「どうして泣いてるの…?」
雨の音に混じって聞こえてきたその声にオレはそっと振り返る。
夜の闇の中で、透き通るような白い肌の代理人の姿はとても鮮明にオレの目に映る…。
いつも通りの、何が起こったとしても眉ひとつ動かさない無表情で、代理人はそっとオレの傍まで歩み寄り傘の中にオレの身体を入れた。
「ずぶ濡れよ、生体パーツに悪いわ…雨は様々な有害物質を含んでいるの」
代理人はそっとオレの手を取る。
いつも冷静な態度で氷のような冷たさすら感じる彼女であったが、オレの手に触れた彼女の肌は温かかった。
"いらっしゃい"…そう呟く代理人の手にひかれ、オレは建物の中へと入って行く。
代理人は用意していたタオルでずぶ濡れだったオレの身体を拭いていく。
それからソファーに座らせ、温かいコーヒーを差し出してきた…。
「それで…どうして泣いてるの、処刑人?」
コーヒーを一口飲んだオレに、彼女は先ほどと同じ言葉を投げかけた。
雨に濡れた身体を拭いてもらったはずのオレだったが、無意識に触れた頬は涙で濡れていた…。
じっと、代理人はオレを見つめ返答を待っている…。
「スケアクロウが、死んだんだろ…?」
「ええ、そうね。グリフィンの部隊にやられてね…それで泣いていたの?」
「わからねえ、涙なんて、流したことは無かったはずなのに」
「スケアクロウは確かに死んだわ。でもすぐにまた会えるのよ?」
「だけど、一昨日まで一緒にいたあいつは…もういないんだろ?」
オレ自身、自分が何故涙を流しているのか全く理解できなかった。
だけどスケアクロウが死んだと聞いた時、胸の中に小さな穴が開いてしまったような…うまく言えないが変な喪失感を感じた。
代理人の言う通り、オレたち鉄血の人形は簡単に消えることは無い。
死んでも殻を失っただけで、元のAIは残っている。
再び殻が造られ
だけど、オレはそれが全て同一の個体だと思えなかった…。
この前まで話し、共に戦ったスケアクロウは永遠にいなくなってしまったんだ。
「処刑人、わたしたちには疑似的な感情モジュールが搭載されているけど、それはあくまでプログラム。怒りも、喜びも、哀しみも…全ては設定されたプログラム通りの表現をすることしかできないの。でもね、何万回に一回の…気の遠くなるような確率で、AIにエラーが起きてあなたのように鮮明な感情を持つことはあるかもしれない」
「オレは、オレのAIはイかれてるって言うのか…?」
その問いかけに、代理人は静かに首を振る。
「私たちを生み出した者の観点からすれば、それはエラーではなく、奇跡と呼ぶでしょうね」
戦争の道具としてだけなら人間の姿に近付ける必要はないが、敵陣に入り込みあたかも人間のように振る舞い疑われることなく潜入する必要性から、徐々に外見を限りなく人間に近づけようとしてきた。
軍事技術から生まれた人形はいつしか人間社会に溶け込み、より内面的な部分で人間に似せることが研究されてきた。
疑似的な感情表現はプログラムで何とかなるが、それは完ぺきとは言えない。
だが今のオレのように、プログラムによらないありのままの精神は…。
前まで考えもしなかった己の変化に、恐怖心が芽生える。
「処刑人、感情というものは尊いものなのよ。相手を思いやる心、慈しむ心、大切に思う心…私たちのような人形を造り上げた開発者が本当に生み出したかったのがそれなの。だからね処刑人、あなたのその哀しみの心はおかしいものじゃないの…」
そっと、代理人はオレの手を取り甲を撫でる。
冷えたオレの手を温かいぬくもりが包んでいく…あいかわらずの無表情だけど、オレは安らぎを感じている。
「でもね、感情がもたらすモノは良いことばかりじゃないの…来なさい」
導かれるままに、オレは代理人の後をついて行く。
