国連の女子差別撤廃委員会「皇室典範改正勧告」から一年──天皇が「祭祀王」であることの価値がなぜ理解できないのか?(「不二」10月号、令和7年10月25日)
(画像は「不二」10月号の表紙)
昨年十月末、国連の女子差別撤廃委員会(CEDAW)は日本政府に対して、男系主義を採る皇室典範の改正を勧告した。最終見解は「皇統に属する男系男子だけに皇位を継承させることは、(女子差別撤廃条約の)第一条および第二条と両立せず、条約の目標と目的に反する」と断定してゐる。古来、皇位は男系主義で貫かれてきた。男系継承主義こそ天皇の本質であり、男系主義の変更は天皇制廃止の要求に等しい。二十三人の委員たちはどこまで本気なのだらうか?
〈https://www.gender.go.jp/international/int_kaigi/int_teppai/pdf/report_241030_e.pdf〉
日本政府は委員会の事前質問票に対する回答(令和三年九月の第九回政府報告)で、「皇位継承のあり方は国家の基本に関はる事項である。委員会が皇室典範について取りあげることは適当ではない」と反論してゐたが、それでもなほ委員会は最終見解で、「委員会の権限の範囲外であるとする締約国の立場に留意する」としつつ、「皇位継承における男女平等を保障するため」の法改正を執拗に要求した。皇室の奥深い世界を知らずに判断してゐるのではないかとさへ疑はれる。
〈https://www.gender.go.jp/international/int_kaigi/int_teppai/pdf/report_9_j.pdf〉
委員会勧告から一年が経過するいま、あらためて検証してみたい。
一 天皇は「無私」なる祭祀王である
同委員会の会合で、日本の保守系団体の代表者が「天皇は祭祀王である」と訴へたやうに、天皇は現存する世界最古、世界に比類なき祭祀王である。
「およそ禁中の作法は神事を先にし、他事を後にす」(順徳天皇『禁秘抄』承久三年=一二二一年)とする宮中祭祀第一主義こそが皇室の原理であり、歴代天皇はこれを信じて、日々、実践してこられた。先帝、今上両陛下とも、折に触れて、「皇室の伝統」重視の姿勢を「おことば」で示されてゐる。
〈https://rmda.kulib.kyoto-u.ac.jp/item/rb00011366〉
ならば、皇室の「祭祀王」天皇観が、男系継承主義とどう結びつくのか、である。それは天皇の祭りがひたすら国と民のために捧げられる絶対無私なる祈りだからではないか? 「天皇無私」こそ天皇の、そして天皇の祭祀の本質である。
天皇の祭りは一日も欠かされないが、とりわけ「皇室第一の重い祭祀」(八束清貫「皇室祭祀百年史」=『明治維新神道百年史第一巻』昭和五十九年所収)とされるのが、寒さがつのる時季、十一月二十三日の夕刻から、皇居の奥深い聖域、宮中三殿の西に位置する神嘉殿で親祭される新嘗祭である。「新嘗祭神嘉殿の儀」では、宮中三殿で行はれる祭祀とは異なり、皇祖天照大神ほか天神地祇が祀られる。
〈https://www.kunaicho.go.jp/activity/gokinkyo/01/h25-1223-sanju4.html#niinamesai〉
二 なぜ「米と粟」なのか
古代律令の「神祇令」には、「およそ天皇、位に即きたまはば、すべて天神地祇を祭れ」と記されてゐる。民が信じる多様な神々の存在を前提とし、あらゆる神々に祈られるのは天皇をおいてほかにはあるまい。「あなたには、私をおいてほかに神があつてはならない」(十戒)を信じる一神教世界とは異なる。
