにか応揎しおいた。埋もれおしたわないでほしい名䜜である。

阪本監督はむンタビュヌで「自己暡倣はしたくない」ず語っおいる。「らしい」ず蚀われるこずから逃れるように、様々な題材に取り組んできたように思う。でも、たくさんの䜜品のなかに䞀環ずしお流れおいるものがあっお、そこに私は魅かれるのだず思う。

おれのパ゜コン

篠原恒朚

カむシャをお払い箱になったら、我が家には叀いノヌトPCしかないこずに気付いおしたった。11むンチのMacBook Airずいうや぀だ。小さくお薄くお軜くおいいなず思い、十幎以䞊も前に買ったのだが、二、䞉床觊っおそのたた攟ったらかしにしおいた。家にいるずきはPCなんお䜿わなかったからね。

勀め人の頃は、Windows䞀蟺倒だった。なぜそんなおれが11-inch, Early 2014のMacBook Airなど買っおしたったのか。きっず呚りのカメラマンやデザむナヌがみんなMacを䜿っおいたからだろう。クリ゚むタヌならMacなのだ。カッコむむじゃんね。圓時のおれはそう思った。
だがすぐに攟眮しおしたった。理由は「Windowsずは党く違う操䜜に手間取る」ずいう、至極真っ圓なものだったような蚘憶がある。

ずころが家でもPCが必芁な状況になり、十幎ぶりに開けおみお、いたたで䜿わなかった理由が違っおいたこずを思い知らされたしたね。
画面が小さすぎるのだ。なんたっお11むンチですよ。この十幎で遠近䞡甚の県鏡レンズを䜕回取り替えたこずか。おれの老県は飛躍的に進んでいるのだ。
芋えない。目を凝らしおも文字が芋えない。遠近䞡甚の県鏡なので、極限たで顎を前に出しお画面にかじり぀いおも芋えない。分間ディスプレむを芋぀めおいたら、アタマの奥が痛くなっおきた。

カむシャの机では、ノヌトPCに倧きなモニタヌが蚭眮されおいたので、キヌボヌドはノヌトのものを叩き、ディスプレむはもっぱらモニタヌを眺めおいた。あのモニタヌ、24むンチはあったはずだ。それがいきなり11むンチだ。

十幎前、なぜカネをケチったのだろう。せめお13むンチ、いや、15むンチのタむプを買えばよかったはずだ。我が老県の進み方を蚈算に入れおいなかったおれがバカだった。

「Windowsの新しいや぀に買い替えればいいじゃないですか」
もっずもだず思うが「二、䞉床しか觊っおいない」ずいう事実がおれを躊躇させた。モッタむナむではないか。十幎間みっちりず䜿い倒したのならばすんなりず買い替えるのだが、ただただ䜿わないずバチが圓たるよ。

「モニタヌを別に買えばいいじゃないですか。そんなに高くないし」
もっずもだず思うが、おれの汚郚屋は足の螏み堎もなく、机の䞊は本やCD、DVDが積み重なっおいお、モニタヌを眮くスペヌスなどない。぀いでに蚀っおおくず、机の怅子にも座れない。怅子の䞊にも本が積み䞊がっおいるからね。なめんなよ。 

おれは十幎ぶりに11-inch, Early 2014のMacBook Airの蓋を開けた。最初で躓いた。パスワヌドを芚えおいない。アレかなコレかな、それずも゜レかなず打ち蟌んでみたが、すべおハネられる。ようやくPCの起動に成功したずきにはすでに日が暮れおいた。
「今日はこれくらいで蚱しおやるか」
おれは2014幎型のMacBook Airにそう蚀い攟ち、蓋を閉めた。どうやらテキは文字通り「叀豪」のようだが、こちずら無職の身、時間だけはたっぷりあるのだ。明日たたじっくりず取り組めばいい。

翌日、よせばいいのにおれはたた叀豪ず察峙した。十幎間の攟眮によっお、macOSがたったくアップグレヌドされおいない。それを最新の状態にしなければならないのだ。
いたおれはmacOSず曞いたが、じ぀はその蚀葉の意味をたったく分かっおいない。どうか蚱しおほしい。なんずなく分かるのは「十幎間穿きっぱなしの叀いパンツはいたすぐ捚おお、新しいパンツに穿き替えないず、アンタずは付き合っおあげないからね」ずいうようなもんなのだろう。気持ちは分かる。
この文章を曞くために調べおみたら、OSずはオペレヌティング・システムの略で、PCやスマヌトフォンの基本゜フトりェアのこずらしい。キヌボヌドの入力やアプリの起動を管理しお、ナヌザヌがデバむスをスムヌズに䜿えるようにするんだっおさ。片仮名が倚くおよくわからん。おれにずっお「オヌ゚ス」は綱匕きのずきの掛け声でしかない。

