今からちょうど39年前(どこがちょうど!?)の夏、1981年8月1日。アメリカのCATV(ケーブル・テレビ)に24時間、四六時中、音楽ビデオをかけ続ける音楽専門局「MTV」がスタート致しました。音楽シーンの流れが劇的に、一変することになるきっかけとなった歴史的な日でありました。

それから3年後の1984年10月6日(土)。我が国でもその「MTV」がスタート致しました。とはいえこちらではCATVなんぞは普及も何もという時代。放送するのはMTVの日本での独占放送権を獲得した地上波の準キー局「ABC(朝日放送)」で『MTV: Music Television(MTVミュージックテレビジョン)』として毎週土日の深夜枠(日曜日は全国ネット)。土曜日は深夜0時20分~2時20分、日曜日は深夜0時~2時(毎週計4時間♪)。

N.Y.から航空便で(原則)毎週6時間分のテープを取り寄せ、それをば大阪のスタジオで4時間分に編集して2日分に(2時間づつ放送)。アメリカのMTVのフォーマットは1ブロックが1時間分。それが毎週6ブロック分送られて来るというわけで。合間に日本独自の情報(リリース関係のニュース等々)をVJ(ビデオ・ジョッキー)が挟み込んで行くと。



放送開始にあたり7月13日(金)午後6時から今は無き「ホテル・プラザ」3階の「峰の間」にて「記者発表」が行われましたので私も出席させてもらいました。何しろ凄い番組ですからね。当時「Sony Music TV」が地方局でネットされてましたが、各レコード会社から集めたプロモ・ビデオをトークなしで流すだけ(予算もないですし)、ABCの番組は本場直送で現地の人気VJが案内する最新版ですからね。そらワクワクしながら(最新の音楽情報でもありますんで)毎週しっかりチェックしとりました。
記者会見は夜の時間帯でしたのでパーティー会場に並べられたクッキー、サンドイッチ、パイナップル、ビール、コーヒーを。。。おかげさんで夕食の替わりになりましたわ♪(午後8時頃に終了)。



当時、ワタクシ、ABCラジオでコカ・コーラの音楽番組「サウンズ・ウィズ・コーク」に関わってたんですが8月28日(火)、その担当DのK林君から電話が入りまして「MTVの仕事の話(上柴さんの方へ)いきましたでしょ?」。えっなに?そんな話、聞いてへんのやけど~~。。。
当時の日記をくまなくチェックしましたがそれがいつの日だったのか、記述が見当たりません。しかし、確実に覚えてることがありまして。。。ラジオ番組の収録を終えたあと(たしか)、K林君から「うちのプロデューサーの原と昼ご飯食べませんか?」と言われて、ホテル・プラザでちょっと贅沢なランチをごちそうになりまして。初対面ながら原さんとは音楽の話とかでそれなりには盛り上がったんですが、食事が済んでコーヒー・タイムになるとなんかお話が弾まなくなって。。。それ以降、何のあれもなく私も忘れてたんですが、原さんはMTVのVJ候補を探してはったんではないか?あの日のランチは‘面接’やったんかもしれんと(その時はABCがMTVをやる等の話は全く出なかったかと記憶しとりますが)。まぁこんな私ですから「あんなドロ臭いのは全国ネットに出せんわ」てなことであれになったんかもなと(知らんけど)。

10月6日の第1回放送は「MTV大賞」の授賞式の模様というスペシャル版でVHSに全部録画致しましたが。。。渡辺実というお方がVJをされてました(渡辺さんはすでに故人)。
私はと言えば10月からABCのライバル局「MBS(毎日放送)」で毎週金曜日の深夜0時35分~1時:30分に放送される「TV音楽館」(毎回ゲスト・ミュージシャンを迎えてのトーク&音楽ビデオ番組)の選曲・構成を担当することになりまして。それもあってMTVの話が無くなったんかも?(知らんけど)。
ちなみにABCでは「MTV独占放送権獲得」に成功したということで原さんを含むテレビ編成所属のお三方が「年度賞」を受賞されたとか。
先日(8月17日)、そのABCに「MTV」を持ち込んだプロデューサー、原凉一さんが84歳で亡くなられました。
合掌。
