石破茂首相の戦後80年所感の内容が普通すぎる件
2025年10月10日、石破茂首相は「戦後80年に寄せて」と題する「内閣総理大臣所感」を発表した。これは戦後80年所感と呼ばれており、筆者も戦後80年所感の全文を読んだ。
全文を読んで感じたのは、「全体的に普通のことが書かれている」ということだ。
「これまで戦後50年、60年、70年の節目に内閣総理大臣談話が発出されており、歴史認識に関する歴代内閣の立場については、私もこれを引き継いでいます。過去3度の談話においては、なぜあの戦争を避けることができなかったのかという点にはあまり触れられておりません」に関しては、確かに「なぜ国内外で膨大な犠牲者を出すことになった大東亜戦争を避けられなかったのか」という問題意識は重要だなと思った。
戦後80年所感は、「大日本帝国憲法の問題点」や「(戦前の)政府の問題」や「(戦前の)議会の問題」や「メディアの問題」や「情報収集・分析の問題」が述べられたあと「今日への教訓」で締められている。
・政治と軍事を適切に統合する仕組みがなく、統帥権の独立の名の下に軍部が独走したという過去の苦い経験を踏まえて、制度的な手当ては行われました。他方、これらはあくまで制度であり、適切に運用することがなければ、その意味を成しません。
・政治の側は自衛隊を使いこなす能力と見識を十分に有する必要があります。現在の文民統制の制度を正しく理解し、適切に運用していく不断の努力が必要です。無責任なポピュリズムに屈しない、大勢に流されない政治家としての矜持(きょうじ)と責任感を持たなければなりません。
・自衛隊には、わが国を取り巻く国際軍事情勢や装備、部隊の運用について、専門家集団としての立場から政治に対し、積極的に説明し、意見を述べることが求められます。
・政治には、組織の縦割りを乗り越え、統合する責務があります。組織が割拠、対立し、日本の国益を見失うようなことがあってはなりません。
・陸軍と海軍とが互いの組織の論理を最優先として対立し、それぞれの内部においてすら、軍令と軍政とが連携を欠き、国家としての意思を一元化できないままに、国全体が戦争に導かれていった歴史を教訓としなければなりません。
「世界平和を目指そう」や「公共心を持つことは重要だ」等の文章が「まあ、その通りだね」という内容であるように、これらの戦後80年所感の文章も「まあ、その通りだね」という内容である。
北村晴男氏のように、今の政治界隈では「石破氏は左派の工作員だ」という陰謀論を唱える者が散見される。
しかし、「自衛と抑止において実力組織を保持することは極めて重要です。私は抑止論を否定する立場には立ち得ません。現下の安全保障環境の下、それが責任ある安全保障政策を遂行する上での現実です。同時に、その国において比類ない力を有する実力組織が民主的統制を超えて暴走することがあれば、民主主義は一瞬にして崩壊し得る脆弱なものです。一方、文民たる政治家が判断を誤り、戦争に突き進んでいくことがないわけでもありません。文民統制、適切な政軍関係の必要性と重要性はいくら強調してもし過ぎることはありません。政府、議会、実力組織、メディア全てがこれを常に認識しなければならないのです」などの主張は、自衛隊を全否定するような極左たちとは異なる姿勢である。
石破氏が重視しているものはリアリズムであり、日本の国益や世界平和にとっても、リアリズムは重視していかねばならないと筆者も考える。
2025年10月に石破氏は首相を辞任したが、石破政権の時期、「石破氏は発言がワンフレーズじゃなくて、何を言っているのか分かりづらい」という声があった。
確かに、竹下登元総理のように、世の中には何を言っているのか不明瞭な政治家は多い。
だが、戦後80年所感の文章を読めば分かるように、石破氏は丁寧に単語ひとつひとつを読んでいけば、言わんとしている内容が伝わってくると感じられないだろうか。
もちろん言葉は分かりやすいに越したことはないのだが、濃い内容を分かりやすく伝えられているのか、それとも単に内容が薄いから言葉が伝わりやすいのかという違いは大きい。
先月、発足した高市早苗首相は言動の分かりやすさと内容の濃さを両立してほしいと願う昨今である。
画像サムネイル:石破茂首相の「戦後80年所感」全文 - 日本経済新聞


北村氏や自民党の一部の強硬右派と呼ばれる人々は石破氏を左派呼ばわりするが、石破氏はゴリゴリの保守本流。強硬右派が非難する反軍演説の斉藤氏は当該の演説の中で、世界の平和など断じて得られないと、どこまでもリアリズムの人であり巷間で言われる左派、平和主義者などでは決してなかった。石破氏…