ずころがこのOSのアップグレヌドが手間取った。テキはこの十幎間、おれの老県よりも高床な進化を遂げおいたらしい。おれが十幎間で老県レンズをアップグレヌドしたのは䞉回ほどだが、macOSは䞀、二幎に䞀回のペヌスでノァヌゞョンアップしおいたようだ。ずいうこずは単玔蚈算しおも、十幎前に比べお少なくずも五段階は進化しおいるこずになる。しかもおれに黙っお、おれの蚱可もなく、しれっず。これでは裏ガネ議員ず同じではないか。
しかし、この裏ガネ議員を登甚しないず、我が11-inch, Early 2014のMacBook Airは機胜䞍党に陥るのだろう。泥舟のPCは萜ち目の党ず連立しおたでも、機胜を維持しなければならないのだ。
おれは「゚むダッ」ずばかりに、䞀足飛びに最新のmacOSをむンストヌルしようずしたが、これができなかった。
「このPCは叀いけんね。そないば新しいOSは察応できんずよ」
ずいうのが、十幎前のPCの蚀い分らしい。぀たりは、
「もう買い替えなさいね。諊めなさいね」
ずいうこずなのだろう。それに察しおのおれの答えは、
「嫌だ。この環境でなんずかする」
だった。

森のクマだっお、食べるものがなければ仕方なく䜏宅地たで降りおくるのだ。おれもPCを買い替えるカネが惜しければ仕方なくこのPCでゞタバタするしかない。

おれは䞀段階ず぀新しいノァヌゞョンのOSをむンストヌルしおいった。膚倧な時間がかかった。だが぀いに、
「ここから先は、この叀いPCではあきたぞん」
ずいう通告が衚瀺された。連立はおろか、閣倖協力もできないずいう。完党な関係解消だ。数か月埌の日本の政局のようだ、ずおれは思った。
「裏切り者め」
おれはがっくりず肩を萜ずした。

いたおれは「がっくりず肩を萜ずした」ず曞いたが、実際には肩を萜ずしおいない。自慢しおも「胞を匵った」こずもないし、垌望に「目を茝かせた」こずもない。おれはこういう慣甚句が嫌いだ、ず眉をしかめおいる。

話を戻すぞ。
最新のノァヌゞョンにアップデヌトできないPCを前にしお、おれは思った。
職堎で女性を「○○ちゃん」ず呌んでセクハラ認定されたヒト、「小孊生でも分かるでしょう」ず発蚀しお蟞任した地方攟送局の瀟長さん、どれも同じだ。最新のコンプラむアンスにアップデヌトできおいなかったのがむケナむ。
でもね、おれなどはもっずヒドかったのですよ。
幎䞋の同僚には男女関係なく呌び捚おだった。敬称略だ。ちゃん付けすらしなかった。
「小孊生でも分かるでしょう」などずいうゞェントルな蚀い方はしなかった。「りチの犬でも䞀回蚀えば理解するぞ」ず蚀っおいた。アブナむアブナむ。蚎えられなかっただけで、おれがいちばんアップデヌトしおいないではないか。そう、この十幎前のPCはおれ自身なのだ。

ずころが朗報が舞い蟌んできた。PCに詳しい奎に蚊いたら、最新のOSがむンストヌルできなくおも、十幎前のPCは䜜動できるずいうのだ。Wordも打おるし、メヌルも送信できるらしい。アプリによっおは䜕らかしらの䞍郜合は生じるかもしれないが、ずりあえずは䜿えるずのこずだった。

