私とタルラがアッシュと出会ったのも、ずっと昔のことのように感じる。
出会ったばかりの頃はその姿と異世界から流れ着いたという話を不気味に感じていた。
だけどそれも彼の奇行や大人びていながらもどこか抜けているその人柄を目にする内にその印象はいつの間にか無くなっていった。
彼が戦場でも一人で突っ走ろうとするタルラを止めてくれていることには助かっている。
……私は戦場で役に立たないから。
でもそんな私もアッシュの“先生”として役に立てている。彼の知識欲の旺盛さのお陰で教えることが他の子供達よりちょっと多かったけど、その甲斐もあって今の彼はテラに生きる人間と変わりない生活ができている。
……後は彼がトレードマークとして認知されてしまったあの騎士の鎧と兜を脱いでご飯を食べることを覚えてくれれば万々歳なのだけど…それはもう少しかかりそう。
私はタルラが心配で、だから傍で見張ってあげるためにここまでついてきた。
そして私は気づいた。……タルラとはまた異なる危うさをアッシュも孕んでいることに。
──幸い、彼の方は今からでも何とかできそうなものだけれど
私はタルラと彼女の率いる戦士たちと共に遊撃隊主導の遠征に赴き、源石鉱山に置かれた駐屯軍の拠点から貴重な物資を拝借してきた。最早この作戦活動は安定した資源の供給源と言っても良いのではないだろうか。
……手付かずの鉱山が無くなるまでの話だったが。
おかげで最近は我々が駆り出されることも少なくなってきている。……要は束の間の安息の期間ということだ。
しかし、戦いに明け暮れてばかりであった私にはその与えられた暇の間にこれといってすることがない──ということは無い。
戦場に赴かねばならぬ身故中々席に着けないが私はアリーナの学校の生徒だからだ。非番かつ平日の日は学校に通う。そうでない日も彼女が特別に開いてくれる夜間の授業を受けさせて貰っている。お陰様で
…やはり監視官どもの飼い主だけあってウルサスは碌でもない前歴をお持ちの国家だった。この調子だと後の教科書に載るであろう現皇帝フョードルの功績もダメそうだ。
「「「「「「「
閑話休題、久しぶりに朝から出席できた私を含め幼い生徒たちは今日の絵の授業を終えて校舎を出て、放課後の恒例の拠点全体を範囲とした“かくれんぼ”を始めようとしていた。
アリーナは放課後にかくれんぼを必ず行うのだが、これは単なる遊戯では無い。万が一にも子供達が監視官に追われ、自分達の足で逃げなければならない事態になった時に備えた訓練でもあるのだ。
──追手から隠れ、生き延びれるように……と。
その為にアリーナと私はじゃんけんで鬼役になった子から鬼役を代わり、必ず追手側に回るよう心掛けるのだが……
「何ィまた一人負けだとぉ!?これで9回目だぞ!!?」
「おじさん認めなよ、じゃんけん弱いんだって」
「…イーノの言う通りだ」
……私が参加するかくれんぼの鬼の選定のじゃんけんは毎回こうだ。代わるまでもない。
「フフッ……さぁ皆、アッシュが鬼よ!見つからないように隠れましょう!!」
「「「「「「「はーい!」」」」」」」
アリーナが手をパンパンと叩くと子供達が一斉に住宅地の方へと飛び出していく。
「有り得るのか…こんな奇跡が……」
「有り得ないことこそ在りえないんだぞ……行こう、イーノ」
「うん。あっおじさん!この前の鬼ごっこみたいなズルしないでよねー!」
そう言ってイーノとサーシャもその場からいなくなってから、アッシュは出鼻を挫かれながらも目を閉じてカウントダウンを始めた。
ちなみにイーノの言ったズルとは“緩やかな平和の歩み”で逃げようとする子供達を一網打尽にしたことである。
流石火の無い灰、誉もフェアプレイもクソ喰らえの精神による大人げない所業だ。
「やれやれ……10…9…8…7…5…」
前回はサーシャが勝手に使ってくれた禁じ手のアーツによる完全隠密作戦によって誰一人見つからなかったが、皆の純粋な実力でその結果を出せるようになるのはいつになるのやら。
あとサシェンカにはいい加減かくれんぼをしてもらいたい。見つかっても走って逃走を図るあの子には困ったものだ……。
「4…3…2…1…」
(さて……行くか)
「0!…って……アリーナ?」
「あら、…フフフ……見つかってしまったわ」
