本を読めない人というのかいる。
本を読み、理解もし、自分の行動も変わるが何故か想定外の方向に行く人たちのことだ。
例えはある日「ほんとお前って何でもかんでも否定するよな」と言われたとする。
その帰り道に本屋で「何でも否定する人のメンタル」というそのものズバリなタイトルの本を見つけて読み始める。
結果得られる知見は「あいつが何でも否定するやつだったんだな、もう縁を切ろう」というものだったりする。
こういう意味で本を読めない人というのがあることに気がついた、なぜなら俺がそうだったからだ。
あまりここを意識してこなかったのだが、基本的に自分を守るため、相手に責任転嫁するために読んでいた気がする。
こういう本はおそらくだが、自分を分析するために読むのだろう、ということに気がついた。
他人を分析する際そこに他人はいないし、他人のことなどわかりはしない、たから頭の中で他人を一方的に病気にできたりろくな人生を歩んてこなかったのだろうと決めつけてスッキリできたからこの手の本を読むことは苦ではなかった。
たが、自分のこととして読むとかなりしんどい。自分に当てはまるところはないのか、自分のことだからついついそんな大げさなレベルじゃないだろうと甘やかしたくもなるが、その誘惑も振り払わねばならない。
実際に相手は迷惑しているのだ、自分を変えるべきなのであって相手を一方的に病人認定してスッキリするべきではない。
ます自分にある問題を明らかにする、相手を分析したいなら後でやればいいか?そもそもそんな事すべきじゃない。
本を読める人というのは、自分を省みるために本を読むのだろう。
つまりここでレスバはかりしてる増田たちは本が読めないのだろう。
私がどうしてもレスバできない理由もわかった。読んでしまうのだ。読んで考えてしまうのだ。
そう考えるに至った。
レスバできる人たちは読みもしないで「結局人の評価してて草」とかそんな類のこと言うんだろうな。
そりゃ君がAIだから読めないんだよ。人間がすることだし。
なるほどAIといいがかりつける手があったか
人を見下して生きていますという発表に本を使うのはやめてほしい。
なるほど、被害妄想という切り口もあるのか
妄想で良かったのに、なぜ"被害"を付けてしまったのか。 本を読もう。
なるほど、わざわざ単語を捕まえて批判に使うという手口もあったか
わざわざ単語を捕まえる、という新しい日本語が生まれるのも本のおかげだろうか。 単語を捕まえ、繋げ、文章となり会話が成立するものだと私は思う。
物語の本を読むときは主人公に共感できないと読み通せないタイプかな いるよねそういう人