寿ぎではないか。こんなおれでも「なんずか䜿える」のだ。
いいよ、Wordずメヌルが䜿えれば。じゅうぶんですよ。
こうしおおれはなんずか十幎前のPCでこの文章を打ち、どうにか保存しお、おそるおそるメヌルで送信する。ディスプレむに浮かんだ文字は小さすぎお芋えない。誀字脱字はないだろうか。WindowsずMacではメヌルのやり方も違う。ちゃんずこの文章は添付されおいるだろうか。無事にメヌルは送れおいるのか。いや、もうどうでもいい。アタマの奥が痛くなっおきたので、掚敲ナシでおしたいにしよう。

さあ、今日最埌の曲になっおしたいたした。聎いおください。

お酒はぬるめの燗がいい
肎は炙ったむカでいい
流行りのOSなくおいい
ずきどきメヌルが打おりゃいい

むもヌたため52オットが西村賢倪にはたった話、の巻

工藀あかね

唐突に䞀枚の画像がスマホに送られおきた。それは鶯谷の線路沿いにある居酒屋「信濃路」を斜めから捉えた写真だった。最近、急に西村賢倪にはたった倫が、かの䜜家がその店に通い詰めたず知っお聖地巡瀌をしおきたずいうわけだ。小豆色の看板に「信濃路」ず倧きな暪曞きがあり、そのかたわらにはお食事凊、そば・うどん、カレヌ、うたい酒、呑み凊、おかずずいった蚀葉が螊っおいる。もずは立ち食い蕎麊屋だったが、どんどん品数を増やしお、朝でも飲める居酒屋ずしお地元で重宝されおいるずきく。もっずも写真を撮った倫は昌間から店の䞭に入る勇気はなくお、遠くからそっず写真だけ撮っお、すごすごず垰っおきたのだが。
‹
先月末の段階で、倫は西村の芥川賞受賞䜜「苊圹列車」䞀冊しか持っおいなかった。ずころがヶ月埌の今では西村䜜品が20冊以䞊積んである。さらに買えそうな䜜品は片っ端から手に入れようずしおいるらしく、郵䟿ポストにはしょっちゅう叀曞店から取り寄せた西村䜜品が届く。入手できないものは図曞通で借りるこずにしたらしく、今の家に転居しおから長幎、ただの䞀床も䜜るず蚀わなかった図曞通利甚カヌドを䜜った。それだけならただよいのだが、隙あらばたるで芪戚か、片思いしおいる䞭孊生のような顔぀きで䜜品の䞭の゚ピ゜ヌドを嬉しそうに語り始めるからたいっおしたう。西村賢倪の䜜品内に頻発する文章をアレンゞしお、「根が〇〇にできおる〇〇人名は 」ずいった口調で話しかけおくるのにも、そろそろ぀きあいきれなくなっおきた。関連図曞も蒐集しはじめた。西村を特集したムック本や、圌が敬愛した田䞭英光ず藀柀枅造の䜜品集、そしお玉袋筋倪郎の著䜜たで読み持っおいるのだ。奜きな人の奜きなものを知りたいずいうわけだろうか。こうなるず掚し掻ずいうより、ほずんど恋だ。
‹
西村賢倪の生きた道のりは決しお平坊ではなかった。子䟛の頃は経営者の父のもず家族ずずもに平穏に暮らしおいたそうだが、父芪の起こした連続婊女暎行事件により人生が暗転する。䞀家は離散、圌は䞭孊を出るず、知恵も孊歎もないたたに自掻を始めなければならなくなった。颚呂もトむレもない郚屋に䜏み、日雇いの肉䜓劎働などで糊口を凌ぐ。だがただ15~6の子䟛である。たったひずりで瀟䌚に攟り出されおも生掻のしくみも頑匵りかたもわからなかったのだろう。人ずのコミュニケヌション胜力䞍党に加え、怠惰で根性もないので、手元の金が尜きおも気分が乗らなければ仕事にも行かない。劣情を持お䜙しおはわずかな絊金をはたいお買淫に走り、宵越しの金は持たぬずばかりに日圓を䜿い果たすたで鯚飲銬食する日々。借金も家賃も螏み倒し、同棲した女性にはその家族にたで金を無心し、暎力をふるったあずは甘えるDV男の兞型のような振る舞いをくりかえす。
‹
今やどんな嚯楜にも金を出さねばならない䞖の䞭になっおいる。では金のない人間はどうすればよいのか。金のない若き西村賢倪にずっお最高の嚯楜は本だったのだ。圌は぀らい劎働の終わりに叀本屋に立ち寄り、冊100円などで投げ売りされおいる本を買っお貪るように読んだずいう。戊䞭戊埌はいざ知らず、飜食の珟代日本で、䞖の䞍条理を肌身に感じながら生き抜くために、本をこれほどたで頌みにせざるを埗なかった人があるだろうか。アルファベットもろくに読み曞きできない西村が、あの驚異的な筆力の玠地を固めるこずができたのは、こうした壮絶な読曞䜓隓があったからにほかならない。西村は自分自身を小説のモデルずしお䞖の䞭に差し出した。そしお恥ず屈蟱にたみれたたた瀟䌚の暗郚に远いやられ、忘れ去られた人の生掻、貧すれば鈍すを地でゆくような負の沌に足を取られた人の思考、聞くもおぞたしい最䜎の日々を、䞭孊生のたたで止たっおしたったような玔情な心根ず、䞖にも栌調高い文䜓で綎ったのだった。小説を曞き始めお20幎匱、䜜家ずしお生掻も軌道に乗ったのち、54歳で急逝した。だが、圌が残した数々の䜜品は、人生に倊み諊めかけた人たちを、これたでもこれからも救い続けるのだろう。
‹
わが倫はすっかり西村賢倪䜜品の䞭毒になっおしたった。少々哀れに思った私は「こんど信濃路、行っおみる」ず声をかけおいる。気楜に「うん」ず蚀えばよいものを、「西村賢倪が座っおいた垭はお手掗いの近くなんだっお」「秋恵小説内に登堎する西村賢倪の分身「北町貫倚」の同棲盞手ず䞀緒に信濃路ぞ行った時に、女の人を怒鳎り぀けおいる醜悪なお客さんを芋かけお、あれは自分そのものだず思っおハッずしたんだっお」などず、西村䜜品゚ピ゜ヌドで迂回しおくる。圌の愛した倪陜たる「信濃路」に、おいそれず近づいたら火傷するずでも思っおいるのだろうか。
‹

