追い出す、追い出されるというのは夫婦喧嘩の話ではなく、いまや企業と社員をめぐる社会問題となっている。埋まることのない両者の溝。その深淵を覗くと、日本経済が抱える重大な問題が—。
当たり前だけど、仕事はない
それは、突然のことだった。
NECのグループ会社で管理職だったA氏(50代男性)は、昨年3月、上司に呼ばれて「異動」の内示を受けた。行き先の部署は「プロジェクト支援センター」。聞いたことのない部署名だった。
実際に行ってみると、愕然とした。仕事内容が議事録作りや他部署の応援といった「雑用」ばかりだったからだ。新入社員や協力会社の若手社員に任せていた仕事もやらされた。入社して30年以上、プロジェクトスタッフとして働くなど会社に少しは貢献してきた
自負があったのに、なぜこんなことをやらされるのか。
折しもNECはこの年1月に、国内外のグループ全体で1万人規模の人員削減を行うことを発表していた。A氏は、はたと気付いた。私はリストラ対象になったのではないか、そのためにこの部署に異動させられたのでは—そう思い悩んでいたある日、A氏はこう告げられる。
「希望退職制度を利用できるがどうか」
A氏によればこの部署に配属された人は50名ほどいたが、「結局、約半分が秋頃までに会社を去った」。A氏はいまも会社に残るが、出社してもほとんどやる仕事はない状態が続いているという。
電機・情報ユニオン書記長の森英一氏もこう言う。
「われわれのところにはNECグループの社員50名以上から相談が来ています。プロジェクト支援センターに配属された人たちの多くが早期退職を促されたと聞いています。もちろん会社に残る決断をしても、雑用をさせられるのだからプライドが傷つけられ、精神的に追い込まれる。こうした部署をわれわれは『追い出し部屋』と呼んでいるのです」(NECは本誌の取材に「プロジェクト支援センターの業務はプロジェクトの運営・管理上、必須の業務であり、要員についてはこれまで管理業務・事務的業務を担当していた社員やこうした業務に適性のある社員をアサインしています。(1万人の人員削減時には)本人の意思を無視した、応募を強要していると受け取られるような面談は行わないよう、面談者に徹底していました」と回答)
いま「追い出し部屋」問題が注目を集めている。
発端は昨年12月31日に朝日新聞がこの問題を報じたこと。記事ではパナソニックグループに従業員が「追い出し部屋」と呼ぶ部署があることや、朝日生命保険に「自分の出向先を見つける」チームが存在することなどを指摘(両社ともに記事中で否定)。さらに、追い出し部屋の存在こそ指摘されなかったが、シャープでは40代男性が「この職場にいてもポジションはない」と告げられ退職を選択したケースなどが描かれた。
その後も朝日が続報を打ち続けたことで社会問題として認知され、インターネット上に様々な企業の実態が書かれたり、気付いた社員が全国の相談所に駆け込む事態が発生している。
「2011年にはリコーで、100件以上の登録特許を持ち社内で受賞歴のある人など、功績のある技術者を物流子会社に出向させ、梱包作業をやらせていた事例が確認されています。またある大手電機メーカーでは『キャリアデザイン室』なるものがあり、そこで与えられる仕事は人材コンサルタントへの登録。つまり自分でそこで再就職活動をさせるという事例も寄せられています」(東京管理職ユニオン書記長の鈴木剛氏。リコーは「現在係争中の事案であり、事実を裁判で明らかにしていく所存です」と回答)
できるだけ安く辞めさせる
とはいえ、日本では以前から「窓際に使えない社員を押し込む」「リストラ部屋に叩き込む」といった言葉が聞かれたように、呼び名こそ違えど「追い出し部屋」と似たような実態はいくらでもあった。いま改めてクローズアップされているのにはこんな理由もある。
「派遣社員を職場内に張られたテントの中で一人で単純作業をさせた、営業マンを倉庫に集めてなにも作業させなかったなど、以前から追い出し部屋の実態は指摘されていた。ただ、今回報じられている内容を見ると、部署を新設している。さらにそこに数十人規模の社員を入れているという。これはいままでなかった事例です」(労働問題を長く取材してきた通信社記者)
労働問題に詳しい鵜飼良昭弁護士によれば、「古くは旧国鉄が人材活用センターと称するところに余剰人員を集め、仕事を与えずに退職に追い込んだことが大きな問題になったこともある。今回は追い出し部屋に関して、厚生労働省が個別企業の調査に乗り出したのが新しい」という。
実際、厚生労働省は田村憲久大臣が今年1月8日に「企業が強制的に意にそぐわない仕事をさせているのなら、実態調査をしないとならない」と語り、調査を開始。1月29日には企業に聞き取り調査をした結果を『退職強要の有無等に関する調査について』と題された報告書にまとめている。
