旧ジャニーズ事務所が「SMAPの元メンバーを起用しないようにテレビ局に圧力をかけたことにより、独占禁止法に違反した」旨のマスコミ報道における、誤情報の構造/中国系マネーロンダリングネットワークに対する米国 Financial Crimes Enforcement Networkの分析報告書と勧告書について
2 中国系マネーロンダリングネットワークに対する米国 Financial Crimes Enforcement Networkの分析報告書と勧告書について
執筆者:桜林 賢 1.はじめに 米国政府は2024年10月、銀行秘密法(Bank Secrecy Act,以下「BSA」といいます。)に規定されるコンプライアンスプログラムを十分に維持できなかったなどとして、カナダの大手金融機関に対し巨額の罰金を科すことを発表し※30、世界中の金融機関に対してマネーロンダリング対策の徹底を怠らないよう、強く促しました。金融機関にマネーロンダリング対策の徹底を求めるという米国政府の方針は現在も継続されており、最近では特に中国系マネーロンダリングネットワーク(Chinese Money Laundering Networks、以下「CMLN」といいます。)に対し、積極的に法執行している様子が見えます。 ※30 Office of Public Affairs | TD Bank Pleads Guilty to Bank Secrecy Act and Money Laundering Conspiracy Violations in $1.8B Resolution | United States Department of Justice 近時の米国政府によるCMLNに関する主な発表は以下の通りです。 ・2024年6月18日:米国司法省は、「Operation Fortune Runner」と称して数年にわたる捜査を行った結果、ロサンゼルス地区の大陪審が中国の地下銀行システムに関与した複数の中国国籍者を起訴したことを発表しました。※31 ※31 Office of Public Affairs | Federal Indictment Alleges Alliance Between Sinaloa Cartel and Money Launderers Linked to Chinese Underground Banking | United States Department of Justic ・2025年5月1日および同年7月7日:米国司法省は、複数の中国国籍者がノースカロライナ州においてマネーロンダリング罪を認めたことを発表しました。※32 ※32 Office of Public Affairs | Three Members of a Prolific Chinese Money Laundering Organization Plead Guilty to Laundering Tens of Millions of Dollars in Drug Proceeds | United States Department of Justice; Office of Public Affairs | Final Three Members Charged in Prolific Chinese Money Laundering Scheme Plead Guilty to Laundering Tens of Millions in Drug Proceeds | United States Department of Justice ・2025年8月28日:米国財務省金融犯罪取締ネットワーク(Financial Crimes Enforcement Network、以下、「FinCEN」といいます。)は、金融動向分析報告書(Financial Trends Analysis)及び勧告書FIN-2025-A003を公表しました。同分析報告書は、2020年1月から2024年12月までの期間においてBSAに基づいて提出された約3,120億米ドル相当の137,153件の報告書を精査し、CMLNに関連する疑わしい取引の動向をまとめたものです。勧告書では、金融機関がCMLNに関連する疑わしい活動を特定するための複数のRedFlags(不正の兆候を示す事象)が示されています。 このように、米国政府は明らかにCMLNに対する摘発に注力するとともに、金融機関に対しては、CMLNの活動を検知・防止するためのコンプライアンスプログラムの見直しと強化を求めています。 本稿では、こうした米国政府のCMLNに対する積極的な法執行状況が日本の金融機関のアンチマネーロンダリングのコンプライアンスプログラムに与える影響について解説します。 2.CMLNの仕組み CMLNは、事実上の地下銀行として機能しているとされています。中国の外貨規制により中国国民が人民元(RMB)を他通貨に換金できる上限額は年間5万米ドルに制限されており、また、中国国家外貨管理局の事前承認なしにRMBを直接海外送金することが禁止されているため、FinCENの報告書によると、多数の中国国民がCMLNを通じてRMBを米ドルに替える必要に迫られている状況にあるとされています。※33 ※33 China - United States Department of State CMLNはこのような外貨規制に対する抜け道として機能しています。具体的には、CMLNは非合法な組織から米ドルを調達し、当局の検知を回避しながら金融機関の口座に不正収益を預け入れています。CMLNの利用者は、中国国内でRMBをCMLNに支払い、その後CMLNが管理する銀行口座から米ドルの送金を受けます。その際、CMLNは利用者に手数料を請求します。 また、FinCENの報告書によれば、CMLNは米国の大学に留学中の中国人学生を勧誘し、CMLNに代わって銀行口座を開設させる事例が多いとされています。このような留学生は、自らの行為がマネーロンダリング行為の一環であることを理解していないケースも存在するようです。