01-4.
気がつくと、私は四角い箱のような部屋の一室に、大勢の人が整然と座っている部屋にいることに気がついた。
そして、私はドレスとは似ても似つかない、足も膝下からあらわなぴったりとした服を着て、なんだか四角い板を前にして、その板にたくさん並ぶボタンを押していた。
するとどこからか鐘の音がして、私は、「ふ~」と一つ大きく伸びをしてから、引き出しから布に包まれた四角い箱を取り出した。
「先輩! また手作りのお弁当ですか? ほんと女子力高いですよね!」
その不思議な世界の私より少し年下のような女性から、褒めそやされる。
私がその箱を開けると、私が見たこともないような色とりどりの美味しそうな食べ物が詰め込まれていた。
「あれ、今日はご飯じゃなくてパンとおかずなんですね。パン、買ったんですか?」
「ううん。週末にパンを作って余ったから、お弁当の主食にって持ってきたのよ」
「うっわー! お弁当にパンまで! もしかして、お菓子作りも得意だったりしますか?」
年下らしき女性に食いつかれるようにして問われる。
「うん、人並み程度に、かな……」
私は謙遜を交えて彼女の問いに答えた。
「わー! やっぱり先輩、すぐにでもお嫁さんになれちゃうんじゃないですか~?」
「やだぁ。やめてよぉ」
キャッキャと戯れている画面はすぐに切り替わった。
次に見えたのは無機質で真っ白な天井。
視界の上には、何やら液体が入れられた袋がぶら下がり、それは管を通して私の腕につながっていた。
──いやよ。まだ死にたくない。
そのときの私の心に浮かんだのはその言葉だった。
──まだまだやりたいことがあるの。好きなことを好きなだけやって、生きていきたい。
でも、薄暗闇が襲ってきて、思考を奪っていく。
──眠ったら、多分、だめ……。
だけど、その眠気にはあらがえず、私は意識を手放したのだった。
◆
私は、今度は見覚えのあるブルーム公爵家のベッドだった。起き上がって辺りを見回しても、夢に見た無機質な調度品などは部屋に見当たらない。
「あれって……」
順に考えていく。先にある記憶は、あの、無機質な環境で過ごしていた私。未婚で一人暮らしの三十を目前に控えたOLで、趣味は料理に製パン、菓子作り。要は調理だ。だが、自動車事故に遭って頭を打った。その打ち所が悪く、そのまま二度と起き上がることも出来ずに病院で亡くなったのだった。
そうして次の記憶が、ベールマー侯爵家の長女として生まれて育った記憶だ。父母の間に愛情はなく、それぞれが愛人を持っていた。そんな環境では私に愛情を注がれるわけもなく、見かねた祖父母が私を半ば引き取るようにして育ててくれた。両親はそれに抗議するでもなく受け入れた。
祖父母はそれはもう私をかわいがって育ててくれた。やがて、幼くして魔法薬師としての才を私に見いだしたおじいさまに、その字のごとく手取り足取り指南を受けたものだった。
「……ということは……」
私は思わず口に出してつぶやく。
「……前世の記憶。私は前世で不慮の事故に遭い、そして死んで、この世界に転生した……?」
そう思うと、前世の性格や知識といったものもよみがえってくる。
「え? 今のアドルフってあの世界でいうモラハラ夫じゃない? 裏で浮気をしつつ、しかも私の親友とよ? それで時折甘い顔をして妻を良いように扱うってやつ」
そして、考えはオリビアにも及ぶ。
「あの子ってもしかしてうちに来ていたのは私に会いに来ていたんじゃなくて、アドルフに会うために来ていたんじゃないの? 寝取り? 表面的には私に親しく接しながらも、実はアドルフを寝取っていたフレネミー?」
さらに、と思考は自分の両親にも及ぶ。
「しかも、私の両親ってこの世界ではありがちなのかもしれないけれど、前の世界でいえば家庭破綻した毒親じゃない? しかもその上ネグレクト?」
クリスティーナはベッドから起き上がって、床の上をぐるぐる回りながら考えを整える。
「今の環境はだめよ。私、親友に夫を寝取られて、夫に浮気されている上に完全に搾取されているモラハラ支配下状態じゃない。しかも、それを毒親に夫婦なんてそんなものだと洗脳されていたなんて!」
そんなとき、たった二人、優しくしてくれた人たちを思い出す。
おじいさまとおばあさまだ。
「おじいさま、おばあさま……」
クリスティーナは服の中に隠すようにしていたペンダントを引っ張り出して、その鎖に通された石をぎゅっと握る。これは、おじいさまがら受け継いだとても大切なものだった。
「……私には、これがあるわ」
「もう、今のブルーム公爵家にも、前のベールマー侯爵家にもいたくないわ。私は、私で独り立ちしましょう!」
うん、と一つ頷いて、私は、これまたおじいさまから譲っていただいたマジックバッグ──どれだけものを入れても容量無限大で見た目も軽さも変わらないという不思議な魔道具──の中に、必要な荷物を詰め込んだ。とはいっても、そんなに荷物はない。
こちらにある荷物をたくさん持っていけばいくほど、こちらでの思い出も持っていくような気がして、必要最低限にとどめた。
そうして、簡単に準備は終わる。
それから、私は文机に向かった。ペンと一枚の紙を取り、さらさらと短い言伝を書き記す。
「さようなら。私と離婚してください」
夫アドルフへの伝言だ。
そう一言書き置いた。そして、間違って風で飛ばされでもしないように、その書き置きの上に大事に文鎮で押さえる。
それから、急いで役所に行って、離婚届をもらってくる。そして、私の記名欄にだけサインした。それも一緒に文鎮で押さえる。
部屋の窓から晴れた青空を見る。すると、窓の外には一羽の小鳥が元気に羽ばたいていた。まるで今から自由に向かって羽ばたこうとする私のようだった。
私の心は晴れ晴れとしていた。
「あれはまるで私のようね。これからの私はもう何者にも縛られないのだから」
そう。心はもう何者にも縛られない。誰かに言いくるめられたり、だまされたり、虐げられられたり、良いように使われる日々は終わりだ。
そうして私は一つのマジックバッグを手に部屋を出る。実家の侯爵家に戻る気もなかった。
「さようなら、虐げられていた私。これからは自立して生きていくわ」
そうつぶやいて、誰にも知られないよう、裏口からブルーム公爵家をあとにした。