08-2.
そんな日々を送っていたある日、私はまたユリウスさんと一緒に食事をともに採っていた。
「ずいぶん疲れているように見えるが。ほらここ、目の下がクマになっている」
ユリウスさんにも指摘されてしまった。
それを聞いて、私ははっとして目元に手を当てる。ここ最近おじいさまの創薬ノートを夜遅くまで読んでいるので、寝不足がちなのは確かだ。
「詳しいことは言えないのですが、特別な薬のオーダーがありまして。それで、おじいさまの遺した創薬ノートにその作り方が遺されていないか、夜遅くまで探しているんです」
「そうだったのか。だが、君の体あってこそ、薬は完成するのではないかな? 夜更かしもほどほどにしないと」
そう言うと、ユリウスさんが私の方に手を伸ばし、そっと私の目元を撫でた。
「え……っ」
「あ……っと、済まない。いや……だったかな」
優しく私の目元を撫でた手はすぐに引っ込められる。
「いえ、そんなことはないのですけれど……」
私は、ユリウスさんが急に触れてきたことで、頬だけでなく耳朶まで熱くなってしまったのを感じ、それを隠すようにうつむいた。
「済まなかったね。こんな見目の男に優しくされてもうれしい女性はいないよな」
「そんなこと……!」
ふるふると横に必死に首を振るのだけれど、ユリウスさんは、悲しげな影を目に浮かべて、食事に戻ってしまった。
そして、私たちは口数も少なく、食事を採るのだった。
その食事の後片付けをしながら私は考える。食器を食洗機に入れ、テーブルを布巾で拭く。
──うぶな娘って訳でもないのに。
確かに、昔のアドルフとの仲は悪かったから、男性への免疫は少ない。けれど、私だってもう十九歳の一度は結婚した身だ。それに、形式上、結婚の誓約の口づけはしたし、彼に花束を渡される経験だってしていた。
そこまでうぶな娘ではない。
それに、結婚さえしてはいないものの、前世の記憶だってある。
男性に目元を触れられて、あんなに胸が高鳴るなんて。
あの紫石英色の瞳に優しく見つめられて、胸が高揚してしまった。
──私はあの方が好きなのかしら?
私の店を好んで利用してくれる、たくましい国の守護神。黒騎士と呼ばれ、国王にすら頼りにされる英雄。そんな彼は、最近は暇さえあれば気さくに私と食事をともに採ってくれる。彼の外での出来事を語ってくれる会話は楽しいし、私は彼との時間を楽しんでいると言える。
でも、なぜか彼は誰とも一線を引いているような気がして。
それは、度々口にする『醜い』と称する眼帯の下のことが原因なのだろうか。
って、いやだ! 私彼のことばかり考えているわ!
食洗機はとっくに稼働完了のランプがともり、ブザーが鳴っていた。
気になるくらい、良いじゃない。
一度結婚した身だ。恋愛や再婚だなんて、そんな贅沢望まないけれど。
ともにささやかな時間を過ごすことくらい、願ったって良いじゃない。
私はそう思い直し、仕事に戻るのだった。
そうして、とうとう山積みのおじいさまの創薬ノートの中から『育毛剤ケハエール』の文字を発見したのだ!
「ケ、ケハエール……」
──おじいさま、ネーミングセンスが過ぎます!
私は、その文字を発見したときは腹を押さえ、笑うのを我慢するのに苦労した。
そうして、笑いによる涙目になりながら、涙でぼやける文字をハンカチーフで拭ってしっかり見てみると、まさに、一度頭の髪を失った人に、育毛力が戻り、髪が生えてくるというのもだった。
「でも良かったわ……これでうまくいくかも」
私はほっと胸をなで下ろす。
手付金銀貨一枚は安い金額じゃない。その手付金を無駄にしなくて済みそうなのだ。
「どれどれ……、素材はマムシの血からとった血清に、エタノール、カラスウリの蔓……」
マムシの血なら薬材屋に行けば売っているだろうか。カラスウリの蔓は、アベルに聞けば農園にあるかもしれない。
私は腰を上げて、自室から一階へと降りていく。そしてリビングを経由して籠を手に取る。そしてさらに、広い屋敷の奥にある、魔方陣の描かれた扉の前まで行く。そこに丸いくぼみがある。
「ここにこれを填めてっと……」
おじいさまの遺産のペンダントの石を填めると、魔方陣が青く光って、扉が外へと開いた。そして、屋外の日の光が強く照らしてきて、その光を背にしたアベルの姿があった。
「やあ、クリスティーニャ。農園に来るとは、ボクに用かい?」
茶トラのケットシーアベルが私に問いかける。
「素材がほしいのよ」
「にゃにがいるんだい?」
「ええとね。マムシの血に、エタノール、カラスウリの蔓よ。でも、マムシの血は薬材屋に行けば売っているだろうし、エタノールはワインから蒸留して作るわ。カラスウリの蔓はあるかしら?」
そう尋ねると、アベルが首を傾げて不思議そうな気がする。
「ここなら、マムシの血もあるにゃ」
「え?」
私が疑問を問いかける間もなく、アベルが農園中に目配せをする。そして、姿勢を低く取った。すると、一カ所、カサッと木陰が動く葉ずれの音がした。
「そこにゃっ!」
お尻をフリフリと振ってから、目標を音がした箇所に定め、爪でそこを強く打ち据えた。
「えっ!」
そして、がぶがぶととどめを刺していく。
「……それって……」
「マムシにゃ! マムシは薬材になることがあるから、農園にいるのをそのままにしているにゃ!」
アベルが振り返る。すでにとどめを刺されたマムシは、ぶらんとアベルの手の中にぶら下がっていた。
「た、たくましいわね……」
「虫退治、小動物退治は猫のたしなみニャン!」
「あとは、カラスウリの蔓にゃんね」
通りすがりに、私の籠にぽいっと新鮮なマムシの死骸を放り込んで、蔓草が茂っている方へ行く。
「これにゃこれにゃ」
そうして、上方を園芸ばさみで蔓を切ってから、私に尋ねる。
「どれくらいいるにゃ?」
そう尋ねながら、園芸ばさみを下方へとずらしていく。
「うーん、そこ! それくらいあれば十分よ!」
目分量だけれど、おじいさまの創薬ノートに書かれていた長さまより少し多めに切ってもらった。
「これで良いかにゃ?」
「うん! 追加で新鮮なマムシの血も手に入ったし。ありがとう、アベル!」
「お礼には及ばないニャン。クリスティーニャが帰ってきてくれてから、お手伝いをしたかったニャン!」
私はお礼にと、しゃがんでアベルの鼻先にキスをした。
「お礼に美味しいお夕飯を準備するわ。期待していてね!」
「わぁい! ボク、お魚が良いニャン!」
「はぁい!」
そうして私は農園をあとにしたのだった。
次に向かったのは台所。酒類保存庫にワインを取りにいった。
「エタノールを分離するだけだから、安いワインで良いのよね……」
そうつぶやきながら、手軽に使える安ワインでもないかと探す。すると、ちょうど良い赤ワインが見つかったので、それを籠に入れた。
「これで材料がそろったわね」
私は、台所から出て創薬室まで移動したのだった。