アッシュは監視官役を遂行せんと眼を開くが目の前に立っていた隠れる側の筈のアリーナにまたもや出鼻を挫かれてしまう。
「……アリーナ、確保…と……わざわざ見つかってくれてまで何か用か?」
「……そうね…今日の私は捕まってしまった捕虜役にでもなってみようかなって思ったの」
「ほう」
「それに
そう言って薄く笑みを浮かべたアリーナは左手の中指に嵌められた指輪を撫でる。
「……“ソレ”を外せば良い話だが?」
その指輪はいつの日だったかは忘れたが私が彼女に譲った“幻肢の指輪”だ。彼女はそれをずっと身につけている故に近くまで寄らねば姿を捉えられない。
…お陰でいつに間にか己の背後に静かに立っていたなんて悪戯をされては心臓が逝きかけている。
頼むからそれだけは止めてほしい、死を覚悟するから……本当に。
「渡されたばかりの頃はそうしてたんだけど……この指輪のお陰で私も助かっているのよ」
「この拠点に敵がいるというのか…?」
「いいえ、別のことに役立ってるの」
「別の……?まさか“幻肢の指輪”に敵から視認されない以外に私の知らぬ効果があったのか!?」
「違うわ。悪いけどこれは秘密。たとえ貴方とタルラであっても言えないわ」
この指輪には本当に助けられている。
──この指輪のお陰で私は感染者のために戦ってくれているタルラの仲間達に知られていないのだから。
私は一介の教師でしかない。そんな私が感染者の為に戦ってくれている特別な存在──英雄のような戦士達と知り合うべきではないと思う。
…いつかタルラの理想が叶って、互いが同じ立場になれた時までは。
だからその時が来るまで私のことを隠してくれているこの指輪には感謝してもしきれない。
……彼自身にも。
「解せんな……これは何度死んでも残り続ける疑問だ」
「もう!笑えない冗談を言わないでよ」
「クク……すまんな、つい癖が出てしまったようだ」
「はぁ……タルラの悪い癖が移っちゃったのね。……さぁ、あの子たちを探しに行きましょうか」
「……そうだな。さて、今日は何人生き残れるかな?」
二人は隠れた子供達を探し始めた。
「……おかしい、ここまで完璧に隠れていることなどあったか…?誰一人見つけられん………」
しかし、それから十分程探しているが子供達が全く見つかっていない。アリーナに引っ掛かり、姿を晒す者もいない。
それ自体は大いに結構なことなのだが……リューバフ──隠れるのが下手なあの娘までがここまでうまく隠れられるほどに上達しているとは思っていなかった。
「……皆にはあとでご褒美をあげないとね」
……特にサーシャには。あの子は何を喜ぶかしら?
「何か言ったか?」
「何でもないわ……ねぇ、アッシュ」
アリーナは歩きながら子供達を探していたアッシュの手を取った。
彼にとってテラの大地はもう右も左も分からない未知の世界ではない。きっとこの世界を生きる一人の人間として卒なく
「どうした、誰か見つけたのか?」
「ちょっと時間をもらうわね……ついてきてっ」
「おっおい!すっぽかして良いのか!?」
「大丈夫、すぐ済むから!」
そう言ってアリーナはアッシュの手を引いて拠点に作られていた小さな広場に向かった。
そこは彼が拠点にいる間にいつも“火継ぎの大剣”の篝火を起こしている場所であり、いつも火に当たる者が数人いるはいるはずなのだが、今日は珍しく人影が無かった。
二人はそこに設置されたベンチに座りこみ、数分の間二人は沈黙していた。
「貴方がこの篝火を私達の前で初めて灯して見せたのも随分昔の話ね」
「…そうだな」
しかし、それも終わり、二人はは揺らめきながら燃える篝火を眺めながらぽつぽつと話し始めた。
「貴方は言ってたわよね……自分のいた世界で使命を成し遂げる為に戦ってきたって」
「思い出話か?いきなりだな……そうだ。私は火を継ぎ…終わらせた。まぁ、結局その結末を見届けることは叶わなかったがな」
「……何度も死んで…それでも屈伏することなく?」
「……私だけの話ではない。多くの者たちがそうやって薪の王となった」
空を見上げながらそう語るアッシュは甲冑のせいで顔が窺えないけれど過去を懐かんでいるようで……そしてどこか悲しげだった。
彼は時々電源のスイッチが入ったかのようにこうなることがある。
