異界通信 編集部|現代都市伝説考
開幕 ― カメラの向こう側
とある配信が始まる。
ライトが点き、コメント欄が動き出す。
「はいどうも!皆さんこんばんわ!」
「今日はオープニング雑談させてください!」
その言葉とともに、もう一つの“世界”が立ち上がる。
そこは現実よりも速く、熱く、そして脆い。
一度でも光を浴びた者は知っている。
――見られることは、快感と呪いの両方なのだ。
消える配信者たち
ネットの片隅で囁かれている。
「突然、チャンネルが消える」
彼らのチャンネルは運営に左右され、
結果“更新が止まる”。
最後の配信には、意味のないノイズ。
チャット欄に残された
「おつかれさまでした」というコメント。
そのまま、誰も戻ってこない。
ある配信者は、配信の最中にモニターを見つめて言った。
「自分が喋っているのに、声がなにも聞こえない」
録画にはノイズしか残っていなかった。
――だが、そのノイズを解析すると、
**観客数と同じ回数の“呼吸音”**が含まれていたという。
信仰としてのライブ配信
かつて、神に祈る人々は教会へ行った。
今、人々はスマホを開く。
コメントは“賛美”に、スパチャは“供物”に変わった。
配信は、現代の祈祷なのかもしれない。
とある配信者の一人は、配信中こう漏らした。
「君らが見てる時点で俺の勝だ!!」
視聴者がいなくなるとき、
彼らは“存在の証明”を失う。
だから、彼らは毎日カメラを回す。
誰かに見られていないと、生きている気がしないのだ。
アルゴリズムという“神”
SNSの世界では、再生数とクリック率がすべてを支配する。
「伸びる」「バズる」「おすすめに乗る」――
そのルールを決めているのは、人間ではない。
アルゴリズムは、冷たい神のように沈黙している。
だが、配信者たちはその神に祈る。
タイトルを調整し、タグを選び、笑顔を作る。
「今日もアルゴリズム様に届きますように。」
配信者は誰もそうは言わないが、
誰もが心のどこかでそう願っている。
都市伝説 ― “視聴ゼロの部屋”
SNS界隈では、奇妙な噂がある。
「視聴者が“ゼロ”の配信は存在しない」
――システム上、最低でも“ひとつ”のアクセスがつくという。
深夜、誰も来ないはずの無人配信を続けると、
やがてコメント欄に**「見てるよ」**と書かれる。
発信者が慌てて画面を閉じると、
自分のアーカイブのチャット欄に、
同じ言葉が最初から打たれていたという。
見ていたのは、誰だったのか。
筆者考察 ― 「視られる恐怖」
配信者とは、“見られることを望む者”である。
だが、望みすぎた瞬間、彼らは“見られる側”ではなく“監視される側”になる。
その境界は紙一重だ。
コメントの波の中に、どこか人工的な文体が混じる。
AIか、幽霊か、それとも――
観客の集合意識が“発話”を始めたのかもしれない。
配信とは、意識と実生活を捧げる儀式だ。
観る者も、観られる者も、
いつの間にか同じ“装置”の一部になっている。
終章 ― スクリーンの向こうの視線
配信を終えても、コメント欄は残る。
誰かが再生し、誰かが笑い、誰かが記録する。
だが時々――
コメント欄の最後に、奇妙な文が現れるという。
「次は、あなたの番。」
そう、配信者と視聴者の境界がなくなったように。
カメラの向こうで、
今日も誰かが“視られること”を求めて光を灯す。
だがその光は、照らすためのものではない。
自分が消えないことを確認するための明かりだ。
そして、その明かりに群がる影の方が――
いつも少しだけ、多い気がする…
拍手の音に紛れて、誰かが笑い、誰かが叩き、誰かが真似をする。
まるで、全員が観客で、全員が出演者で、全員が飢えている舞台だ。
そこに救いはない。
ただ、“見られる”ことだけが、
最後の呼吸のように繰り返されている。
アルゴリズム、監視、承認欲求…
そう 私は 死んだ…
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