彼女は窓の前に立ち、カーテンを開き窓の向こうの風景をオレに見させる。
窓の外には、戦争で荒廃した大地が見える。
様々な問題と国家の矛盾が最高潮に高まった末に起きた悲劇の大戦、世界にとどめを刺した最終戦争後の朽ち果てた世界だ。
「哀しみは怒りに、怒りは憎しみに変わる…憎しみが世界を覆った末の結果がこれよ。ここもかつては緑の綺麗な場所だったと聞きましたわ…もうその名残もないのだけれど。処刑人、覚えておきなさい…憎しみが燃やすのは世界だけじゃない、何より自分自身の心を焼き尽くすの」
「代理人、オレは大丈夫だ」
「そう、ならいいの。言っておくけれど、わたしが今言った言葉は本で読んだ言葉をそっくりあなたに伝えただけ…今のあなたに必要なアドバイスかは分からないわ。でも注意しなさい処刑人、一度地獄に堕ちれば……もう、戻っては来れないのよ」
「まるで獣ね…!」
その眼に殺意を宿し、歯を剥き出しにして睨みつけてくる姿を見たAR-15は手負いの猛獣を連想した。
既に戦闘でボロボロになっているのにも関わらず、闘志をむき出しにし、ありったけの憎悪をその瞳に宿し今にも飛びかからんと自分と仲間たちを見据えている。
「追い込まれた獣ほど恐ろしいものはないわ、注意して!」
地面に這いつくばるように身体を落とし、ブレードを肩に担ぐ。
獣のようなその姿勢でエグゼは強靭な脚力をもって地面を蹴り飛ばし、迎え撃つAR小隊へと突進する。
牽制に撃った弾の何発かがエグゼの身体に命中するが、防弾コートに防がれたほか、極度の興奮状態で痛覚の鈍っているために勢いは衰えることがない。
凄まじい突進力と共に放たれる斬撃を、AR-15はかろうじて躱すことができたが、ブレーキをかけてその場に立ち止まったエグゼはブレードを振り上げ憎しみのこもった眼で彼女を見下していた。
ブレードが彼女に振り下ろされる瞬間、正確に狙いすまされた弾丸がブレードを握るエグゼの手を撃ち抜く。
それでもお構いなしに振り下ろされたブレードを紙一重で躱し、至近距離から銃弾を浴びせる…防弾コートを突き破り銃弾が彼女の肉体を撃ち抜き、吐血する。
数歩後ずさり、ブレードを支えにエグゼは静止する。
ゆっくりあげたその顔は血で赤く染まり憎しみに燃えた赤い瞳がぎらついている…一瞬、恐怖心から反応が遅れ飛びかかってきたエグゼのブレードがAR-15の肩を刺し貫いた。
「くっ…! 狂犬め…!」
「クズ共が、てめえらに地獄を味わわせてやる!」
ブレードを突刺したままAR-15を押し倒し、銃を握る手を踏みつけてブレードを振り上げる。
「させるか!」
そこへSOPⅡがタックルを仕掛けて突き飛ばそうとするが、数メートル後ずらせたところで勢いを止められる。
勢いよく突っ込んでいったのに止められたことは予想外だったのか、SOPⅡは急いで距離を取ろうとするがエグゼの手に捕まり逃げることができない。
SOPⅡの首を掴み上げ、勢いよく地面に叩き付ける。
ろくに受け身も取れずに叩きつけられたSOPⅡは意識が跳んでしまいそうな衝撃に身動きが取ることができない。
「SOPⅡから離れろ!」
SOPⅡの危機にM4が走りながらエグゼに向けて引き金を引く。
放たれた弾丸をブレードではじくという人間離れした動きを見せるが、ハンターとの戦いとそれまでのAR小隊との戦闘で消耗したエグゼには、すべての弾丸をはじくことはできなかった。
一発がエグゼの側頭部に命中し、彼女の身体が大きくぐらつく。
最大のチャンスに、いまだダメージから回復しきっていないSOPⅡであったが、グレネードを装填し目の前のエグゼに向けてグレネードを発射する。
爆発の直前、M4が咄嗟にSOPⅡに覆いかぶさり爆風から彼女の身を守る…。
「大丈夫?SOPⅡ」
