どこもかしこも、エーテリアスばかりだ……(涙目) 作:bbbーb・bーbb
ライカンは僅かに開けた口を震わせ、その真っ白な毛で覆われた顔を蒼色に染めていた。戦慄と畏怖の表情である。
リナの作った名状しがたきケーキのような何かをむっしゃむっしゃと目の前で口内へ放り込む狩人とエレンを認識すれば、あるいは当然の反応だろうか。
馬鹿に馬鹿を重ねたような方法ではあるが大切な従業員を救った礼として、件のことが起きた翌日、狩人は館にて接待を受けることとなったのだ。接待とは言っても、要はただの食事会であるが。
「うふふ、気に入ってくれたようでなによりですわ」
「ああ、美味い。素晴らしいな」
嘘である。エレンはおろか、狩人ですら美味しいとは思っていない。ただ、食えるというだけである。
確かに彼女の作るケーキは「存在」という概念自体に対する冒涜、あるいは悲しみそのもののような味がするが、狩人たちからすれば食えるのだ。
他に美味しいものがあるのにわざわざ手を伸ばす理由はただ一つ。他の者が食わずに済むようにするためである。
リナに冒涜ケーキを勧められるも流石に味覚と命が惜しかったライカンが一筋の涙と共に歯を食いしばりながら指差さしたカリンが「わァ…………ァ……」と静かに泣き始めたのだ。
それに、そもそも美味しいものも食べている。意味の分からないほど上品な甘みを持ったマカロンに狩人は目をぱちくりとさせたりしているのだ。
カリンはライカンの隣で同じ顔をしていた。先程までほくほく顔で頬張っていたケーキの、フォークで持ち上げた小さな欠片を口に入れる直前でぽとりと落とした。
感謝と申し訳無さが入り混じる心情の中、ふと、カリンは自身が初めて彼の顔を見たことに気がついた。マスクはつけておらず、トップハットも取っていたのだ。
少し生え際が後退しすぎている気がするぺたんこM字のオールバックの下には、古風な顔立ちの、しかしあまりに平凡すぎる顔面が配置されていた。
ほんの少しだけ広すぎるように感じるおでこ、口調に違わぬオールド味を帯びた声、そして先述した通りの古風な顔立ちにより、一見すると彼は齢四十か三十といったところにも想像できた。
が、その若々しい横顔をよく眺めれば、あるいは彼の自称を信じるならば、彼がまだあまり──少なくとも肉体の──年齢は重ねていないことが分かった。
本人も自身の年齢を忘れたようで、ただ若年であることだけは間違い無いのだという。
それにしても、古風であること以外、本当に何の特徴も無い。数百年前の英国か仏国に行けば、同じ顔をした人間がいくらでも見つかるだろう。失礼な考えだとは思いつつも、カリンはただ驚いていた。
どこもかしこも美男美女ばかりのこの街でこれ程の強者となれば、当然想像を絶する美貌をそのマスクの下に思い浮かべていた。それが蓋を開けて見れば、どうにも人当たりの良さそうなただの若年男性であったのだ。
けして醜くは無く、寧ろどちらかと言えば美男に分類される方であろうが、実際に新エリー都の基準で美男と言い切るには上が多すぎる。それが狩人の顔だった。
尤も、それがカリンの彼に対する気持ちを変化させたわけではなかった。仮に彼が絶世の色男だったとしても、仮に彼が宇宙的恐怖を体現した「何か」だったとしても、彼はずっと、ずっと彼女の丸ノコ兄弟なのだ。
──さて、そろそろか。少し落ち着きを見せ始めた食事会の最中、そうっと、カリンは立ち上がった。
ふとカリンが立ち上がるのを狩人は視認し声をかけたものの、用事があるのだと申し訳無さそうに言われると納得し、すぐに目下の「冒涜」に目を向けた。筈だった。
無い。左を見てみれば、ぱんぱんに膨んだエレンの頬がもっもっと動いていた。あの「食べる悲しみ」が元々もう残り二切れしかなかったので、狩人は何が起こったのかすぐに理解した。
「……助かった。感謝する」
「……
狩人が声を潜めて感謝を述べると、頬を膨らませたままぶっきらぼうにエレンは言った。
彼女について狩人が知っていることはあまりなかったが、それでも彼女の冷たい善性には気づいていた。
