桜林 直子(サクちゃん)

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桜林 直子(サクちゃん)
@sac_ring
雑談の人/Podcast「となりの雑談」/著書「世界は夢組と叶え組でできている」「そもそも交換日記」「過去の握力 未来の浮力」「つまり“生きづらい”ってなんなのさ?」/マンツーマン雑談「サクちゃん聞いて」/お仕事のご依頼は sac1221@gmail.comまで
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\新刊出ます/ 11月17日頃 新潮社より『あなたはなぜ雑談が苦手なのか』が発売されます! 「考える人」の連載に加筆修正をしたものが新書になります。タイトルもめっちゃ新書!我ながら意外です。雑談について気が済むまで書きました。5年ぶりの単著、ぜひ読んでください!
Yellow book cover with Japanese title Anata wa Naze Zatsudan ga Nigatena no ka in black text centered prominently. Publisher Shinchosha logo appears at the bottom in red and black. Subtext describes content on small talk difficulties and human relations. Adjacent beige cover shows English text Be in the world of will and toughness limbs and outward floors with author name Sakurabayashi Naoko below.
駅で改札を出る前にトイレに行こうと思っていたのにぼんやりして改札を通ってしまい、駅員さんに「すみません、出ちゃったんですけどお手洗いに行ってもいいですか?」と言って戻れたんだけど、駅員さんがとても驚いていたのはわたしの言い方が悪かったせいね。出ちゃってはないです。
すごくどうでもいいけど、以前一緒に働いていたアルバイトさんが電話の相手の名を聞きとれず「東急ぽんぽこぺんからお電話です!」と堂々と言ったのを思い出した。東急東横店からだった。
バナナマンのラジオで、日村さんが「居酒屋とかで食べてるときに『あーこれ設楽さん好きだろうなー』ってよく思う」と話していて、設楽さんが「え、どんなのが好きそうって思うの?」とうれしそうに知りたがっており、愛だった。
怒らない人がすきなんだけど、それは怒りの感情がない人のことじゃなくて、感情をそのまま外へ出さずに、周りの人に配慮する思いやりと、自分をコントロールする冷静さと、自分への損得勘定ができる頭のよさを持ち合わせた人のことです。そういう人が肝心なときにちゃんと怒るのもすきです。
きのう本屋さんで、検索機では在庫ありだけど見当たらなくて「この本、この棚にあるはずなんだけど見つけられないんです」と言って、一緒にちがう棚もあちこち探したあと「ないですね。店員さんに聞きましょうか」と言われた店員さんじゃなかった。彼に幸あれ。
「人を人とも思わなかったこと、自分を大事にしなかったこと、自分の得意じゃないことをやってしまったこと、いいかげんにしたこと、ぜんぶ、40代になったら請求書が来る」 吉本ばななさんと対談したときの糸井さんの言葉をときどき思い出して、背筋をのばしている。
身体が疲れているわけでも落ち込んでいるわけでもないけど、とにかく力が湧いてこない。この1年でわかったのは、楽しみな予定をたてられずに、ワクワクするのを諦めてガッカリしないための行動をしていると、感情が動くのをサボるようになるってこと。目に見えないけどとても大きな被害だと思うのよ。
先日のトークイベントで作家の村田沙耶香さんが、人は汚いものを本物だと信じたがる。たとえば悪口や悪態に対して「本音が出た」とよく言うけど、きれいごとが本音のこともあるよねというようなお話をしていて深く頷いた。この人はこうだと決めつけずにそれは一部だから多面的に見たいと改めて思った。
これは超大事なことなんだけど、自己肯定感が低い人が考え方を変えるのにできることは、むりやりポジティブに考えることではなくて、まずは自分が何にガマンしているのかを知ることです。感情や欲を抑えるフタをみつけて、ああガマンしていたんだなと認めることからです。話はそこからだ。
普段から自分の意見を言えない人、意見を言わない=決定権を相手に譲っている という認識だから、意見を言う=自分の思い通りにしたい だと思いがち。
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ジェーン・スー
@janesu112
これは仕事の話じゃないんだけど、「このままだと予定どおりに行かないので不本意ながらプランBに移行するしかないのではないか。意見を聞かせてほしい」を「プランBがやりたいんですね!」に理解されるとほんとにムカつくね!