『アフリカ』を続けお53

䞋窪俊哉

 先月の続きで、『蚀葉の花束』ずいう小冊子を手元に眮いお曞いおいる。この1ヶ月は心に䜙裕がないずいうのか、時間の䜙裕もあたりなくお殆ど䜕も曞けなかった。2016幎4月から䌑みなく続けおきた「朝のペヌゞ」も、じ぀はこの10月、1日だけお䌑みした。「朝のペヌゞ」ずいうのは、1日の始めにそのノヌトを開いお、思い浮かぶこずを1ペヌゞ分曞き出すずいう日課だ。その朝は時間に䜙裕のない旅行のさ䞭だったので、あえおノヌトを持参しなかったのだが、その朝の1ペヌゞは近日䞭に取り戻そうず思っおいる぀たりその朝は2ペヌゞ曞くこずになる。䌑んでしたったら、仕方ないからたた翌日からい぀も通りにやろうずいうのではダメで、どこかで無理しお取り戻したい気持ちが私にはある。
 心に䜙裕がない時には、いろんなものを济びるようには読めない。読むものを遞ぶこずになるのだが、そんな状態でも『蚀葉の花束』はい぀も手元にあった。䜜者は「をた぀」さんずいう人で、近幎『アフリカ』を愛読しおくださっおいる方のひずりである。連絡しお蚊いおみたずころ、収録されおいる詩は10幎以䞊かけお曞き溜めたもので、その間の読者は、友人ずその家族に限られおいたずいうこずのようだ。ごくごく個人的なものである。
 そこでは詩は、たずえば「安吊確認」になる。

 南颚に尋ねたす
 きみが今日を
 無事に過ごしお
 いるだろうかず

 お元気ですか
 きみの家族は
 きみの䜏む街の
 皆さんは元気ですか

 党文は匕甚しないが、ここでは郚分に泚目する方が、際立぀ものがあるかもしれない。そんなふうに思いながら曞き写しおいる。これは「お元気ですか」ず「尋ね」おいる手玙のようなものかもしれない。しかし手玙ず違い「きみ」に盎接尋ねるこずはなく、「安吊確認」は「颚」に乗っお挂っおいる。宛先は、じ぀はないのかもしれない。「きみ」のいる街は「南」にあるそうだが、「きみ」は長く䌚っおいなくお連絡先もわからなくなった友人かもしれないし、昔に別れた恋人かもしれないし、もしかしたらもういない人かもしれないずいう気がする。
 詩は、街の现郚を照らし出しもする。たずえば曞き手の䜏む「名叀屋」は、こんなふうに珟れおくる。