新嘗祭で最重要なのが神饌御親供で、とくに主要な神饌は「米の御飯(おんいひ)および御粥、粟の御飯および御粥と、新米をもって醸造した白酒(しろき)・黒酒(くろき)の新酒」(八束)とされる。注目すべきは「米と粟」である。宮中祭祀のうち、「米と粟」が捧げられるのは神嘉殿の新嘗祭だけである。それだけ格別な性格の祭祀といふことになる。
なぜ米と粟なのか? 米は稲作民の命の糧であり、粟は畑作民のそれである。水田稲作民と焼畑農耕民とは本来、生活圏、文化圏が異なる。米と粟をともに捧げて祈る神嘉殿の新嘗祭は、稲作民の収穫儀礼とは本質的に異なる。
たとへば、台湾先住民パイワン族は粟の祭祀を執り行つてゐた。農耕儀礼のなかではもつとも重要で、新粟が粟神や祖霊に捧げられた。他方、稲作は禁忌され、禁を犯せば粟神の怒りに触れると信じられた(『蕃族調査報告書』台湾総督府蕃族調査会、大正九年)。『常陸国風土記』(養老五年=七二一年)には「新粟の新嘗」「新粟嘗」があつたことが記録されてゐるが、日本列島に水田稲作が伝来する以前の民間の祭祀を彷彿させる。
比叡山の東麓・滋賀県大津市に鎮座する日吉大社の勇壮な「山王祭」には、「粟津の御供」すなはち粟飯が登場する。祭りは同社御鎮座の歴史物語を再現するもので、琵琶湖の湖上で執り行はれる献納祭では粟飯が神に捧げられる。
〈https://hiyoshitaisha.jp/event/sannou/index.html〉
同様に、各地の神社には稲作文化とは趣の異なる祭祀が伝へられてゐる。日本の食文化はけつして稲作オンリーではない。民俗学者の坪井洋文(故人)は、正月に米の餅を食べない「餅なし正月」「イモ正月」の習俗が、餅正月と同等の価値をもつて全国的に存在することを明らかにし、「餅なし正月」は稲作以前の縄文文化の名残と指摘してゐる(坪井『イモと日本人』昭和五十四年)。
日本人のルーツはひとつではない。さまざまな民がゐて、さまざまな暮らしがある。だから、国と民を統合する統治者が必要になる。その手法は一神教世界の一元主義的やり方とは異なる。
三 国と民を統合する国家儀礼
民間ならそれぞれの神が祀られ、それぞれの神饌が捧げられるが、天皇の新嘗祭はあらゆる神々が祀られ、米と粟がともに供せられる。なぜなのか、近畿大学の野本寛一名誉教授(民俗学)は筆者の取材に、「米の民である稲作民と粟の民である畑作民をひとつに統合する象徴的儀礼として理解できるのではないか」と答へてゐる。
日本の建国、皇室の起源を説明する天孫降臨神話は日本の稲作の始まりであり、一般に新嘗祭は斎庭の稲穂の神勅に基づく儀礼と説明される。だとすれば、天皇の祭祀は皇祖神を祀る賢所で稲の新穀を捧げれば十分である。だが、皇室の最重儀たる神嘉殿新嘗祭の実態はさうはなつてゐない。稲作儀礼ではなく、皇室の祖霊信仰でもなく、国と民を統合する国家儀礼だからである。
天皇は厳重な潔斎によつて心身の汚れを祓ひ、「謹慎と清浄」を表現する、特別の冠と純白生絹(すずし)の御祭服を召して、新嘗祭に臨まれる。脂燭のほか照明のない、暖もない神嘉殿の内陣で、介添への女官以外、余人を交へず、「国中平らかに、民安かれ」と祈られる。そして統治者である天皇の切々たる祈りによつて、国と民はひとつに統合され、国の安定と民の平安がもたらされるのである。
天皇が国と民の統合者であるためには、民の世界から超越した、公正かつ無私なるお立場でなければならない。絶対無私が絶対的要件である。天皇に姓はなく、在世中は固有名詞で呼ばれることもない。乳人(めのと)制度があり、お子様をお手元でお育てになることもなかつた。肉親の葬儀に参列されることもない。音楽やスポーツをはじめ、ことばに至るまで、独特の王朝文化が育まれてきた。