自信がないという人の話を山ほど聞いてきて思うのは、ほとんどの人は自分を信じていないというよりまず他人や世界を信用していないんだよね。自分が行動したら受け入れてくれるとかいいことが起こると思えない。自信よりもっと手前の設定の話。
昨日ラジオでハライチの岩井さんが、人と自分はちがうと認めて理解できない人も許そうというテーマで過ごしていたら「まあこんな人もいるよな仕方ない」を重ねた結果、許すのと見下すのは紙一重だとわかったと話していて興味深かった。対等に見ておかしいことにはちゃんと怒るぞと決めたのもよかった。
俺たちの星乃珈琲店に「昭和のプリン」という名のかためのプリンが登場したよ🍮追いカラメルタイプでかため且つつるりと軽めだよ。いよいよ流行ってるねえ🥚🐣🐥💫
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誰かの言葉にイラッと引っかかるのは、そこに自分のこだわりや大事にしたいものがあるからなので、相手の言葉がいかにダメかを指摘するよりも、自分が何を大事にしているかを伝えることに力も時間も使えるといいと思う派。そこを飛ばして言葉や感情だけ見ると埒があかないことが多いので。
「自分を大切にするってどうすればいいんですか」とよく聞かれるので「古いタオルを使い続けているなら新しいものに買い替えるとか、イヤな人や場所から離れるとかかな。急にマインドだけ変えるのはムリだからよい状態になるための具体的な行動をするしかないのでは」と答える。
休むことが苦手で罪悪感をおぼえてしまう人は、人生は問題や困難でできていると思っているため、楽しいことやよろこびに時間をつかうことを無意識にも避けている傾向がある。人生はガマン大会ではなく自分をよろこばせる大会だと書いて壁に貼っといて。
失礼な物言いの人って人格はさておき言葉を適当に使っていて、「それだとこういう意味に聞こえるけど大丈夫?」と確認すると「そんなつもりじゃない」と言ったりする。伝えたいことと言葉にズレがないように気をつけようと尽力するのも能力のひとつなんだよね。
東京03の飯塚さんが昔はモテたいとか反骨精神で芸人になる人が多かったけど今は純粋にお笑いが好きで業界に入ってくる子が多くてネタも陽性で人を傷つけないしやさしい終わり方をするって話してたの、昨夜のM-1を観たらほんとにそうだったなー。そしてわたしはナイツ塙さんがいちばんすき…。
この世を椅子取りゲームだと思い込んでいる人に、ちがうの、この世は広場だよとレジャーシートを広げてピクニックをはじめる人になりたいんだよな、わたしは。
「人を信頼するとは、意を決して誰かのプールに飛び込むことではなくて、誰かが見ていてくれると信じて自分のプールで堂々と泳ぐことだ」と過去の自分がメモしていた。いいこと言うなー、ほんとにそうだなー。
どんなに好きでも自分の感情は自分だけのもので、誰かにわかってもらおう(わからせよう)とする時点で相手の領域に踏み込んでいると自覚した方がいい。自分の感情を他者からも大事にされたいと思うなら、ぶつけたり押し付けたりする前に相手の感情も大事にするべきよね。
正直な人がすきなんだけど、それはウソをつかないとか隠しごとをしないというだけではなく、思ったことを全部口にすることでもなく、自分の感情、欲望、知と無知を過不足なく捉えていて、他人にどう思われるかどうかで自分の考えや振る舞いが変わらない人のことだ。正直な人は完全に信頼できるよね。
モヤっとした違和感は時間がたつほどにドロっと粘度が増すので、フレッシュなうちに「ちょっとー!」とか「なんでー?」と早めに言うと怒りになる手前のサラッとしたまま伝えられるのでいい気がする。正確な言葉を探して重くなりがちだったけど、身近な人への伝え方は鮮度が大事だという仮説。
「頼られるとうれしい」の裏にある、誰かの役にたってようやく自分の存在価値を認められるという土台を埋めるために他人をつかう不健全さに思いを巡らせる。誰の役にもたたなくても自分を認められる土台がないと、与えているつもりが身を削ることになり、人のためは人のせいになりかねない。
坂口恭平さんの新刊『自己否定をやめるための100日間ドリル』読みはじめました。 「自己否定がひどすぎる人は、まわりの人の優しい言葉にも丁寧に全て否定していくので、必然的にひとりぼっちになってしまうんです」ーーはじめにより これは必修課題図書なのでは。
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「人に期待しない」っていうのは「どうせ裏切られるから信じない」というのではなくて、他人は自分の思い通りにうごかないと知ることだ。相手を信用しないのではなく、むしろどんな行動を選んでも尊重するということよね。