さらに、FinCENによると、CMLNが金融機関の従業員と共謀し、あるいは、金融機関内にCMLNのメンバーを送り込むなどして、CMLNの運営を支援させたりしていることも報告されています。 3.日本の金融機関が関心を持つべき理由 BSAは、米国で事業を行う金融機関に対して、マネーロンダリング防止およびテロ資金供与対策のプログラムを構築・運用する義務を課すとともに、法令違反の疑いがある取引について疑わしい取引の報告(Suspicious Activity Report,SARS)を行うことを求めています。※34米国内で個人向け銀行サービスを提供する日本の金融機関も、FinCENによるRedFlagを真摯に受け止める必要があります。これらのサービスは明確にBSAの適用範囲内にあります。 ※34 31 U.S.C. § 5318 (2025) また、中国の外貨規制は米ドルと同様に日本円(JPY)にも適用されるものであるため、中国国民の日本円に対する需要が高まっていることにも留意が必要です。米国政府が指摘しているように、CMLNはグローバルに活動しているようです。日本は地理的に中国に近く、かつ日本円は米ドル同様、世界の主要通貨の一つであることも踏まえますと、CMLNが日本国内でも活動している具体的なリスクが高まっていると考えるのが自然です。したがって、日本の金融機関も、金融庁の「マネー・ローンダリング及びテロ資金供与対策に関するガイドライン」※35などに照らし、CMLNの活動を具体的に想定のうえ、日本国内の銀行口座への不正な入金を検知するためのコンプライアンスプログラムを整備・強化すべきと考えられます。※36 ※35 https://www.fsa.go.jp/common/law/amlcft/211122_amlcft_guidelines.pdf ※36 日本における実務などにつき、当事務所の沼田知之弁護士及び八木浩史弁護士と協議しました。 また、上記のFinCENの勧告書は、日本におけるマネーロンダリング対策プログラムの策定にあたり有用な指針を提供しますが、CMLNやその利用者が日本の口座に預けた資金を用いてさらなる別の取引を行うことで、米国の他の金融機関においてBSAに基づく報告義務が発生する可能性もあります。FinCENは、この種の口座が他のマネーロンダリング手法を促進する温床となっていると認識しているようです。具体例としては、電信送金やACH(自動決済機構)、P2P(個人間送金)による資金移動、不動産や高級品の購入といった貿易を介したマネーロンダリング行為(Trade-Based Money Laundering(TBML))が挙げられています。 これらの取引は二者間で行われることもあり、そのうち一方が米国の金融機関であれば、当該金融機関はFinCENへ報告を行い、米国司法省による捜査の契機となる場合があります。その結果、日本の金融機関が意図せず国際的なマネーロンダリングスキームの一端を担っているとみなされるリスクが存在します。 4.コンプライアンスプログラムにおけるRed Flagsの概要 金融活動作業部会(FATF)による第4回相互評価報告書※37において、FATFは日本のコンプライアンスプログラムについて、リスクの把握に関して一定の理解が示されていると評価する一方で、依然として改善の余地があると指摘しています。こうした背景を踏まえ、FinCENの勧告書は、日本の金融機関がCMLNの不正行為に対応するため、自社のコンプライアンス体制を見直す際の有効な出発点となり得ます。 ※37 Japan's measures to combat money laundering and terrorist financing FinCENの勧告書には、CMLNの典型的な手口を示す18個のRed Flagが記載されています。そのうち13個の項目で中国国籍者の活動に関する具体的な言及がなされており、FinCENが金融機関に対し、中国国籍の顧客に対する一層の精査を求めていることは明らかです。 もっとも、対象が中国国籍者に限定されている点を除けば、これらのRedFlagは一般的なマネーロンダリングの兆候として、以下の3つのカテゴリーに整理することができます。 ・ 虚偽の身分証明 たとえば、顧客が提示したパスポートとビザの写真が同一であるにもかかわらず、発行時期が数年も異なっている場合が挙げられています。 ・ 説明のつかない高額資産 顧客の申告する職業、収入、または事業規模と比して明らかに不相応な資金が定期的に入金されている場合が挙げられています。職業の具体例としては、学生、退職者、専業主婦、その他低所得職業が挙げられています。事業者の場合、商品の購入費や在庫管理費などの支出が極端に少ないことも、これに該当します。 ・ 高リスクの取引 マネーロンダリングの手口として典型的な取引類型です。特に注目すべきものとして、以下のようなケースが挙げられています。 ・ 香港、中国本土、メキシコ、アラブ首長国連邦(UAE)といった高リスク地域が関与している取引 ・ 不動産購入、銀行小切手(CashierʼsCheck)の購入や取引、クレジットカードの利用を目的とする資金移動 ・ 取引の目的や資金の出所に関する質問に対して、顧客があいまいまたは回避的な態度をとる場合 ・ 顧客の日常的な収支と関連性のない高額な入金や送金が頻回に行われている場合 5.最後に 最近の米国政府によるCMLNへの積極的な法執行は、違法な金融活動が日々進化し、より複雑化している現実を改めて浮き彫りにしています。米国政府は、金融機関に対して高度な警戒と継続的な管理を伴うコンプライアンスプログラムの構築と維持を求めており、それを著しく怠った場合には厳しい制裁を科す姿勢を明確にしています。米国法の適用範囲の広さを踏まえると、日本の金融機関にも、米国の古い格言「An ounce of prevention is better than a pound of cure(予防は治療に勝る)」がそのまま当てはまるかもしれません。頑強で実効性のあるコンプライアンス体制を整備しておくことは、将来的に日本の金融機関が米国当局による大規模な調査の対象となるリスクを回避する上で、有効な手段となり得ると考えられます。 以上