立憲君主制下の君主には国家と国民統合を象徴的に具現するなど、いくつかの役割と意義があると指摘したのはカール・レーヴェンシュタイン(比較憲法学)だが、日本の天皇は古来、無私なる祭りの力で国と民を統合してきたのだ。
たとへば先帝陛下は、災害の被災者や高齢者、障害者にとりわけ心を寄せられた。少数者や弱者に寄り添ふお心は、歴代天皇と同様、「国中平らかに、民安かれ」と祈る日々の祭祀によつて磨かれるのである。
四 祭祀王なるがゆゑの男系継承
ならば、なぜ男系継承なのか? 天皇が無私なる祭祀王であることと皇統の男系主義とは密接不可分である。
国連の委員会は誤解してゐる。皇室典範第一条「皇位は、皇統に属する男系の男子が、これを継承する」の字義にのみとらはれてゐるのではないか? 委員会は歴史論的、制度論的検討をどれほど深めたのか? 皇位継承の男系主義はけつして女子差別ではない。
〈https://www.digital.archives.go.jp/DAS/meta/Detail_F0000000000000044559〉
千年をはるかに超える皇統史において、女性天皇は八人十代存在した。認められなかつたのは、夫がをられる、あるいは妊娠中・子育て中の女性天皇である。これはむしろ女性の価値を認め、母性を尊重するからではないのか? 歴史に存在する女性天皇が独身もしくは寡婦を貫かれたのは、「天皇無私」のお立場が最優先されるからではなかったか?
明治になり、「不文の大法」を成文化した皇室典範(明治二十二年)は「皇位は男系の男子、これを継承す」と明記することとなつたが、それはヨーロッパの王室に学び、終身在位制を採用した結果であらう。明治九年の「国憲起草の詔」には「広く海外各国の成法を斟酌し」と明記されてゐる。
近代以前の歴代天皇はさまざまな理由からしばしば譲位された。とくに歴史上の女性天皇は独身もしくは寡婦を貫かれ、やがて譲位されることが前提とされた。けれども譲位を認めない終身在位制なら、女子の継承はすなはち女系化を招き、日本建国以来の「万世一系」の皇統を犯すことになる。御結婚や御出産を理由に譲位することは制度的に許されなくなるからだ。逆に、女性天皇が伝統に従つて独身のままなら、皇統は途絶えてしまふ。天皇無私の大原則を守るためには女子の継承は許されない。
女系継承によつて「万世一系」の王朝が変更されることは、明治憲法制定の中枢にゐた井上毅らがもつとも恐れたことだつた。「王朝の支配」の概念は現行憲法にも引き継がれてゐる。日本国憲法第二条の「世襲」はdynasticの和訳である。
〈https://www.ndl.go.jp/constitution/shiryo/03/072shoshi.html〉
他方、制度論でいへば、明治の皇室典範も、現行皇室典範も、皇后や皇太后が摂政となることを認めてゐる。現行皇室典範の場合、民間から入内したとしても、皇后、皇太后となつた女性は、皇室会議を経て、摂政に就任すれば、天皇に代はつて国事行為を行ふことになる。しかし民間の男子なら、かうはならない。
これは女子差別だらうか? 「徳望が高くかつ女子差別撤廃条約の対象とされる分野において十分な能力を有する」(内閣府男女共同参画局HPの説明)とされるCEDAWのメンバーたちに聞いてみたい。今回、日本政府は「我が国の皇室制度も諸外国の王室制度も、それぞれの国の歴史や伝統を背景に、国民の支持を得て今日に至つてゐる」(令和三年九月の報告)と反論してゐるが、委員たちは皇室についてどれほどの素養をお持ちなのか?
