滅国の魔女、御身の前に。   作:セパさん

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初めての1つが終わるとき

 クライムは重い重い(まぶた)をゆっくりと開く。耐えきれないほどの倦怠感が襲い、戦闘の訓練で気を失ったのだろうかと一瞬思考するが、天井の景色からここは魔導王がラナー様へ与えた居住区画――<守護領域>と皆は言っている――と判断した事からその可能性を否定する。

 

 才は無いが努力と稽古を惜しまぬクライムは、亡き戦士長と、同じく恐らくは亡くなったであろう自分に稽古をつけてくれた天才剣士の言葉を思い出す。

 

(手負いの状態で、それでも動かなければならない場合、焦らずにまずは身体の可動箇所を確認。)

 

 腕や指先の稼働に問題はないが、足腰の脱力感が著明で二足歩行はおろか、起き上がることもしばらくはままならないだろう。そしてこうなった心当たりを考え……

 

 ボン と頭から湯気を出す勢いで赤面し、身体が硬直する。

 

(ラナー様はお仕事に入られたのだろうか?)

 

 従者としてあるまじきことだが、クライムより先にラナー様が目を覚まし仕事に励んでいる事は多々あった。しかしラナー様が仕事をしている際に必ず聞こえるペンを走らせる音が聞こえない。

 

 ラナー様はこのナザリックでクライムには読めない文字で、もし読めたとしても理解できないであろう数式や文字列をペンで紙に走らせているはずだ。

 

 違和感を覚え周囲を見渡すと……

 

「ラナー様!!」

 

 ラナー様がクライムの寝ているベッドの横で茫然自失としている様子が目に入り、気合と根性だけで飛び起きる。喜怒哀楽のどれでもない顔はクライムですら初めて見る顔だ。

 

(精神支配を受けている!?だとすればわたしはどうすれば!)

 

 このナザリックでは何故かナザリックに属する者が<精神支配>を受けている状態を見つけた、又は目の前で誰かが行われた際のマニュアルが充実している。クライムの場合、早急にラナー様の安全を第一に考え、<巻物(スクロール)>を用いて逃げる事に専念し、即座に緊急報告を行うよう指導された。

 

 しかしここはラナー様の私室。誰が何のために? 思えば昨日の晩からラナー様の様子が少しおかしかった。……どのようにおかしかったか思い出すと気合だけで支えている身体が崩れ落ちそうになるので、頭から振り払う。今はそれどころではない。

 

 クライムが疑問と困惑に苛まれていると、ラナーの瞳に光が戻る。

 

 「ラナー様!ご無事ですか!?」

 

 「ええ。大丈夫……よ。クライム。」

 

 いつもと様子の違うラナー様を見て、クライムはますます混乱の渦中に叩き落された。

 

 

 

 ●

 

 

 

 ラナーがクライムと共に変異を希望した種族は<小悪魔(インプ)>である。

 

 それにはもちろん理由があり、人間種のように欠かせば命を失うという訳ではないが、食欲・睡眠欲・性欲が強大な力を有する悪魔よりも強く残存する。

 

 言い方に語弊はあるが、異形種の不老不死・驚異的生命力と、人間種の欲望と煩悩の良いとこ取りが出来る種族というのがラナーの導き出した考えだ。

 

 もちろんメリットばかりではない、異形種としてはかなり力が弱く、下手をすれば横にクライムがいようとこの墳墓で無限に沸き出すアンデッドはおろか、冒険者をやっている人間にすら討伐されかねない。ラナー単身なら魔導国で飲んだくれているゴロツキにさえ力では勝てないだろう。

 

 しかしナザリックがラナーに求めているものは自身の頭脳。であるならば、ペンと紙があれば事足りると考え、ラナーは数ある異形種からこの種族を選択し……自身の選択に間違いは無かったと実感している。

 

「うふふ。ご主人様を放置して寝入ってしまうなんて、悪い従者ね。」

 

 ラナーは時折小刻みに痙攣しながら恍惚の表情を浮かべ、寝入ると言うより気絶しているクライムの頬を人差し指でつつく。辛辣な言葉に反し、その声色は柔らかく、浮かべる表情は笑顔だ。

 

 昨日はラナーが自分の部屋にシャルティア様とソリュシャン様を呼んだ際、クライムがシャルティア様の美貌とソリュシャン様の豊満な胸に目が移らないよう律している姿を見て嫉妬に狂ってしまい、夜に少しやりすぎてしまった。

 