今日の昼、待ち合わせ通りの時間に館を訪ねた際、広すぎる庭にて「こういうことですうウ!!」と叫ぶカリンを肩に乗せ「チギャウ……チギャウ……」と呟いて遊んでいたのを狩人は目撃したのだ。
狩人の姿を見るなりカリンを降ろし、顔を真っ赤にしたまま地面やそっぽを向いて暫く何も言わなくなっていたが、とにかく、あれは悪人に出来る行いではなかった。
なにより、魚人だというのに銛を投げてこな……ハサミは投げてきたな。バレエツインズにて初めて彼女と出会った時のことを思い出す狩人。今更、特段気にしている訳でもないが。
完食された「絶望」を目にし口角の吊り上がるリナを見ながら、茶色い革製のソファーにもたれかかった狩人はぼうっとそんなことを考えていた。彼女の周りに浮遊するボンプらしき何かも笑顔を浮かべている。
同じ気配を消すことを得意とする女でも、彼女は妖怪テレポート目玉ババアことヘムウィックの魔女とは似ても似つかぬ人物であった。見た目も、言動もである。
料理以外のことは殆ど完璧にこなせるようで、実際彼女の話し方や案内はすこぶる丁寧であった。テーブルマナーも狩人の知らない流派ではあったものの、それでも完璧と分かったほどである。
本当に、料理以外のことでは非の打ち所のないメイドであった。
あまりの完璧メイドぶりに、狩人は自身が小貴族の身であることを思い出したほどである。
「庶民が貴族の真似事をするのがなんとも皮肉が効いている気がして愉快だから」という理由でトップハットを良く使っていたのだが、アンナリーゼ女王陛下のことを完全に忘れていた。この男、一応は血の狩人、騎士なのだ。
騎士と貴族とはそれぞれ違うものであるが、どの道女王直属の者であることには変わりない。よくよく考えてみたら貴族だったわ、というやつである。
今日か明日にでも、謁見に行かねば。血の穢れは稼げていないが、代わりに再生機付きのテレビと何本かの映画で喜んでいただけるだろうか。
また新しいトニトルスを買う決意をした狩人が時計を見てみれば、もうすっかり深夜、子供は寝る時間であった。
エレンなどもうすっかり夢の中であり、夜特有の落ち着いた静寂の中、幾つかの息遣いと、ちく、たく、と時間を刻む振り子時計の音がいつになく大きく聞こえた。
「そろそろ帰るとしよう」
トップハットを被りなおすと、楽しい会に呼んでもらえたことに感謝を述べた。起こされたエレンも含めた、カリンを除いた一同に丁寧なもてなしを受けながら玄関まで案内される。
そのまま言うまでもなく木製の大きな両開きドアを開けてもらい外へ出ると、最後に全員からの一礼を受けた。狩人も「狩人の礼」で返した。簡易拝謁も考えたが、
最後に兄弟と話ができなかったことだけを少しだけ残念に思いながら石畳の道を歩くこと数十秒、背後からの小柄な足音。
狩人が振り返ってみれば、そこではカリン、Brotherが息を切らしていた。
「どうした」
肩で息をする彼女に声をかけてみれば、渡しそびれるところだったと途切れ途切れに返ってきた。
「これっ、これをっ、お渡ししたくてっ」
やっとできた、と息も絶え絶えのまま彼女が突き出した手に握られていたのは、いちごを包む白と黒の何かであった。粉の吹いたそれをよく見れば、彼女の手も粉で真っ白になっていた。
白い餅のようなそれは、恐らくなにかしらの生地なのだろう。割れた生地の中に詰まった黒色が、半分にされたいちごを挟み込んでいた。
「いちご大福ですっ!」
狩人がそれの名を聞くまでもなく、汗だくの顔に笑みを浮かべてカリンが答えた。二つあるようで、狩人が帰る前に一緒に食べたいのだという。
「良いのか」
「当然ですっ!」
感動に笑いを漏らしながらの問いに、カリンは自信たっぷりに胸を張ってみせた。両手を腰に当て、閉じた両目の下ではふんすと口角を上げていた。
偶然近くにあった木製ベンチに二人で腰掛けると、ホロウに侵されたおかげで半月のように見える満月が背中を照らした。長い影が目の前に伸びた。
乾杯のような礼式は無いのかと聞く。特には、とのことだ。お互いに小さく肩をすくめる。
ならばとりあえずこうしよう、と乾杯の要領で互いの大福を軽く持ち上げると、すぐに食べ始めた。
