偏差値や過去問を見ると西南学院大学日東駒専福岡大学は日東駒専の下位学部程度のレベルですが、西南学院大学と福岡大学を九州の早慶と呼ぶようになったのはいつからですか? もしかすると大昔は本当に早慶レベルが有ったとかですか?

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いずれも良い大学ですが、日東駒専も日本を代表する大規模総合大学、首都圏、全国に知名度のある有名大学で特に社会的に高い実績を持っていますね。 各種実績から国公私立大学の上位大学の一員とみなされており、西南学院大学、福岡大学にも頑張って貰いたいと思いますが、ライバルとしている大学はそれらの上位大学群です。 上位の学部学科は高校3年生世代の上位数パーセント、全体としても国公立重視でなければ今は中堅国立以上の評価のようですね。 実際に地方国公立合格組、都内国公立併願組、MARCH蹴りも一定数いますね。 上位学部学科の難易度の最高点を比較するなら、日東駒専の方が西南学院大学、福岡大学よりも高いようですね。 教授陣、カリキュラムも1都3県に位置している日東駒専の方が人材が豊富で充実していると言えそうですね。 社会的にも実績があり、評価をされている大学で、入学する学生も全高校生の中では上位に位置していると言えるでしょうね。 しかし、地元で生活されるなら西南学院大学、福岡大学も良い進学先に思います。

西南学院大学と比較される大学はMARCHとかになります。西南学院大学と日東駒専を比較するのは西南学院大学に失礼千万になります。九州の早慶と言われているのは尊敬の意味になります。

何十年も前から言ってる人はいましたね。最近は知恵袋の年輩の方からしか聞かなくなりましたが。。。 今では日東駒専や近畿大学と比較されて負けている学部もあるようですが、たしかに昔はそれなりにレベルの高い大学だったらしいです。もちろん昔も早慶レベルではないです。

1990年代は西南学院大学の偏差値は代ゼミで60〜62でMARCH中位〜下位、福岡大学文系は55〜57てま日東駒専くらいでした。早慶レベルはなかったと思います。それにしても両校偏差値下がったなあ…

いつから九州の早慶と呼ばれるようになったか?というのは逆だと思いますね。 私が受験生だった1990年代初頭は、どの大学もいまより難易度が高く、特に地方の大学はそれが顕著でした。 西南学院は当時の河合塾や代ゼミの偏差値で 60弱はあったと思います。 日東駒専や産近甲龍よりもさらに難しい大学の部類だった記憶があります。 さすがに早慶のレベルは当時もありません。 MARCHにも届かなかったですが MARCHの下位学部と西南学院の上位学部の難易度が同じくらいだったと思います。 西南学院は 附属中高がお金持ちのご子息が通われると評判で、大学も英語や国際系に強く 校舎の雰囲気も相まって 「九州のお洒落な大学」=「九州の慶応」なんて言われていた記憶があります。 現在は 少子化と私大の都市部集中、大学全入時代の影響などで特に地方の私大の難易度が落ち、西南学院の難易度も昔からは落ちてしまったため、いまの時代、西南学院のことを「九州の慶応」「九州の早慶」と呼ぶ人は少ないんじゃないでしょうか?

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「九州の早慶」という呼称は、西南学院大学と福岡大学の九州地方における知名度や伝統的な評価を表現したものですが、実際の偏差値や学力レベルが早稲田大学・慶應義塾大学と同等であったという意味ではありません。 この呼称が一般化した明確な時期は特定できませんが、1970年代から80年代にかけて、地方の有力私立大学としての地位を確立していく中で使われるようになったと考えられます。 両大学とも創立の歴史は古く(西南学院大学は1916年創立の西南学院を前身とし、福岡大学は1934年創立の福岡高等商業学校を前身とする)、九州地方では早くから私学の雄として認知されていました。 ただし、過去においても早慶と同等の学力レベルであった時期はなく、あくまで「九州における私学の代表格」という意味合いで使われる表現です。現在の偏差値や入試難易度と比較すると、かつては地方における進学先としての価値が相対的に高かった面はありますが、早慶と同レベルだったわけではありません。

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西南学院大学と福岡大学が「九州の早慶」と呼ばれるようになったのは、地域内での影響力や企業とのつながりが強いことが背景にあります。歴史的に見ても、全国的な学力評価では早慶レベルに達していたわけではありませんが、九州内での存在感や卒業生の活躍がそのような呼称につながったと考えられます。

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