 ソリュシャン様から以前依頼した人間を用いた〝快楽実験〟――もちろんクライムには解らないように隠語と暗号で話をしていた――の進捗状況を聞いて実践したくなったせいもあるだろう

 

 クライムが泣こうが叫ぼうが喚こうが……聞こえないとばかりに、笑顔のまま愛情を注ぎ続けてしまい、クライムは拷問じみた刺激で失神し、更なる強烈な刺激での覚醒を繰り返す天国(無間地獄)に叩き落され、途中から素っ頓狂な悲鳴とも嗚咽ともつかない声を上げ――〝逃げないで〟と命令すれば拘束せずラナーの愛情(ごうもん)を受け入れたのは可愛かった――最終的にはだらしなく舌を出したまま泡を吹いて完全に動かなくなった。

 

 ラナーはクライムとの間に残っている〝初めて〟を指折り数える。彼女の頭脳なら本気で思考すれば瞬きの合間だが、それはあまりにも無粋というものだ。

 

(初めてのデートはこの前の〝褒美の休暇〟で出来たから次はその記念日。わたしの手料理は……本当の意味ではまだね。クライムの手料理も食べてみたいわ。記念日にはプレゼントの交換も……クライムなら恐縮しちゃうかしら。手を打っておかないと。それと……)

 

 指折りの往復が100回を超えたあたりで数えるのを止め、胸に手を当ててクスクスと笑う。

 

 最も大切にしている2つの〝初めて〟は未だ温存しており、どちらも寸前に留めている。いつの日にするかは、ラナーの頭脳を以ってしてもあまりに取り返しの付かない計算でする気が起きない。

 

「やはりクライムが目覚めた初日に済ませるべきだったかしら。ズルズルといつの日にするか迷い続けるのも……。」

 

「らあぁさふぁ……」

 

 ラナーは夢の中でさえ自分を思う可愛い子犬にゾクゾクと快感を覚える。もっと近くで顔をみたい。そう近づいた刹那だった。予感はあった、ラナーは拒むという選択肢をとることも出来ただろう。しかし先ほどの思考が逡巡を呼び、一拍動作が遅れ……

 

 あっという間に、<大切にしていた初めてのひとつ>は奪われてしまった。

 

 突然の出来事、大切にしていた初めてのひとつを唐突に奪われながらも、ラナーに怒りはない。同時に彼女の頭脳は3つの事を脳裏で考えていた。

 

 1つ キスを漿果(しょうか)といった味覚や(たかぶ)りなどの精神的高揚に例えた吟遊詩人(バード)は大嘘つきであるということ。ラナーは例える言葉を探し、その聡明な頭脳は即座に例える事象などこの世に無いという結論を出した。

 

 2つ 神官や神学者、哲学者が幾星霜にもわたって議論し続けていた幸福の神秘が今まさに自分の身に舞い降りているということ。

 

 3つ 物心ついたときから【化け物】と言われ続けてきた自分が偽りでない涙を流すならば、今を逃すと一生ないであろうということだった。

 

 

 ●

 

 

「…さま!ラナーさま!」

 

 ラナーはクライムの声で正気を取り戻す。自分は今どんな顔をしているだろう。鏡は無いが、幾多の演技をしてきた経験から自分が無表情となっていることを悟る。そしてラナーにしては大慌てで〝クライムの知る笑み〟を作成した。

 

「ええ。大丈夫……よ。クライム。」

 

 駄目だ、頭が多幸感に支配されている。今日は仕事なんて出来そうにない。クライムは恐らく、自分に精神支配か何かが掛ったのだと誤解しているのだろう。その誤解は後々解くとして、ひとつ確認しなければならない事がある。

 

「ごめんね、クライム。ちょっと疲れが出ていたみたい。クライムより先に起きたのだけれど、少しボーっとしてしまったわね。」

 

「いいえ!本来であればラナー様をお護りするわたくしがラナー様を差し置いて寝入るなど恥ずべきことです!」

 

 やはり……クライムには自分がしたことの自覚が無い。ならば今回は<不慮の事故>であり、まだ<初めて>として取っておいていいだろうか?

 

 どのみち自分を翻弄した躾のなっていない悪い犬には折檻が必要だ。失神や発狂を防止するマジックアイテムを借りることはできるだろうか?

 

 そのためにはこの素晴らしい余韻に浸らず仕事を片付けなくてはならない。なによりもその現実が腹立たしい。

 

 ラナーはクライムに慈悲深い笑みを向けながら、初めて自分を翻弄した悪い子犬にどんな躾をしてやろうかとその明晰な頭脳で考えていた。

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