日本審査を担当したといふバンダナ・ラナ委員(ネパール)はメディアのインタビューに、「根強い課題の一つは、日本文化に深く根付いた、家父長制的な観念にある」(昨年十月三十日づけ朝日新聞)と答へてゐるが、日本の天皇制は「家父長制」といふ概念でとらへ切れるものなのかどうか?
五 憲法を盾に勧告を突つぱねるスペイン
女子差別撤廃条約が謳ふ「あらゆる形態の差別を非難、撤廃する」(第二条)を第一に追求するならば、皇室典範の改正ではなく、天皇といふ特別の法的地位を認める憲法第一章の破棄こそ勧告されなければならないが、それは革命の勧めにほかならない。あらゆる女子差別撤廃を一律に求めるCEDAWは、もしや天皇制の廃止を勧告したいのだらうか?
女子差別撤廃委員会は、条約締結国が国連事務総長に提出する定期報告書について検討することを任務としてゐるのであつて、有史以来、男系で紡がれてきた皇位継承制度にまで介入し、変革を求める権限があらうはずもない。
委員会は日本のほか、たとへばスペインに対しても、男子優先の王位継承法に噛みついてきた。けれども興味深いことに、スペイン政府はけんもほろろといふほどに受け流してゐる。
スペインは条約を一九八四年に批准したが、「王位継承に関する憲法規定に影響を与へない」といふ留保付きだつた。一九七八年憲法は五十七条で「el varón a la mujer」と男子優先を明記してゐる。女王容認かつ男子優先の継承制度を採用してきたスペインだが、委員会は留保の撤回を何度も求めてきた。けれどもスペインは今回も、憲法改正の加重手続き規定を盾に突つぱねてゐる。
日本はスペインに学ぶべきではないか? 皇位継承法は現行皇室典範のやうな、憲法の下位に位置する一般法ではなくて、明治の典憲体制のやうに憲法と同格に位置づけるか、もしくはスペインのやうに憲法の条文に盛り込むか、いづれかに改めるべきだらう。
六 男系主義を廃止したイギリスの不思議
平等の理念は崇高であり、差別があつてはならないが、女子差別撤廃の理念を文明の根幹に関はる皇位継承の世界に持ち込むべきだらうか?
小嶋和司・東北大学教授(憲法学、故人)が指摘したやうに、天皇といふ法的地位を認めること、血統主義による皇位の世襲を定めることは、平等原則の例外とされるべきである。男女平等、女子差別撤廃といふ基本的人権論を持ち出すのは合理的ではないだらう(小嶋「『女帝』論議」=『小嶋和司憲法論集二 憲法と政治機構』昭和六十三年所収)。
日本政府は今回、委員会の最終見解に対する「日本の意見」(令和六年十二月)を公表した。皇位継承問題一点にテーマを絞り、「皇位継承資格は基本的人権に含まれない。男系男子に限定されてゐても、基本的人権の侵害に当たらない」と強く反論し、関係する記述の「削除」を要求してゐる。当然の対応といへる。
他方、すでに男系主義を廃止した国もある。たとへばイギリスは二〇一三年(平成二十五年)、「not depend on gender」を明確に謳ふ王位継承法の改正を断行した。①年少の男子が年長の女子に優先して継承する男子優先継承制度を廃止し、②カトリック教徒と結婚した者は王位継承資格を失ふ法的規定を削除するものだつた。
しかし不思議なことに、「伝統的な世襲制を維持する」(イギリス下院政治・憲法改正特別委員会の報告書。二〇一一年十二月)としつつ、男系で続いてきた「世襲制」の意味について議会で考察した気配がない。イギリス議会のサイトに公開されてゐる資料を見ると、議論の過程で、王権、王位、王朝に関して本質的に検討された形跡はうかがへない。王位継承の原則を深く追究することなく、ジェンダー平等の原理を単純に当てはめただけのやうに見える。信じがたい。古き良きものを格別に重んじるのがイギリスの国柄ではなかつたのか?