私といる時だけではないようで、タルラもそんな彼の姿を見たことがあると言っていた。
…彼は私達と接する時にきっと何かの拍子で過去のことを思い出している。
パトリオットさんのお陰で多くのリターニアやヴィクトリアの書物を読んで知識や感性を育んできた今の私には分かる──彼のことをこう言い表せられる。
今もなお彼の心は──彼流に言うならば
多くの出会いや別れといった出来事を記憶し、摩耗した心身をさらに酷使した果てに世界の為に賭する、そんな生き方を二度も貫き通したという彼に傷跡として残っている。
私の憶測だけれど、彼は──
「貴方はそんな彼らが繋いできた“火”を終わらせた……貴方は怖くなかったの?──過去とは違う新しい一歩を踏み出そうとする意思をどうやって保てたの?」
「怖かったさ。だがそれ以上に…無駄にしたくなかったからだ」
アッシュは古びた鋳鉄の手甲に包まれた右手を握りしめ、弱々しかった語気を強めてアリーナへと答える。
「愚かな神が始めた呪われた円環のごとき犠牲の連鎖、それを成す薪となった者たちがあれ以上増え続け、その末に彼らの覚悟が“火”諸共無へと消えゆく……あんまりにも憐れじゃあないか。彼らが──我らが、薪の王達が……そんな結末を認めたくなかった、認めてたまるものかよ……そんな思いが灰となったこの身を突き動かしていた、それが絡繰りだ。そういえばこれはタルラにも答えてやった覚えがあるな……何の参考にもならなかっただろうが。ハハハ……」
内に秘めていた感情を出し切ったのか、再び萎れた声になりながらもそう言い切り、力なく笑うアッシュを見てアリーナは確信した。
────彼は
不死となった彼は“はじまりの火”の存在に振り回されてきた。
世界に貴方の唯一の存在意義とされて、実際にそうなってしまった“はじまりの火”。
火に囚われた呪いのような因果関係を断てたのはどれほど清々しいことだったか。
…でも、それが齎すのは良いことだけでは無い。今の彼のままではきっといつか破綻してしまう。
「……そろそろ発とう。子供達も隠れ続けるのは辛いだろうしな」
自分の話で居心地が悪くしてしまったと思い気に病んでか、アッシュはベンチから立ち上がってアリーナに手を差し伸べる。アリーナはその手を取って立ち上がるがそのまま彼の鎧われた手を握り続けたまま彼を見据える。
「アリーナ…?」
「……アッシュ、最後に一つ良いかしら?」
アッシュはアリーナに言葉を返そうとしたが平時の穏やか彼女の雰囲気とはどこか違った様子に気圧され、彼は無言で首肯する他なかった。
アリーナは意を決するように小さく息を吸い、彼に問う。
「貴方は今…何のために生きているの?」
「───」
その疑問は無意識に遠ざけていたものだった。
タルラに出会ったことで……彼女の理想が形作られていくのを見るという仮初の目的のおかげで、私はその現実から目を逸らし続けることが叶っていた。
使命を果たす為だけに必死になって戦い、生きていた時の己では到底考えが及ばなかった──全てが終わった後に己がどうするのかということに。
あのまま私が終わっていたらそんなことを考えずに済んだが…こうして私はまだ生きている。
分からない…彼女の問いに答えられない。かつての己なら即答できた筈のそれに………答えられない。
(……そうか、だからか)
監視官やウルサス軍の兵卒は容易く屠れていたので気づかなかったが、タルラ達の相手をするようになってからその違和感に気づいた。
───腕に力が入らないのだ
軍医に診てもらっても異常は無く、気のせいだと言われたがその違和感は晴れることなく心の内でずっと残ったままであった。
その正体が今、分かった。今の己には無いのだ。得物に込め、己が体を突き動かす原動力が。
タルラは自身の理想の為に、フロストノヴァは彼女の兄弟姉妹の為に、サーシャがイーノのために戦うように。彼らもかつての私のように自分の生きる理由で体を突き動かしていた。
それが無くなっていた空っぽな私が彼らに勝る道理などあるはずが無い
(しかし……)
──全てを終わらせた末に至ったこのテラで……燃え滓である灰が何をすれば良い?
新たな使命を探せと?
また……繰り返せと?
亡者のように…自我が消えるまで…繰り返し続けろと言うのか…?