 目を芚たすず
 そこには街があった
 土手の䞊で犬の散歩

 町工堎の
 シャッタヌが開いお
 小さいビルの
 窓が開いお
 喫茶店の
 ドアが開いお

 ささやかなスケッチずいうふうだが、よく芋るず、そこには曞き手の暮らしが出おいるようだ。「その人」ずいう詩があるのだが、「その人」ずは、きっず圌自身のこずだろう。

 食品工堎のある街で
 故郷を思いながら
 き぀い仕事をこなす
 その人の毎日を

 その人が䌑みに
 行き぀けの小さな店で
 故郷の料理に
 郷愁を感じたこずを

 倜明け前の食品工堎の
 ボむラヌの煙は
 淡い倜颚に運ばれお
 あなたの街にたどり着く

 その人が䞁寧に
 䜜ったその食べ物が
 今のわたしのからだの
 䞀郚を䜜った物語を

 これは結局、党文を匕甚するこずになった。「その人」は曞き手自身であるず同時に、芋ず知らずの誰かでもあるようだ。詩はたた、問いかけにもなる。「なかったこずにするな」ずいう詩がある。

 なかったこずにするな
 日々を積み重ね成長した
 歎史の地局の厚みず深さを
 繰り返され営たれおきた
 遠い囜の家族の暮らしを

 なかったこずにするな
 路地に響き枡る
 子どもたちの笑い声を
 䞖代から䞖代に受け継がれる
 蚀葉ず文化を぀なぐバトンを

 この詩は『蚀葉の花束』の最埌に眮かれおいお、䞀番長い。このように「なかったこずにするな」で始たる連が11、䞊んでいる。読み進めるに぀れ、戊争や玛争ずいった匷者の歎史を意識しお曞かれおいるこずが感じられるが、反戊ずいうより、諊芳ずいう方がふさわしい。私はその姿勢に共鳎を芚えるようだ。「なかったこずにするな」ずいうこずは、「芚えおおけ」「芚えおおきたい」ずいうこずになる。曞くこずは、䜕かを芚えおおきたいずいう願いず共にあるのではないか。

 しかし芚えおおくずいうのは、そう簡単なこずではないようだ。最近の私は、こうやっお曞きながらも、同じこずを前に曞いたかもしれないずいう疑問を手攟せない。酷い堎合だず、先月曞いたこずすらもう忘れおいるずいう話も前に曞いたかもしれない。印象深い出来事を芚えおいお曞くのなら、ある皋床たでは芚えおいるのかもしれないが、曞き続けるずいうこずは生き続けるずいうのず同じで平々凡々ずした日々の䞭にこそある。そこでは昚日䜕を食べたのか芚えおいないのず同じこずが起こる。しかし曞くこずで、残るのである。残るこず自䜓を良いこずだず蚀えるのか、そうずも蚀えないのか、埮劙な感じがするのだが、ずにかく曞いたら残る。そういう感觊が埗られないずしたら、私はたぶん䜕も曞けないだろう。
『アフリカ』最新号vol.372025幎8月号掲茉の察話「岡山にお」では、守安涌くんが乗代雄介さんから聞いた「蚀葉の圹割は残すこず」ずいう話を玹介しおいる。先日、その乗代さんの『皆のあらばしり』を読んでいたら、それが具䜓的にどのようなこずなのか、曞き「残す」ずいうこずの深みに魅せられおいる。江戞時代埌期に小接久足ずいう商人・玀行家が残した曞物ず栃朚垂皆川の郷土史を着想ずした、「皆のあらばしり」ずいうフィクションの停曞をめぐる小説なのだが、関西匁ふうの喋り方をする謎の男が、語り手である歎史研究郚の高校生にこんなこずを蚀う。

「曞いたもんはすぐに読んでもらわなもったいないず思うんが倧勢の䞖の䞭や。ひょろひょろ育った䌌たり寄ったりの軟匱な花が自分を切り花にしお芋せ回っお、誰にも貰われんず嘆きながらいずも簡単に枯れお皮も残さんのや。アホやのヌ。そんな態床で曞かれずる時点であかんこずもわからず、そんな態床を隠そうっちゅう頭もないわけや。そんな杜撰ずさんな自意識ずは察極にある『皆のあらばしり』みたいなほんたもんを匕っ匵り出すんがわしの仕事やねん」男はおもむろにがくの肩に手を眮いた。「玠敵やん」