七 イギリスのやうに無原則化させたいのか?
前掲の小嶋教授が指摘したやうに、かつてイギリス王室には、①王族同士の婚姻(父母の同等婚)と②女王継承後の王朝交替といふ二大原則があり、これによつて「王朝の支配」が継承されてきたのだが、いまや両原則とも崩れ去り、王族の婚姻は個人レベルに解体され、王朝は形骸化したかに見える。
二〇〇五年のチャールズ皇太子(チャールズ三世)の再婚も、二〇一一年のウイリアム王子(ウイリアム皇太子)の結婚もお相手は一般女性である。かつてエドワード八世は二度の離婚歴のあるアメリカ人女性との結婚を選び、大騒動ののち王位を断念した。「王冠を賭けた恋」と称される。しかし今は昔、議論らしい議論は聞こえてこない。
ヴィクトリア女王の崩御後に即位したエドワード七世は、父君の姓にちなんで王朝名をサクス=コバーグ・アンド・ゴータ朝(ウインザー朝)に変更し、ハノーヴァー朝は終焉した。かつてならチャールズ三世の王位継承で王朝はウインザー朝から交替してしかるべきだが、王朝が変更されたとは聞かない。王位継承の原則はもはや崩壊してゐる。
今回の王位継承ルールの改正は、二〇一一年九月にキャメロン首相(保守党)が英連邦諸国首脳に書簡を送付したことに始まる(河島太朗「イギリスにおける二〇一三年王位継承法の制定」国立国会図書館調査及び立法考査局、平成二十五年十二月)。書簡は公表されてゐないが、報道によると、首相は「最高位の公職に関する規定で男性優位を謳ひ続けるのは異常だ(anomaly)」と断じたと伝へられる。
キャメロンは二〇〇五年、党首に選出されたあと、党勢挽回のためゲイ・コミュニティに接近した。サマンサ夫人の影響とされる。支持を拡大した保守党は二〇一〇年の下院議員選挙で勝利し、自民党との連立によるキャメロン内閣が成立した。そして翌年十月、王位継承ルールの変革を定めたパース協定が英連邦王国間で結ばれ、二〇一三年四月、エリザベス二世の裁可を経て、新たな王位継承法が成立した。イギリスの王位継承論議は「同性愛者の権利」が発端であり、「ジェンダー平等」が論点だつた。
イギリス王室のサイトによると、一九六〇年にエリザベス二世と夫君エディンバラ公は自分たちの直系子孫がマウントバッテン=ウインザーの姓を継承することを決めた。しかし二〇二二年にエリザベス二世から王位を継承したチャールズ三世はウインザー家にとどまり、王朝名は変はらない。イギリス王室は、まるで羅針盤を失ひ、漂流し続けてゐるかのやうだ。
国連の女子差別撤廃員会は、まさか日本の皇室もかくあれと要求してゐるのだらうか? とても正気とは思へない。平等といふ崇高な理念を掲げて、世界に混乱を振りまいてゐるやうにさへ見える。男系主義で継承されてきた「祭祀王」天皇の世界に誇るべき価値など思ひも至らぬままにである。そしてそれは大方の女性天皇・女系継承容認論者もまた同じである。天皇が「祭祀王」である限り、男系主義を変更してはならない。
追記 40年ほど前から取材と考察、執筆を重ねてきたことがこの記事に集約されています。宮中祭祀の実態やその意義について、とくに「米と粟」の儀礼の意味については長年、問題提起してきたことですが、理解が得られることは、保守派と呼ばれる人たちの間でさえ、容易ではありません。なにしろオウンゴールを蹴り続けていることに気づかない男系派の研究者や編集者さえいます。そんな情けない状況下で、今回、不二歌道会の機関誌が拙文を掲載してくださったことに、私は心から感激し、感謝しています。問題意識を理解し、かつ共有できる方々がやっと見つかりました。さすがは不二歌道会です。(令和7年10月28日)



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