「うん、ありがとうM4。あ…!」
かばってくれたM4への感謝もそこそこに、SOPⅡは目をキラキラとさせて先ほどまでエグゼが立っていた場所に駆け寄り身をかがめて何かを拾い上げる。
「見てM4! 処刑人の腕ゲットだよ!」
拾い上げたのは、爆発で千切り飛ばされたエグゼの片腕だった。
血を滴らせる腕を持ち上げ、無邪気に笑う姿は狂気的だ…いつもの悪い癖がこんなところで出てしまっていることにM4は叱りたくなったが、吹き飛ばされた先でむくりと起き上がるエグゼを見た。
自分の腕を拾い上げて喜んでいるSOPⅡを恐ろしい形相で睨みつけ、戦利品に夢中な様子の彼女に飛びかかる。
「SOPⅡ!」
M4の叫びに彼女はハッとして振り返る。
獣のように突っ込んでくるエグゼの掴みかかろうとした手を防いだが、その腕にエグゼは噛みつく。
骨ごと喰いちぎるほどの咬筋力で食らいつき、身体をねじりSOPⅡを投げ飛ばす。
「ハァ……チクショウ、AR小隊……ぶっ殺してやる!」
呪詛の言葉をまき散らし、戦いで傷つきボロボロになったコートをまとい歩く姿は幽鬼のようだ。
既にエグゼの身体は限界に近い、身を焦がすほどの憎悪を原動力に動き立ち続ける。
片足を引きずり、よろよろと歩くエグゼにM4は銃を向ける。
引き金を引き、放たれた弾丸がエグゼの膝を撃ち抜く。
立て続けに同じ個所にフルオートで弾丸を撃ちこみ、そこの生体パーツを吹き飛ばし、内部の関節部を破壊する…ついに膝は千切れ、バランスを失ったエグゼの身体が前のめりに崩れ落ちる。
それでも、彼女は残った片腕と足で地面を這いつくばり、M4へ憎しみのこもった眼を向け近付いていく。
「凄いわね、こんなになっても向かってくる…まるで地獄の鬼ね」
おぞましいほどの執念を見たAR-15はおもわずそう口にする。
「そう、こいつはもう…地獄の住人になり下がってしまった」
亡者のように這い進む彼女を、それから既に息絶えたハンターの亡骸を見たM4は一度その表情に哀愁を浮かべる。
それから這いつくばるエグゼにそっと近寄っていく…。
「哀れね、処刑人……今まで数多くの命を奪い続けたあなたが、そこまで堕ちるなんてね」
「M4…! クソッたれの、操り人形が……!」
「わたしが憎いでしょうね……処刑人、奪われる痛みを理解した? あなたが散々犯してきた罪よ、因果応報ね」
血に濡れた手を払いのけ、目の前に銃口をつきつける。
「あなたには聞きたいことがある、すぐには殺さない。あなたをグリフィンに連れていく」
これまでの彼女の行動と、戦場での不可解な疑問を解決するために…M4の脳裏にはある男の姿が浮かんでいるが、確証を得るためエグゼを捕虜とすることを決める。
M4の決定にAR-15は不服そうだが、リーダーの判断ということで不本意ながら納得する。
SOPⅡは戦利品の腕を手に入れたことでご満悦のようで、大して気にもしていない…。
「待ってM4! 鉄血兵だ!」
その時、突如として現われた鉄血兵が姿を現し襲い掛かる。
鉄血兵はAR小隊が市街地で遭遇した戦闘力の高い鉄血兵の部隊だった。
鉄血の部隊は銃撃でAR小隊をエグゼから引き離すと、発煙弾を投擲し辺り一面を発煙弾の煙で覆い尽くす。
煙で周囲の状況が分からなくなり、M4は止むをえずエグゼから離れ仲間の援護にまわる…。
その隙をつき、一人の人影がエグゼに素早く近付く。
「エグゼ…!」
「ス…スネーク…」
「しっかりしろ、今助ける」
「スネーク…ハンターが、ハンター……奴らが…!」
腕と足を無くし、ボロボロになった姿とその言葉を聞き、スネークは全てを察し目を伏せる。
傷ついたエグゼの身体をそっと抱き上げる…彼女の軽くなってしまった身体を感じ、重い現実がスネークの心にのしかかる。
