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08-5.

 そうして、クリスティーナがエルクに薬を渡して三日。


 平民街がざわついていた。


「エ、エルク……その髪はどうしたんだ……」


 そう。その騒ぎの主人公は大工のエルクだった。


 さらさらのまっすぐ背中まで伸ばした金髪のつややかなストレートヘアを、これ見よがしに見せびらかしていく。もちろんハンチング帽なんてかぶっていない。


 エルクの髪事情を知っていた仲間たちはこっそりと彼に尋ねる。


「なあ、エルク。おまえその頭頂部……ハゲだったんじゃなかったのか?」


 ハゲ、という言葉自体が親方であるエルクにとっては禁句だったためか、彼と立場が近い同業者が恐る恐る尋ねる。


「いやあねえ。エリュシオンって店の嬢ちゃんがね、育毛剤を作ってくれたんだよ! その名も育毛剤ケハエール! 良い名だろう?」


「ケハエール!」


 そのだじゃれにも似た名に、ぶはっ! と吹き出す住民たち。だが、上機嫌の極みのエルクは怒ることはなかった。


「ほら見ろよ、俺の青春時代のこの金髪が戻ってきたんだぜぇ!」


「うらやましかろう」とばかりに平民街を見せびらかせて歩いた。


 おかげでその日からエリュシオンに問い合わせが殺到した。


「なあ、大工の親方のエルクのアレ、ケハエールだっけか。俺にも作ってほしいんだけど!」


 そう言って、名指しで育毛剤ケハエールの注文が殺到したのだ。


 お値段金貨十枚もするというのに!


 つるっつるの状態から毛がまた戻るんだから、前世だったらノーベル賞ものよね、と思って、その値付けをした。もちろん、あまりにもお客さんにたくさん来られても困ると思ったからだ。


 だが、若かりし頃の姿を追い求める心は深く強いものだったらしい。エルクさんのように、大店やそれに近い平民たちは平気で金貨十枚払っていく。そこまでお金がないだろうという人たちは、必死に育毛剤ケハエールを買うために貯金を始めたらしい。


「ちょっとあのロングヘアはどうかと思うニャン」


「ひげ面にアレはないニャン」


 街をこれ見よがしに見せびらかしていくエルクの様子をチラ見して、カインとアベルがそうぼやく。エルクさんの若かりし姿は、彼らにはちょっと不評なようだ。




 やがて、貴族の屋敷に出入りしている平民街出身の商人が、ふさふさになったのを貴族に見せびらかす。


 すると、今度は貴族からも、わざわざ使用人を送ってきて、育毛剤ケハエールを注文しに来るのだ。よっぽど落ちぶれていない限り、彼らにとって金貨十枚はそう高いものでもない。


 その大繁盛ぶりに、窓口担当のカインが音を上げる。


「またケハエールの受注にゃぁ……」


 そう言いながらもしっかりもののカインは受注者リストに名前をメモを取る。


 エリュシオンは週休二日。降ってわいたようにやってきた新しいブーム。それに対応するため育毛剤ケハエールは、営業日に受注して、お休みの日の片方丸一日を費やしてクリスティーナが作っている。今は忙しいけれど、需要と供給のバランスがとれて落ち着いてくれば、休みを潰す時間も減ってくるだろう。クリスティーナはそう思っていた。




「ずいぶん大変そうだね」


 そんな忙しい日々の合間にも、特に大きな用事がない場合には、ユリウスさんは足繁くエリュシオンのイートインに足を運んでくれた。すっかり常連客だ。


 イートインは、手間のかかることのほとんどは済んでいて、保温保存庫(ワーム・ストレージ)に入れてあるから対応が楽で良い。


「おかげさまで、当初の予想とは違う方向ですけど大繁盛です」


 ユリウスさんと遅い昼食をともにしながら、私は苦笑いした。


 本当はポーション類とパンを売って、ぼちぼちイートインをする。そんなのんびりした経営を描いていたのだったけれど、すっかり育毛剤ケハエールが爆売れ状態だった。


 ちらっとカインの方を見る。また、ケハエールのお客さんが来たのか、受注者リストの上でペンを滑らせている。


「ご飯を食べ終わったら、カインと代わってあげなきゃ。さっきからあの子、育毛剤の受注と元々の販売物の対応でいっぱいいっぱいみたいだから」


 私がそうつぶやくと、ユリウスさんが頷いた。


「それが良い。このブームはしばらく続くだろうから、あの子が音を上げないようにね。ああそうだ。この間君がいないときに、パンを買って帰ったんだけれど、美味しかったよ」


「まあ、そうですか? それは良かった」


「君のところのパンがほかと違って柔らかいのはイートインにも出てくるから知っていたけれど、あれに具を挟むなんて面白い発想だね。それにデニッシュも美味しかった。あのサクサクの生地は革命だと思ったよ!」


 どうやら聞いてみるとあの日はコロッケパンと桃のデニッシュを買って帰ったらしい。


「デニッシュはあのサクサクを作るのが大変なんです。何度も何度もバターを挟み込んだ生地を織り込んで……」


 そうして、その日はデニッシュの作り方を語って昼食の会話が終わった。


 二人の会話はいつもそう。他愛もない、平和なもの。だが、それがどこか温かくくすぐったかった。


「じゃあ、また」


「はい。またのご来店をお待ちしております」


 そう言って彼を店の扉まで見送ると、私は片付けに戻る。


 二人が使った皿やカトラリーをすべて食洗機(ゲシュルスプラー)に入れて、スイッチを入れた。


「カイン、交代するわ。そうそう。お昼ご飯、食べるわよね?」


「ああ、クリスティーニャ。ありがとにゃ。アベルと一緒にいただくにゃ」


 そう言うと、カインはアベルを呼びに行ってしまった。彼らは精霊だからなのか、私のようにおじいさまの形見のペンダントの宝石がなくてもドアをすり抜けることが出来るのだ。


「じゃあ、カインとアベルがそろうまでに用意しちゃいましょう」


 そうして、今日の日替わりを二人のために用意するのだった。


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