02-3.
そうして過去を懐かしんでいると、不意に思い出したように、アベルが連れていきたくてたまらないといった様子で主張しだした。
「あっ、そうだ! ねえ、クリスティーニャ。ボクたち二匹で、ちゃんと準備していたものがあるんだよ!」
「「そうだ、そうだ!」」
カインとアベルがにんまりと目を細めて笑って、顔を見合わせる。そして、私の手をつかんだ。
二匹は私を二階へと引っ張っていく。二匹と一人で階段を駆け上がり、そしていくつか扉があるうちの、かつて私の部屋だった一室の扉をアベルが開ける。
「……私の、部屋?」
「「そうそう、見て見て!」」
二匹がギイッと扉を開けた。
「わぁ! 懐かしい!」
壁紙は白と淡いピンクが縦ストライプにデザインされている白地部分に小花柄が規則的に並んでいる。そして、カーテンもそれに合わせて淡いピンク色のものと、裏にレース地のものが重なっている。これは、私が子供の頃使っていたときと同じものだ。けれど、全く色あせてはいなかった。
それが真っ先に目に入ってきて、私に懐かしいと感じさせた。
「だろう? だろう? ちゃんと掃除して、きれいに保っておいたんだぞ」
えっへん、とばかりに、カインが胸を張る。昔から、家の管理はカイン、農園の管理はアベルと決まっているのだ。だから、自分の管理が行き届いていることを喜んでもらえてうれしいのだろう。彼は鼻高々といった様子でうれしそうだ。
「まだまだ驚くのは早いよ~!」
アベルが私に声をかける。そんな彼は、クローゼットの前にいた。そして、私が視線を向けたと気づくと、じゃーんとばかりにクローゼットの両開きの扉を開けた。
「わぁ!」
私は、クローゼットの方に足早に歩いていく。その中は、子供の頃見慣れた子供服ではなく、今の私が着られそうなものがずらりと並んでいた。
侯爵家の娘としてふさわしいようなドレスやコルセットから、町娘が普段着にするようなワンピースまで、とりどりだ。私が調理や創薬をするから、エプロンまでちゃんとある。そして、靴ももちろん揃えられていた。
「「ボクたち二人で揃えていたんだよ!」」
「おばあさまからの遺言だったんだよ! いつでもクリスティーニャが帰ってこれるように、成長に合わせて服も揃えておきなさいってね!」
そう説明するのはカインだった。
実家の父母は夫婦険悪で私はネグレクト状態。結婚先といえば、おじいさま方の都合で相手はあのアドルフだ。アドルフはあんな性格をしている。私を心配して、結婚前でも、結婚後でも、私がつらくなっていつでもここに逃げて来られるようにとの、おばあさまの心配りだったのかもしれない。
「ありがとう、カイン、アベル。……そしておばあさま」
そうして、服の一枚一枚を手に取って見てみる。どれも私好みの派手すぎず、でもかわいらしいものばかりだった。
エプロンが特に感慨深い。もう大人用のものと取り替えられてしまっているとはいえ、これを見ると、おじいさまとは創薬を、おばあさまとは一緒に料理をした思い出がよみがえる。
喜ぶ私を、二匹がうれしそうにして見上げてきている。
「二人とも、ありがとう」
つん、と上向いた鼻先に、交互にキスをして感謝の意を伝えた。
すると、二匹はそろってうれしそうに「「わぁい!」」と言って、両前足を挙げてくるりと一回転する。二匹の喜びの仕草はいちいちかわいらしくて、私は思わず微笑んでしまう。
そんなとき、カインとアベルがツンツンと私のドレスの裾をつまんだ。
「クリスティーニャ」
「もう、これからはここにいるニャン?」
じぃっと上向きに見つめられる。
そんな子たちに、私はにっこりと笑ってみせた。
「ええ、そのつもりよ。いいかしら?」
「もちろんにゃ!」
「やったぁ!」
ケットシーたちがハイタッチで喜んでいた。
ところで私はというと、彼らにドレスの裾をつままれてみて、まだブルーム公爵家で着てきた公爵家婦人としてのドレスのままなのに気が付いた。これは、あの家のお金で用立てられたものだ。まあ、私自身が稼いだといってもいいようなものだけれど。でも、あの家のお金、ということがいやだった。
「……このドレスを着ているのはいやね。だって、もうこの家で生きていくんだもの」
ブルーム公爵家のドレスはもう必要ない。
──着替えたいわね。そしてこのドレスは洗濯してから古着屋に売ってしまいましょう。
私はそう決める。
そして、クローゼットの中から動きやすそうな水色の膝下丈のワンピースを取り出した。それから髪をポニーテールにくくってリボンを結わいた。
「エプロンも一枚出して、一階の台所に置いておきましょう」
そう言って、真っ白なフリルの付いたエプロンを取り出した。
「さて、着替えね。……カイン、アベルぅ?」
首を傾げて、ちらっと彼らを上目遣いに見つめた。
「わかってるにゃ! もうクリスティーニャはレディなんだから!」
「ボクたちは退散するにゃ!」
そう言って、二匹はわぁっとばかりに扉をくぐり、バタンと扉を閉める。そして、階段をパタパタと降りていく音が聞こえた。
「揃ってかわいい子たちだわ」
私は、耳に入ってくる、だんだんと小さくなっていく足音を聞きながら、愛おしさに自然と目が細まるのを感じた。
「さあ、私は着替えね。やっとこの公爵家のドレスとコルセットから解放されるわ!」
まず、着替えの前に背負いっぱなしだったリュック型のマジックバッグを床に置く。
それが済んだら次は服だ。私は普通なら侍女に手伝ってもらいながら脱ぎ着する、複雑奇っ怪なドレスとコルセットを四苦八苦しながら一人で脱いだ。そして、真新しい爽やかな水色のワンピースに着替えなおした。
「ああ、のびのびするわ! コルセットと窮屈なドレスがないだけでこんなに開放的だなんて!」
うーんっと私は大きく伸びをする。
そして、真新しいエプロン、脱いだコルセットとドレスを持って階下へ降りていく。
エプロンは、台所にあるエプロン掛けにかけておいた。そしてその足で家事室にある洗濯機のところに行く。そして、蓋を開けて、中にコルセットとドレスを放り込んだ。さらに、残っていた専用の洗剤を所定の場所に注ぐ。
これは前世でいう乾燥機能付き洗濯機のようなもので、性能はそれ以上。なんとドレスのような繊細なものまで洗い上げ、ふんわりしわ一つなく乾燥させてしまう。まさにクリーニング屋真っ青の代物だ。
「よろしくね」
蓋を閉めてそう告げる。まあ、相手は魔道具なのだけれど。スイッチを入れると、ザアッと中で水が注がれる音が聞こえる。
「さてと、しばらくは時間があるわね」
洗い、乾燥し終えるまでには時間がかかる。
「持ってきた荷物でも部屋にしまいましょうか」
これからはここが私のおうちになるんだもの。片付けてしまいましょう。
そう決めると、私は自室へと戻るべく、階段を上っていったのだった。
とはいったものの、ブルーム公爵家から持ってきた私物はそう多くはない。あんまり、あちらの出来事を思い出すようなものは持って来たくなかったからだ。
ただ、私物の魔法薬師のための指南書だけは持ってこようかとは迷った。だが、こちらへ移るのであれば、おじいさまが遺してくれた、おじいさま秘伝の本があるのを思い出し、それらも持ってこなかったのだ。
「荷物の片付けもあっさり終わったわね」
これであの家からの引っ越しも完了だ。なんだか、少し肩の荷が下りたような気がする。