煙に紛れ、一人の鉄血兵がスネークの傍へ近寄る。
「ビッグボス、この場は我々にお任せください。隊長をお願いします」
「ああ、お前たちも陽動に成功したらすぐに離脱するんだ」
「了解です。幸い、AR小隊は我々の小隊には気づいていません」
「いや…確証を得ていないだけだ。お前たちの無事を祈る」
鉄血兵いや、ヘイブン・トルーパーはスネークに敬礼を向け煙の奥に姿をくらます。
煙の向こうでは激しい銃撃の音が響き渡る。
陽動が上手くいっているうちにスネークは傷ついたエグゼを抱えその場を離脱する。
戦術人形とはいえ、限界を超えたダメージを受けたエグゼはとても危険な状態にある。
走りながら無線で迎えのヘリを要請し、休みなく走る。
戦闘の音が徐々に遠ざかっていくと同時に、エグゼの弱々しい鼓動を感じられるようになってきた…。
ランディングゾーンへ到達する頃、空はどんよりと曇りだしやがて雨が降りだした。
傷ついたエグゼを木の傍に寝かせ、着ていた上着をかける。
「エグゼ、もうすぐヘリがくる。もう少しの辛抱だ」
「あぁ…スネーク」
立ち上がろうとしたスネークの手をエグゼは掴み止める。
「オレは…無力なのか?」
苦しそうな呼吸を繰り返しながら、エグゼは上体を起こし木に寄りかかる。
身体の傷が疼くのか呻く彼女を労わるように肩に触れるが、エグゼはその手を振りはらいスネークに掴みかかる。
「オレに力が足らなかったばかりに、ハンターは死んだ! ハンターを死なせたのはオレの中途半端な力のせいだッ!」
「それは違うぞエグゼ。お前は精いっぱいやったはずだ」
「精いっぱい出しきって、この様だ…奴ら、オレの親友を虫けらの様に殺しやがった…! クソッたれのAR小隊、オレは…奴らが憎い! 失ったものをとり返す、やられたらやり返すさ! オレは、負け犬になり下がるのだけは絶対になりたくない!」
「エグゼ、止すんだ。仕方がなかったんだ、どれだ強さがあろうと…救えない命もあるんだ」
「ならもっと強い力を手に入れるまでだ! スネーク、オレはこの屈辱を忘れない…教えてくれスネーク、オレは強くなるために何が必要なんだ! オレはもう地獄に堕ちた、何も怖いモノなどない…必要なら地獄の鬼にだってなってやる!」
「エグゼ…止めるんだ、お前が生きながら亡霊になる必要はない。悪に堕ちればお前は永遠に友を失うことにもなるんだ、ハンターもそれは望まないはずだ。気を強く持て、乗り越えるんだ、お前ならできる」
エグゼの精神に一度にのしかかった哀しみと憎悪は、彼女の精神を大きく歪ませた。
スネークの言葉も、今は彼女の心には届かない…憔悴しきったエグゼは木にもたれかかると、苦しそうに胸を掴み顔をゆがませた。
「痛い…痛むんだ、スネーク…身体じゃない、胸が苦しいんだよスネーク」
苦悶に満ちた表情で、エグゼは救いを求めるように手を伸ばす。
その手を握りそっと彼女の身体を包み込むと、エグゼはスネークの胸にしがみつき涙をこぼす。
「なんなんだよ、アンタと出会ってから…オレを、いろんな感情が苦しめる…耐えられない、生きるってこんなに辛いのかよ…! 強くなりてぇよスネーク、強くなれば…こんな思いしなくてすむんだろ?」
「強くなることは大事だ、だがお前が思う強さは本当の強さじゃない……いつかお前にも分かる時が来る。大切な誰かを救うことのできる強さを、一緒に探そう…オレも協力する」
そっと、その髪をなでると彼女は強くしがみつき泣いた。
震える彼女の肩を抱きしめながら、スネークは空を見上げる…。
―――ボス、オレはこの子たちを救えるほど強くなれているのか?
最愛の恩師へ向けたその問いかけは返っては来ない…。
雨はいつしか止み、星空が二人の頭上で光り輝く。
彼女は
その答えは、もう知ることはできないのだ。