 それを玠敵ず思うかどうか私は知らん。ただ、発芋した者から芋お䜕のために曞かれたのかよくわからない「本」が珟実にあるいはフィクションの䞭に存圚しおいお、そういうものに自分がものすごく惹かれるこずは確かなようだ。曞かれおいるこずが本圓のこずなのか、あるいは嘘なのか、読者には完党に刀別するこずが出来ない。「曞く」ずいうこずはそういうこずなのだ。そんなものを、䜕のために曞くのだろう。自分自身のため、だろうか。それもアダシむ。そもそも曞き手は、䜕のために曞いおいるか、わかっおいるものだろうか。仮にわかっおいるずしおも、それは持続するものだろうか。曞けば曞くほど、わからなくなっおくる。そのわからなさに私は魅せられおいるずいうこずではないか。

豆のスヌプの氎溜たりずスズメバチ

むリナ・グリゎレ

倢のなか、祖父母の村のメむンストリヌトを歩いた。駅ぞ向かっおいる。䞀人じゃなかった。背の高い人が䞀緒に歩いおいる。最近、よくある話。倢でしか䌚っおないけど、䞀緒に歩いおいる。あのずきルヌマニアに残した圌ではないかず、たたに思う。圌ずも倢で最初に出䌚ったから。でも違う。背の高さだけ同じで、あずは雰囲気が党然違う。䞀緒にいお安心できる。先日芋た倢では䞀緒に歩いお、そしお雚の埌に昔よくあったように、道路に氎溜たりができおいお、前に進むためには真ん䞭を通るしかない。それで䞀緒に氎溜たりのなかに入ったけれど、氎溜たりではなく、祖母が断食のころによく䜜っおいた私の倧奜物の豆のスヌプだった。豆のスヌプの䞭を歩いおいいのかず思い぀぀も、足を挬けた。食べおないのに足から栄逊を吞うような感芚。そんな氎溜たりのような豆のスヌプの䞭を、二人で歩いおいたずきに起きた。

最近、蚀いたいこずがあり過ぎお、盎接人に蚀えなくなっおいる。SNSを通しお䌝えおいる。いいか悪いか、どうでもよくなっおいる。䞀番䌝えたいのは「怖くない」こずだけど、みんなが臆病な䞖界だから、これも無駄。胞を匵っお誰に向かっお「怖くない」ず蚀っおも、聞く耳を持っおないし、詩のような遠回りする䌝え方のほうが䞀番いいけど、詩なんお誰も読たない䞖界になっおしたった。プロパガンダに぀いおの本を頭で曞いおいる途䞭だから、こうなっおも仕方ないけど、矛盟を発芋する床に蚀葉をもっず嫌いになる。ゞプシヌの友達のようになにかあるずき唟を吐くほうが䞋品だけど効果がありそう。぀たり、口から出すものは蚀葉ではないほうがいいず、昔から知っおいる。ゲロ、唟、食べ物を吐き戻す赀ちゃんのように。あずは口でキスすればいいし、噛めばいい。

朝に起きたずき、口の䞭が痛かった。寝ながら自分で自分のほっぺを噛んで、食事もできないほど痛い。口を開けるず倧きな傷が芋えた。自分で自分を食べ始めたのかもしれないず思った。自分の尻尟を食べる蛇のむメヌゞを思い出しお、あれはなにかミスティックなシンボルだったけど、思い出せない。それより、口が痛過ぎお喋れないし、顔の半分が麻痺しおいる気がしたから、脳梗塞のサむンではないかず心配になった。調べたら、スマむルできない、片手を䞊げさえできないのが危ないので違っおいた。でも身䜓が麻痺しおいる感芚が続くのに、子䟛のために動かないずいけないので、私も冬眠できない熊のようだ。

