05-1.アドルフの誤算①
クリスティーナがブルーム公爵家から去って一月以上が経った。
典薬貴族であるブルーム家が王城にヒールポーションを納品するのは月に一度。その納品の日がやってきたのである。アドルフとオリビアの二人は、馬車に乗って王城へ向かっている。その馬車のあとから、納品物を載せた貨物馬車が続いていた。
馬車の中でアドルフがオリビアに尋ねる。
「オリビア。今日の納品物にぬかりはないな?」
「ええ。しっかり百本。揃っているわ。品質も契約の通り。問題はないはずよ」
オリビアがその豊満な胸を張って答えると、アドルフは満足げに笑ってオリビアを抱きしめた。
「よしよし、よくやったぞ、オリビア。君がいれば万事つつがないじゃないか。全く、あんな意に沿わない女なんて、おじいさま方が亡くなったときにさっさと婚約破棄しておけば良かったんだ」
祖父たちがアドルフとクリスティーナの婚約を決めた。そして、最後にそれぞれの祖父が亡くなる際に、おのおの遺言として、アドルフとクリスティーナが結婚するようにと言い遺したのだ。
その頃にはとっくにアドルフはオリビアと深い関係にあった。今にして思えば、そんな遺言に従わず、婚約破棄して、真っ先にオリビアと結婚すれば、煩わしいこともなかったのにと、今になってアドルフは思った。
「どうしたの? アドルフ」
遺言に縛られ、クリスティーナの辛気くさい顔を思い出すと腹が立って、アドルフの顔がしかめっ面になる。それに気づいて、オリビアが声をかけた。
「いやいや、なんでもない。それにしても今日のドレス、似合うな。ブルーム公爵家の奥方としての初の晴れ舞台にぴったりだ」
脳裏からクリスティーナのことを振り払って、アドルフは目の前のオリビアを賞賛する。
「ふふっ。それは私のことを想ってあなたが選んでくれたドレスだからでしょう?」
「それを着こなせるセンスのある君が大好きだよ」
アドルフはオリビアとキスをした。
そうして話していると、馬車が止まったことによって揺れ、王城の門に着いたことを二人に知らせる。
そして、御者と衛兵の間でやりとりがあったあと、再び馬車が動き出す。そして再び馬車が止まった。検品を受けるための倉庫前に着いたのだ。
「アドルフさま、オリビアさま、検品場所まで到着いたしました」
二人が馬車を降りると、そこは、王城の軍部の倉庫前で、魔道具の鑑定眼鏡をかけた兵士を含む複数人の兵士が立っていた。
「……? いつものクリスティーナさまではないのか?」
クリスティーナがいないことをいぶかしむ兵士たち。
「わ、私がブルーム公爵家の家長だ! 文句があるか! それとこちらは新しい女主人のオリビア。今後は彼女がこの取引に対応させていただく」
それではクリスティーナはどうしたのだ、といぶかしげな顔をする兵士たちだったが、貴族家内部の事情に口出し出来るほど兵士たちの位は高くなかった。なので、いぶかしげに思いつつも誰もそれ以上口に出すことは出来なかった。
「では、今回納品分のヒールポーションを出していただこう」
そう言われると、後ろの馬車でアドルフたちに付き添ってきた使用人たちがヒールポーションを鑑定担当の兵士の前へ持ってきた。
「こちらでございます」
「ふむ」
鑑定眼鏡をかけた兵士がヒールポーションの入った瓶を手に取り、そして、品定めのためにじっとヒールポーションを見つめた。
「……品質が落ちているな。クリスティーナさまのときには、もっと良い品を持ってきてくれたのだが。これでは市井のどこの魔法薬師が作ったものとも変わらないじゃないか」
残念そうな声でつぶやいた。
「なっ!」
アドルフがかっとなる。そして、言いつのった。
「契約ではその品質で良いはずだ!」
その様子を見て、鑑定担当の兵士はため息をつく。
「確かに契約上はそうですが、さっき言ったとおりこれはどこの魔法薬師が作ったものとも変わらない。クリスティーナさまのときには、もっと品質の良いものを収めてくれて重宝していたのです」
首を振って、やれやれと言った様子で鑑定担当は言う。
「どういうことだっ!」
アドルフは今度は一緒にやってきた使用人を問い詰める。
「はっはい……。クリスティーナさまのときは、我々が魔力を注ぐときに、それを補おうように、工房全体に魔力を注いでくださいました。クリスティーナさまの魔力はそれは質が良く、ヒールポーションの品質を上げます。きっとそれが原因かと……」
それを聞いて、アドルフが舌打ちする。
「クリスティーナめ。余計なことをしやがって! ですが、これはあくまで契約通り。受け取っていただく!」
アドルフはあくまで契約を盾に強気に出る。
「……まあ、契約は契約ですからね。受け取りますよ。……はあ、これからはこの品質のものを受け取らなければならないのか……」
そう言ってこっそりと嘆息する。
「何かいったか!?」
アドルフがそれを聞き逃さずに納品係に対して身を乗り出した。
「良い、良い。もう何も言わん。今日はこれで良いから、ほら、これが規定の賃料だ」
もうこんな茶番劇はいい加減にしてほしい納品係は、ヒールポーションに対する対価をアドルフに渡した。
金を受け取ったアドルフは、それで満足したようだ。
「……来月もまた来ます。品質は契約通りに仕上げてきますので、よろしくお願いします。行くぞ、オリビア!」
「ブルーム公爵家の女当主は私です。馬鹿になさると痛い目を見ますよ!」
そう言い捨てて、二人で馬車に乗り込んだ。
馬車が揺れて、帰途へと着く。
「全く、クリスティーナの奴め。余計なことをしやがって!」
「全くですわ!」
アドルフとオリビアの怒りはしばらく収まらないのだった。
「……今回の納品では、ミドルヒールポーションとハイヒールポーションの納品はなかったが……まあ、そうそう使うものでもない。前任者が納めてくれた在庫はあるし、なんとかなるだろう」
そう納品係がつぶやいていることなど、怒りが収まらない二人の耳には届かないのであった。