失礼なことをされたとき、以前はわたしにそれをしてもいいと思われたことが悲しいと思ってたけど、最近は失礼な人が入ってこれないようにこちら側で仕組みをつくろうと思えるようになったので大進歩でござる。
親子は選べないけど恋人や夫婦は選べるからといって「どこかに自分のすべてをわかってくれてありのままでいいと言ってくれる人がいる」と思いがちだけど、そんな人はどこにもいないと認めて絶望するところがスタートだよねという話をした。「気が合う」だけで十分で、それでもなかなかいないくらいよ。
年末年始しんどい人、あと3日もすれば通常運転になるからよく寝て映画みたり散歩したりしてなるべくSNSから離れるといいかも。自分の持っていないものはめちゃくちゃいいものに見えるけど、過ぎてしまえばただの1日だからね。
以前、仕事において「自信があってもなくても相手には関係ないから、出すだけだよ。自信がないからといって出したものや出さなかったものに対して配慮されることはないよ」と言われてそうだなと思い、それから自信があるとかないとかがどうでもよくなった。
頭の中がモヤモヤでいっぱいになったら、まず「自分のこと」と「他人のこと」に分け、自分のことだけ残す。さらに「実際に起こっていること」と「まだ起こっていない想像」に分け、想像を捨て「自分が何をするか」だけ考えるといい。分類は技術なので練習よ。という話をした。#雑談チラ見せ
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何にガマンしているかを知って、なぜそう思い込みフタをしたのか原因を考えると大抵は自分以外の誰かの言葉で、フタは他人のつくったものだとわかる。そしたら自分でフタをはがして欲や感情を外に出すにはどうしたらいいかを考えるといい。時間がかかってもできると思っている。その努力は必要だと。
オードリー春日さんが婚約した直後のラジオでゲストの弘中ちゃんが「結婚したらしあわせって考えがダサい」「若林さんもしあわせになってくださいねって言うけど今もしあわせですよね」などと言ってたの最高だったな〜。
他者を自分の感情を動かす装置のように見ている人が一定数いて、やさしくされるとか傷つけてくるとか自分にどんな影響を与えてくるかばかり見ていて相手がどんな人かは関心がない。自分が主人公でいられるのはいいことだけど、他者もまた主人公であると同時に捉えるのがむずかしいのかな。
距離のある関わりが薄い人に気をつかいまくって嫌われないようにいい顔をして、疲れ果てて身近な人に不機嫌を爆発させるの、どう考えても大事にするものをまちがえている。身近な人に嫌われる方が危機だし、いちばんいい顔を見せてくれよと思うよね。
よく知らない人に嫌われても、どう考えてもわたしのことを知らなすぎるから、きっとわたしのことが嫌いというよりもその人の許せない範囲にわたしがかすったんだろうなと思うようにしている。つまりその人の問題。
誰かをよろこばせるって、相手がよろこびそうなことをするんじゃなくて自分がしたいことをめちゃくちゃやりきるってことで、このちがいで寄ってくる人がぜんぜんちがう。後者をよろこんでくれる人たちを大事にしないといけないなと改めてわかった週末でした。
転職とか就職のタイミングの人と話すと、なぜか仕事をすごく怖いものとしてしまうことがよくあるけど、雇う側も超人を求めてないしどんな仕事もただひとり分をやればいいだけだよ。慣れたらできることが増えていくからひとつひとつやるだけよ。と話す。
先ほどのインスタライブで「かつては我慢することを“頑張っている”と思ってたし、“我慢強い”は褒め言葉だと思ってた」「その先に目的のない我慢はいくらポイントを貯めても還元されない」という話をしたのだけど、我慢するクセは欲や感情まで抑えるから悪循環なのよ。#となりの雑談
残念ながらほぼすべての違和感はのちに確信に変わるので、昔は違和感を確かめに近寄っていくこともあったけど(やばい)今は自分の違和感を信じているので早めに距離をとることにしている。同様にプラスの直感も信じられるよう鍛えたいところ。
毎日食べるもので自分の身体がつくられていくのと同じように、毎日言うことや行動で自分の環境がつくられていくんだなあとしみじみ思う。「真面目にやっていればいいことがある」ってそういうことだよなって。“誰といるか”を選ぶためにはその手前に“何をするか”なんだよな、ほんとに。