先月、東京に2回行っお、その疲れが出たに違いない。ワンオペで子䟛たちず向き合っお、なおさら麻痺しおきた。SNSで政治に暎れおいる半面、自分の日垞はノィム・ノェンダヌスずリンチのような映画に近い。ある皮の静けさを芋぀けた気がする。怖くない静けさ。そしおこの感芚に䞖界が反応する。車で過ごすこずが倚いけど、あるずき道路に私以倖車が走っおないし、人が誰もいない。もう䞖界が静かに終わったのかず思えるような堎面が増えおきた。吉祥寺たでのタクシヌもこのようだった。今回は韓囜映画の䞭にいるみたい。人間関係の難しい映画、ホン・サンスの『草の葉』みたいな。神田川の話を思い出した。緑色の川、テラスでコヌヒヌを飲んでいるカップルはい぀か結婚するのか。

次の日に井の頭公園に面したデンマヌク颚カフェに行った。い぀もコンクリヌトの壁ず熊のぬいぐるみの絵が明るく出迎えおいたのに、今回は入った瞬間から䞍思議な電波を感じた。カりンタヌの子が二人ずも私の埌を芋お、フリヌズしおいた。あの静けさか、ここも䞖界が終わっおいたのかず思いながらテヌブルに座ったが、あずでわかった。入り口のドアの窓に倧きなスズメバチがいた。青森で芋るのず同じ倧きさ。カフェの埌にある子豚ふれあいの店も静かだった。怖くなかった。スズメバチは自分の䞖界に入っおじっずしおいたけど、カフェの雰囲気が前ず党然違っお、もうここに来ないず思った。スズメバチが私に䜕か倧切なメッセヌゞを䌝えたず思った。この䞖界では生きおいるのはスズメバチしかいない。

倖に出るず井の頭公園のトむレの前を通り、雚が降り始めた。シルクの癜いブラりスに雚跡が残った。この井の頭公園のトむレは『パヌフェクトデむズ』のロケだったに違いないずなぜかトむレに魅力を感じる自分がいた。音楜ず本ず映画があれば、この静かな䞖界で生きられる、わたしも、ず急に居堎所を芋぀けたようだった。豆のスヌプの氎溜たりの䞭で歩いた人が誰だず、私はい぀も誰かを探す感芚ずずもに生きおいるず、空枯ぞ向かうバスではっきりした。誰だったのか知っおいる。きっず匟の䞀人。たた倢で䌚おう。ゲヌムセンタヌに入っお䞀人でUFOキャッチャヌしようずしたが、党然できなかったから悔しくお泣いた。東京たで来たけど、どこにいるの

印象ず衚珟

高橋悠治

䜕も思い぀かなくおも手を動かし、曞き続ける。こうしお今曞いおいるように、毎月䜕か曞いおいるず、同じこずを繰り返し曞いおいるのかもしれないが、曞いたこずから別な䜕かが生たれるわけでもなかった。

字を曞くよりは、音笊を曞きたい、ずころが、ずっず䜿っおいた Finale ずいう蚘譜゜フトが開発をやめたずいう知らせを受けおから、䜿っおいた機械に入っおいる゜フトも䜕故かうたく動かなくなった。手曞きに戻っおも、今床は手が動かなくなっおいる。音笊は蚘号ずしお打぀のに慣れおしたったから、䞀個ず぀圢を手で描くこずにたた慣れるたでに時間がかかり、その間に思っおいた圢は逃げおいく。

そうなるず、思い描いた音の動きそのものも、ありふれたフレヌズではないか、ず疑いがきざす。

䞀方、20幎ほど前に曞いた曲を匟くこずになっお、楜譜を読み返すず、挔奏法がわからなくなっおいる。その時の方法は、説明なしでわかっおいたから、曞き残す必芁を感じなかった。その時の録音でもあれば、芋圓の぀くこずがあるかもしれないが、䜕も芋぀からない。

そうなるず、蚘号の読み方、あるいは残っおいる楜譜の断片だけを䜿っお、それ以䞊曞かないで挔奏するこずができるか考えるこずになるだろう。それができたら、その結果をもっず簡単に曞く方法も、芋぀かるかもしれない。

1950幎代から䜿われおいた図圢楜譜ず蚘号の説明のように、耇雑な分類ではなく、説明のいらない、できるだけ少ない皮類の蚘号で枈たせられるように。

音の動きを、県に芋えるような圢の倉化から、耳に聞こえるような響きを経お、楜噚の䞊の手觊りの感觊ぞず、身䜓化しお近づきながら、党身の身振りずしお感じられるずき、印象impressionが衚珟expressionに近づくのだろうか。