AIが「下積みの機会」を奪っているというのは、確かにそのとおりですね。
実際アメリカでは、若手弁護士の契約レビュー、ジュニアデザイナーのラフ作成、エンジニアのテスト実装など、経験を積む入口がAIに置き換わっています。
しかし本来は、AIの登場によって「下積みが消えた」のではなく、「下積みの形が変化した」のだと思います。これに社会が対応できていないのがマズイですね。
確かにAIは「手を動かす訓練」を奪いますが、「考える訓練」までは奪わないはずです。AIを「自分の代わりにやる道具」と見るか、「自分の成長を促す鏡」と見るかで、育成の有無は決まります。
かつて現場で身につけていた反射的判断や仮説形成を、今はAIとの対話の中で鍛え直すことができます。
つまり、「考える力の喪失」は、AIのせいではなく「使い方の貧困」によるものだと思います。AIを外注先にすれば思考は鈍る。でも、AIを「推論の伴走者」にすれば、思考はより研ぎ澄まされます。
本当に危ういのは、AI導入そのものではなく、人が育成の設計をやめてしまうことですね。
AIが変えたのは「労働」ではなく「学びの構造」。奪われたのは作業ではなく、人間が自らの成長を設計する力です。
だからこそ、次の世代は「下積みを与えられる」のを待つのではなく、AIと共に自らの修行環境を設計する世代になる必要がありますね。
Quote
木村公洋|作家・編集者・PRコンサルタント
@uraihiro
AIが奪うのは「仕事」じゃなく「下積みの機会」。
ほんそれ。
僕たちは先輩の背中を見て、失敗して、恥をかいて、叩かれて育ってきた世代だ。
時は移り、今はAIが“修行の場”をかっさらってる。効率は上がった、生産性が上がったと喜ぶけど、ヤバさにきづいてない。 x.com/srr_terada/sta…
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