思ったことをそのまま口にしてしまうのは昔から悪いクセだけど、昨日つかれたから整体に行ってコロッケでも買って帰ろうとぼんやり思いながら整体の受付で名前を言うときに「コロッケです」と言ってしまって自分でも驚いたよ。受付の人はもっと驚いてたよね。
最近転職した人が「新しい職場には意地悪な人がいなくてちゃんと仕事のためのコミュニケーションをとってくれるから、今まで使ってた謎の気づかい筋力を使わなくていい」と言っていて、環境を変えるだけでいいっていう意味は動いた先でしかわからないんだよなと改めて思ったよ。#雑談チラ見せ
「世界は私を傷つけないようにはデザインされていない」を「そういう作りだから傷ついても自分のせいじゃない」と捉える人と「だから傷つくのは避けられず自分が弱いせいだ」と捉える人がいるの、ほんとに騙し絵みたいだよね。#となりの雑談
Quote
ジェーン・スー
@janesu112
ちょっと大袈裟かもしれないけど「世界は私を傷つけないようにはデザインされてない」に気付いたとき、福音がもたらされたくらい私の視界は晴れたので、「じゃあ私が傷付くのはしょうがないってことですね」と解釈されるかもよとサクちゃんに言われた時は本当にびっくりしたんだよ。#となりの雑談
周りにいい人ばかりいるのは恵まれているからだとか運がいいからだと思ってしまうのはわかるけど、わたしは自分の意思で悪い場所から何度も離れてよりよい環境に行こうとしたので、運や縁ももちろんあるけど行動しないでそれらが降ってくることはなかったよ。と言い続けるわよ。
あーちん(高1)はテスト前になると自宅で友達5〜6人とLINEのグループ通話をつなぎっぱなしで勉強しているんだけど、つながっていても無言でときどき唐突に「これってさー」などと話しかけ、ノートのスクショを送りあってわからないところを解決していて現代…という感じがする。とてもいいよね。
長い間、ガマンすることを「努力」だと思ってしまっていたので、ついがんばる方向をまちがえてしまいがちなんだけど、その先に自分がよろこぶことだけを「努力」と呼ぶことにするわ。
どんなに自信があっても他人を認めないでバカにする人は知性がないなーと思うし、どんなに能力があっても自信がなくて自分を認められない人も知性がないなーと思うので、やっぱり自分をちょうど捉える知性は大事だし、わたしは知性のある人がすきだな。
生きるのが上手だなと思う人は、なんでも自分に都合のいい解釈をしているように見える。えーほんとはちがうかもしれないのに?と怪訝に思ってたけど、ちがうわ、どう捉えるかは自由で、見たいように見て、すきに作っていいんだった、人生を。
この前聞いた「ひとりで考えるのはほとんど反芻。考えをすすめるには他者が必要」というの、本当にそうだなあと思うし、誰かとお互いにその「他者」になれるのはとてもしあわせなことだと思うよ。
断れない人の話を聞いていると「断ればいいのにできない」というより「なぜか自分がやらなきゃというスイッチが自動的に入ってしまう」のが問題なんだとわかる。その状態だと断り方をアドバイスしても意味がなくて、まず「自分はイヤなもの担当」という設定をやめるのが先よね。
わたしが徹底してるマイルールは「怒ってる人の話は聞かない」なんだけど、例外なくそう決めてるから、というルールがあると迷わなくてよい。怒っている人からは「怒ってるなー」しか伝わってこなくて萎縮して話の意図は伝わらないからお互いにいいことないんだよね。「普通の言い方で話して」と言う。
自己肯定感が低い人には「頑張らないと価値がない」タイプと「価値がないからガマンしなければ」タイプがいて、どちらもすごくガマンしている。「自分はガマンしている」と自覚して、なぜガマンする必要があるの?誰のために?と自問自答してガマンをはがしていくと、中心にようやく「欲」がでてくる。
暑くてぼんやりしているので駅の改札でまちがえて入ってしまい駅員さんに「もう一度やり直したいです」と言って復縁を迫る女のようになってしまった。
#虎に翼 は100年ほど前の物語で、当時の彼女たちは先にどうなるかわからないまま不安だらけで暗闇の地獄を進んでいて、100年後にいるわたしは「いいぞ、進め進め」という気持ちで応援しながら見ている。その視線と信じる力をそのまま自分にも向けたいなと思った。
すごく雑なこと言うと、30歳くらいまで自分勝手なほど自分のために時間をつかい、30代で他人との関わりを学び心地よい環境を整え、40代からは助けあいながら生きるのが健全に見える。そううまくはいかないけど、若い頃から人のためばかりとか年齢を重ねても自分のことばかりなのはよくないんだろうな。