…心が折れそうだ……
「アッシュ」
ぐちゃぐちゃな思考の坩堝に陥っていくアッシュをアリーナの声が引き止めた。
「落ち着いて、頭の中を整理してみましょうか」
「あ、あぁ……」
アリーナはそのまま彼の手を引き戻して一緒にベンチに座り直す。
「まだ見つけられていないのね?」
「……君は気づいていたのか?当人である私ですら自覚できていなかったというのに」
「伊達に先生としてやってきてないわ」
「……なぁ、アリーナよ。私には…もう見出せんよ。私はもう……」
──疲れた。それ以上を僅かばかり残っていた矜持が言うことを許さなかった。
「……まだ信じられないかもだけど、生きる理由って重い責任や重圧を伴うものだけじゃないのよ?」
「……例えば?」
「そうね……」
アリーナは徐に篝火を挟んだ向かい側にあるベンチへと手を振り始めた。
彼女の視線を追って見ればそこには何処かで隠れていた筈の数人の子がこちらをベンチの裏に隠れて覗き見ていた。程なくして慌てて来たサーシャがアーツで彼らと共に姿を消したのを見届けてからアリーナは続きを話す。
「……夢」
「夢だと…?」
「そう、タルラみたいな強い戦士になりたいとか、お父さんとお母さんの生活を楽にさせてあげたいとか…歌をまた歌えるようになりたいとか……色々あるわ」
(夢……ぬ?)
──灰の方、貴方に寄る辺がありますように
突然アッシュの脳裏に蘇ったのは“火継ぎの祭祀場”での記憶だ。しかし何度もそこには出入を繰り返していたのでそれがいつのものかは定かではない。
その記憶はたった一人──火守女の姿を映していた。
何故私は彼女のことを思い出した?今の話と何の関係もないはずだ。
(何故…?)
「……ダメだ。分からん」
「そう難しく考えないで良いの。大丈夫、きっと見つかるから……よし、じゃあこれはあなたへの宿題にしましょう!」
「ぬぅ!?しゅ、宿題か……期限は?」
「貴方が腐ることなく真っ直ぐに生きていく為にもじっくり考えて欲しいので期限はナシ……と言いたいけど…できれば私が生きてる間には教えて欲しいかな」
それを聞いたアッシュは深い溜息を吐いてアリーナを恨めし気に睨んだ。
「……酷い先生だ、人の心は無いのか?」
「あるからこそこんなお願いをしてしまうのよ」
「……分かった、考えておこう。…もっと早くに課してもらいたかったぞ」
「貴方は一つのことに専念するタイプだから先に必要な勉強を一段落させたかったの。集中して考えたいでしょ?」
(…なるほど、これがぐうの音も出ないというヤツか)
「……アリーナ先生の細かな気遣いに感謝しよう」
「どういたしまして……時間を取っちゃってごめんなさいね?」
「クク……気にしないでくれ。とても有意義な授業だったよ」
「…良かった。……さて!皆を探しに行きましょうか」
──彼ならきっと大丈夫
そう思えた故に心から安堵した様子でアリーナはそのまま勢いよくベンチから立ち上がった。
「あぁ、そうだな。──それでは早速…」
彼女に続いて立ったアッシュはソウルから取り出した“祭司の聖鈴”を鳴らし奇跡“緩やかな平和の歩み”を発動し、向かいのベンチに歩いていく。
「サーシャ、イーノ、リューバフにアナスタシア…みーつけた…だな」
「あら…」
そこには先程覗き見をしていた子供達がベンチに座っていた。
「な、何故分かった…!?」
「お前のアーツは厄介だが足跡までは消せない。消えた後ここの周りに足跡が無いということは…?」
「…クッソ」
「おじさん!それ使うなって言ったじゃんっ!」
「私は確約していない」
「卑怯者!その騎士の鎧が泣いてるよ!!」
「クハハッ!この逃亡騎士の甲冑は不名誉な騎士の装い故何とも思わんだろうよ!」
子供達に笑って勝ち誇っているアッシュは先ほどまでの萎れた姿の面影は無く、とても生き生きとしているようにアリーナの目には映った。
(……貴方の探すものは案外近くにあるかもしれないわね)
しかし彼女はそれを言葉にせずに仲良く言い合う彼等の元へと歩き始めた。
──きっと彼なら自分で気づけると信じて
あとがきの時間だ
はい、今回は日常回でした。非番の時の灰の方はいつもこんな感じだと思っていただければ。
原作でもタルラの理解者兼ストッパー役だったアリーナ、本当は結構早めの時期に出すことも考えたんです。
でも次回のこと考え、ここでアリーナの回挟むべきだと思え直して軌道修正を行いました。
…ようやく死亡キャラ生存のタグの見せ場ですよ。
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