「調査の結果は、企業が外注してきた業務を内製化させるための部署や、新たな業務に従事させるための研修などを行う専門部署を新たに作っている事実は確認できたものの、違法な退職強要を行っている事案は確認できなかったというものだった。企業側が退職勧奨するために追い出し部屋を使っていますと認めるはずがないから、"予想通り"の結果でしたが、国は今後も調査を続ける意向を示しており、さらに大きな社会問題となる可能性が出てきた」(全国紙経済部記者)
いずれにしても、製造業を中心とした多くの日本企業が、長く続く不況に耐え切れず、ここ数年リストララッシュが起こっているのは周知の事実だ。しかも、その規模は千単位、万単位とかつてないほど大きなものとなっており、誰もが「自分は大丈夫」と思えない"職場不安"社会に日本は突入している。
いままで日本企業がヒトを切る場合は、退職金を多めに積むなど、優遇制度を作ったうえで希望者を募集していたが、「そのためには多額のリストラ資金が必要となるが、いまの日本企業にはその余裕もない。なるべく安上がりに社員を辞めさせるにはどうしたらいいか。そうした流れの中で、『追い出し部屋』問題が出てきているのです」(管理職ユニオン・関西の仲村実書記長)。
労働問題に詳しい徳住堅治弁護士もこう言う。
「一昔前までの日本企業は、能力がない社員に対しても教育や研修を施し、適応できる仕事を探してやるなどの努力をしてきた。しかしいまは、全社員の中で会社側が相対的に能力がないとみなした人を問答無用で追い込んでいく。日本IBMのケースでは、相対的に評価の低い社員から解雇を言い渡し、以後は職場への出勤さえ許さないという事例も出ている。
そもそも日本には退職勧奨をしてはいけないという法律がなく、判例があるだけ。追い出し部屋にしても、会社側に不当な動機があったり、威圧的な態度があったと認められなければ違法と判断されない可能性がある」(日本IBMは「訴訟中でありコメントは控えたい」と回答)
まったく役にたたない人たち
いつ我が身にふりかかってもおかしくないと思うと、ゾッとする。一方で、この問題がヒートアップするにつれ、「追い出される方もそれなりの理由があるのだから仕方がないのでは」と追い出す側を"擁護"する声も出始めている。大手サービス業社員が語る。
「とにかく"社外活動"に熱心な中堅社員がいて、複数のNPOに所属したり、勉強会を頻繁に開催したりしていた。部署の仕事がめちゃくちゃ忙しい時でも、この社員は『今日はNPOの活動があるので』と言って、早々に退社する。本人はこうした社外活動で得た知識が本業にも役に立っていると豪語していたが、私たちから見ればふざけるなという感じでした。
彼が出向を命じられたとき、ずいぶん抵抗していたが、さすがに周りは誰も上司に進言してやろうとは思わなかった」
メガバンク幹部もこう言う。
「同じ人事評価でも、"追い出し"のターゲットにされやすい人とされにくい人にわかれますよね。これは銀行での話ですが、たとえば、金遣いが荒い人、ギャンブルに熱中している人、それに女にだらしない人とか離婚歴のある人は対象になりやすい。
あと、不満があるとすぐに感情を爆発させて、大声で自分の意見を主張するようなタイプは、実はターゲットにされにくい。もしこうした人を追い出して、あらぬことまで社外でペラペラしゃべられたら困ると会社側は恐れるわけです。一方でおとなしくて自己主張しないような"いい奴"のほうがあっさりと追い出されてしまう。これが企業の現実。もちろんいい"風習"だとは思いませんが」
リストラ予備軍が経営陣への不満を膨らませる。一方で、会社を潔く去ろうとしない彼らを同僚たちが冷ややかな目で見る。そのうち社内に不穏な空気が流れるようになり、会社の風通しは悪くなるばかり。組織全体のパフォーマンスが落ち、結果、会社の業績は好転せず、泥沼のように追加のリストラが実行される。そんな事例をいくつも見てきた—本誌の取材にある人材コンサルタントはこう語った。日本経済が停滞している現状の"裏事情"を聞かされたようで、ハッとさせられる。
最後に労働政策研究・研修機構の濱口桂一郎統括研究員がこう語る。
「仕事がなくなった人は解雇していいというのが諸外国の常識ですが、日本では整理解雇はよくないので、会社は仕事のない社員にも仕事を見つけてやらなければいけないという考えが主流になっている。
加えて、米国などではレイオフ(一時的な解雇)が当たり前で、業績が回復すればレイオフした社員に戻ってきてもらうということをきちんとやっているが、この考え方が日本にはない。その代わり日本では解雇を回避するための人事権が企業に広く認められていて、社員に何を命じても許されるようになってしまっている。
こうした日本のねじれた制度や考え方が、結果として『追い出し部屋』のような中途半端なものを生んでしまっている。そのような背景を理解することなく、この問題を論じても意味がないということを言っておきたいと思います」
「週刊現代」2013年2月16・23日号より