狩人はトップハットを下ろすと、カリン自身の拳より少し大きいか小さいかといったサイズ感のそれを一口齧った。とても柔らかく、驚くほど甘かった。
まとわりつくような甘みを、爽やかな酸味と調和させる存在が居た。いちごである。
普段は甘く感じるそれは、しかし黒いあんこの中では美しい酸味として映えるのだ。
「美味いな。貴公が作ったのか」
「は、はいっ!」
最初の一口を飲み込み終わると、驚き笑いながら狩人が聞く。大福よりもちもちとした頬をぷにぷにと動かして咀嚼していたカリンが答えると、そうか、ならば納得だと狩人はゆっくり頷いた。
そうして、狩人は食べすすめていった。時折カリンの方を見やって、スピードを調整しながらではあるが。
ちびちびと食べすすめながら、幾つかの話をした。いちご大福に込められた意味を知り、狩人は大いに喜んだ。
一番の親友とシェアするものなのだという。尤も、一番だからといって一人とは限らないそうだが。
カリンが「彼女」と呼ぶ大切な人のことも少し話していたが、狩人が深掘りすることは無かった。それが恐らくは、彼女の心を傷つけかねないと考えたが故である。
世間話もした。別に、街中でも少なくない頻度で出会うのだ。カリンのやらかしを聞くと、狩人は声を上げて笑った。「そうか、そうか。それはまた、大変だったな」と。
「なに、気にするな。皿を一枚割ったくらい、減給もされないだろう」
「そうですけど……うぅ……」
間違っても、自分を駄目なやつだとは思い込まないでくれたまえよ。狩人はそう言った。思い込みは、えてして身体を引っ張るものなのだ。
「でも……」
「人の命を救えるメイドが、この世に何人居る。少なくとも私は、四人しか見たことがないぞ」
尤も、私は人ではないがね。自嘲を込めて鼻を鳴らすと、カリンは少し顔を明るくした。狩人がカリンと目を合わせる。「いいか、カリン」と言葉を始めた。
「貴公が居なければ、私はあのホロウで死んでいた。それを救ってくれたのは他の誰でもない。貴公なのだぞ」
「そうですか……そうですよね……っ!」
もう一度笑顔を取り戻したカリンを見て、狩人も笑みを浮かべた。
それに、そもそも失敗など珍しいことではないのだと狩人は言った。自身もしょっちゅう失敗するのだと。
「私など、仕えていた女王の隠れ家を敵に教えてミンチにさせたことがあるのだぞ」
「ミンチ……!?」
「ああ。それも十回くらい」
「十回!?」
なんで学ばないんだ。自身の失敗などとてもどうでも良くなるほどのやらかしに絶句するカリンだったが、やがてそのあまりの酷さに笑い始めてしまった。堪えきれなかったのだ。狩人も一緒に笑った。
そうしている内に、大福を食べ終えた。大した大きさは無かったが、とても満たされた気分になった。
グータッチをしてではさようならと狩人が立ち上がろうとしたとき、カリンが口を開いた。最後に一つ、質問があるのだという。
「狩人さんは、他の星からおいでになられたんですよね」
「ああ。身体はな」
頷きながら、狩人は答えた。食事会の最中、狩人は自らの正体を明かしたのである。自身は上位者、ライカンに確認してもらっても構わない、と。本当に明かして良いのかライカンに聞かれたのを覚えていた。
「この中に、ありますか」
満面の星空を前にして、カリンが聞いた。もちろん、と狩人が答えると、彼女は小さく感嘆の声を上げ、目の前の空を眺め始めた。
「こっちだ」
「えっ」
ベンチに腰掛けたまま、狩人が後ろを向く。カリンもそれに合わせると、彼の指が指す「答え」の前に、静かに目を見開いた。
「わぁ……!」
カリンが声を上げると、狩人は少しだけ誇らしげに笑った。どうだ驚いただろう、と。狩人の指差す先、そして見開かれたアメジスト色の瞳の中で──。
ホロウに侵され、尚も気高く聳え立つ、銀色の月が輝いていた。
ちょっと小説のタイトル変えました。「…」を一つ増やしただけですが。横書きってそれがルールらしいですし。
このおまけは今回で終わりですが、例のドッペルゲンガー達の対処については次回でちょっぴり触れときます。